1965年、運命の別れ道
酒井昭伸

「SFは読む時期が大切だ!」というのは、ジュブナイルSF評論家・三村美衣さんの持論ですが、そういう意味でいうと、やっぱりSFのベスト・イヤーはどうしても小学校時代になってしまいます。
 ぼくらの世代ってのは、けっこう恵まれてて、すでに児童向けSF図書がいっぱい出てましたからね。そらもう、強烈なセンス・オブ・ワンダーの連続でしたがな。
 岩崎書店とか、あかね書房とか、雰囲気出してるシリーズ、いっぱいありましたねえ。あのころは、SFとかミステリーとか区別せずに読んでいて、ホームズとか乱歩の少年探偵団シリーズ、ほら、『電人M』とかさ、ああいうのも好きでしたけど、やっぱりSFって、ひときわ特別ななにかでしたよね。
 ただ、右にあげたシリーズだけで、はたしてのちに翻訳をやるほどSFにいれこむことになっていたろうかというと、いまひとつ心もとない。いまにして思うと、将来の道を決定づけることになったのは、あのシリーズ──講談社の〈少年少女世界の名作〉全15巻、あれのせいではなかったかと思うんです。ほらほら、何度か出ていた同社のジュヴナイル・シリーズの、あの最後のやつね。
 あれはもう、何度読み返したことかなぁ。
 少年マガジンかなにかの広告で見て、本屋さんに予約して、出るたびに持ってきてもらってたんだけど、まあ、はじめて見たときのうれしかったことうれしかったこと。毎月、いちどに2冊か3冊ずつ出てたやつを、きたその日のうちにぺろっと読んじゃってさ、もういちど舐めるように読みなおしたりしてましたっけねえ。ぼくのSF観ってのは、基本的にあれで刷りこまれちゃってますね、うん。
 だいいち、装丁がよかった! 内容も胸のときめくものぞろいだったけど、イラストがさあ、カラフルでバタくさくって、どこかエキゾチックでさあ。も、頭、クラクラよぉ。
 そうそう、顕微鏡を買ってもらったのもあのころで、それになにかの花粉の、赤、青、黄、とってもきれいなサンプルがついてたんですけど、そのカラフルな拡大図を見ながら、「バイトンってこんなかな」なんて思ってたりしてましたから、バカだよね、おれも。
 さて。
 その15巻のなかでもいちばんのお気にいりはと訊かれれば、これはもう、ハミルトンの『百万年後の世界』と答えるっきゃない。ごぞんじ、『時果つるところ』のジュヴナイル版です。このシリーズだと、通例、『赤い惑星の少年』をあげるのが定石のようで、そりゃもちろんこっちだって何度も何度も読み返しましたが、やっぱりこのシリーズは『百万年後の世界』につきる!
 『時果つるところ』のほうは、じつは読んでないんだけど、そんなにいい評判は聞きませんよね。そういえば、『百万年後──』を脱稿なさったとき、訳者の野田さんが柴野さんのところに電話をかけてこられて、「おれがハミルトンの駄作を傑作にしてやった!」とうれしそうにおっしゃってたそうですが(柴野さん談)、なるほど、これは野田さんのお力かもしれない。とすると、面識はないけれど、そうか、野田さんはぼくの大恩人だったわけだぁ。 
 『百万年後の世界』には、なんというか、あらゆる点で、ぼくの好きなSFの原型が出そろってるんですよね。
 日常から非日常へ、しだいにスケールアップしながら展開していく絶妙のストーリー運び。星々やら宇宙船やら銀河連邦やらの壮大な世界と、思わず泣かせる人情味・人間味との対比の妙。それを描く上で欠かせない、ユーモラスでヘンな格好をしてて、やけに人間くさい異星人たち(臭みをとる効果があります)。そして、主人公は少年!
 いまでも、アンタレスとかデネブとかスピカとか聞くと(右の異星人たちの出身世界ね)、なんだかクラクラっときちゃうんですよねぇ。ああ、時の果て地の果ての街「ミドルタウン」。胸が締めつけられるようだなあ。よくよく考えてみると、これはどうも「郷愁」というものに近い感覚のようなんだけど、だとしたら、変態だぜ、こいつ。
 そんなこんなで、この本をふくむ同シリーズは特別の宝物あつかいで、箱こそ日に焼けちゃったけど、中身はピカピカのまま、いま本屋で買ってきたといっても通る状態で保存してあります。幼稚でもなんでもいい、これがおいらの好きなSFだいっ!
 というわけで、わたくしのベストSFイヤーは、右のシリーズが刊行された1965年とさせていただきます。
 ちなみに、当時、かたや名古屋、かたや三重県津市に住んでいて、少なくとも同じ月に(もしかすると同じ日、同じ時刻に)胸ときめかせて『百万年後の世界』を読んでいた小学校4年の男の子と小学校3年の女の子が、長ずるにおよんで東京で出会い、この本の評価で意気投合、やがて子供までもうけることになろうとは、ちょっとしたロバート・F・ヤングだと思いませんか? :-)
 ……なんて話を早く子供たちにしてやりたいなあと思うきょうこのごろですが、うーん、大きくなってほしいような、ほしくないような……。


 ジュヴナイルについては、酒井氏だけが言及している。たいていの人は、小学生でこのたぐいを読んでいるはずなのに、決定的要因と考えていないようだ。ジュヴナイルから大人ものへの道は
意外に不連続なのである。
 酒井昭伸氏は、比較的最近、公務員からフルタイム翻訳家に転身。関西KSFAメンバーなどは、概して筆が遅く、(致命的)欠点といえるのだが、さすが東京人は違う。兼業当時から、執筆量には定評があった。質については、読めば分るはず。K3ユーザーズ・グループ会長。通称「西葛西のおこっちゃまくん」。

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