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  2011年5月入手情報


オーストラリアの獣医学の父: ウイリアム・ケンダル Dr. William Kendall

さて今年は一月から、アメリカ獣医師会雑誌に掲載されている「世界の獣医学に貢献した人物」の紹介をしていますが、今回はオーストラリアの獣医学の父として有名なウイリアム・ケンダル(William Tyson Kendall, 1851-1936)です(参考文献1)。

オーストラリアは、1788年イギリスの流刑植民地になり、その後イギリスから多くの移住が行われました(補足1、2)。ケンダルも1880年にオーストラリアへ移住してきた一人でした。その年早くもオーストラリア獣医師会を立ち上げることに協力し、1882年オーストラリア獣医師会雑誌の共同編集長になりました。1884年には、「オーストラリアのウマの病気」を出版しました。1888年にオーストラリアで最初の獣医学専門学校を開校しました。

ケンダルの生涯にわたるオーストラリアにおけるウシの結核の撲滅への貢献は、動物の健康以上に人の公衆衛生に大変重要な役割を果たしました。当時、と殺されるウシの25%が結核に感染していました。残念ながらこの当時、検疫体制がまったく整っていなかったため、感染した肉や乳製品はそのまま市場に出回っていました。市内の屠場で処理された感染したウシの数とそれに関連する人の健康被害から、ケンダルは政府に結核対策委員会を設けるように強く働きかけました。

さらに、ケンダルは高いレベルの獣医療を確立するため州政府に働きかけ、1881年の英国獣医師法をモデルにして、1887年にビクトリア州の獣医師法を制定することに成功しました。これにより、誰でもできていた獣医診療が、一定の教育を受けないとできないようになりレベルが向上しました。

この流れで、ケンダルはさらに4年制の獣医学専門学校を設立するよう州政府に働きかけましたが、その方はなかなか実現しませんでした。そこで、ケンダル自身が、私立の獣医学専門学校(the Melbourne Veterinary College)を設立しました。1891年から1909年の間の卒業生は61人で、メルボルン大学獣医学部(the Veterinary School at the University of Melbourne)が新しく誕生して、22人が編入しました。専門学校が閉校になり、1918年までケンダル自身は、メルボルン大学で教鞭をとりました。

最後にオーストラリアの有名な歌 Waltzing Matilda (参考文献2)

Once a jolly swagman camped by a billabong,
Under the shade of a coolabah tree,
And he sang as he watched and walked till his billy boiled,
`Who’ll come a-waltzing Matilda with me`
`Waltzing Matilda, waltzing Matilda,
Who’ll come a-waltzing Matilda with me?`
And he sang as he watched and waited till his billy boiled,
`Who’ll come a-waltzing Matilda with me?` 

Down came a jumbuck to drink at the billabong,
Up jumped the swagman and grabbed him with glee,
And he sang as he shoved that jumbuck in his tuckerbag,
`You’ll come a ?waltzing Matilda with me.`

Up rode the squatter mounted on his thoroughbred,
Down came the troops, one, two, three,
`Where’s that jolly jumbuck you’ve got in your tuckerbag?
You’ll come a-waltzing Matilda with me.`

Up jumped the swagman and jumped into the billabong,
`You’ll never take me alive`, said he.
And his ghost may be heard as you pass by that billabong:
`Who’ll come a waltzing Matilda with me?` 

Matilda = blanket roll(携帯している巻き毛布) billy = 野営用湯沸し
jumbuck = ヒツジ

今回は、オーストラリアの獣医学の父の話でした。個人的な興味では、オーストラリアの獣医学出身者ではノーベル賞を受賞した実験病理・免疫学者のピーター・ダハティー(Peter Doherty)先生を思い出します。ブリスベン大学獣医学部の出身です。キャンベラにあるオーストラリア国立大学ジョン・カーティン医学研究所(JCSMR)の教授をされていた時代にお会いしましたが、当時は、普通の気さくな研究者で、研究室も少人数でした。当時のJCSMRは研究費の関係で大きな研究室を運営できないようなシステムでしたが、独創的な研究をする環境がしっかり確立していました。このようなすばらしい環境を作った一人が、WHOの天然痘撲滅計画の立役者の一人で日本国際賞を受賞したフランク・フェンナー(Frank Fenner)先生でした。昨年95歳で亡くなられましたが、JCSMRE-wingではフェンナー教授室が私の部屋の隣にあり、週末も含めほぼ毎日お会いしていました。そのころはすでに研究の第一線を退いておられ、本の執筆をされていました。JCSMRでは午前10時半と午後3時にはティータイムがあり、いろいろな研究者が集まりワイワイガヤガヤでしたが、こんな環境でもノーベル賞が生まれるのがオーストラリアのすばらしさでしょうか。ウイリアム・ケンダル先生の功績があったからこそピーター・ダハティー先生のノーベル賞という快挙に結びついたというのはちょっと言い過ぎでしょうか? オーストラリアが大好きです。

参考文献
1)      JAVMA News/Global issues (2011). Father of Veterinary Medicine in Australia: Dr. William Tyson Kendall founded institutions, promoted veterinary medicine. J. Am. Vet. Med. 238, 546-47.
2)      Magaret Nicholson (1988) “The Little Aussie Fact Book”. Pitman, Melbourne.

補足1: このころ世界各地で何が起こっていたかというと、アメリカは独立革命(1775)、独立宣言(1776), イギリスは産業革命、フランスはフランス革命(1789)18世紀後半の文化というと音楽では、ハイドン、モーツァルト、ベートーベンなどが活躍していました。

補足2: 1901年にオーストラリア連邦(the commonwealth of Australia)としてイギリスから独立。当時の人口は377万人(原住民のアボリジニーズを含んでいない)。

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