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  2012年1月入手情報


オーストラリアのブラッド先生 (Dr. Douglas C. Blood)

さて今回は、オーストラリアのダグラス・ブラッド先生の話です。アメリカ獣医師会雑誌の世界獣医学年(World Veterinary Year)を記念する記事のシリーズでは、オーストラリアからはウイリアム・ケンダル先生(Dr. William Kendallに続いて二人目の登場になりました。ちなみに現在まで紹介された国別では、フランス2人、イギリス2人、カナダ1人です。獣医学の分野でいかにオーストラリアが、がんばっているかよく分かります。

ブラッド先生は、オーストラリア、アメリカ合衆国、カナダで獣医学教育にかかわり、カナダの大学教授時代は、大動物の病気に関する名著を書き上げました。オーストラリアでは、再興されたメルボルン大学獣医学部の初代学部長として活躍しました。


ブラッド先生は, 1920年にイングランドで生まれです。5歳の時、家族と共にオーストラリアへ移住し、シドニー近郊の農業地帯で生活を始めました。シドニー大学で獣医学を学び、1942年に卒業。1939年第二次世界大戦、そして1941年太平洋戦争が始まっていましたから、軍隊へ入隊し、オーストラリアの北にあるノーザン・テリトリー(北部特別地域)配属されました(補足1)。

戦後、シドニー大学の大動物の講師になりました。当時は経験重視の講義が中心でしたが、臨床データに基づいた内容の講義が必要と考え、1000ページにもおよぶ講義ノートを書き上げました。経験だけにたよる動物臨床には限りがあることをよく知っていたので、当時オーストラリアにただ一つだけあった大動物診療施設を訪問したり、臨床経験を積むためニュージーランドへも出かけました。このころのオーストラリアでは、政府の獣医師による大動物診療がほとんどでした。その後、アメリカのニューヨーク州にあるコーネル大学へ2年間留学し、大動物診療施設をどのように上手く運営していくかということを学んできました。

シドニー大学へ戻ったブラッド先生は、大動物診療施設は牧畜業の盛んな地域に設置すべきだと主張しましたが、大学は土地代がかからないことを理由に、理想とはかけ離れた場所に診療施設を建設してしまいました。理想と現実の差は大きなものになりました。ブラッド先生は、その後、カナダのゲルフ大学オンタリオ獣医学部の大動物の教授として赴任。そこで、家畜の病気に関する名著「獣医学(Veterinary Medicine)」をジェームズ・ヘンダーソン先生と共に編集しました。現在、世界で10ヶ国語に翻訳され改訂10版にもなっています。

1962年、オーストラリアのメルボルン大学獣医学部が改組され、その初代学長に就任。大学の動物病院を牧羊地域に設置することを提言しましたが、やはり、経済的理由で大学側と折り合いが付きませんでした。しかし、一つの大きな一歩は、大学の動物病院の分院を牧羊の盛んな地域へ置くことができたことで、ブラッド先生の長年の夢が少し実現しました。

6年後に学部長を辞任し、その後、1985年に退職するまで教授として大学へ残りました。経済状態が家畜の病気の診断や治療に使う最新の医学技術の使用に影響していることをよく理解していたため、疫学(流行病学:ある地域に発生し広がる病気について統計学などを駆使して研究すること)の教育と家畜の健康プログラムの確立をしました。ブラッド先生は、病気の診断をするためにコンピュータの有用性を理解していたため、他の臨床家と共にいくつかのコンピュータ・プログラムも開発しました。

ブラッド先生は、獣医学や獣医学関連の政策や法規制の革新者をして活躍し、1985年には獣医学の法律に関する本も出版しました。専門医を育てるための制度の確立、獣医学のレベルを高くするために、国と州の間の折衝、獣医学会の開催、各大学の獣医学部大学の教育格差是正、獣医国家試験など多くのことに取り組みました。

ブラッド先生のような方がいたから、オーストラリアが獣医学で活躍するトップクラスの国になったことは間違いありません。

参考文献
1)    JAVMA News (2011). Australian Teacher and Innovator: Dr. Douglas C. Blood wrote pivotal text,
re-established veterinary school. J. Am. Vet. Med. 239, 292-293.


補足1: 1942年3月オランダ領東インド連合軍降伏で、ニューギニア島のほとんどが日本軍に占領されましたから、そこに一番近いノーザン・テリトリーは、日本軍の侵攻が予想される場所で戦々恐々の状態でした。その当時、最前線のニューギニアには、このコーナーの「ウイリアム・ケンダル先生(Dr. William Kendall)」で登場していただいたフェンナー先生(Frank Fennerがおられたかもしれません。この当時のニューギニアおよびノーザン・テリトリーことについて、フェンナー先生からお伺いしていません、というより、何か怖くてそのような質問を躊躇していました。毎週末、研究室の前の廊下で会っていたので、何か聞いておけばよかったと後悔しています。 日本軍は19422月にノーザン・テリトリーのポートダーウィンを空爆で攻撃、続いて同年5月にはクィーンズランド州のタウンズビィルも空爆しています。オーストラリアの歴史上、初めて他国から攻撃された屈辱的な事件になりました。この攻撃が、オーストラリアの対日本外交にかなり影響しているように思えます。日本人から見たオーストラリアと、オーストラリア人から見た日本に微妙な差があることはたしかです。

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