夏と秋のはざまに
西秋生

 お盆を過ぎて、いつの間にか秋の気配が忍び寄ってきた。日中の猛暑は揺るがず、陽差しも相変らず厳しいものの、夏のひかりは既にどこか翳りを帯びて気怠い。まして黄昏が訪れると、立つ風と虫の声が移ろいゆく季節を直截に演出する。
 夏にほんとうの愛着を覚えるのは、そのさなかよりも、むしろこういうときである。
 ところで、夏といえばSF、という強烈な印象がぼくにはある。夏休みにその濫読を重ねた高校生のころの記憶によるものか、遠未来や宇宙といった認識の広がりが夏に相応しいせいなのか。いや案外、『火星年代記』のプロローグの影響かも知れない。いずれにしても、ぼくにとってSFは夏の文学である。
 SFの夏。
 《カッとした夏の日のなかを、日光に顔をさらして歩くのが好きだ》と、三島由紀夫氏は『小説家の休暇』の冒頭に記した。《さうして歩いてゐると、戦後の一時期、あの兇暴な抒情的一時期のイメージが、いきいきとよみがへつて来る》。
 そして、《あの時代とまさに「一緒に寝て」ゐた》氏は、《作家は一度は、時代とベッドを共にした経験をもたねばならず、その記憶に鼓舞される必要があるやうだ》と述懐する。
 しかしぼくは結局、あの夏と「寝る」ことができなかった。
 ぼくが大学に入ったのは、1973年である。昭和でいうと48年に当るこのとしは、のべつ騒然としていた記憶がある。春、『日本沈没』と『箱男』とが新刊で立てつづけに出た。その読後感がやたらと切なかったのは、高校を卒業して大学に入るまでの、不安定な気分の反映だろうか。同じころ手にした『幻想と怪奇』創刊号の悪趣味な表紙を見ていると、焦りはさらに増幅するようであった。
 なにかが確実に変りつつあるらしかったが、正体をまだ見定めることはできない。だからそれは、苛立ちを募らせる役割りしか果さなかった。
 月末には『SFマガジン』を買い、ハヤカワSFシリーズの新刊を待つ、という習慣は崩さなかったが、かつてのような満足感を与えてくれる作品は少なかった。ことにSFシリーズは、刊行のペースも作品の質も落ちていた。数ヵ月ぶりの配本がアシモフの、それも旧作だけで構成された短篇集だったりして、ほんとうにがっかりさせられた。SF文庫ではヒロイックファンタジィやスペースオペラがやたらと出ていたが、これにはもちろん食指が伸びない。
 一方、大学のキャンパスも、ひどく空疎な空気に包まれていた。ぼくの入った大学では1969年に学園紛争があり、図書館の封鎖が行なわれた、という。その傷あとは学舎にまだ残っていたが、結論は既に出たあとであった。学生が世の中を変えることは、できなかったのである。
 一体なにをしたらいいのだろう、という戸惑いのうちに夏が過ぎ、秋にはオイルショックがこの国を襲ってきて、混乱は極みに達した。
 《日本SFの滲透と拡散が始まった》と、のちに筒井康隆氏が位置付けたこのとし。
 同時に、戦後日本の国家目標であった高度経済成長の達成と破綻を迎えたこのとし。
 あのころぼくたちは、しばしば「シラケの世代」と批判的に呼ばれた。もちろん、前を賑やかに通り過ぎていった「全共闘時代」、いや、いまとなっては「団塊の世代」といったほうが判りやすい、かれらとの対比においてである。仕方がない、宴の果てた直後にのこのことやって来た、ぼくたちは遅れた存在だったのだから。
 SFは、進歩・変化・革新といった概念が偏って支持された近代産業社会の申し子だ、というぼくの分析には、ついにその時代と「寝る」ことのできなかったことへの僻みも混じっているのだろうか。
 ともあれ、居心地のわるい違和感を絶えず意識しながら、ぼくは高校生のときから関心を抱いていた創作を試みはじめた。もちろん、納得できる作品はなかなか書けない。しかし、大学を卒業するころ、ようやくひとつの手掛りを掴むことができた。絶えず動揺し、やみくもにあがこうとするばかりの内心にどう手を付けていいか判らず、結局自信なげに韜晦している習作が多かったのだが、ふいと開きなおることを覚えたのである。それからは比較的作品がかたちをなすようになっていった。
 その延長で作品を商業誌に載せてもらったとき、惹句のなかに〈ホラー〉という形容があって驚かされた。これは、ぼく自身には盲点であった。もちろんひととおりの関心はあったけれど、「世界異端の文学」も、創土社のシリーズも、「世界幻想文学大系」も、敬して近寄らず、という気分のほうが強かったのだ。だが読み返してみると、いま云った学生時代の習作にまで遡って、この形容がしっくりするようになってきた。そればかりか、新たに認識さえ展けた。
 ぼくは、こわい。〈現実〉というものの曖昧さ、不安定さ、歪つさが、とてつもなく恐ろしいのだ。世間の常識人は、どうしてそれを確固たるものと信じ込んで疑いもしないのだろう。──〈ホラー〉というコンセプトを得たことで、もやもやしていた思考にひとつの核ができた。
 これこそ、ぼくが漠然とSFに求めていたものではなかったのか。ブラッドベリはもとより、フィニイ、ディック、スタージョン、バラードなど、いま思い付くままにあげた好きな作家たちは、みんなそういう要素を持っている。ただ、恥かしいことだが既成の概念に邪魔されて、ひとから指摘を受けるまでそれに気付かなかったのだ。
 考えてみると、文学に限らず、幻視に基づく表現形式は太古からあったし、今後も廃れることはないだろう。それは、一面で人間存在の本質を突く行為なのである。ただ、それは同時に実在のかたちを持たないものであるゆえに、時代や国民性といった共同幻想の影響を他の形式よりも受ける。というより、裏返された共同幻想そのものだと云ったほうが適切かも知れない。
 だからSFは、すくなくともかつてあの夏に最も美しくきらめいた作品群は、近代という時代、アメリカというその代表的な国家の在りかたを抜きにしては語れない、とぼくはおもう。とすれば、この1990年代、豊かさと頽廃とが隣合せになった現代の、それもこの国に最もふさわしい幻想のかたちとは? いや、そこまで大上段に振りかざすのはやめよう。ただ、ぼくはその可能性を〈ホラー〉に夢見ている。
 といって、ぼくはSFを否定し、代わりに〈ホラー〉を選んだ、というわけではない。求めるものは同じなので、SFの広大な領域のなかから、いまのぼくに最もぴったり来るものとして──未来史でも風刺でもサイバーパンクでもなく──〈ホラー〉が浮び上ってきた、というだけのことなのだ。
 ぼくにとっての〈ホラー〉は、従ってテーマの成熟に比して、それを表現する技法が随いていっていない、未完成の領域なのである(その呼称にしても、いまはやむなくカッコ付で既存のものを用いているが、もっとぴったりきる云いかたがあるような気がしてならない。技法が固まったら、このことも自然に解決してゆくのだろう)。それゆえ、ベストイヤーは選びにくい。設問の趣旨を歪めることになるかも知れないが、ここではいちおう、1977年としておこう。
 この年書かれた作品には、次のものがある。
 ジョン・ソールの処女作『暗い森の少女』。
 スティーヴン・キングのいままでの最高傑作とされる『シャイニング』。
 ただし、ぼくは決してキングに惚れ込んではいない。もちろんとびきり上手いし、読めばたちまち惹き込まれて夢中になるのだが、どこか趣味に合わないところが残る。たとえば、テレパシーの濫用。ホラーであれをやると、なにが起こっても不思議ではなくなって、だらけてしまうのだ。
 ホラー作家と呼ばれるひとのなかでは、ぼくはジョン・ソールが最も好きだ。処女作をはじめ、『惨殺の女神』『ナサニエル』と、やや地味ながら平凡な日常へ忍び寄ってくる怪異を描いて比類がない。なかでベストを選ぶとすれば、『惨殺の女神』だろうか(それにしても、この訳題のセンスのなさはどうにかならぬものか)。
 このとしは、ぼくにとって環境の劇変がつづいた。
 まず、春、ぼくにとって憶い出深い第2次『NULL』が休刊してしまった。さきに述べた習作は、最後の7号に掲載されたのである。つづいて、大学の卒業。会社への就職。そこでの配属は、思いもかけぬ東京であった。ぼくは生れ育った神戸を離れて、ひとり移り住んだ。そして、夏、『風の翼』の創刊。
 公私ともに見知らぬものに囲まれて悪戦苦闘したわけだが、学生時代とはちがって、この頃は懐かしい。現在のぼくに繋がるものが多いからだろう。その意味で、のちに大きな影響を受ける2作家の代表作が、既に同時期に書かれていたことに興味がある。
 つまり、ぼくにとって、そして〈ホラー〉にとっての可能性の芽生えという点でぼくは敢えてこのとしを選んだ。換言すれば、〈ホラー〉、いや、先に記した意味でのSF、そのベストイヤーは未来にある、何故なら、それはぼく自身が築くのだから、という意志表明でもあるのだ。呆れられるだろうが、このくらいの思い上がりがないと、創作なんかつづけていられないのである。
 ところで冒頭の話に戻れば、SFの夏と同様、冬には探偵小説がことに映える気がする。それも、大時代に凝りに凝って、なんだかよく判らないものほど望ましい。春には、何故か純文学が適う。
 そして、間もなく巡りくる、秋。
 夜だけが長ながと座りこむ、薄明のこの季節を背景に、ぼくは〈ホラー〉を読み、かつ書こうとおもう。もちろん、夜ごとに通りゆくしぐれに似たうつろな蛩音にゆっくり耳を傾けながら。

1989・8・25 神戸




 発行までに時間がかかったので、もう次の季節は春になってしまった。季節感の相違は、ご容赦願いたい。編集人の不徳と致すところでございます。
 西秋生氏とは、創作研究会(北西航路)時代からの知り合いである。この会からは、西氏の他に、所与志夫(第7回ハヤカワSFコンテスト佳作第3席)、野波恒夫(第12回参考作)らがでている。まだ、作家になったものはいない。とはいえ、ハヤカワのコンテストからは、野阿梓、大原まり子ら多数が輩出した5回(他に神林長平、大場惑)、6回(他に火浦功、水見稜、石飛卓美)以降、ほとんど作家がでていない。中井紀夫、柾悟郎ぐらいではないか。コンテストとしての、魅力が薄れたせいかもしれない。
 ホラーという分野が、日本でどれだけ普遍性をもつものなのか状況的にはどうもよくわからない。たとえば、村田基などが書くものが、“90年代のホラー”に相当する新鮮なものなのかどうか。西秋生氏もまた、その辺りを手探りでさがしていくことになるのだろう。
 なお、創作研究会はその後2つに分れ、西氏は分れた方の「風の翼」に所属している。

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