よりぬき日記    1998年版



HOMEtktrのMac Beginner's Diary「週末更新?トビトビ日記」HOME

03月20日(金)『Macはもしかしたら鉄腕アトムなのかも知れない』GO
03月22日(日)『そこには知的好奇心に満ちたピュアな笑顔が待っていた』GO
04月03日(金思わぬ目の負傷でウチにいると、どうも昔のことを考えてしまう』GO
05月27日(水)宇宙年で考える人間の一生は、瞬間の輝き程度のものなんだね』GO
05月28日(木)鏡はどう映るか?どう逆に映るか説明できますか?』GO
07月03日(金)『高校野球時代にすれ違った栄光の人が、それから貫いた偉大なること』GO
07月14日(火)『自分の棚卸しをしてみよう。清里、小淵沢で休Mac日を過ごす』GO
08月01日(土)『Timbuktuで遙か1万キロ彼方のMacを遠隔操作してしまった』GO
08月18日〜09月03日
        『拝啓アップルジャパン様。
         iMacの発売前ににお願いしたいことがあります』
GO
09月09日(水)『アルバムを整理していて、ふっと想いだしたあの色GO
09月24日(木)『小学生の私たちになぜ先生は羅生門を観せたのだろう?』GO
10月01日(木)『君の手がささやいている〜あの蒸し暑い夜を思い出して』GO
10月05日(月)『究極のやってもうた!ほとんど勢いで160MBだぁ』GO
10月17日(土)『発売直前に発表するというAppleの意図がわからない』GO
11月03日(火)『人との感動的な出会いとは、そして人に心を開くとは?』GO
11月12日(木)実質価格と値ごろ感は変動していくもののはず』GO
11月23日(月)『抜けるような青空の下、しばしの休日を存分に堪能した』GO
12月07日(月)『法事へ往復800キロ。そこで出会ったオールドマックと紅い富士GO
12月10日(木)『tktr少年「ボク公式を発明しちゃったみたい」の巻』GO


これ以前のよりぬきトビトビ日記はこちらです(1996年〜97年)               
  
大好きなMacintoshのAppleに・Macであんなこと、こんなこと・ソフトを使いこなしたい・ハードもなかなかハードだ
超ローカル・マルチメディアニュース(1997年6月〜98年1月)                 


3月20日(金)下の話が続いて恐縮であるが、いつだったか本屋で立ち読みなどしていると必ずオシッコがしたくなると書いたら、およそ10人くらいの方から俺も私もと男女を問わずメールをいただいたのだった。その後テレビで紙のなんとかという成分に尿意を刺激する成分がなんたらかんたらというのを見て、まんざら再現性のない話でもないというのを知った。本屋にいるとツンツンとくるのは、別に私が特異体質というわけでなかったわけだ。ところが最近は家に帰ってきて駐車場に入れようとするとき、必ず強いツンツンがくる。どうも私はサイバードッグ系らしい。

1963年にアニメが始まるもっと前、単行本で読んだ手塚治虫の「鉄腕アトム」のことだから、ひどく記憶が曖昧な話ではある。突然のように思い出したのだけど、そのストーリーはシリーズのかなり後半で、アトム一家は5人だか6人家族になっている。リビングに家族が揃い、パパとママが悩んでいるのだ。なぜならきょうウランちゃんが学校で、人間にいじめられたと言うのだ。

パパの話によるといまアトム達がいる未来社会では、精巧なロボットが多くなり過ぎて、逆に人間の失業者が大量に出てしまい、それでロボットが一部の人間に襲われるという事件が起き始めているというのだ。しかも襲われるのは、いかにも機械というロボットではなく、人間に見まがうような姿や、意志や感情を持ち始めた有能なロボットに集中しているらしい。長男のアトムは「人間のために僕たちロボットが一生懸命頑張れば、きっとみんな理解してくれるよ」と家族を励ますのだった。

ある日ロボットを襲っていた人間の集団が、自業自得の大事故に遭い危機一髪を迎えたとき、アトムは自分の能力を超えた行為をしてその人達を救ったが、傷ついて倒れてしまう。それから何日経ったろう、フッと目を覚ましたアトムの目に最初に写ったのは、自分の故障をおそらく連日の徹夜で直してくれたお茶の水博士の笑顔だった。そして博士の周りには、ロボットを憎み襲っていた人達が涙を浮かべてアトムの回復を祈ってくれていたのだった。身を捨ててまで人間を助けようとした、ロボットであるアトムの勇気が新たな人間との信頼関係を築いたのだった。パチパチパチ。

なにしろ小学生のときに読んだ漫画の話なので、本当のストーリーと違っているかもしれない。でもその本のシミまで思い出すのだ。それくらい強烈な印象のストーリーだった。手塚治虫って凄い人だ。その後何年か経て私は星新一筒井康隆の世界へ突き進んでいった。

それより今晩はMacはアトムなのではないかと妄想を巡らしている。

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3月22日(日)車の走るのと同じ方向に大きな白い翼、長い首の白鳥の群れが飛んでいるではないか。もう帰り支度でもしているのだろうか?その地の人たちの思いが込められたような近代的な屋根や塀が、国道沿いのその人の藁葺きの生家を覆っていて厳しい気候から守ろうとしているようだ。ここは春の足音が聞こえてきた猪苗代湖のほとりの野口英世記念館

博士が19年間を過ごしたこの家は、建てられて200年もたった今も当時の姿が保たれている。大やけどした小さな囲炉裏。そして上京するときの決意を小刀で刻んだ柱もそのまま残っている。「志を得ざれば再び此地を踏まず」と。胸に迫ってくる。

きょう私が最も印象に残ったのは彼のそのピュアな笑顔だ。資料館には若かかりし頃から50を越えるまで多くの写真が展示されていて、どれを見ても無垢で純粋な優しい顔をされていて、私はその好奇心に満ちた目に引き込まれてしまった。ひとつことを貫いて偉業を成し遂げた人の顔は、決して苦しそうではなく、それを乗り越えたとても穏やかなものだった。そして何より昔の人の顔ではなく、未来を見つめている今の顔に見えた。

博士は科学への献身により、人類のために生き人類のために死せり
ニューヨーク・ウッドローン墓地にある墓碑銘にはこう書かれているのだそうだ。家に戻ってからレンタルビデオで、三田佳子が野口英世の母を好演する「遠き落日」を観た。きょうはいい休日になった。

ところでPHSの雲行きが怪しくなってきて、これからのデータ通信に期待大だったのに、これでPHSでの開発はストップしてしまうのだろうか?日経Macでは「モバイル徹底分析」が特集されていて、その中でもPHSは都会ではいいのだけど地方では通信ができない場所が多くて、全国を移動する人でモバイルは必要最小限という利用なら携帯のほうをと勧めている。

またPHSでモバイルするときに私も悩んだ(結局買わなかったけど)カード一体型か、カードと電話機が別々型のどちらがいいかについては、意外なことに別々型がいいと断言しちゃっている。これも通信状態の問題からで、受信状況が悪いときちょっと電話機の位置を変えるだけで良くなったりすることがあるので、これが一体型の場合本体ごと移動することになるのがとても不便なんだそうだ。

もうこれから新たにPHSのアンテナを建てる工事はしないか?いっそのことデータ通信定額制サービスでも検討いただけないか?そうなったらデスクトップもPHSでInternetしたりして。

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4月3日(金)ジョン・レノンの「イマジン」を久々にじっくり聴く。この曲は自分に何事もないとき聴くとイントロからうざったい気までするのだが、追い込られた気分の時はなんとも心にしみこんでくる。英語は不得手でも彼の「ビコーズ」や「ラブ」と同様に、目をつぶっていると歌詞がメロディーに乗ってほとんど理解できてしまうのだ。

そうだ「キリング・フィールド」のラストシーンだった。サイゴンの陥落をくぐり抜けて離ればなれになったアメリカとカンボジアのジャーナリストが再会する。そのときカーラジオからモノトーンでイマジンが遠く聞こえてくるのだ。駆け寄り抱き合う二人。やがてモノからハイファイにフェードインされていく。ジョン・レノンの耳を通して心にまで響いてくるハリのある歌声が「なにもないとイメージしてごらん」と。

ビートルズは1966年の6月に来日した。武道館のチケットが手に入る環境にいたが、野球部にいて夏の大会直前の1年生には行ける余裕も自由もなかった。白黒で観たテレビ中継は、羽田空港から首都高を特別車で走るシーンから始まり「ミスター・ムーンライト」が最初に流れたっけ。

当時のミュージック雑誌は突撃取材の星加ルミ子編集長の「ミュージックライフ」と、いまオリコンの小池聴行が編集長をしていた「ティーン.ビート」の2冊だけだった。少しマイナーではあったけど、私は「ティーン.ビート」のほうが性に合い、ここの読者欄で知り合った人達とバンドを組むきっかけもつくった。隅から隅まで読み尽くして何でもわかるような気でいた私は、大学を出たらどっちかの雑誌に就職しようとまで考えていた。しかしそれからまもなく「ティーン.ビート」は廃刊になり、そんなことも忘れていってしまった。

あの時代に今のMacがあったら、私の人生は大幅に変わっていただろうか?それとも同じだったろうか?固定相場制の中で雲の上のようなフェンダーのストラト・キャスターや真空管アンプだって苦労して手にしたのだ。どうやってもMacを買うだろう。フェンダーをグヤトーンで我慢しても。3度のメシを切りつめても。

もうそれらのノートの所在もわからないが、思えば300以上も作った曲、特定の事件の記事を追ったスクラップ集、練習試合も含めた全打席の記録、後には必勝法を編み出そうと中央競馬3000に及ぶレース結果の集計、まだまだあるのだが膨大な手間をかけて手書きで、そう、言ってみればデータベースを楽しんで作っていたのだ。夜寝ないで。昼授業中寝てね。あれをMacで作っていたら・・

いけませんね。休んでいると昔の話が多くて。

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5月27日(水)先日書いた「一期一会」とは?という中で引用した「宇宙年で考える人間の一生」は、本日調べ直したら考え方はそのままだからデタラメとは言えないが、大幅に訂正させていただかなければならなくなった。個人の日記とはいえWebページとして公に掲示している以上、もっと充分な確認が必要だったと反省しています。

十数年前に出始めのシャープのワープロ専用機「書院」(16ドッドのデコボコ印字で16万円也)を手に入れた嬉しさから小文を書き連ねていた時期があり、その中の「時間を考える」という文の中にこの引用を見つけた。昔からこういうのシコシコやるのが好きなんですねえ、私は。

だいたい原文の作者まで全然違っていた。面目ない。これは森本哲朗氏が「古代への旅」という随想の中で、イギリスの天文学者オーベンデンの「宇宙の生命」からの内容を引用していたものだった。きょうは当時の私の小文からそのまま紹介させていただこう。

「地球が1回転すると1日が過ぎる。それを24等分したのを逆算して1時間と設定した。地球の周りを月が回っている。これが1周するのに28日かかるので、女性の生理を月のものと呼ぶようだ。地球は月を引き連れて太陽の周りを廻っている。ある地点からちょうど1周したらそれが1年である。それを365等分したのが1日である。私たちの住んでいる地球は太陽系に属しており、太陽系はさらに銀河系宇宙の端の方に位置しているわけだが、その銀河系宇宙は約6万光年の直径を持った薄い円盤のようなものだそうである。宇宙的な思考に慣れない私にはどうもピンとこない。だが月から地球へ光が達するのに要する時間は1秒ちょっとだと聞くと、6万光年という距離がいかに気の遠くなるような距離であるか、次第に実感が湧いてくるのだ。ついでにいえば太陽から地球に光が届く間での時間は約8分だそうだ。

そして太陽系の太陽とその惑星たちは、時速160万キロで銀河系宇宙を廻っているのだという。私は制限速度60キロのところを109キロ出して一発で免停をくらったことがあるが、ジェット旅客機だってせいぜい時速1000キロだ。その想像もつかない160万キロのスピードで、太陽が銀河系宇宙を1周するのになんと!2億年もかかるのだそうだ。

こんなに広い世界を時々考えてみることは、精神衛生の上からもとてもよいと思う。自分がくよくよと考えていることがいかに些細なことであることか。この太陽が銀河系宇宙を1周するのに要する2億年という時間を、天文学者たちは『1宇宙年』と称しているそうだ。

つまり2億年を1年に置き換えるわけだ。そしてこの宇宙時間で人間の歴史を考えてみると地球の形成はつい20年前であり、人間の出現からは1825日、都市が発生したのは25分前、紀元からはたったの5分、いま34の(注:当時)は5.36秒前、70まで生きるとするとあと5.68秒しかないのだ!!・・・」

まだまだこの駄文は続くのだが、言いたいことは先日と同じである。つまりあんまり進歩していないのである。

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5月28日(木)ビギナーの質問に対して「なんだ、そんなことも知らないのか(バカだなあ)」という態度や言動をしてしまうことによって、どれだけ傷つかせ意欲を減退させているだろう。そうでなくともコンピュータは際限もないくらい専門的なのはわかっているけど、千里の道も一歩からだから。

私はまだMac歴2年半で相変わらずビギナーの域を越えられないのだけど、それでも最近は人に教えちゃうような場面も増えてきている。そのとき必ず守っているのはソースをはっきり言うことだ。「これはMac Fan Beginner'sを立ち読みして知ったんだけどさ」ポリポリ「でたらめやっていたら出来ちゃったことなんだけど」ポーリポリ「Macサイトの仲間にメールで教えてもらってね」ポーリポーリという具合だ。

鏡はどう映りますか?」と聞かれたら、大抵の人が「逆に映る」と答えるだろう。そして何をくだらないことを聞いてるの?という態度をとることもあるだろう。でも「どう逆に映るのですか?」と問われたら、きっと詰まってしまうのではないだろうか。

鏡へ正面に向かって立ってみる。上下が逆だろうか?いや頭は上にあるし、足は下に映っている。左右が逆だろうか?いや右手は右に、左手は左にちゃんと映っている。ならばそのまま映っているというのはどういう状態を言うのだろうか。自分がそのまま鏡に立っている。すなわち自分と同じカッコの人間がむこうを向いて、背中をこちらに見せて立っている状態ということになる。そうなのだ!鏡は背を向けて立っている像が、そのままこっちを向いた姿で立っている。だから「前後が逆に映っている」ということになるのだ。

では地面に鏡を置いてその上に立ったらどう映るだろう?すると足が上に映っている。だからこの場合上下が逆に映っている。同じように壁にある鏡に横を向いて立ってみると、今度は左右が逆に映っているのだ。結論として「鏡はどう映るか?」と問われたら、「鏡に向かって垂直に映った面が逆になります」というのが正解なのであった。

実はこの鏡はどう映るのか?を最初の疑問にして、科学的に証明したのが「対称性」の理論だそうで、これを発展させたものが「相対性理論」なのだ。天才科学者アインシュタインの眼は、地球や宇宙の自然現象には統一した法則性のあることを見抜いた。それは自然法則の対称性である。三次元空間から四次元空間にまで拡張しても成立するとしたのが、アインシュタインの相対性理論である。その相対性理論を生み出した発想の原点が、この「鏡はどう映るか?」の疑問であったというのである。

そして私はこれを誰に教えてもらったかというと、実は『バカボンのパパ』からなのでありました。なのだ!

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7月3日(金)準々決勝を観るのがトーナメントではいちばん面白いと言われる。ワールドカップサッカーもどこが優勝してもおかしくない8チームが残った。優勝はジンクス通り地元の利もあってヨーロッパ勢、それも開催国フランスか、あの4年間苦渋をなめてきたバッジオが18番で控える前大会準優勝国イタリアだろうと勝手な予想をたてていたが、なんとそのフランスとイタリアが今晩日本時間の11時過ぎにいきなり当たってしまうのだ。

なにか歴史に残る死闘が繰り広げられる予感がある。それで昨日は更新をお休みさせてもらい、準々決勝テレビ観戦モード睡眠時間調整に入ったのだった。うまくいくだろうか。ブラジル-デンマーク戦まで持つか。明日もあるから。フォークランド紛争直後に当たったアルゼンチン-イングランド戦も同じような予感がして、あのときはマラドーナ伝説になっている「ゴッドハンド」「6人抜き」の2つのシュートをライブで観ることが出来た。が、いくら興奮しても話し相手がいなかったものだが、幸い今回は事欠かないだろう。

準々決勝といえば強烈な自身の思い出をひとつ書こう。高校野球をやっていた最後の夏は1回戦敗退だった。しかし2年の時には春と夏の大会の中間時期に開催される横浜市大会で、我がK高校はあれよあれよとクジ運にもチョー恵まれて準々決勝まで駒を進めてしまったのだった。何しろ「神奈川を征するものは全国を征する」ってくらいのレベルの中で、県下でもっとも古い(伝統がある or OBの多い)高校の快挙であったので、学校内はモチロンのこと、期待を胸にOBが大挙して平和球場(現在の横浜スタジアム)に集まり、スタンドは1万人近くまで膨らんだのだった。

相手校は結局その後優勝した武相高校で、エースは2年の島野といった。ベンチから見ていてもそれがムチャクチャ速いのだ。社会の先生でもあった監督は「おい、2年生は握りこぶし3つ分短く持て!」って、バットの打つ部分のほうが短くなっちゃうよー。
おそらく140km前後だったのだろうが、見たこともない球速はバッターボックスに入ると目にとまらないのだ。そして重そうな内角の直球は体にぶつかるような恐怖感を覚えさせ、顔の前まできて外角のカーブの時もあるのだ。なんというピッチャーだ。こうしてバッタバッタと三振の山を築かれていった。社会の先生の次なるとんでもない指示。「お前達、どうせバット振っても球の速さに間に合わないから、投げる前から振り出しちゃえ!」って、そんなでたらめなあ。言ったとおりやったけど、それでも間に合わなかった。試合はアッという間に終わっちゃって、7回コールド!ノーヒットノーラン!三振15!をくらったのだった。アウト21のうち三振15ね。スタンドから「バカヤロー」の声が聞こえたけど当然だろう。これが私の唯一の準々決勝体験だ。武相高校はその夏も翌年も甲子園に出場した。
NHKのアナウンサーは島野クンが三振を取り始めると、「神奈川の大会ではK高校相手に7回で15の三振を取ったこともあります」って3回は言った。

3年の秋のドラフトでその島野クンは巨人に1位指名された。確かその年はドラフトの当たり年で、法政の三羽ガラスの田淵、山本浩二、富田、明治の星野、それから実業団からは福本も指名された年だったと思う。その中で巨人の1位指名の期待の重さったらなかった。しかし島野クンは巨人では1勝も上げられず、その後阪急にトレードされた。阪急でも2〜3勝しか上げられずいつしか引退していったのだった。

阪急のイニングの合間に登場して応援していたぬいぐるみのブレービーって知ってますか?別の仕事をしながらあれをがぶって応援するという道を、島野クンは引退後選択したのだった。ピッチャーとしては通用しなかったけど、ブレービーの島野は大人気の有名人になったのだった。同い年であるその生き方に私は多くを学ぶ。オリックスとなった今、彼はどうしているのだろう。そして私たち団塊の世代にとってまた厳しい時代がやってきた。こういう話をさせると止まらなくなるのが悪いクセだ。このへんでお開きにしましょ。

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7月14日(火)もうこんな空の色と雲の形になる季節になっていたかと、露天風呂の横にある木のベンチに大胆にも仰向けに裸で横たわりながら気がついた。生い茂る森の木の葉陰から、もう夏の太陽が差し込んでくる。ここは長野と山梨の県境。標高1000メートル以上の地に、森と共生するように建つペンションや美術館らのそばにできた新しいスパ。600円でゆっくりと温泉やサウナが楽しめる。新潟の中郷インターからここ小淵沢清里が、高速なら2時間ちょっとで来られるのを知った。しかも夏休みシーズン前だからか、週末でもごく空いていた。

この3年間というもの、どんなに仕事に追われてもわずかな時間を作ってMacに触れ、ましてや休みが取れればMacの前に1日中居座り、Macを起動させればInternetという日々を続けてきた。海外出張にはさすがにPowerbookを持参しなかったが、仕事もMacもなしという日は1日もなかった。仕事はともかくそれほどMacは生活の一部になっているのだ。

商売には締め日の前に在庫の棚卸しというのがあるけど、自分の棚卸しをしてみようかと思いついた。私という人間のどこの棚にどんな在庫量があったのだろうか、そしてその在庫の賞味期限はどうだろうか、おおげさでもなく何となく見つめ直してみようと。そこで3日の日程ではあるが、Macも新聞も携帯も切る休肝日ならぬ「休Mac日」をとってみることにしたのだ。

Macを持たずにここに来て、高原の空気を胸一杯に吸い込みながら森林を歩き、馬と遊び美術館や博物館を巡りながら考え続けた。そして宿泊は、清里駅の北側に位置する「清里の森」というゲートをくぐって入る閑静な別荘地の中にある、大人が静かに時を過ごすというコンセプトのペンションにした。手頃な価格であるのに部屋にはジャグジーもあり、長々と入ってみたがここには別の時間が流れているようで、いくらゆっくりと食事をしてオーナーといろいろなおしゃべりをしても、時間があり余ってしまうのだった。

そうだ、私は何でもセコセコとやり過ぎる。楽しいはずのMacだって自分が作った義務感みたいなものに縛られて、ゆったりと楽しめていないのだ。いいと思ってやっているそのセカセカも、長期的には必ずしもよい結果を生んでいないのか・・と、仕事もMacもない夜長にひとつの考えが浮かんだのだった。そう思ったら今度は無性にゆったりとMacをしたくなった。いい休みが過ごせた。

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8月1日(土)1万kmといったら地球4分の1周。その間には広大な海もあれば山もあるその先の遠い遠いところ。いまや電話やFAXならどこへでも気軽に通信ができるようになったし、そのうちテレビ電話なんてことも実現することだろう。ところが私は昨日の晩、新潟の海べりに建つ我が家のいまやMac部屋と化しつつあるリビングの8500/180で、遙か1万km離れたアメリカはテキサスに留学中のAokiさんの、8600/300のHDを開けたりコントロールバーをいじったりの遠隔操作をしたのだ。こんな凄いことができるのかと、一夜開けたいまでもかなり興奮している。

それは
Timbuktuというソフトで、そのWebページにいけば1ヶ月間フル機能が試用できるデモ版がダウンロードできるから、遠隔操作を体験してみませんかとのAokiさんからのお誘いに、私がすぐにのったのは言うまでもない。空いた時間を見計らって8MBほどのTimbuktuをダウンロードした。私用のユーザ名とパスワード、IP addressやいくつかの項目をAokiさんに教えてもらったとおり設定した後に、早速アクセスしてみたのだった。

すると私のモニタに、AokiさんのMacのデスクトップが最初は白黒で、少し待つと徐々に色とメニューバーやファイル名の文字が鮮明に現れて来た。あっ、テキサスにあるMacには「たたみ」のデスクトップパターンですか。そしておそるおそるHDのアイコンをダブルクリックしてみると、その動作は重く遅いけど確かに開いたのだ。いろいろやってみてとおっしゃってもらっていたって、やっぱり人のMacをこれ以上遠くからいじるのははばかれた。そしてこのときこのMacは、モニタを切っていたというのだから驚きだ。

このソフトはチャットもできる。そこでこちらの夜の12時半、向こうでは朝の10時半にとの約束をした。実はチャットというのも私は初体験なのだ。私がタイピングが遅いので半分もお話ができなかったが、チャットをしながら彼のMacを操作するという不思議な体験に興奮して、時間はアッという間に過ぎていった。折しも8月1日12時からINSテレホーダイになったところで、接続時間を気にしないでInternetを楽しんだのは久しぶりだった。操作は重いけどチャットはとても軽くてレスポンスが速い。遅いのは私なのだ。Aokiさんに「tktrさんのは、Aを押すとAppleと出るようにしてあるの見えちゃいました」って、あちゃーっ、お恥ずかしい。

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9月9日(水)
『アルバムを整理していて、ふっと想いだしたあの色』

もう十数年前のこと。仕事でオーストラリアに10日ほど滞在したことがあった。滞在中の日曜日に、つたない英語のせいか、いつの間にか釣り好きということになってしまった(釣り堀でしか釣ったこともなかったし、食べるのも魚より肉が好きなのに・・)私を、現地商社の方が片言の日本語で誘ってくれたのだ。「友達の友達が船を持っていて、きょうはちょうど親子で釣りに行く予定だから、よければご一緒にと言ってくれているそうです。私も初めて会う人なんですけど。いかがですか?」。釣りに興味のない私はそうとは言わず、二つ返事で彼のあんまり上等とは言えない車に乗り込んだ。

何の期待もしないで地図を頼りに着いた家はハンパじゃなかった。入口からその大きな家まで庭の曲がりくねった道を車で行くほどで、後方にはプールとテニスコートが2面、玄関前にはポルシェが3台も停まっていた。「な、なんだよ。すごいですね」「サファイアで儲けたウチだとは聞いていましたけど、私もこれほどとは知りませんでしたよ。でも友達の友達だから気楽に行きましょう」「は、はい」

気後れしてなるものかと胸をはりつつリビングに通され、その優しい顔をしたサファイア王とお茶を飲みながらしばし談笑をさせてもらったあと、壁にある何枚かの馬の写真が目に入ったので「馬がお好きですか?サラブレッドですよね、このお写真は」と聞いたら、「はい、その馬は去年日本のジャパンカップに出しましたけど、残念ながら入着できませんでした」「えっえーっ!そ、そうでしたか・・」「きょうは釣りのお好きなTakahasiさんにカジキマグロを楽しんでもらいましょう」「(私は釣り堀でしか・・)カ、カジキですか、よろしくお願いします」。すっかり圧倒されてしまったが、これは滅多にできない体験になりそうだと、胸がワクワクしてきたのだった。

天気はいいのに沖に出たら波がうねっていて、さすがの大型クルーザーも大きく揺れた。カジキマグロを釣るには、まずエサにするカツオを取らねばならないそうだが、あんまり波が大きくてそれが釣れない。「仕方ない。きょうはカジキをあきらめて、浅いところの釣りを楽しみましょう」ということで入り江に。同じ太平洋でもずいぶん海の色が違うものだ。「さあ、ここで」と言って渡された竿には、針がいくつもあるのにエサがついていない。「日本の魚みたいに普段から脅かされたり騙されたりしていないから、こっちの魚は逃げませんから」などと言われながら、糸をたてたらホントに2匹もいっぺんにエサなしで釣れた。ホントかウソかは判らないが、こういうのはあんまり面白い釣りではない。

入り江でも波はかなり大きくてサーファーの姿が目立つ。泳いでいる人はほとんどいなくて、砂浜で日光浴している人が多い。よく見ればヌーディストが多くいる場所もあるようだ。「Takahasiさん、このビーチが気に入ったようですね」「はい、この海の色が。なんというところですか、ここは」「ボンダイ・ビーチです。また来てください」「ボンダイ・ビーチですか・・」

それからシドニーのそのビーチに行く機会に恵まれていない。あのサファイア王はどうされているだろう。でもそのビーチの色とはMacで再会を果たしたのだった。

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9月24日(木)
『小学生の私たちになぜ先生は羅生門を観せたのだろう?』

私の生まれた年に公開された黒澤明監督の「羅生門」は、その年のキネマ旬報5位というのをみると評価はいまひとつだったようだ。しかし翌年のヴェネチア国際映画祭金獅子賞、アカデミー賞最優秀外国語映画賞を得て、あとからおおいに日本で見直された。なぜこんなことを書くかというと、きょうは私がその年に生まれた日だからだ。

その12年後にこの映画を、授業の一貫として小学校のむせ返るような講堂で体育座りをして鑑賞した。いくらませた6年生でも、ちっとも筋がつめなくて終わるまで退屈だった記憶がある。ただ深い森にこぼれ日が射す中で、京マチ子が三船敏郎に唇を奪われるシーンだけは鮮明に覚えていた。

先日行きつけのビデオレンタル店の角に黒澤コーナーが出来ていて、他の作品が既にレンタル中でちょうどこの「羅生門」だけが残っていたこともあり、もう一度じっくり観ることにした。「夫の前で盗賊に犯される妻」というおどろおどろとした重いテーマの、心理描写が映像で次々と展開されていく。それにしても先生たちは何を小学生の私たちに教えたくて、この映画を観せたのだろうか。それを考えてしまった。

日本での評価が低くとも、黒澤監督の目はきっと世界へ向けられていたのだろう。作ってから32年たった1982年には、ヴェネチア国際映画祭50周年を記念して、レ・パブリカ新聞によって歴代のグランプリの中で最も優れた作品として「グランプリ中のグランプリ」に選ばれてもいる。

詳しい事情はわからないが、WinだMacだという前に、なぜそれを上回るようなOSを日本から創り出してやろうという話がないのだろう?日本のコンピュータ界には本田宗一郎さんみたいな人は出現しないのか?私は黒澤明監督や手塚治虫さんの作品を、その同時代に鑑賞できたことを幸せだったと思う。

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10月1日(木)
『君の手がささやいている〜あの蒸し暑い夜を思い出して』

「君の手がささやいている第二章」というドラマの番組宣伝を見ていて思い出したことがあるので、きょうはMacに関係ないけど、徒然なるままに書かかせてもらいましょう。この話、ポリちゃんには話したね。

15年ほど前になる。すでにその赤道直下の国に入ってから10日もたっていて、ビジネスの方はちっとも思った通りに進まない。街では半分以上の人が裸足で歩き、子供や赤子を抱いた女性の物乞いも多いし、現地語で何かを買ってもらおうとすり寄ってくる人も後をたたない。そして独特の体臭と香の匂いが、湿気の多い一年中高温のこの街にたちこめていた。

私は仕事もうまくいかず、そして現地人でも月に一度はさけられないと慰められた極度の下痢に陥り、かなり気分も落ち込んでいて、壁に張り付くイモリだかヤモリだかを見つめながら「こんなところで死んでたまるか!」と、けっこう真剣に考えていた。

ある日を境にして急に契約がまとまりだした。それで夕食の後に街の好きなところに招待してくれると言うので、迷わず「音楽を聴けるところ」とリクエストした。そこは街に3軒しかないホテルの地下にあるかなり大きなバーだった。私たち以外に客はいなかった。まもなく間近のステージで、キーボードとギターとベース、そして女性ボーカルというシンプルなバンドの演奏が始まった。

聴き始めてすぐ私の体に電撃が走った。その女性の声は低めでハスキーなのだが、高音はスーッと張りがあってよくとおり、そしてへんなアドリブや節回しもなく、ストレートに胸に響いてくる。なんという!はるか遠い国の地方の街で、こんな魂に響く歌を聴けるなんて・
・・ところが照明が悪くて彼女の顔がよく見えない。現地のまだかなり若い女性に間違いないのだが、見えないからよけい想像をかき立てられる。ラストに始まった曲があまりに素晴らしく、鳥肌がたつのを超えて、ついに私は激しく嗚咽するほど感動してしまった。するといままで落ち込んでいた気分や、この国に対する嫌悪感が、まさに水に流れるように心の中からさらさらと消えていったのだった。

日本に帰ってからも、そのラストに聴いた曲の歌詞は思い出せないけどメロディーは頭から離れなかった。なんとかあの曲のレコードを手に入れられないか。現地の曲だろうか?タイトルもわからないのだから探そうにも手がかりがない。そんなある日スーパーで買い物をしていたら店内BGMに、インストゥルメンタルでそのメロディーが流れているような気がした。思い過ごしか?事務所に行って聞いてみようと歩き始めたときには、すでに次の曲になっていて訪ねようがなかった。

それから1ヶ月、私は山陰の松江に出張しており、ビジネスホテルで朝食をとっていた。薄いトーストをコーヒーで流し込もうとしたときだった。あのメロディー、あの歌詞!私はテーブルからすぐ立ち上がり、その小さなレストランのマスターらしき人に聞いてみた。「あのぅ、突然すいません。いまかかっているのはなんていう曲かご存じですか?」「あぁー、これ」知らないの?というような怪訝な表情をマスターは見せながら、すこし面倒くさそうに口を開いた。「心の愛。スティービー・ワンダーですよ。全米ヒットチャートで1位になった曲ですよ」

そういえば仕事が忙しくて、最近の曲はほとんど聴いていなかったことを思い出した。なんだ!スティービー・ワンダーだったのか。彼のアルバムならすでに2つ持っていた。メロディーの流れから、東洋のものとばかり思っていた。アメリカにいる盲目の彼が創った曲を、はるか赤道直下の国の娘が歌い、それをはるばる日本から来て疲れ果てたビジネスマンに聴かせて、どん底の気分をすくい上げる。音楽の力は偉大だ。

それからこの「心の愛」は日本のCMでもさかんに使われてきた。そしてこんどはドラマの主題歌らしい。あらためて買い直したCDを聴きながら、私はあの蒸し暑い夜を思い出している。♪ I just called to say I love You.

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10月5日(月)
『究極のやってもうた!ほとんど勢いで160MBだぁ』

喇叭のプロ、Mac日記の日々のWAOさんが、はるばる我が街の小学校の指導に来られた。前々からその節はとメールで約束していて、ようやく実現したのだ。彼のWebページは、けっこうテクニカルなことを箇条の日記風に表現してくれていて、とてもわかりやすい。しかも最近は手が痛いの、肝臓がと書かれていたので、お会いするまではちょっと心配だったが、それはまったくの杞憂であった。ポンポン反応してくれるとても明るい人だ。その人柄に気をよくして、私はMacにまつわるバカやったことを連発で話したが、彼もネタは豊富であった。水平線に沈む夕日の見られる岬のレストランは、亡くなったご友人との思い出の場所でもある。WAOさん、楽しい時間をありがとう。

今週から生活のグラウンドが増えることになり、そこにもどうしてもMac環境を作りたい。といってそう出費もできないので、中古もしくは出物でもないかといじらしくも徘徊していた。何はともあれ新潟唯一のiMac販売店を見てみようと、T-Zoneを横目で見ながら島村楽器へ。おやまぁ、入口にiMacが楽器に囲まれて、たった1台ポツンといるじゃないか。周辺機器もなんにも置いてなくて、「在庫がないから予約になる」旨を説明したタテ看が横にあるだけだ。ポツッポツッと親子連れや女の子が触っては通り過ぎていく。これが新潟県にたった1台の展示品か。寂しい。それでもiMacはこうして見ると、やっぱりアメリカンで、カジュアルで、スマートなMacだと思う。女の子に人気があるはずだ。

5200/225がメモリ48MBに増設され、ビデオ入出力カード付きで178000円現品限りで出ていた。おっ!と思ったが、iMacの値段と比較すると考えてしまう。中古はG3への買い換えだからか、8500/132,120、7600/120、7500/100あたりが、10〜14万あたりで大量に出ていたが、それでも高く感じてしまう。

ふとNEWG3の白い箱の大量陳列を見ると、ひとつだけ茶色の箱が積まれている。それはこの店の先週日曜日、チラシ日替わり目玉「旧G3/DT266+聞いたことがないメーカーの17インチモニタ+キーボード」セットの残り1台であった。恥も外見もない私は、さっそく店員さんをつかまえて勝手にも「モニタもキーボードもいらないんで、単品だったらいくらにしてくれます?」と聞いてみた。「単品は・・相談してきます」と奥に行かれた隙に、この旧G3/DT266とNEWG3/DT266を穴のあくほど仕様など見比べてみたが、私にはまったく同じにしか見えない。むしろ旧にはZIPが内蔵されていて、NEWにはそれがなくなっているのだ。それでNEWは228000円で展示されていた。店員さんが戻ってこられて曰く「それじゃお客さん、NEWから1万円引きってことで」「えっ、じゃあ217000円でZIPつきってこと?」「そうなります」「買った!!」あぁぁぁーっ、やってもうた!中古のはずが・・

「じゃ32MBのメモリに64MB増設して下さい」と頼むと、64MBは欠品しているという。「なら32MBを2枚」「そちらもないんです。G3用のDIMMは品薄で・・1週間待っていただければ。128MBならあるんですけど・・」「ムムム、待てない。やっちゃって!」「ありがとうございます」あぁぁぁーっ、またまたやってもうた!

こうしてようやく私もG3オーナーになった。それも160MBの!ほとんど勢いで。G3の使用感は?素晴らしい!詳しくは明日また書きましょう。

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10月17日(土)
『発売直前に発表するというAppleの意図がわからない』

噂では聞いてはいたけど、2、3日前にいきなり発表して17日のきょうMacOS8.5日本語版が発売だそうだ。でも「いろいろあるけど、Macサイトのお祭りなんだから参加しよっ!」と、主催者からご親切な声をかけてもらい背中を押していただく形で、遅ればせながら「tktrのMac Beginner's Diary」もスタンプラリーに参加いたしました。

それにしても、いまスーパーやコンビニエンスストアに新商品や新規格品を導入してもらおうとすると、全国にまたがるチェーン店のPOSシステムを稼働させるための登録作業があるので、最低1ヶ月前に提示をせねば受け付けてもらえない。だから取引メーカーは、そのルールを前提にして発売日や商談日程を組んでいるのだ。特に新商品が集中する4月と9月は、2ヶ月以上前からのアプローチが必要となっている。パソコン量販店などもシステムは同様だろうが、発売直前に発表するなんていうことをやってのけるAppleの強さはうらやましい限りだ。

8.5の価格は13800円だそうだが、8月29日以降にiMacを購入された人、または9月15日以降にPower MacintoshあるいはPowerBookを購入した人には2500円らしいので、10月4日にG3を購入した私もその対象になれたみたいだ。いやな予感はするけど、10月20日以降にAppleから送られてくるというアップデートプログラムで購入できるらしいから、気長に待とうと思う。だ・け・ど、ちょっと待ったあ

安くしてもらうのに文句言って悪いけど、こういうことは対象期間以前に発表をするのがルールではないか?9月14日に購入した人と15日の人で、なんの差があったというのだろう。こういうふうに日を切る場合は、8月中に案内をしていなくてはならないはずだ。それにいろいろと理由はあるのだろうが、例えば今月に入って8.1のパッケージを18000円くらいで買った人は、8.5にするにはまた13800円払わねばならないなんて、他人事とはいえ何ともお気の毒だ。Appleがこうやって直前に発表する意図とは、いったいなんなのだろう?

それでも新しもの好きの私は、8.5をインストールされた方の話が聞きたくて仕方ない。もう互換機もないのだから、「Welcome to Macintosh」を復活させてるなんてことはないかなぁ。

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11月3日(火)
『人との感動的な出会いとは、そして人に心を開くとは?』

グッド・ウィル・ハンティング」・・いい映画だった。ロビン・ウィリアムスの台詞ひとつひとつにため息が出た。やっぱりアカデミー賞というのはみるべきものはみている。彼にはB級のコメディー映画にはもう出て欲しくないと思ったりする。脚本も良いが、やっぱり演技に魅せられた。人との感動的な出会いとは、そして心を開くということはどういうことなのかと、語りかけられているような気がした。こういう映画に出会った静かな週末は貴重だ。

Macな仲間たちに次々と最初のお子さんが誕生して、バカ親
1号2号V3と揃ったらしい。それにしても生まれる前、後と、豊かな愛情を注がれる様子をWebページやメールで拝見して、エライお父さんたちだなあと感心している。おおよそ子育ても終了しつつあるが、我が息子たちには申し訳ないけど、私など足元にも及ばないことばかりしてきた。それでもいま離れて暮らす息子から、時折Macな話題やトビトビ日記の感想メールが届く。だからあまりバカは書けないのだ、とか言っちゃったりして。そして彼とは別に、彼の友達とMacなやりとりが続いてもいる。これもMacがなければなかった出会いかもしれない。

おじいちゃん家にマックがやってきた」の河田知子さんのWebページが、Mac Fanが主催したホームページコンテストで大賞をとられたのはご存じの通りだ。発表があった直後に、トップページにお祝いのメッセージを書かせてもらったのだが、発表のあった日前後1週間は仕事の方が忙しくて連日深夜に帰宅でらっしゃったとかで、見逃してしまったとメールをいただいた。あらためておめでとうございました!!

ご両親にMacをプレゼントされ次々に来る質問に、家族総出で優しくアドバイスされるやりとりが暖かい。そしてそのアドバイスが、実に相手の側に立った説明で簡潔になされている。見事だ。そのへんをMac Fanの審査員の方々は評価されたのだろうが、見る人は見てくれているのだなとこの受賞は嬉しかった。

河田さんによれば、「1年前両親にPerforma5440を贈った時は、両親は周りの人から『マックってウインドウズ(一般の人はマイクロソフトというのは知らない)に吸収合併されたつぶれかけの会社でしょ。ウインドウズをもらったらよかったのに』と言われました」とのこと。いまのAppleの好調な業績は、きっとおじいちゃんも喜んでおられることだろう。私も河田さんのサイトのように、ビギナーに勇気を湧かせられるようなページを、これからも目指したいと思う。

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11月12日(木)
『実質価格と値ごろ感は変動していくもののはず』

懇意にさせてもらっている大手スーパーのバイヤー出身の部長に、「値ごろ感」というのを聞かせてもらったことがある。例えば野菜でいうと300円を超えると、うんと高い感じがしてしまうのだそうだ。だから1個350円で売れるキャベツがあったとしても、そのまま売るより1個を半分に切って198円で売ったほうが、そのほうが高くなってしまっても、ずっと売れてしまうという現象があるらしい。果物も500円を超えるとグンと売れ行きが落ちるので、1kg798円というような売り方よりも、半端な量目ででも袋に入れて498円や398円にすると売りやすいという。

また、ある有名ブランドのインスタントコーヒーが250g、300gの増量サイズを発売したとき、最初300g規格のほうだけを仕入れて1,380円で並べたら、これが全然売れない。そこで980円としたらよく売れたけど、それでは店がちっとも儲からない。そこで250g規格に切り替えてそれを同じ980円で並べたら、ほとんど同じくらいよく売れたんだそうだ。こっちは値入れも充分取れるらしい。それでいまは250gサイズしか扱っていないという。グラム当たりの価格が安いからといって必ずしも売れるというものでもなく、それに値ごろ感というヤツもあるのだという興味深い話だ。その日は「商売って難しいですねえ」と、互いに顔を見合わせて頷きながら話は終わった。

日本では価格の最後に8がつくと安く感じるようだ。ニイキュッパとかイチキュッパというやつだ。ところがアメリカではそれが9らしくて、999ドルとかいう案内をよく見かける。そういえばiMacも1,299ドルという値付けだった。日本でも斬新なボンダイブルーのオールインパソコンで、しかもG3という仕様で178,000円という価格で発売されたiMacは、他のMacとの比較からと、20万を大きく切ったという値ごろ感もあってか、とても安いと感じた。それが大きな要因となってよく売れたのだろう。

しかし8月の終わりは、確か円が1ドル140円台のときであったはずだ。当時の為替相場からいけば、1万円くらい安い計算だった。しかし、ここのこころの110円台から120円台前半での推移から考えれば、いまや178,000円というのは2万円くらい高いことにならないか?もちろん生産を東南アジアで行っているようなので、円=ドル相場だけでは決まらないのだろうが、価格が固定化していることに少々疑問を感じている。Macの熱烈なユーザーこそ、高額な価格設定には寛容になることなぞないのではないか。愛するMacがうんと売れてユーザーが増えれば、それだけ買い求めやすい環境ができるはずだと思うからだ。

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11月23日(月)
『抜けるような青空の下、しばしの休日を存分に堪能した』

朝食前にペンションの奥の森を歩いてみると、パチ、プチプチ、カサカサとあっちこっちから聞こえてくる。それは高い空からの眩しいほどの力強い日射しに、木や草に凍りついた露が融ける音なのだった。まるで鋭気を養う時のBGMのように私には感じられた。

行く末を悩んでいたこの夏に来た小淵沢に、こんどは落ち着いた気持ちで訪れた。さらに足を伸ばして今回は、私の憧れの生活を具現化されている
中谷耿一郎氏のお宅におじゃまするという大きな目的もあって、タイヤも履き替えて勇んで雪の新潟を出発したのだが、信州路に入ったとたん、そこは抜けるような青空だった。

中谷さんは、高名なランドスケープやガーデンデザイナーで、やはりMacを通して知り合いになれた。標高1000メートル以上の駅で待ち合わせ、少し森の中の斜面を走ると山小屋風のお宅に辿り着く。自家菜園で採れた野菜や、ご自身で打ってくださった蕎麦など、これ以上ないほどのご馳走を堪能させていただいた。大きめのリビングの窓からは、まるで絵画のように美しく並んだ森の木々が目に飛び込んでくる。そして隣の部屋にはMacがいくつも並んでいる。

設計をこの部屋でされて、クライアントやパートナーとは、Macでやりとりして大きな仕事をされていらっしゃるようだ。理解者で控えめな奥様と、もの静かなお嬢さん。そしてきょうは、Mac教室の講師を勤めておられるというご長男も戻って来られて、私たちを迎えてくださった。この自然の中の生活と、大きな仕事、それをつなぐいくつかのMac。あぁ、私の憧れの生活。

離れて暮らす中谷父子の両方に、読んでいただいているというトビトビ日記のおバカな話などしていたら、時間はどんどん過ぎていってしまった。後ろ髪を引かれつつも、妻K、長男Tと既に日の落ちた山道を帰ることにした。短い休日なのに、何とも充実した気分で車を走らせる。

何かが動いたような気がしたのでよく見ると、道の脇からなんと角の生えた鹿がこちらを見送っていた。やぁ鹿さん、頑張って仕事をしてきっとまた来ますよ、じゃぁねー。

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12月7日(月)
『法事へ往復800キロ。そこで出会ったオールドマックと紅い富士』

身内に不幸が続いて、そのお墓のある富士霊園にここ2年で既に4回ほど通っており、この土日のおつとめで当分ご無沙汰できるはずだ。ありがたいことに道が整備され新潟から富士まで東へ一直線で、関越〜圏央道〜中央高速〜富士五湖道路と乗り継げば、ほとんど一般道を通らずに片道約400キロをスイスイ走れる。だからいつも無理して日帰りをしてきたが、やっぱり翌週に疲れが残ってしまうのと、この時期は山の天候が不順でどうなるか不安だということもあって、今回は前日から霊園に遠くない山中湖畔に泊まることにしたのだ。実はこのペンションが大当たりだった。

思い起こせばウン十年前の免許を取ったその日に、もちろん結婚前のまだ十代であったろう妻Kを乗せて、レンタカーのコロナ1600GTで夜の246を飛ばしてきた(おー、こわっ)のも山中湖であった。ずいぶんと道がよくなったものだ。雨と霧のなかをフォグランプを点けながら到着したペンション「スターダスト」は、対岸の高台にある別荘地の奥にある。

もうクリスマス一色に飾られたインテリア、観葉植物、家具、ちょっとした飾りにも、凝り性らしきオーナーの心遣いが感じられる。決して広くはないツイン・ルームでも、ソフア・テレビ・バス・トイレ付きで、さらに床暖房も暖かい。

肉、魚と続く味も量も満足できるコース料理を食べながら、ふと部屋を見渡すと、ヤッヤッ!あれはApple IIではないか!?あっ、本箱の横にはSE/30だ。あれれ?テレビの横はクワドラ??そしてカウンターの中を覗けばPowerbookもある。ははん、なーるほど。この凝り性らしきオーナーは、筋金入りのMacづかいであった。

さっそくうち解けたのは言うまでもない。そしてApple IIを起動していただく。キーボードを見ればシフトやコントロールキーはあっても、コマンドやオプションキーはない。
Powerというランプはあるが、これはパワーキーとは違いあくまでもランプで、本体裏のスイッチを入れると明かりが点くだけだ。20年以上前に秋葉原にてボーナス1回分をはたいて購入されたという。

やがて黒い画面に白の文字が浮き出る。OSがベイシックとかいうらしい。そうだ!これはMacOSの前のものだからアイコンパレードもあるわけないし、Macintoshじゃないからマウスもないのだった。計算式を入れて答えを出すという操作を教えていただいたが、申し訳ないがちっとも面白くない。そうか、やっぱり私はMacOSの入った林檎マークに惚れているのだった。

早くベッドに入ったこともあって夜明けとともにスキッと目が覚めた。このペンションには部屋のバス以外に、貸し切りの大きなジャグジーもある。足を思いっきり伸ばし泡にマッサージをしてもらう浴槽に朝日が射し込んでくる。晴れたか!と、窓のブラインドを上げると、おーっ!雄大なる紅富士がすそ野までそこには美しく広がっていた。なんという爽快感!!

洋風がゆもつく朝食をたっぷり食べて、時間ぎりぎりまでゆっくりさせてもらった。コーヒーを3杯もおかわりした。そのくらい居心地がいいのだ。これで1人1万円以下とはなんとお安い。法事のおかげでとても充実した1日が過ごせた。次はゆっくりするのを目的に、またこのMacなペンションに来よう。

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12月10日(木)
「tktr少年『ボク公式を発明しちゃったみたい』の巻」

少年tktrは、その頃ソロバン塾に通っていた。というより、通わされていた。本人は3級から上に進めなくなっていて、もう煮詰まっていたのでそろそろ辞めたくなっていた。とくに1から10までとか、1から500までの合計をソロバンで弾くなんてのが面倒で、答を暗記しておいて、やってるフリをするなんてこともし始めていた。

ある日トランプで一人遊びをしていて、左から右へA・2・3・・13のキングまで13枚並べた。そしてそのカードのすぐ下に、何気なく今度は反対の右から左に向けて、1から13まで並べてみた。少年tktrの前頭葉に、稲妻がバリバリと走ったのはその時だった。

いちばん左の上の列には1、その下には13があって、これを縦に足せば14だ。となりは2と12でこれも14。そのとなりも3と11で14。そうだ!ぜんぶ上下の2枚を足すと14になるのだ。天井に目を据え、興奮しながら考えを進める。すると14の合計のかたまりが縦に13列あることになる。14×13=182 1から13までの合計はその半分のカードだから、182÷2=91 や、やったぁ!1から13の合計は91だ。これを計算式に直すとaからbまでの合計をyとすると、y=(a+b)b÷2になる!!

これなら1から1000までだって、1001×1000÷2=500500と一瞬で出せるではないの。私はさっそく母に、少々青ざめながら「公式を発明してしまった!」旨を報告した。ウチの母は、これまた親バカちゃんりん、この母にしてこの子ありの人だから「これは大変なことになったわ。いい?あした先生に解りやすく説明できる?」と高らかに言い放った。私はその頃さかんにエジソンやアインシュタインの伝記物を読んでいた。もしかしたら、この一員に加わったかもしれないとまで思いつめて、その夜は寝つけなかった。

翌日、授業の始まる前に、私は職員室にいる担任の先生のところへ飛んでいった。「せんせいー、聞いてくださいっ!」私の説明をじっと聞いたH先生は「高橋クン、これはスゴイことを考えついたねえ。でもね、これは高校になると『順列・組み合わせ』というのがあって、先生は確かそこで習った。残念だけど第一発見ではなかったなあ」と、終始ニコニコとしながら答えてくださった。先生は授業が始まると、皆に私が考えついたことを説明し始めた。しかし、誰一人その話を理解できないようだった。先生は話しながら私にウインクをしてよこした。

このtktr少年の手許に「
マッカーズ・ブギー」があったら、どんな人生に変わっただろうか。Macには少年時代から出会いたかったと思う。こんな話を書くとずいぶんと優秀そうだが、最後の一句で終わりにしよう。

「栴檀は双葉のときだけ芳しかった」(tktr改)ジャン、ジャン。

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