1984年
小川隆

 『蝉の女王』のあとがきでも書いたように、個人的な思い出にかぎっていえば、ぼくにとっていちばん強烈なSF体験をした年は、1984年、はじめてワールドコンにでかけ、ついでにスターリング、ウォルドロップ、テリー・カーらを訪ねたときだ。もちろん、これはそのカーの<ニュー・エース・スペシャル>の最初の5冊(『ニューロマンサー』、『荒れた岸辺』、『緑の瞳』、PALIMPSESTS、THEM BONES)が刊行されたSF史上でも重要な年だ。
 さらに重要な出来事として、例のドゾワ編のマンモス年刊傑作選がこの年からスターとしている。このアンソロジーは、面白いかつまらないかは別にして、SFがそのメディアも含めて多様化し、かなり幅のひろいパースペクティヴをもってしなければ語れなくなっていることを率直に表明したものだ、とぼくは思う。さらにいえば、それでもなおいまのSFとは何かを語りたいという衝動を、SFのコアにいる人間が感じていることの現われでもある。いってみれば、SFのアイデンティティの危機が意識されるようになっていたのではないだろうか。というのも、この年をとってみても、イアン・バンクスの『蜂工場』、キャスリン・クレイマーの A HANDBOOK FOR VISITORS FROM OUTER SPACE、 ロバート・アーウィンの ARABIAN NIGHTMARES、ウィリアム・ゴールドマンの THE COLOR OF LIGHT といったように、SFやファンタシイの要素が感じられる境界作品がいくつも発表されているし、それらはしばしば、SF界で話題になった“本格的な”あるいは“文学的な”作品より大きなインパクトをもつものだったからだ。最近のブルース・スターリングの命名によれば、スリップストリームというやつである。もちろん、この前にはSF界に一騒動巻き起こした例のラッセル・ホーバンの RIDDLEY WALKER があるし、テッド・ムーニーの EASY TRAVEL TO OTHER PLANETS とか、ジョン・カルヴィン・バチェラーの BIRTH OF THE PEOPLE'S REPUBLIC OF ANTARCTICA といった未来小説があるのだが。いうならば、SFではもはやはやらなくなったとされているテーマの重要性に、若手(にはかぎらないが)文学作家が気づいてしまったのである。SF界なるものを信じるものたちにとっては、大いに危機感をあおられる出来事だ。サイバーパンクが登場し、それがSF界にあれほどはっきりとした感情的反応を引起こした理由の一つは、SFマーケットの繁栄の裏で起こったこういったジャンル外の動きにあるといってよい。SFにおける人物描写の重要性とか、SFの中で描かれる女性像(あるいは性差別)とか、SFのファンタシイ汚染とか、続篇や三部作を書くことの是非とか、SFがかかえる問題はさまざまであり、それらはたしかに論議され、実作品で答えをだされていくべきものであることはまちがいない。だが、それ以上に、いまのSFの中心にはどのようなものがあり、いまのSFを代表する作品としてはこれこれがあり、この作家の作品には誰もが注目している、といえる部外者にもわかる明快なSF像が存在しないことへの不安が、多くのSF人に生じていたのである。ヒューゴーやネビュラといった賞も、そうした役割を果たす力はなくなっている。いまのSFの中心がC・J・チェリイとか、ジュリアン・メイとか、デイヴィッド・ブリンだなんて、賞を与えている当の人間だって思っちゃいないはずだ。
 概して80年代前半、とくに《アンアース》でデビューした連中がつぎつぎに長篇を書き出したころ、集英社の《ワールドSF》を準備していたころが、いちばんおもしろくSFを読めていたにはちがいない。けれど、特に1年を選ぶとすれば、一応翻訳の仕事ももらえるようになってきたころのしめくくりとしてでかけたアメリカへのSF旅行(新婚旅行ではない)の年、1984年がぼくにとってのベスト・イヤーである。とりわけ(「海外SF事情」なるコラムを書いていたおかげで)チャーリー・ブラウン、テリー・カー、そしてブルース・スターリングやルイス・シャイナーらに当時のSF界全体のことを取材して、SF状況というものを考えていたので、この年の出版物としてもとっも評価されるべきものとして、ドゾワのアンソロジーがあることを明記しておきたい。思えばこのあと、さまざまなベスト・アンソロジーがイギリスもふくめて刊行されるようになっている。文学のアンソロジーにも、ル=グィンはもちろん、ポールなどさまざまなSF作家の作品が収録されるようになっている。SFと文学との(ひいてはミステリーや冒険小説、歴史小説、ロマンスなどあらゆるジャンル小説との)境界が混沌としてきている時代にあって、ファン出版物をもふくめて、SFの全体像をとらえようとするこの膨大なアンソロジーの登場にはふかい敬意を払いたい。


 小川さんは、もともとファンダム出身者ではない(ファンではあった)。編集者時代、集英社でワールドSFを準備していたころからファンダムと接触、海外SF情報誌「ぱらんてぃあ」(1981〜)を創刊する。初期は無料で配られていた。いまでも、手書きがワープロに変わった以外、体裁内容はほとんど変化せず、すでに100号を越えている。(KSFAのなまけものには、とても真似のできないことでございます)。サイバーパンクなど最新SF事情紹介も、論より証拠、体で示すという伝道師的姿勢は立派である。昨年は、2歳児をつれてワールドコンに参加した。

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