世界のニュースあれこれ
  2012年8月入手情報


ガンビア大統領 ダウダ・ジャワラ氏 (獣医師)

世界の獣医師を紹介(補足1)していますが、今回は、アフリカのガンビアで大統領になり、政治で活躍した獣医師のダウダ・ジャワラ氏のお話です(参考文献1)。

ダウダ・ジャワラ氏は、1924年にイギリスの植民地のガンビアで生まれました(補足2)。首都バサースト(現在は、バンジュール Banjul)の地元のイスラム系の小学校、そしてメソジスト派の中学校・高校で勉強しました。ガーナのアチモト・カレッジで1年間勉強した後、奨学金を得てスコットランドのグラスゴー大学獣医学部へ進学。

卒業後、ガンビアへ帰国したジャワラ氏は、ガンビアでただ一人の獣医師として、地方で家畜のワクチン接種の仕事をしました。伝染性で高死亡率の牛疫の発生が起こりましたが、うまくコントロールすることに成功しました。この仕事で、植民地の監督当局に認められ、1957年に植民地の首席獣医師として任命されました。当時、アフリカ人として最高の地位でした。

1959年に人民保護党(the Protectorate People’s Party)に参加し、政治との関わりを持つようになりました。党の代表になり、政党の名前を国民進歩党に変更しました。そして、選挙へ出馬するため、官僚を退職。

1960年には、ガンビア議会の議員に選ばれ、そして教育大臣に就任。ジャワラ氏の権力が増すにつれて、植民地の統治の力は徐々に弱まって行きました。そして、1963年には自主政府を確立することを保証されるようになりました。ジャワラ氏は、首相に任命。

その当時、ガンビアはイギリスからの独立を訴えるようになっていました。ケニア、ガーナ、ギニア、ナイジェリアなどの近隣の国では、すでに独立を勝ち取っていました。セネガルに三方を囲まれたガンビアが独立するためには、セネガルとの協調が必要と考え、セネガル大統領のレオパルド・センゴー氏にそれぞれの国の自主は尊重するものの、防衛、外交、海外公館を共同で行うことを提案しました。1965年2月に外交交渉がまとまり、ガンビアは、議会民主主義国になり、アフリカで36番目に独立しました。

1970年に共和国になり、ジャワラ氏が初代の大統領に選出。西アフリカの情勢不安は続いていましたが、彼の手腕により国内の安定を維持することができました。1981年にガンビアの急進グループが首都のバンジュールで暴動を起こし、最大の危機を迎えました。やっとのことで鎮圧することに成功。しかし、600人以上の死者を出してしまいました。

1990年代まで、ジャワラ氏とその政府は、教育を受けることができる子供の数の増加、国民の健康保つための努力, 観光産業に力をいれて国内経済を安定などを行いました。さらに漁業を発展させ、米、綿花、その他の穀物によって国の農業生産量を上げました。

その後、ジャワラ氏の政権は、長く続きませんでした。1994年7月22日の一部のガンビア軍がバンジュールへ進軍して、無血クーデターが起こりました。ジャワラ氏は、アメリカ軍の支援でセネガルへ国外脱出し逃げることができました。現在は、ガンビア国内で一市民として生活しています。

参考文献
1)    Larkin, M. (2011) Veterinarian served, then led, African nation: Dawda Jawara brought stability to Bambia for 30-plus years.  J.Am.Vet.Med Associ. 239 (5), 560 – 561.

補足
1)過去の「世界の獣医師」紹介は、「人と動物との絆」世界のニュースあれこれ~2011年2月3月5月6月8月9月、2012年1月, 4月~です。アメリカ獣医師会雑誌Journal of the American Veterinary Medical Associationが2011年に紹介した、過去250年間に活躍した世界の獣医師の記事をもとにしています。

2)ガンビアは、アフリカ西海岸の国で、セネガルに国土のほとんど(三方)を囲まれ、西側だけが大西洋に面しています(南北の幅は、50kmより狭い)。セネガルは、他の北アフリカの国々と同じようにフランスの植民地でしたが、ガンビアは、アフリカ西海岸では数少ないイギリスの植民地です。

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