野球部だより

最初に東京交響楽団のユニホームを作ってからはや20年経ってしまった。早いようで遅いようで、そしてバブルがはじけるのを待っていたかのように野球部も一時解散を余儀なくされてしまった。監督の解任、部員のボイコット等、原因はあるにせよ本当のところは闇に包まれている。約十年間のブランクの後、今年1997年に、わが野球部は奇跡の復活を遂げたのである。

東響始動

 1997年、装ういも新たに旗揚げした東響野球部は今シーズンまさに破竹の快進撃を遂げたと言えよう。チームは初シーズンながら3勝1敗でみごとAクラス入りをはたし、エース十亀はリーグ最多投手、また内野手謝名元はゴールデングラブ賞、大隅捕手はベスト パフォーマンス賞にそれぞれ輝き、相澤、松本にはそれぞれ愛息、愛娘が誕生。阪本は第1戦の芸大OB弦楽器チームとの対戦一回の攻撃の時ころんで、右鎖骨骨折で全治6カ月、小森谷は新車を居眠り運転で追突事故に、また大塚は血糖値を??の大台に乗せた、さらに鈴木は青梅マラソンで50位入賞をはたし、監督とエースの確執が表面化するなか、山本は愛を歌い続け、池上と天野は共済会費の持ち逃げを企て、杉浦は愛車より高い代車を乗り回しても、池田のコツコツとがんばっていた姿に濱田は写真を撮り続けた。このように良いことずくめで駆け抜けた東響野球部だが来シーズンに向けての課題がないわけではない、シーズン前から取りざたされていたことなのだが、投手力の強化、また攻守のシュミレーション化、スパイクの着用に道具の補強、私設応援団、チアガール、キャンペーンガールの手配と育成。フランチャイズ球場並びに合宿所、練習所の獲得と部費の値下げ。等々問題は山積みにされたままだが、これらの問題をはねのけ来シーズンこそ日本一の栄冠を手にすることができるよう、シーズンオフをコツコツと仕事にいそしむ毎日である。

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1997年12月5日 対東京都交響楽団

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都響

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東響

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