Macであんなこと、こんなこと

12月18日(木)いまは別の意味であまり出来が良いとは言えないが、tktrご幼少の頃はそれはもうポヤ〜ンとした子だったらしい。何しろ小学校で最初の担任の先生に、PTA後の個人面談で母はそれを言われてひどくがっかりしたそうだ。先生曰く「バカなのか利口なのかちっともわからない子なんで、オール3にしておきました」って。すごい分析だけど、それ以外に言いようがなかったのかも知れない。

それが突然目覚めちゃったというか、気が付いちゃったというか、その日のその瞬間のことをいまでも鮮明に記憶しているのだが、3年生の1学期の終業式の日、学校から出てハッと校門を振り返ったとき、それがその瞬間だった。「あれ?なんでいままでボヤっとしてたんだろう?なんだかこれからは人の言うことがよく理解できそうな気がするぞ」ちとおおげさだが、メリメリと頭が開けるような気までしたのだ。その夏休みを境に、成績も積極性も別人のようになった。あの瞬間はなんだったのだろう。それから「栴檀双葉のときだけ芳しかった(tktr)」という私史が始まることになる。メリメリのあとはゴロゴロと落ちていくことのほうが多かったが。

私史などはどうでもよろし。きょうはMacを始めてからのこのメリメリ、目覚めちゃった瞬間のことを書こうとしていたのだ。私にとってそれはMacにおけるフォルダ階層の考え方を理解できた瞬間だった。ウインドウの中にあるフォルダをたどっていくことと、ダイアログでフォルダ階層をたどるという関係がわかったときも嬉しかったが、なによりMacというのはシステムフォルダ以外は、自分で区分分類名付けして、自分自身が使えるように机の上の環境を創っていくという考え方のコンピュータだったのかと、理解した瞬間くらい、なんと素晴らしい道具と出逢えたかと歓喜したものだった。

その日からフォルダ第一階層を何度変えたことだろう。一時は楽しいかなと思って、フォルダをTMACUの字の形に並べてみたが、とっても使いにくく1日でやめた。結局田植えみたいに左右きちんと整然と並べてあるので、不法侵入があるとすぐわかる仕組みになっている。

問題への区分、分類作業は、創造への第一歩であることは間違いあるまい。

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tktr@sannet.ne.jp(tosiaki takahasi)