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わたらせ渓谷鐵道
宮脇先生追悼イベント
2月26日に亡くなった紀行作家・宮脇俊三氏。
その処女作にして代表作の「時刻表2万キロ」は、激務の合間を縫って国鉄全線約20800キロを完乗するという大記録を
独特の枯れたユーモアと押さえた筆致で綴った名著として、鉄道ファンはもとより、多くの読者を得ました。
その宮脇さんが1977(昭和52)年5月27日に当時の国鉄全線完乗を果たしたのが、当時の足尾線・間藤駅でした。
私の友人・Eが、紆余曲折を経てわたらせ渓谷鐵道に入社、運転士となりました。
同鉄道は旧足尾線の廃止にともない、それを引き継いだ第3セクターです。
来る2007年には、国鉄完乗30周年を記念して宮脇さんをお招きしよう、そんな構想を彼は抱いていたようです。
残念ながら、はかない夢と消えてしまいました。
「今できることを、精一杯やろう」そんな思いの元、彼は今回のイベントを企画しました。
宮脇さんの全線完乗の地・間藤駅に宮脇さんを偲ぶ展示をし、イベント列車を走らせたい。
宮脇さんの未亡人から、直筆原稿や貴重な写真、「時刻表2万キロ」にも登場する「完乗地図」などをお借りし、
ヘッドマークを付けた列車を走らせる……。企画は実現に向けて着実に進むかに見えました。
しかし、思わぬところでつまずきます。未亡人にお借りした特製ヘッドマークの使用について、
その原作者からクレームがついてしまったのです。
イベントまで、あと1週間というところでした。
イベントは予定どおり行わなくてはならない。「ヘッドマークを付けた列車を走らせる」という宣伝はしてしまった。
もう、後には引けません。
急遽、新しいヘッドマークを製作することになってしまった彼は、非番の日も本社に通い、残業を重ね、
そして当日を迎えたのでした。
友人であり、同じ宮脇ファンでもある私は、このイベントを開催することについて、
いろいろ話を聞いたり、時には相談に乗ったりしてきました。
それだけに、ゴタゴタはあったけれど、とにかく無事にイベントが終了したことは、我がことのように嬉しく思いました。
Eくん、本当にお疲れさまでした。
イベント当日、私は部活の練習試合があったため、残念ながら列車に乗ることはできませんでした。
試合後、車を飛ばして一路、間藤へ。
久しぶりのロングドライブ。山道をプジョーが駆けます。

間藤駅の待合室に設けられた看板。達筆な方がいらっしゃるのですね。
左手には、この日のために作られた記念入場券が売られており、私も買いました。


展示の様子です。桜井寛氏撮影の写真や宮脇さんの著書、略歴や「時刻表2万キロ」第13章(足尾線)を抜粋したパネルなど。

「時刻表2万キロ」に出てくる、乗りつぶし地図(コピー)。ファン垂涎の一品です。

これが列車に取り付けられたヘッドマークです。キハ20と旧間藤駅舎が描かれています。

ちょうど留まっていた列車に、撮影用としてヘッドマークを取り付けてくれました。
ひととおり見た後、合流した友人Tの運転で、間藤から先の廃線跡をたどってみました。

精錬所に向かう鉄橋です。所々朽ちています。

廃トンネルと腕木式信号機。兵どもが夢の跡といった感じでしょうか。

土砂が崩れている箇所もありました。

もうこの鉄橋を列車が通ることはないのでしょうか。

精錬所です。もう使われていないのでしょうが、廃墟のようです。
この後、銅親水公園(あかがねしんすいこうえん)にも足を延ばしましたが、それはまた別の話。
午前中に降っていた雨も止み、午後には晴れ間も見えました。
イベント列車が到着した頃には駅近くにカモシカも現れたとのこと。もしかしたら、宮脇さんが覗きにいらしたのかもしれません。
おまけ。

友人Eに頼まれたけれど、締切には間に合わなかった拙デザインのヘッドマーク。
シロウトの域を出ない絵柄なので、間に合わなくてよかったのですが。
枠と文字は別の方のデザインです。(著作権上問題があれば、すぐ削除します TATSUYA)