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  2013年2月入手情報


ピーター・ドハティ先生: ノーベル生理・医学賞受賞(1996年)

昨年のアメリカ獣医師会雑誌に紹介された獣医学250周年を記念して、各方面で活躍した世界の獣医師の記事の内容を紹介していますが、最終回です(一年以上遅れて紹介しています。参考文献1)。

今回は、1996年にノーベル生理・医学賞受賞を受賞されたピーター・ドハティ先生です。この先生は、オーストラリアのクイーンズランド州出身で、1966年に地元クイーンズランド大学獣医学部卒業後、州の獣医学研究所で病理鑑定の仕事、そしてレプトスピラと鳥類のウイルスの研究を始めました。その後、スコットランドのモアダン研究所で実験病理学の研究を行い、1970年に病理学の分野で博士号。1972年からオーストラリア国立大学ジョンカーチン医学研究所(JCSMR、補足1)の研究員になり、ウイルスに対する免疫反応を理解するため、T細胞について研究を始めました。当時のJCSMRは、クローン選択説でノーベル賞を受賞したバーネット先生(Macfarlane Burnet)の片腕として本の執筆や実験を行ったFrank Fenner先生が、研究所長(1967-73年)でした(補足2)。ゴードン・アダ教授(Gordon Ada、補足3)率いる微生物学部門とビード・モーリス教授(Bede Morris、補足4)の免疫学部門、そして素晴らしい実験動物施設と、動物を使って免疫学の実験をするには素晴らしい研究環境が用意されていました。

細胞はどうやって異物を見分けるのだろうか? このしくみを明らかにしてノーベル賞を授与されたドハティ先生とツィンカーナーゲル先生ですが、彼らの行った実験(1972-73)は、以下のようなものです。ここではT細胞という細胞ができてきますが、詳しくはT細胞の中でも細胞傷害性T細胞(キラーT細胞とも呼ばれています・・補足5)ことですが、難しく考えないで、免疫を担当する細胞の一つと考えてください。

T細胞(キラーT細胞)は、ウイルスに感染した細胞ならどんな細胞も殺すわけではありません。たとえば、ウイルスが感染したA系統のマウスの体内には、ウイルス感染細胞を殺すキラーT細胞がいますが、このキラーT細胞は、同じウイルスが感染したB系統のマウスの細胞は殺しません。逆に、ウイルスが感染したB系統のマウスの体内にいるキラーT細胞は、ウイルスが感染したA系統のマウスの細胞を殺しません。すなわち、ドハティ先生とツィンカーナーゲル先生は、ウイルス感染細胞を殺すキラーT細胞は、自分の細胞が感染したときのみ殺すことができ、他人の細胞がウイルスに感染しても殺すことができないことを見つけたのでした。さらに、詳しい実験から、キラーT細胞は、自分が育ったマウスと同じMHC(主要組織適合遺伝子複合体、補足6)を発現する細胞がウイルスに感染したときのみ、その細胞を殺すことができるということが分かりました。

ドハティ先生は、当時30歳前半、そしてツィンカーナーゲル先生は、スイスで医学部を卒業して数年後ということで20代後半という若さでした。ツィンカーナーゲル先生は、客員研究員としてJCSMRを訪問し、そして1年以内で、ノーベル賞を受賞することになった研究を行い、さらに、それをテーマに論文を提出し博士号(Ph.D.)を得ました。こんなに短期間で若くして博士論文をそのままノーベル賞につなげた医学・生物系の研究者は、他にいないかもしれません。2人すごかったというよりも、その環境や偶然の出会いがこの結果に結びついたようです。

ピーター・ドハティ先生のノーベル賞受賞の背景には、その研究を環境と整えていたJSCMRの素晴らしさがありました。フランク・フェンナー先生、ゴードン・アダ先生、ボブ・ブランデン先生(補足7)などのサポートがあったからに違いありません。

ボブ・ブランデン教授のその当時の回想録を読んでみるとこの辺のようすが少しわかってきました(参考文献2)・・・・・・

19729月 ブランデン先生が、WHOの細胞性免疫の短期講習会の講師としてスイスのローザンヌを訪問。そこで、その講習会に出席していたツィンカーナーゲル先生に会う。ヘンリ・イスライカ先生(ローザンヌ大学)とゴードン・アダ先生(JCSMR)の助言を得て、ツィンカーナーゲル先生が、ブランデン先生のところで、サルモネラ菌感染の免疫学を学ぶことになりました。・・・・・・

197210月 ブランデン先生は、ハンブルグの学会に出席し、そこでLCMV(リンパ球性脈絡髄膜炎ウイルス)に感染した細胞の傷害の程度を検査する方法(細胞傷害性試験)の2つの発表を聞きました。

オーストラリアへ帰国したブランデン先生は、1972年末までに、JCSMRの研究室でも、エクトロメリア・ウイルスを使った実験系を完成し、T細胞の反応を調べ始める。・・・・・・

19732月初旬 ツィンカーナーゲル先生一家がキャンベラへ到着、ブランデン先生が出迎えに行きました。そして、新しい細胞傷害性試験の話をしました。ツィンカーナーゲル先生の大変興味を持っていました(若手の研究者を受け入れる場合、受け入れの先生が空港なり駅に迎えに行くのが一般的ですから、当然のなりゆきとして、ツィンカーナーゲル先生はブランデン先生の指導の下で研究をスタートするということになります)。・・・・・・

ブランデン先生の研究室では、ツィンカーナーゲル先生のための十分なスペースが不足していました(人気があって多くの研究者や大学院生がいたため)。当時の学科長ゴード・アダ先生の指示で、LCMVのマウス感染実験を行い始めたダハティ先生の研究室へ移動しました。そして、ダハティ先生とツィンカーナーゲル先生のコンビがスタートしました。本当に、偶然ですね。

1973910月 系統が違うマウスを使ったLCMV感染実験の結果がでました。ブランデン先生が一年前と年同様、WHOの細胞免疫の短期講習会の講義に行くときには、T細胞は、ウイルスの特異的抗原だけでなく、H-2というキラーT細胞の標的となる細胞の特徴的な抗原を認識していることを確認していました。これ以降、ダハティ先生、ツィンカーナーゲル先生、ブランデン先生らによる精力的な一連の研究が行われました。・・・・・

このようにダハティ先生のノーベル賞は、ほんとうにラッキーな偶然が重なりました(当然実力があったことはもっと重要です)。今後も若い研究者の方々が、どんどんノーベル賞を狙うような世の中になってほしいものです。どこからノーベル賞が降ってくるかもしれません。

参考文献:
1)JAVMA News (2011) Veterinarian won Nobel for immunology research: Dr. Peter C. Doherty continues studies, writes books for lay audience. J. Am. Vet. Med. Assoc. 239, 1388 – 1390.
2)Fenner, F. and Curtis, D. (2001) The John Curtin School of Medical Research. The First Fifty Years, 1948-1998. Brolga Press, Gundaroo, NSW.

補足1)ジョンカーティン医学研究所は、ペニシリンの研究でフレミングとともにノーベル賞を受賞したオーストラリア人でオックスフォード大学にいたハワード・フローレイ先生が設立の構想を立て、大学院大学の医学研究所としてスタートしたものです。1948-49年にかけて生化学、実験病理学、医化学、微生物学などの学科でばらばらにスタート。その後、オーストラリア国立大学の研究機関の一つとしてまとまりました。基本的に研究室のサイズは小さく、各研究者の独立性を尊重しています。ジョン・カーティンは、1941年から45年までオーストラリアの首相で、設立時にフローレイ先生を招聘しようとしましたが、実現しませんでした。設立当初から、微生物学・免疫学のグループとは別に、ノーベル賞を受賞している神経生理学のエックレス教授(John Eccles)のグループが精力的に研究を進めていました。そして、その流れは、現在も変わっていません。

補足2)フランク・フェンナー先生 (Frank Fenner) 2011年3月にこのコーナーで紹介したオーストラリアの獣医学の父: ウイリアム・ケンダル Dr. William Kendallの中で、すでにPeter Doherty先生のことを書いていました。また、その研究環境を整えられたJCSMRの研究所長が日本国際賞を受賞されたFrank Fenner先生でした。元オーストラリア国立大学元オーストラリア国立大学ジョンカーチン医学研究所微生物学教室の教授。

補足3) ゴードン・アダ (Gordon Ada) フランク・フェンナー教授の後、元オーストラリア国立大学元オーストラリア国立大学ジョンカーチン医学研究所微生物学教室の教授に就任(1968-86)ドハティとツィンカーナーゲル先生のノーベル賞受賞の研究に大きな影響を与えた一人。JCSMRの前は、ウォルター・エライザ・ホール研究所(Walter and Eliza Hall Institute)のバーネットのところで微生物学そして免疫学の研究を20年間していました。ゴードン・アダ先生は、微生物学・免疫学領域の研究で、実験結果や研究のアイデアをオープンに話し合う場(「バイブル・クラス」と呼ばれていた)を設けていたことも、ドハティとツィンカーナーゲル先生の研究を短期間に発展させた要因の一つでした。

補足4)ビード・モーリス教授(Bede Morris) 元オーストラリア国立大学ジョンカーチン医学研究所免疫学教室の教授。羊や牛を使った免疫学の実験を行い世界的にもユニークな研究施設にしました。免疫学の実験では、主にマウスやラットが使用されているため、羊や牛の実験結果を無視されることになりました。1950年代後半にラットでリンパ球が全身を循環しているという実験データが出され、リンパ球の役割について議論されるようになりました(lymphology リンパ球学)。1960年代には、他の研究室では、マウスやラットの尻尾から抗原を注射して実験をしていましたが、ビード・モーリス研究室では、羊の膝窩(しっか)リンパ節からリンパ球を取り出す方法を確立して、抗原を直接、リンパ節の中に入れて免疫反応を見る実験などを行いました。また、1970年代代に入って、胸腺の機能を解明するために、胸腺除去手術を行いましたが、マウスやラットのように免疫系に異常が現れませんでした。他の実験では、腎臓移植で、カニューレという管(くだ)をリンパ管に挿入して、腎臓の拒絶反応におけるリンパ球の動態を確認しています。当然他の動物では、技術的に不可能な実験でした。B細胞の起源についても、マウスと羊での違いを見つけています。マウスの胎児では、B細胞は肝臓で作られますが、ヒツジでは、腸管のパイエル板というところだということが分かりました。ビード・モーリス先生の研究室では、ヒツジで、マウスの中の免疫反応とは違う免疫反応を常に見てきました。この違いの本当の意味はなにかということが解決されないで(無視されて)、免疫学が細分化、専門化され、マウス免疫学だけが一人歩きしていると、ビード・モーリス先生と一緒に研究をすすめてきたピーター・マッカーラー先生(Peter McCulagh)は説明しています(参考文献2)。

補足5)ウイルス感染において、ウイルスを防御する主役の細胞が、細胞傷害性T細胞、Tc細胞というリンパ球です。Cytotoxic T lymphocyteCTL、キラーT細胞、CD8陽性T細胞などいろいろな呼び方がありますが、同義語です(「休み時間の免疫学」齋藤紀先著、講談社を参照)

補足6)          MHC: 私たちの体の多くの細胞は、自分に特有のMHCという遺伝子を持っていて、その遺伝子によって決まるタンパク質を細胞の表面に名札のように出しています。「私は自分自身です」という身分証明であると同時に、「こんな滴が来ています」という抗原提示を行う働きをもっています(「休み時間の免疫学」齋藤紀先著、講談社を参照)

補足7)          ボブ・ボランデン (Robert Blanden) 元オーストラリア国立大学ジョンカーチン医学研究所微生物学教室の教授。ドハティとツィンカーナーゲル先生のノーベル賞受賞の研究に大きな影響を与えた一人。特に、二人の出会いのきっかけを作り、さらにウイルス感染細胞の傷害程度を検査する方法(クロム51放出試験)を指導。ゴードン・アダ (Gordon Ada)教授の後任で、微生物学教室の教授となる(1986)

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