2006/1/1

Amazon『なつかしく謎めいて』(河出書房新社)

アーシュラ・K・ル=グウィン『なつかしく謎めいて』(河出書房新社)
Changing Planes,2003 (谷垣暁美訳)

カバー画:塩田雅紀、挿画:エリック・ベドウズ

 ル=グウィンのオムニバス短編集。今年はおそらく「ゲド戦記の原作者」という扱いになるル=グウィン(岩波、講談社系の表記、ハヤカワではル・グィン、旧サンリオではル=グインだった)であるが、もともとファンタジーの作家ではなく、キャリア40年のベテランSF作家である。
 もしあなたが空港で飛行機の遅発/延着を経験したなら、その“空き時間”を使って異次元に旅することができる! この画期的な「シータ・ドゥリープ式次元間移動法」が発明されて以来、無数の異次元世界が知られるようになった。その中から、16のエピソード(次元移動法の発明と15の次元)が本書の中で物語られる。
 遺伝子改変があらゆるものに及んだイズラック、誰もが沈黙を守るアソヌ、不可思議な形而上学を持つヘネベット、怒りに駆られるヴェクシの人々、人々が渡り鳥のように旅するアンスラックは1年が24地球年に及ぶ、眠りで見る夢が共有されるフリンシア、誰もが王族の世界ヘーニャ、血塗られた歴史を持つマハグル、享楽の次元グレート・ジョイ、眠らない人々がいるオーリチ、言葉の通訳が不可能なンナモイ、謎の建築を続けるコクの人々、ガイではごく一部の人に翼が与えられる、イェンディには死なない人がおり、ニィエニィエでは何が起こったのかもわからない。
 さすがにSF作家であるル=グウィンは、お話を空想のまま放置しておかない。すべての世界には根拠があり、意味があり、(単なる道徳や人類愛を超えた)教訓がこめられている。ある意味で、イタロ・カルヴィーノ『見えない都市』のSF版ともいえるだろう。

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bullet 『言の葉の樹』評者のレビュー
 

Amazon『おまかせハウスの人々』(講談社)

菅浩江『おまかせハウスの人々』(講談社)

 
装画:影山徹、装幀:泉沢光雄

 「小説現代」に掲載された6編からなる短編集。一般向けの小説誌で発表されたものとはいえ、SF的なテーマが1本通っているのが特徴だろう。

 1.純也の事例(2004):1年間という限定で、里親制度に応募した主人公のもとに来た少年
 2.麦笛西行(2003):苦情処理係の男が頼りにする感情分析ツールの功罪
 3.ナノマシン・ソリチュード(2002):治療用ナノマシンが日常化した時代、ネット仲間との会話から生まれた意外な出来事
 4.フード病(2003):あらゆる食物に、ヤコブ病のような潜在的な危険が含まれるようになったら
 5.鮮やかなあの色を(2002):色彩感を高めるピルを服用した主人公の見たもの
 6.おまかせハウスの人々(2005):全自動ハウスに住む3つの家庭の人々と、担当者のやりとり

  本書で気がつくのは、主人公たちの恐ろしいまでの“孤独感”である。ここに登場する家族は、何れも偽りの家族や友人であって、決して主人公の支えとはならない。そしてまた、SFガジェットはそのような苦悩を増幅する装置として描かれている。このあたりが『五人姉妹』(2002)と大きく異なる部分だろう。たとえば、表題作「おまかせハウスの人々」で登場する全自動ハウス(一切の家事を司る)は、ブラッドベリ『火星年代記』に収録された「優しく雨ぞ降りしきる」(1950)の家を思わせる。ブラッドベリの家は、人類が滅び去った地球で誰もいない家を孤独に守るのみ。核の荒廃による孤独と、情報社会の孤独が、半世紀を経て呼応しあうところが注目のポイントである。

bullet 『プレシャス・ライアー』評者のレビュー
bullet 『五人姉妹』評者のレビュー
 

2006/1/8

 昨年(2005年)7月に出た本。文春の本格ミステリ・シリーズでもあり、お話の主体は殺人事件とその犯人探しなのだが、奥泉流にSFや既存作品がリミックスされている。
 東大阪の三流女子短大で日本近代文学を教える助教授(太宰治が専門、四十過ぎて独身)は、文学事典でとある童話作家の項目を担当した縁で、作家の遺稿ノートを紹介する仕事を引き受ける。マイナーな作家を小部数の雑誌に紹介したはずが、その遺稿は話題を呼び、マスコミから注目を集める。しかし、その過程で、ノートを発見した記者が行方不明となる。死体は首なしで発見されるが、事件の経過は矛盾を孕み、戦中の瀬戸内海の小島で起こった事件へと収斂していく。遺稿の単行本化に関わったジャズ・シンガーと、別れた雑誌記者の元夫婦探偵は、独自に犯人探しを敢行する。
 例によって、饒舌な語りでお話は進む。作者は現在近畿大学の国際人文科学研究所(所長が柄谷行人)で教授をしている。近畿大学は東大阪にあるので、本書の女子短大もこの近辺をモデルにしている。妙にリアルな描写で、大学教員の生態が描かれているのが面白い。一方、『鳥類学者のファンタジア』(2001)にも登場したアトランティスの遺産/ロンギヌス物質が登場し、謎の連続殺人事件を次第に侵食しながら、かつ現実世界での解決を見せる点は評価できるだろう。奥泉光の小説は「語り」を聞く醍醐味がひとつの持ち味になる。無意味な脱線は少ないが、たとえばニール・スティーヴンスン(『クリプトノミコン』など)の過剰なエピソードの氾濫と似ている(というようなことは昔も書いた)。 なので、1000枚を超える本書でも長すぎるとは感じないのである。

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bullet 『新・地底旅行』評者のレビュー
 

Amazon『金春屋ゴメス』(新潮社)

西條奈加『金春屋ゴメス』(新潮社)

 
装画:村田涼平、装幀:新潮社装幀室

 11月に出た第17回(2005年)ファンタジーノベル大賞の大賞受賞作である。
 北関東から東北にいたる地域に、ある出来事をきっかけにして「江戸」が再現される。それも、風景や町並みだけでなく、生活水準、技術水準、政治体制まで江戸と同等に作られ独立国として扱われる。その新しい江戸に、江戸生まれながら日本で育った青年が帰ってきた。父の願いを聞いての帰還だったが、希望者が殺到する入国審査をパスし、長崎奉行「今春屋ゴメス」の下走り役に就く。折しも、江戸では原因不明の伝染病「鬼赤痢」が蔓延しつつあった。
 そもそも、こんな「江戸」が存在可能なのか。設定上の無理は感じるものの、現代の感性を持った青年(大学生)による江戸的世界への順応、というテーマのためには必要なのだろう。ただ、作者の関心はこの架空の江戸国のリアリティにあるのではなく、ここで繰り広げられるテレビ時代劇風のドラマにある。容貌魁偉な奉行ゴメス、配下の役人たちや下働きたちの人間模様と現代との接点で生じた事件をたくみに絡めたお話作りが楽しい。反面、ドラマの展開があまりにふつうの(ふだん見慣れた)時代劇すぎるので、乗れない一面もあるようだ。

bullet 第17回日本ファンタジーノベル大賞(新潮社)
bullet 波2005年12月号(大森望)掲載のレビュー
bullet 昨年度受賞作『ラス・マンチャス通信』評者のレビュー
 

2006/1/15

 第17回ファンタジーノベル大賞の優秀賞に決定しながら、受賞を辞退した作品。最終的にライブドアから出版された経緯については、下記の著者サイトに記載がある。
 本書は、表題どおりフーガの形式に従って書かれている。主人公(私)は、自殺した友人のメモにあった地図を頼りに、大都市の繁華街の裏側にある、もうひとつの街にたどり着く。そこは娼婦たちや奇妙なアウトローたちが棲む忘れられた社会だ。そこで、主人公はさまざまな人々から「告白」を受けるようになる。
 主人公は決して怒らず悲しまず、感情を見せたことすらない。同居するのは、見えない犬を飼う少年、麻薬に溺れる娼婦、そして他者への奉仕を惜しまない恋人。さらには、階段のない部屋に閉じこもる双子のような男のペア、盲目のヴァイオリニストと整形娼婦、町をさまよう革命家と、未来が視える老占い師――という、複雑な登場人物たちが現われ、それぞれが自身を語っていく。やがて、主人公と恋人との関係は、街を揺るがすテロ事件のなかでクライマックスを迎える。
 そもそも著者が同賞を辞退した動機は、本書が(お話のテーマとして)多重構造を持っており、その構造が展開できることにある。たとえば派生作品や、ゲーム“ドラクエ”のように相互に関連を持たせたシリーズ化が可能なのだ。登場人物の1人1人が、新たな個別の物語になる(だから、権利関係が“すべて”主催者に帰属するコンテストの契約は受けられなかった)。ただし、この物語はメンタル的にディープなものであるから、誰もが面白がれるものでもないだろう。
 ファンタジーノベル大賞の場合、優秀賞はたいてい特定の選者が強く支持する(やや好みの偏った)作品が多い。本書も井上ひさしの強い推奨によるものだ。

bullet 著者の公式サイト
bullet 本書のサイト(ライブドアパブリッシング)
 

2006/1/22

 第6回小松左京賞受賞作。著者は63歳。(この賞に限らず)日本SFの新人賞史上、最高齢の受賞作家となったことでも話題を呼んだ。
 縄文期に飛来した宇宙生命は、地表にとり残された仲間を支援するため、ある一族に特殊な能力を授ける。以来、日本の歴史の裏を人知れず支え続けた彼らの前に、幕末開国の荒波が押し寄せる。一族の当主、主人公は老中阿部正弘や勝燐太郎(海舟)へ助言を与え、来航したペリー提督を痛快にやり込める。やがて、宇宙生命の使命がおぼろげに見えてくる。
 いわば、表版『妖星伝』(半村良、1975〜1980/1993)といえる伝奇小説である。究極の快楽を追求する鬼道衆(外道、裏の存在)にあたる人々が、本書でいう「神の血脈」を引く超人たちだが、彼らは権力者に敵対するわけではなく、裏から支える役割を負っている。作者の語りは流暢で、当時の時代を超人の視点で分析するなど、(小松左京好みの)テーマ性が明快だ。問題は、やはり本書の長さにあるのだろう。主人公たちと、以降の歴史(明治維新から敗戦まで)との間にどのような軋轢があったのか、そこに興味が沸くのに、語られないまま終わってしまうからだ。

bullet 著者の近影
  著者の母校同期会のサイト、受賞 式の写真もある
bullet 第5回受賞作『暗黒の城』評者のレビュー
 

Amazon『眠れる人の島』(東京創元社)

エドモンド・ハミルトン『眠れる人の島』(東京創元社)
The Isle of the Sleeper and Other Stories,2005(中村融編)

カバーデザイン:森流一郎、カバーデザイン:東京創元社装幀室

 中村融による、2005年4月に出た『反対進化』の姉妹編である。比較的長めの5作を収録した、「幻想怪奇」集となっている。

 「蛇の女神」(1948) 古代バビロニアの遺跡から発見された恐るべき碑文の意味とは。
 「眠れる人の島」(1938) 太平洋の真ん中で難破した男が漂着する無人島の秘密。
 「神々の黄昏」(1948) 記憶を失った男が、ノルウェーの森林から北欧神話の世界に帰還したとき。
 「邪眼の家」(1936)* 睨み付けるだけで相手を死に至らしめる“邪眼”を持つ親子。
 「生命の湖」(1937)* アフリカの奥地、人を近づけない外輪山に囲まれた秘境に不死を約束する湖があった。
  *…本邦初訳

 本書の作品を総括すると、秘境冒険もの、(いわゆる)パルプ小説の作品集といえるだろう。幻想怪奇という言葉から連想される現代的なファンタジイよりも、明らかに古いものだ。60〜70年前の原初の形態なので、現時点から見て新しいアイデアはない。呪いで封印された遺跡、太平洋の無人島、北欧神話、アフリカの秘境と不死の湖と、こういうクラシックな設定をストレートに書けたのは、40年代前後が最後だろう。編者の中村融が秘境ものを重視するのは、今では失われたパルプ小説の再発見/復興を目指しているためか。

bullet 『反対進化』評者のレビュー
 

2006/1/29

Amazon『天の声/枯草熱』(国書刊行会)

スタニスワフ・レム『天の声/枯草熱』(国書刊行会)
Głos Pana/Katar,1968/1976 (沼野充義、深見弾、吉上昭三訳)

装画:Schuiten & Peeters (C)Casterman S.A.、装訂:下田法晴+大西裕二(s.f.d)

 昨年10月に出たレム・コレクションの第3集。収められた両作ともサンリオ文庫で1982年/1979年に出たもので、30年近く前のものだが、 深見弾/吉上昭三は既に故人でもあり、沼野充義による部分改訂を経た新訳となっている。サンリオ版の『天の声』では、評者が解説を書いている。今回改めてレビューしても良いが、解説記事の中で『天の声』に関係する部分だけを抜き出して再録してみた。冗長な部分は削除したり修正している。

 ほんの偶然から、小熊座に輻射点を持つ、ニュートリノの信号が検出される。それは、でたらめな信号ではなく、明らかな規則性をもっていた。宇宙のはるかな深淵を越え、我々にもたらされる、異星の“声”。何百光年もの間を渡るそのメッセージには、一体何が秘められているのだろう。意味は? 目的は? そして、何者が放った信号なのか。

 本書は、スタニスワフ・レムが、60年代に書いた6冊の長篇のうち、最後の作品にあたる『天の声』(1968)の全訳である。宇宙からの通信と人間側の対応という展開を持ちながら、初期長篇群とは異なる、むしろ評論に近い雰囲気を味わわせてくれる。レムは、この後『枯草熱』(1976)までの8年間、長篇を発表しなかった。

 火星で発見された古代遺跡。火星人たちは既に死に絶えており、文明を記した文字を読み取る術は、どこにも残されていない。手がかりとなる辞書が存在しないからだ。しかし、主人公は、元素の周期律表を見つける。たとえ文化や歴史の違う異邦であっても、科学の言葉は同じだ。やがて、文明の謎は、説き明かされるだろう。H・ビーム・パイパーの「オムニリンガル」(1957)という短篇は、そう締めくくられる。

 50年代のアスタウンディング誌に発表された、「オムニリンガル」(=普遍的なる言語)自体に、それほど重要な作品的価値があったわけではない。ただ、ここに書かれた、異星の文明と、それを解く“宇宙のロゼッタ石”という図式は、テーマの一つの典型と見なすことができる。レムでさえ、50年代初頭の作品に、同じ発想が見られる。

 1960年、アメリカで行なわれた「オズマ計画」に端を発し、宇宙生命とのコミュニケーションは、“星々との交信”というイメージを得て、以来さまざまに描かれてきた。異星文明との接触は、それだけでSFの無数の作品を潤してきた題材だが、中でも、お互い姿を見せることのない出会い“宇宙からの声”は、静的で思索に富んだテーマである。

 このタイプの作品としては、ジェイムズ・E・ガン『宇宙生命接近計画』*(1972)が決定版ともいわれる。信号の受信から、返信計画の発足、さまざまな障害や人間関係などが、詳細に描き込まれたものだ。石原藤夫「銀河の呼ぶ声」(1967)も、我国で
書かれた先駆的な中篇である。いずれの作品でも、計画を遂行していく困難さが、主眼に据えられていた。人間側の問題、理想と現実の間が、正面に捕えられた作品である。しかし、通信内容の解読という意味では、極めてオプティミスティックな解釈がなされてきた。“ロゼッタ石”の存在を疑ってはいない。もしその点を疑うなら、物語そのものの成り立ちが、全く違ってしまっただろう。(*:翻訳は1980年に人間ドラマ部分を削った抄訳で、ダイヤモンド社から出た)

 “宇宙のロゼッタ石”とは、科学の持つ普遍性を象徴している。科学さえ共通基盤として持ち合えば、異星人との相互理解が可能だとする考えなのである。宇宙からの通信を聞き取る、または発信する文明があるのなら、底辺をなす思想、哲学、とりわけ科学に共通項があるはずだ――しかし、本書『天の声』の前提には、そういった万能翻訳器ロゼッタ石の否定がある。

 第二章で、主人公の数学者ホガースは、哲学の無力さを述べる。哲学は、閉鎖的な概念の枠の中から、無限を捕えようとする。しかし、その枠は、個人の思考の限界でしかない。科学は、哲学の袋小路を、着実な地歩で踏み越えてきた。だが、人間の思考の産物でも、自然の無作為に生まれたものでもない“宇宙の声”の前では、科学さえ、哲学と同じ立場にあるのかもしれない。たしかに、信号からは、コロイド状の物体〈蛙の卵〉と〈蝿の王〉がつくられはする。全体の通信内容の、ほんの数パーセントから得られた成果だった。しかし、我々は重大な誤解をしているのではないか。莫大な知識の宝庫である書物に、火を放って暖を取っている原始人にすぎないのではないか。主人公は思い悩む。

 我々の科学と、“声”の科学が同じものであるという証拠など、どこにもない。この発想は、50年代末からのレムの思想であり、ある意味で、時代を先取りしたものでもあった。60〜70年代に至る時代では、既製の権威やイデオロギーが、次々と凋落する。SFの流れでも、科学の権威/絶対性は、しだいに失われていった。相手を理解する手段=科学を失うのと時を同じくして、相手=異星人の実体にも不安が入りまじる。これは、作品の上でも、明確に現われてきた。

 異星人は、時代意識を反映した姿をとる。ガードナー・ドゾア「海の鎖」(1973)に登場する宇宙人は、一人の少年にしか見ることができない。異界の住人は、実は地球の至るところに生きているのだが、誰一人見ることができない。そして、彼らにとって、人間は無意味な障害物にすぎないのだ。隣に動いていてさえ、見ることもできない存在。断絶は局大化する。

 同じような状況を扱った、ジェイムズ.ティプトリーJr.の一連の作品、「そして目覚めると、わたしはこの肌寒い丘にいた」(1972)などが、この時期を代表している。コミュニケーションは70年代を代表する女流作家、ティプトリーの主要なテーマだった。作品では、我々と違うものと、互いに理解できない存在とが等号で結ばれる。人と人、男と女、人種と人種、人類と異星人、関係は、あらゆるレベルに及ぶ。いわば、どうしようもない隔たり。だとするなら、その意識下で、宇宙からの通信は、どう扱われるのだろう。

 信号の90パーセントが理解不能、しかも人類にだけ向けられたものではないという、ジョン・ヴァーリイ『へびつかい座ホットライン』(1977)がある。ヴァーリイの小説は、よく、独特の温かみを持つと指摘されるが、それは、冷えきった他者との交情と、表裏一体の関係にあるように感じられる。異星人の意図が、人間の認識の埒外とされる作品は、最近、もはやめずらしくはない。堀晃の長篇『バビロニアン・ウェーヴ』(1982)も、例に数えられるだろう。

 ロゼッタ石の否定の後、もし物語が書かれるとすれば、“宇宙との交信”の物語ではない。対話する相手のいない、一方通行の物語だ。人間の認識の限界、その内側で超越的存在(異星人、異星の声)を理解しようとする試みである。『天の声』の主人公が否定した、哲学とよく似た関係にある。ただ、探求する行為自体に、我々にとっての、多くの命題を見出すことができる。ここに、レムの一貫して追求してきた、主題との合一が認められる。しかし、英米SFのムード的扱いと、レムの手法とは、おのずと違ってくる。

 『天の声』は、多様な内容を持つ作品である。主人公の回想記形式をとり、宇宙からのニュートリノ通信という触媒のもたらした、文明、哲学、科学、政治の問題が主人公の視点から論じられている。一方、主人公自身の性格や、登場人物の描写(ラッパポートの経歴が印象的だ)も、詳細にわたっている。

 これまで述べてきたように、本書をSF内部で位置付けるとするなら、“相互認識不可能”の立場を取る、現代SFの観点に立脚するもの、といえるかもしれない。実際、物語の経過は、そういう形で語られる。計画は成功しない。具体的に解析できた異星の秘密など、一つもなかった。けれども、本書が、ペシミスティックな認識の断絶だけを描いたと考えるのには正しくない。物語中、何度も言及される人間の不完全さと、信号の完全さ(理解不能さ)の対比は.何を意味するのか。

 信号には、微弱な生命賦活作用があった。何億年もの間、宇宙を遍く渡っていくなかで、生命の芽生える契機をつくっていった。主人公は、信号に、不完全な者に決して解くことのできない“鍵”がかけられていたのだ、と考える。生命の創造者であり、しかも、完全なる者にしか理解できない通信とは、天の声(マスターズ・ヴォイス)、文字通りの、神の声に他ならない。もちろん、それは主人公の推測で、最終章に書かれた、いくつかの解釈の一つにすぎないが、以前の作品に比しても、一種宗教的な色彩を放っている。神秘主義と縁のない数学者が、この結論を語ったところに、人間の認識を追いつづけたレムの、逆説的な主張が込められているように思える。『ソラリスの陽のもとに』(1961)で、海に見出した“不完全な神の胎児”と、好一対をなす結末である。――『天の声』(サンリオ文庫1982年)の評者解説から抜粋。

bullet 『高い城・文学エッセイ』評者のレビュー
 

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