1975年 大野万紀&真木久美子



 個人にとってのベストSFイヤーは、と問われれば、おそらくみんな、SFファンとして一番輝いていたころを思い浮かべるだろう。ということは、そういう輝きの時期をみんな通り過ぎてきて、今はもう……というわけなんだろうな。そうじゃない人はごめんなさい。で、そういう意味では、ぼくにとってのベスト・イヤー・オブ・SFは1970年代の中ごろ、74年くらいから77年くらいになると思う。すなわち「最後のれべる烏賊」から「ノヴァ・エクスプレス」創刊くらいまでですね。どれか選べといわれたら、1975年かな。
 いやー、とにかくよく本を読んだ。それまで知っていたSF以外に、こんなに広いSFの世界が広がっていることを自ら発見していった最高の時期だった。コードウェイナー・スミス読破、ディレーニイ読破、ティプトリーを知り、完全読破(当時手にはいるものだけだけど)、そしてジョン・ヴァーリイを発見し、これまた完全読破、その他にも、キース・ロバーツ、R・A・ラファティ、クリストファー・プリーストにフィリップ・ファーマー、えーとそれから……まだまだあると思うけれど、これくらいにしよう。学生時代という背景はあるにせよ、よく読んだものだ。米村秀雄と領域がなるべく重ならないようにして、競いながら読んでいたということかな。それに安田均さんの影響力がものすごく大きかった。手に入りにくい本も、安田氏の家へ行けば本棚に見つかるというのは、これは大きいですよ。で、読みながらファンジンを作り、翻訳や評論をしていた。神大の「れべる烏賊」シリーズと「ミレニアム」、安田氏の「オービット」、KSFAの「ヒューゴー賞完全リスト」、「世界SF全集」、そして「ノヴァ・エクスプレス」……。
 しかし、ぼくらにとっては最高の時期だったかも知れないが、もっと客観的に見た場合、この時期は翻訳SFにとって最悪の時期だったとも思う(実際にはこの時期に至る数年間が)。KSFA版世界SF全集の月報でY氏が次のように書いている……。
「どうしてこういうことになってしまったのだろう。…翻訳SFの現状を識るにつれ、ぼくの胸のうちにも、そうした想い(憤り)がふつふつと湧きあがってくる。…どうせ書いても仕方あるまいとは思うのだが、ここにひとつの事実を提起したい。現在は1976年4月半ば、70年代ももう半ばをすぎ、70年からは6年もの月日が経過してしまっている。いま、月々、鮮やかな表紙で出版されるSFのうち、70年以降の海外SFが何冊あるかあなたはご存知だろうか? …結果は、意外も意外、70年も半ばをすぎたこの年に、70年以降の作品が、まだ10冊も訳されてはいないのだ。しかも、そのうち半数までが、あちらの70年発行のものである。…このごろは翻訳SF(それも新しいもの)ファンなんて小数派だと(こんなセリフは十年前には考えもつかなかったが)思いこみはじめたが、それでも憤まんやる方ないこの思いはわかって頂けないだろうか?」
 Y氏の憤まんはまだまだつづくのだが、72年から75年の4年間に向こうで出た新作が1千5百冊、そのうち訳されたのが5冊以下なのだから、この時期を翻訳SFの暗黒時代といっても間違いにはなるまい。もっとも、だからこそ、自分で読まなければ仕方がないと思い、そのエネルギーが前記のような活動を支えていたという側面もあるのだが。
 でもね、こういうような話を別の所でしていたら、同席していたファンの一人が、でもそのころから翻訳SFを読み始めたものとしては、SFマガジンにせよ、文庫にせよ、あのころのが一番良かったんですよ、といっていた。そういうものだ。
(大野万紀)

 えー、ベストSFイヤーですかぁ。そうですね、一生懸命SFを読んでいたのは高校3年から大学2、3年ごろまででしょうか。だから1975年から77、8年ごろですね。何しろうちの田舎にはハヤカワSFシリーズがなかったので、おもに創元を読んでいたのですが、確かメリルの傑作選を読んだのが高3だったような……。あれでラファティの名を知り、大学に入って古本屋でラファティの載ったSFMのバックナンバーを捜しまわっていた。あの頃がわたしにとってのベストSFイヤーだったように思います。
 75年ぐらいのSFMの巻頭にリバイバルコーナーというのがあったでしょ。アーンダールの「広くてすてきな宇宙じゃないか」とか、とても印象に残っています。ということは、要するにもっと昔のSFが好きだったわけですね。だはは。
(真木久美子)

  • 昔の神戸大学SF研究会:いろんなところ(ファンジンなど)で誇大に書かれたため、誤解を招いている部分もある。典型的な小人数SF研で、内部の人員では活動が維持できず、したがって、徹底して外向きだった。たとえれば、香港かシンガポールみたいなもんである(ちがうかな)。人数が一番多かったのは、72年創立当初で、以降じり貧。6人(水鏡子、大野万紀、米村秀雄、編者、ラファテイ翻訳の井上央、ノヴァ・エクスプレス3代目編集長の吉田守)の状態が長くつづいた。だから、四天王なんて表現はあまり意味がない。「れべる烏賊」は会誌名。「れべる烏賊」「れべる烏賊再び」「最後のれべる烏賊」と3号でた。最終号はガリ版手刷りで300ページを越え、大半が翻訳で埋まっていた。「ミレニアム」は75年にでた純翻訳専門誌。独自のアンソロジイで、当時はめずらしかった。
  • KSFA版現代SF全集:76年4月から77年12月にかけて5冊(アンダースン&ディクソン『くたばれスネイクス!』、エリスン『驚異のパートナー』、ニーヴン『ガラスの短剣』、ファーマー『奇妙な関係』、プリースト&ショウ『リアルタイム・ワールド、思いがけない明日』、それぞれの抄訳)でた、ガリ版平均130ページの翻訳全集(全35巻別巻1)。お分りのように早川版のパロディであるが、内容はちゃんとした翻訳だった。米村秀雄責任編集。同様のセンスが、のちに、ザッタ文庫として復
    活する。
  • 真木久美子:生まれは滋賀県で、幼小から麻雀はするは、酒は飲むはの生活をしていたらしい。大阪外国語大学SF研卒。浅倉久志さんの後輩(当時SF研はなかったが)で、古沢嘉通の先輩。KSFAには請われて入会。現在は大野万紀夫人。結婚後は、いつもだんなと手をつないで歩いていた。

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