97/5/1

SFマガジン97年6月号(早川書房)
前回に引き続いてクズ論が展開されています。面白いのはテレポートの読者欄や、特別寄稿欄でも巽孝之さんの論議がよく分からぬといった論調を先頭に持ってきたところ。おそらくは、マガジンの趣旨も同じということなのでしょう。森下一仁さんの文章は大半が巽反論。まあこれはこれで論争かもしれない。高野史緒さんはSFは文學的なものを不当に差別してきたのでは、という内容。この点については、かねてよりSFアイデアと文学的手法とは反比例関係にあるという経験則で説明できます。普通の作家に両者を並立させることはできない、キングとベイリーを比べれば分かるというわけです。これはファンや業界の問題ではなく、作家の問題でしょう。永瀬唯さんのは、海外SFファン陰謀説でこれは意味深ですね。昔から、創作系のファンは翻訳系のファンより格下に見られる傾向があり、マガジンなどは80年代以降、どう考えても後者中心であったわけです。しかも、反翻訳ファン(コンプレックス?)をバネにして、冒険小説やらアニメやら野阿梓ら新しい日本SFが育っており、SF冬説は翻訳ファンの狭量な妄想であるとする。まーなんというか、SFクズ説はSF者を写す鏡というか、ソラリスの海というか、日頃の識域下すべてを映し出しているようですね。


97/5/5


アーシュラ・K・ル・ヴィン『内海の漁師』(早川書房)
ル・ヴィンのSF短篇集。今やメインストリームでも有名人となったル・ヴィンが、あえてSFのアイディアに挑んだ作品となっていて、前書きが面白い。何というか、非常にプリミティヴな議論であるけれど、しかし、今日の大半の読者に蔓延するSF嫌いを説明するには、未だ有効といえるかもしれない。本書の短篇は多くが、実に単純かつ古典的な書かれかたをしている理由でもある。ところで、標題作は「瀬戸内の漁師、浦島太郎」のこと。

97/5/12

グレッグ・ベア『火星転移』(早川書房)
さて、本書はベアの長編としては、画期的な作品であるといえる。ベアにこのようなドラマが書けるとは思っていなかったからである。これまで読んだ限りでは、まーなんというか、基本的にアイデア暴走型の作家だったはずなので。火星産まれの女の子が、波乱万丈の騒動の中で、見事火星大統領になるまでの半生が破綻なく描かれている。一方それ故のまとまりすぎが、旧来のベアファンには喰い足りないのかもしれないが。


97/5/19


メルヴィン・バージェス『メイの天使』(東京創元社)
タイムスリップで過去に戻った少年が、農場で一人の少女と出会う。少女の名はメイといい、心の中に重い傷を負っていた……。ヤングアダルト向けに書かれた本書の結末は、類書のハッピーエンドとも悲劇とも違っている。その点がユニーク。
筒井康隆『邪眼鳥』(新潮社)
復活筒井康隆短篇集ということであまりにも有名。差別語規制なしであるが、時間と空間が混交する本書の本質とは(当然のことながら)無関係であろう。本書だけでは、まだ緊急出版といった感じで、新しい筒井康隆を十分味わうには少なすぎるようだ。


97/5/26


タニス・リー『血のごとく赤く』(早川書房)
グリム童話をモチーフにした、童話風ファンタジイ集。もともとのグリムが持つ森の残酷民話といった雰囲気はなく、タニス・リー特有のモノトーン(色がないわけではない)の無機質さが際立つ。土の匂いがないわけですね。この昇華された人工美が作者の本領といえる。反面グリム童話を増幅させる部分、現代に甦えさせる部分がないのはやむを得ぬか。
『SFマガジン97年7月号』(早川書房)
SFM久々のジャックポットにしてSFファンのソラリスの海、クズ論争の第3回です。いやーまーなんというか、すごいですね。これだけの反響を引き起こしたのですから、マガジンは日経と本の雑誌に感謝状を出すべきです。なんてことを書いていると、お前は他人顔をするのかと怒られそうですが。私の意見は、基本的に本ホームページを見ていただけば分かるということなので(その点、HPは編集方針=レイアウト=記事=著者なので分かりやすいですね)。それはさておき、今回のマガジン記事はやや過激に流れているようです。他の媒体(主にWEB上)の意見を見ても、建設的なものはあまり見られません。そろそろ潮時か。



ところで、Digital NOVAQご覧頂けたでしょうか。まだ未完成なので、全容が分からないといったご意見もおありでしょうが、ご感想などもお寄せ下さい。昨今のクズ論争の原点になるような意見も掲載されております。

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