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mitome会幹事ATの「果てしなき小言」
−[mitome会って?の巻]−
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やっとというかついにというのか重い腰を上げてJRAカードの加入を申し込んだ。
どうも古い人間のせいかクレジットカードというものは自分の中で信頼に値する
ものではなくずいぶんとためらっていた。
CASH IS BEST。現金取引以外はやるモンじゃないみたいに思っているし、ガソリン
を入れるのも現金、大きな買い物も現金、海外旅行も行ったことがないもんだから
カードの価値というのが全く見いだせず、ありがたみも知らないわけだから、かなり
遠い存在としかとらえていなかった。
しかしながら、JRAという響きには勝つことができなかった。(恐るべしJRA)
これで指定席購入が楽になれば言うこと無し。
特に中山競馬場などはハンパじゃないくらいの行列に嫌気が差していたし、絶対1R
は見られない覚悟はしなければならない。(約1時間待ち)
それにファーストフードを注文する客も中央で腹ごしらえをしている客も大変迷惑で
あろう。
自分自身はしばらく競馬場から遠ざかっているので最近の状況はわからないが
あの混雑から少しでも解放されることを祈っている。
でなければわざわざJRAカードを作った意味がないではないか。
後はこのカードがどれほど幸運をもたらしてくれるのかという楽しみが増えたと
いうところか。
ところで、このカードが先日我が家に届けられたのだが、なにやら現金書留などと
同じ扱いらしく受け取るには印鑑が必要だった。
「はんを押してください」「印鑑をお願いします」「ハンコ下さい」。
人はそれぞれの言い方をするものだと思っていたが、よく考えると印鑑とはその物体
を指し、ハンを押すというのは動作を表しているのではという推測がたつが「ハンコ」
とは一体何者であろうという疑問がわいてきた。
印鑑とハンコって違うの?なら印判は?印章は?
ハンコ屋の看板で良く目にするが今まで気にもとめなかったことである。
どうでもいいことにスポットを当ててきた自分のコラムであったが、またもやそう
したどうでもいいことが気になってしまった。
一つだけ解ったことは「はんこう」は版行、板行と書き、それがなまって「はんこ」
(判子)になったという。しかもこの「はんこ」の「こ」の字はひらがなが正解で
「子」はあて字なのだそうだ。
解ったようで解らない。
mitome会では納得してもらえまい。幾つはんこがもらえるやら...。
そのmitome会の「みとめ」とはズバリ認印(みとめいん)の事を指すのだ。
競馬の予想を代表としてダジャレや好きな女性のタイプなど、何かにつけて認印の
数で決める。
最高は10個までで評価する事になっている。
例えば今年の春の天皇賞など3強対決といわれ、その3頭をBOXで買って的中して
もmitome会では一つも判はもらえない。
一点勝負で的中なら8個位、何か押さえたりしたら4〜5個といった感じで認印を
みんなで押してやるわけだ。(だからといって賞金も賞品も出るわけではない)
万券の的中も「まぐれでソーリー」のCMではないが出目や誕生日の日付なんかで
当たっても「そいつぁ判は押せねーなー」となるわけだ。
まあ、笑点の大喜利みたいな評価の仕方といったところか。
競馬以外でも居酒屋などで値段と味がマッチしているか否か、タレントでもルックス
と歌唱力が伴っているかとか...。
かなりNGなときは「mitome会的には認めらんねーなー」ときっぱり否定するもよし。
そんな感じで独断と偏見で世の中の物象を評価して行くのがmitome会なのである。
しかし、基本的にmitome会のモットーは厳しいトレーニングに耐え、ひたむきに
ターフを駆け抜ける競走馬の如く、ハンコお願いできますか?ときたら
「おぅ!!幾つでも押してやるよー」と元気良く前向きに何事にも接することが
できるよう、日々努力を惜しまずに頑張って行こうというものである。
そんな姿勢に賛同できる方もそうでない方も、そしてメルマガ「果てしなきたわごと」
を読んでくださっている方もこのHP「mitome会の部屋」を覗いてしまったあなた
も立派なmitome会の会員なのだ。
(mitome会AT)
P.S
初めてエッセイらしきものに挑戦してみましたが、自分の素の部分が出てしまう
というような恥ずかしさがある気がします。
今回はmitome会のご紹介程度なのであまりつっこんだ話とまでは行きませんでしたが
そのうち個人的な話なども書いて行きたいと考えています。
かなり不定期の更新になると思いますが、「果てたわ」のコラムのネタとリンク
したりもするのでちょくちょく覗いてみて下さい。
ではまた...。
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果てしなき小言vol.2 「mitome会の飲み会」
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「mitome会のサークル活動」とは言ってもただの飲み会の訳だが、今ではほぼ毎週
土曜日に競馬新聞片手に激論を交わしているといった状況である。
まだ歴史は浅く平成8年に高校時代の同窓会の席上、競馬の話で盛り上がり
そのままずるずると集まるようになったのがきっかっけである。
マンネリ化した飲み会にたまには新しいゲストも参加したりすることもある。
先日私の通っていスポーツジムで高校在学時の先生に何年かぶりにあうことが
出来たので、ほとんどのメンバーがその先生のお世話になっているということで
いつもの飲み会に参加してもらい、いろいろな話を聞くことが出来た。
その先生すばらしいところは現在地元の子供達に「平和とは何か」をテーマに
ボランティア活動をしているということだ。
以前は山野の方に出向き体調不良の労働者達へ無料で体のケアに当たったり
していたというのだ。
県立高校の職員が何故そこまでと思うが、先生曰く
「我々の収入というのは国民の税金な訳だから、せめてもの恩返しのつもり。」
だという。
校長あたりはそれが理解できないどころか、迷惑とさえ感じているらしいと言うので
時も忘年会シーズン、「バトルを繰り広げる構えでいる。」と燃えていた。
さすがボクシング部の元顧問であり、団塊世代を生き抜いてきた熱き血潮は
今も健在である。
私自身も在学中は野球に明け暮れていた。
しかし、補欠と言うより裏方仕事に回されたというのが正しいところだった。
自分の技術のなさや体の小さいところなぞ、おおよそ知らない人から見れば
ほんとに3年間硬式野球をやっていたのかと信じられない方が多いが、
実際続けられたわけだし、3年の時には自チームの甲子園出場に帯同した経験も
ある。今でもそれは誇りに思っている。
時代もツッパリブームなら、やり遂げることが自分流のツッパリだったのかもし
れない。何より精神面で人一倍強くなれた気がした。
菊花賞で書いたロサードの体が小さくも他を威圧するくらいの気性が必要というのは
まさに自分をだぶらせたもの。
これまでの経験をコラムにしたためているのも、逆に競馬を通して学んだことを吸収
してゆくことも自分という気性のなせるもの。
先生の話を聞いていて、もっと熱いハートを持って望んでいこうと、そんな気持ちにさせられた飲み会であった。
生意気なことを言うようだが「頭で覚えず体で覚える」ということが必要だと思って
いる。ブルースリーの「燃えよドラゴン」の中のせりふで「Don't
think,Feel」−
「頭で考えるな、体で感じろ」というのがあるがまさにこの通りだ。
やる前にあれこれ理屈を付けるのではなく、やってみて初めて理屈がついてくるのだ。
そんな行動力というのを大切にしてゆきたい。と、あらためて思った。
P.S
先生、先日はすばらしいお話ありがとうございました。
その熱血ぶりはまるで青春ドラマのようですが、その意志は我々にも十分継承
されております。
現状にイライラ、カリカリするのも理解できますが、もうあまり若くはないのです
から体に気をつけて、程々にがんばってください。
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mitome会AT氏の「果てしなき小言」VOL.3
「mitome会会長IN氏のロンドン・パリ研修旅行記」
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我がmitome会の会長IN氏は何を血迷ったのか、30台半ばにして
学生に逆戻りした。
別にリストラされたとか、会社が倒産したわけではないが、それまでの安定した
生活や収入を捨てて、これからの未来に夢を託すのだそうだ。
何の勉強をするために学生になったかというと、介護福祉の専門学校で、今後非常
に需要が増え、また必要な人材となってくることが確実となってくる介護福祉士の
資格を取るための勉強をやりたかったのだそうだ。
夢の実現に向けて是非とも頑張ってほしいものだ。
そのIN氏。
去年の12月に学校の研修旅行とやらでロンドン・パリへ1週間ほど行って来た
そうである。
旅の準備をする中で誰もが不安になろう言葉の違いに対する壁も、英語ならまだしも
仏語となると少しくらいの単語は覚えて行くのかと思いきや、全く臆することなく
覚えていったフレーズは僅かに3つ。
ボンジュール、メルシーボク、ウィ、こんなフランス語は覚えるというより誰でも
知っているというやつだ。
身振り手振りでなんとかなるのなら「こちとら手話の勉強を毎日やってるんだから
心配ない!」と強気というかのんきというか...。
BLOOD TYPE "O"らしく大ざっぱでおおらかな性格の持ち主。
帰国後にしたってそれ以上の言葉を会得してきたというわけでも無く、
ある意味、大した物だと関心もさせられたりもする。
旅の最中の出来事にしてもユーロスターがポイント故障により4時間も立ち往生し、缶詰になったかと思えば、予約していたはずのディナークルーズは予約されておらず
やっとの思いで翌日のチケットを入手できたと思ったら今度は時化により運行不能と
なり、ディナーはマクドナルドへと変貌を遂げた。
極めつけは宿泊先のホテルで火災騒ぎにまで巻き込まれる始末。
それでも「滅多に出来ない経験が出来て良かった」と喜んだかどうかは定かでは
ないが、めげることもなく研修旅行を満喫してきたようである。
話は戻るが、この手話というのは万国共通ではないらしい。
国内でも地方自治体などで若干の違いがあるという。
方言があるのと同じと言うことらしい。
例えば「私」を指す動作も顔を指す物と胸を指す物があるという。
何でそんなことが起こるのかと疑問に思うが、元を正せば介護福祉に関する行政は
厚生省で、その教科書を作るのは文部省等という所に矛盾があるのだそうだ。
もし手話というものが万国共通になるようであれば言葉の壁が取り去られることで
あろうし、言葉よりもボディーランゲージのほうがよりコミュニケーションが
取りやすくなるのではないだろうか。
実に画期的なことだと思うのだが...。
今回、IN氏が旅行体験を通じて感じたことは、4時間の立ち往生にしろ、クルー
ジングの中止にしろ、それはあくまで人命を尊重したものであると言うことを
みんなが理解しており、日本人であれば「どういうことだ!」などと詰め寄る輩が
何人かいそうな物だが文句の一つも出ず、プラス思考で考えるところが素晴らしと
いう事だそうだ。また、僅かなボヤ騒ぎにしても宿泊客が部屋to部屋で避難を呼び
かけ、事なきを得るというような場面にしても日本人とは異なる、人間の器の違い
という物を目の当たりにしたそうである。
そう言った意味で介護する側の人間として大きな心を持って接するという点に
おいては大いに勉強となったに違いない。
自分自身、今まで特段興味のなかった介護福祉と言うことについても彼にいろいろと
話を聞かされると、これは重要な問題であると認識し始めるようになった。
そんなわけでコラムとして一筆したためる気になったのである。
介護保険法という物が世に出るまでことさらクローズアップされることの無かった
「介護」という仕事。
一部の学校ではあるがカリキュラムとして取り上げられるようにはなってきているが
まだ、子供達にその本質が浸透するにはほど遠いといえる。
そして、われわれ世代でもそうした介護に対する関心が薄すぎるという問題もある。
いずれにせよ、政府がくだらない主導権争いのネタとして介護保険法をもてあそん
でいるうちにどんどん国民の介護に対する不安は募るばかりである。
今の大人にしても、これからの子供達にしてもいずれにせよ避けて通れない問題
なのであるから早急に方向付けをしてもらいたい物だ。
参考まで会長IN氏からいただいた介護福祉士に関する資料を紹介しておきたい。
◎介護福祉士の基本的要素
1.思いやり、いたわる心情、その人の苦痛や悲しみを取り除き、安楽(心身)
するように支援する
2.日常生活行動に対する支援状態の観察
3.個人を尊重する忍耐、信念、及び他職種との連携。
◎介護福祉士に求められる今後の課題
1.いつでもどこでも誰でも質の高い介護を継続して提供する。
2.豊かな心とは自分を厳しく反省することにある。
3.感動する心、世のために尽くす、人のために尽くす。
◎介護とは障害があっても健常者と同じように自立的な生活をさせること。
そのためには
1.自立のために家事労働や経済力住居安全管理等の基本条件を整える
2.生活基本を維持させる(食事、排泄、衣服着脱、入浴、しんたいの清潔)
3.状態の変化等基礎的事項の把握
(体温、脈拍、呼吸、皮膚、眠り方、目覚め、嚥下、排泄物、感情等)
4.社会的生活維持を拡大させる
(歩行介助、車椅子、座位、立位、機能維持、外出、自然欲等)
5.緊急事故対応(異常時の対応、医師医療機関への連絡)
とまあ、介護福祉士に要求される事項のごくごく一部であるがが、要介護者の生活
と医療とを結ぶ大切な仕事として、これからIN氏が学ぶべき事は非常にたくさん
ありそうである。
(mitome会AT)
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mitome会AT氏の「果てしなき小言」VOL.4
「強者どもが夢の中」
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1900年代最後の節目のコラムから一月が経った。
今はのんびりと穏やかな日々を過ごしているところである。
みなさんはどうだろう。
競馬はG1だけという人も、年中無休という人も、ひとまず年末の興奮は忘却の彼方
に押しやり、落ち着きを取り戻している頃ではないだろうか。
結果はどうあれ怒濤の10連戦の後はさながら「強者どもが夢の後」
といったところか...。
現在の充電期間というのは新たなる挑戦へ鋭気を養うことと、それまでのふがいない
結果に幾度となく及んだ心の葛藤に整理を付ける意味でも必要な事であると思って
いる。
果たして競馬の予想に雑学や主張は必要なのだろうか、誤った認識の予想やコラムは
無かっただろうか。
自分の進むべき方向がずれていないか。
これからどういう方向に進めばよいのか。
そう言ったことを確認するには良い機会だったので今までのコラムを読み返し
分析してみたところ、去年の後半はネタも主張もかなり精神的不安定さを抱えていた
気がしてならない。J.Cを境にかなり追いつめられ自暴自棄に近いような内容に
なっていた。
いくら自分に信念があっても予想が当たらないということは自分を追いつめ、
暗いネタしか浮かんでこなくなってくるものらしい。
シーズン当初の明快なコラムも次第に不気味さのようなものが現れてきたのが感じ
取れよう。
やはり結果が出ないと言うのは自分を見失う可能性が高いという結論に至った。
先日ドキュメンタリー番組で普通の女子高生がネット上でアイドル扱いを受ける様
なり、アクセスしてきた人と悩みなどを相談しているうちに自分自身が盛り上がって
しまい自殺に至る、というものがあった。
おおよそ一昔前の文学者などもそうだが、行き詰まったり、その世界に入り込み
すぎたりすると自らを死へと追い込んでしまう、と言うこともあるが、振り返って
みると自分自身もそう言う傾向というのをかいま見たような気がするから怖いもの
である。
競馬の予想というものは、これまで反省というものはしたこともないし、これから
先も反省することもないだろう。
タラレバ、つまり結果論でどうこういったところで見苦しいの一言である。
方程式を作って当てはまれば、マニュアル通りで答えが出るってモンじゃない。
あくまで自分の推理、勘、情報、そしてステップレース内容の分析した上で
予想が成り立つのだ。
はずれたところで反省もなければ、当たったところで喜々とすると言うべきもの
でもない。予想とは「前もって想像するもの」であり、「予報」ではないのである。
それに自分のコラムを読んで一票を投じてくれた人がいるのであれば、いいわけなど
もってのほかである。
しかし、結果が出ないと言う事実はいかんともしがたく、その点は申し訳ないと
言わざるを得ない。
mitome会のメンバーの一人がこういってくれた。「スポーツ新聞で予想する
タレントの姉ちゃんも、TVで解説する人も、専門誌でコラムを書く人も
それを見てなるほどと思わせたらその人イズムになってしまうって事だよ。
そう言った意味じゃおまえのコラムをネットで流す以上自分だけの世界では
無くなってしまうのだから、何かしらのイズムを来た出来るよう頑張ってくれ!」と。
心のどこかで「所詮、素人の予想だから...」というところがないでもなかったので
この言葉には眼を開かされた想いであった。
個人の予想の範囲を超えているならば信じてくれる人を裏切らないよう心がけ、
且つ、強気な予想はそのままに邁進しようと思う。
主張と言うより説教みたいな内容もまた自分らしくありたいもの。
1億総評論家時代なら、その中でも競馬の予想というのは千姿万態。
ならば自分のスタイルを確立し、誠心誠意に取り組んで行こうと思う。
自分を含め強者どもは常に夢の中にも現実と向き合って生きていると言うことを
主張しながら...。
(mitome会AT)
果てしなき小言 …‥・・・☆
【VOL.5 ABANDON−情熱や衝動に服従すること−】
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mitome会のキャッチフレーズとして以前は「プログレッシブロックと馬を愛する
云々...」とうたっていたが、何もプログレッシブロックに固執しているわけでは
なく、1970年前後の洋楽というのがベースになっていて、その時期の代表的な
ジャンルがプログレとなっているだけで、寧ろハードロックの方を好んで語る
といった方がよいだろう。
競馬とハードロックというのは何となく相性がいい。
JRAのCMで流れていた小田和正と競馬というのも感動的ですてきだったが、
ターフ上で疾走するサラブレットにはディープパープルの「Highway
Star」や
「Speed King」の方がよく似合う。
そう言えば、このmitome会のメンバー達(高校の同級生以外)の出会いというのも
LIVEが多く、JUNPU氏が結婚するというので奥さんを自分に紹介してくれたのも
"RAINBOW" のライブの時だったし、会長IN氏とJUNPU氏が初めてあったのも
"DEEP PURPLE"のライブ であった。この歳になっても、みんなで盛り上がり
ライブ後の酒の席で感動を分かち合えるという仲間は本当に貴重である。
メンバーと言ったライブの中ではジョン・ウエットン(もとUK,ASIA,KING
CRIMSON)
のがとくに印象に残っている。渋谷のクワトロということもあって、私の場合
小さい体を利して最前列に潜り込み盛り上がることができた。
LIVEも競馬場の雰囲気も馬券の当たったはずれたに関係なく、乗ったもん勝ち
である。そう言った意味で何となく共通する部分はあるものなのだ。
去る3月25日も3年振りの来日を果たしたディープパープルのライブを
国際フォーラムに見に行ってきた。
さすがにメンバーもおやじになってきたせいか、かなりくたびれたように見えた。
しかし、代表曲以外にも「Into The Fire」や「Fools」(ちょっとマニア入ってます)
を苦し紛れにでもやってくれて、ただひたすら涙、涙といった感じ。
往年の声は出てないまでも一乗懸命聞かせてくれたボーカルのイアン・ギランは
’45年8月生まれの54歳なら最年長のジョン・ロードが'41年6月生まれの58歳。
それでもこのツアーのタイトル通りABANDONを我々の前に充分に示してくれた。
ついでというわけではなかったのだが、そのライブの前に有楽町マリオンで
雷波少年などでお名なじみのチューヤンの個展をやっていたので覗いてきた。
伊藤高史と朋友(パンヤオ)として南アフリカからヒッチハイクをスタートした
頃は、おぼっちゃま育ちのせいかあれこれグチも多く”ナンダヨー”のせりふが
口癖であった。
リタイヤするのも時間の問題かという大方の予想を裏切り、旅を続けて行くうちに
どんどん強く、逞しくなって行く姿は目を見張るものがあった。
最初はリードしていた伊藤と立場が逆転してしまったような成長振りであった。
その旅の中で食費や旅費を稼ぐために、彼の隠れた才能を生かして描いた作品の
数々はTVの中でしかなかったものが、間近で見ることができ、そこからは生き抜く
ことの大変さや旅の苦労や感動が今まで以上に伝わるものがあった。
私には絵の知識なぞ何もないが、ペンで描かれたシンプルなデッサンは力強く
まっすぐなものもあり、またやわらかく暖かみのある曲線もあったり、そして
そのデッサンを生かすようにモデルの原色にとらわれてない、パステルカラー的な
淡い色使いが特徴的であった。
会長IN氏もヨーロッパの町並みの風景画を見ながら先日の研修旅行の思い出に
浸っていたようである。
中には馬の絵もあり、その優しい目元と今にも動き出しそうな豊かな表情は
すばらしいものがあった。
電波少年のアポ無し突撃系のネタの方が面白いという人も多いが、私は今のような
感動的な企画中心の方がいろいろと学ぶこともあって良いと思う。
どんなことでも一生懸命打ち込んでいる人たちの姿というものは感動を与えてくれる
ものだ。それがややくたびれたディープパープルの面々であり、チューヤンの絵で
あったような気がした。
私もコラムや予想で頑張ってみよう!もっと情熱を傾けてみよう!とあらためて
決意させる1日であった...。
(mitome会AT)