MY BEST SF YEAR 1969年
水鏡子


 くだらない企画であるとは言わないけれど、ノスタルジックな心根が透けている。こういう企画を考えるようになったら《中年》だからね。
 人のことはいえなくて、じつはほかで似たようなのりで書きかけている文章がある。そちらとすこしだぶり気味になるのだけれど、そのぶんわりと1969年という年が、あまり悩みもしないで、すんなり出てきた。
 ベストSFイヤーといっていい年というのはけっこうある。『宇宙船ビーグル号の冒険』で、いわゆる子供向けでないSFをはじめて買った読んだ年。「SFの深化と矮小化」と銘打って、30枚近い自分なりのSF論を書きあげて、頭のなかがカラッポになった年。アンダースンの『脳波』で初めて解説を書いて原稿料をもらった年。「そして目覚めるとわたしはこの肌寒い丘にいた」でティプトリーに初めて出会った年。《ジャンプドア》を読んで、本当の意味でハーバートにぶつかった年。
 読むというかたちの受け手の立場と、書くというかたちの送り手の立場の二重性をずっと抱えてきた人間として、SFという《場》におけるベストの年とは、どうしても、自分がなにかをした年になる。ほとんど毎年のように、その年のベストSFを選ぶ行為はしてきてるけど、どこまできら星の話が並んだ年であっても、自分が絡んでなにかした重さをしのぐ力はない。上にあげた『ビーグル号』も《ジャンプドア》もティプトリーも、あくまで《事件》であって、《作品》ではない。
 というわけで、1969年である。
 この年、ぼくはジェイムズ・ブリッシュの『時の凱歌』を買った。この年がぼくにとってのSFの、黄金時代のはじまりである。
 『時の凱歌』が重要なのは、ぼくがはじめて、ついに買ってしまった、早川SFシリーズだったから。
 当時、海外SFをちゃんと読もうとしたとき、読むことができる本というのは、3種類しかなかった。創元推理文庫(約50冊)、早川SFシリーズ(約200冊)、QTブックス(約20冊)の三つだった。このうちQTブックスは、通俗路線をとりながら早川SFシリーズと同じ価格をつけていて、SFファンの上達コースからはずれていたといっていい。SFファンたろうとする人間は、創元推理文庫を読み、それから早川SFシリーズとSFマガジンへと進んでいったのである。(むかしはね)
 考えてみれば、この時代、主なSFはぜんぶ読んでると豪語するのはとても簡単だったのだ。たかだか300冊を片づければ、それどころか主なSFということなら、その中から100冊強をピックアップして読んどけば、それで充分間に合ったのだ。おまけに上下巻本などといううっとおしいやつはひとつもなかった。
 だからあの時代にSFを読み始めている連中は、SFの重要どころがすぐ見当らなくなるものだから、周辺領域への展開という《大義名分》をくっつけて、けっこう幅のある本の集めかたをやっている。ぼくの本棚なんかにしても、『ベーオウルフ』や『未来のイヴ』や『人と超人』などという(当時絶版本だった)岩波文庫や、世界大ロマン全集などという、古本屋経由の本がちょこちょこ並んでいる。あんまり読んでないのだけどね。『幻島ロマンス』なんて本、むかしはSFファンの第二水準の常識だったのだよ。

 とにかく、なぜ、この年がベストであるかというと、この年、いよいよ、ぼくは値段の安い創元推理文庫の主なところを読み尽くし、図書館で『SF入門』をくりかえし読み、それらを糧にSFに立ち向かう基礎体力を鍛え上げたのだ。そして、自らの頭の中に書き込んだ、貧弱なSF地図を頼りにしながら、ついに、創元推理文庫より経済的な負担が大きい、巨大大陸、早川SFシリーズへの第一歩を踏み出したのである。行く手には(経済的な理由から)ぼくにとっての幻の名作だった作品がずらりならんでいた。たとえば『人間以上』であり、『都市』『火星年代記』『地球の長い午後』『われはロボット』などなど数多くの作品だった。いまでこそ、文庫で安く簡単に買えるこれらの作品も、このころは早川SFシリーズで買うしか他に方法がなかったのである。そして乏しい小遣いで創元推理文庫を買っていた高校生には、『時の凱歌』を買うことは、SFファンとして新たなる段階に突入する覚悟の上の第一歩だったのである。
 この年、創元推理文庫を押さえたことで、SFとはどういうものか、自分なりのイメージはできあがっていた。しかし、世界に高い名作にほとんど触れてない状況では、SFがどれだけのものであるかについては、ただひたすらに妄想し、夢想するしかほかになかった。だからこそ、『時の凱歌』で踏み出して、早川SFシリーズを読み、SFとはどういうものかと模索していた時代から、SFとはこういうものだと自分なりの結論が固まり始めるまでというのはぼくにとってのSFの黄金時代であったのであり、ベスト・イヤーだったといえる。SFというフィールドは、確たる存在感を与えてくれていたけれど、それがどれだけの広がりをもっているか、広がりの限界についてはまるで見えていなかった。すなわちそのときSFは、無限の広がりをもっていたのである。そういう状態というものはたぶん、「SFの深化とわい小化」という一部批判的見解を含んだSF論の構想がみえてきたあたりで終わったのだろう。そしてSFファンの幸福とは、そうした無限定の状態のなか、限界をもとめて模索していくことにこそあったような気がしている。
 SFがこういうものだという納得は、SFはこういうものでしかないという諦観でもまたある。そのときSFは無限の広がりを失って、そのかわり自分でしっかり握っておける囲いこまれた豊饒に席をゆずることになる。

 その昔、水鏡子は太陽であった。
 KSFAは、権威をなによりも嫌う面々だったので、だれかがそう認めたわけではない。そもそも、太陽になれる性格でもなかった。にもかかわらず、水鏡子はある種のオピニオン・リーダーだったである。水鏡子には、立派な弟子たちがいる。大森望、牧眞司、山岸真やらなにやらである。尊敬を集めていたとは思えないが、彼らの深層心理に(たぶん)影響を与えている。いまでもSFセミナーや京都SFフェスティバルにでかけると、水鏡子の発言が無視されることはない。それなりの威光が、まだあるらしい。50年代SF論が、なぜサイバーパンクに論破されないのか。たぶんそれは、水鏡子が、SFの道を極め、普遍的真理を体得しているからであろう。水鏡子は、1冊の評論を世に問う。作家以外のセミプロとしては、日本初である。(だからどーだというわけではありませんが、星雲賞には投票してあげましょう)。

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