2008/9/7

Amazon『リーシーの物語(上)』(文藝春秋) Amazon『リーシーの物語(下)』(文藝春秋)

スティーヴン・キング『リーシーの物語』(文藝春秋)
Lisey's Story,2006(白石朗訳)

装画:松尾たいこ、装幀:大久保明子

 2006年に書かれたキングの3長編のうちの1つ(うち、Blazeは改訂されて07年に出版)。もう1作の『セル』も、昨年暮れに翻訳されている。『セル』が凄惨な大殺戮話だったのと対照的に、本書は“作家の妻”の物語である。

 著名な作家だった夫が亡くなって2年が過ぎていた。仕事場の整理もできないまま、無為な日々を送る彼女に、ある男から脅迫の電話が入る。遺作を含む原稿すべてを大学に寄付しなければ、危害を加えるというのだ。しかし、連絡先の大学教授は男とのかかわりを否定する。その事件をきっかけにして、彼女は過去の奇妙な出来事を回想する。やがて、作家/有名人の添え物ではない自身の意味と、夫の秘密を知ることになる。

 不遇な幼年時代から一気に流行作家へと駆け上がった夫には、不思議な能力があった。それは、異次元世界と現実とを自由に行き来できる力である。異世界では現実とは別の時間が流れ、得体のしれない生き物が巣食っている。癒しの泉があり、そこでは重篤な外傷や疾患も治癒してしまう。しかし、異世界の成り立ちそのものに秘密が隠されているのである。まだ60歳過ぎのキングだが、自身の死を予感させる事件(事故)や、精神的な病には何回も遭遇した。本書の世界は、そのような現実からの逃避のようにも読めるが、妻への遺されたメッセージという形で、“死”を見つめ直そうとする意図も感じられる。派手さは(『セル』に任せたためか)ないが、著者特有の情感を楽しめる作品となっている。

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bullet 《ダークタワー7部作》評者のレビュー
bullet 『第四解剖室』『幸福の25セント硬貨』評者のレビュー
 

2008/9/14

Amazon『ライト』(国書刊行会)

M・ジョン・ハリスン『ライト』(国書刊行会)
Light,2002(小野田和子訳)

装幀:SONICBANG CO.、装画:安岡亜蘭

 1970年代から80年にかけて出版された《ヴィリコニウム・シリーズ》で著名な、英国作家M・ジョン・ハリスンの近作である。我が国ではほとんど無名であり、同シリーズの『パステル都市』が1981年に翻訳されてから、少数の短編以外の紹介はなかった。しかし、本国では多くの作家や読者に影響を与えたSF界の重鎮としての地位にある。そのため、ほぼ20年ぶりに書かれた長編である本書は、絶賛を浴びて迎えられた。アレステア・レナルズ、スティーヴン・バクスター、ニール・ゲイマン、イアン・バンクスら、新鋭作家たちが声を揃えて本書を推奨していることでも分かる。

 1999年、1人の物理学者が、後の世界を変革する大発見を成し遂げようとしている。しかし、彼は同時に奇妙な影に付きまとわれ、次々と殺人を犯すシリアル・キラーでもあった。2400年、異星人の技術を得て宇宙を自在に飛行できる女船長と、燃え尽きてパイロットを退いた男が別々の場所で繰り広げる追跡と逃亡のエピソード。お話はこの3つの物語が混じり合いながら、やがて壮大な結末に収束していく。

 ハリスンはマイケル・ムアコックより6歳年下になる。若くしてデビューしたムアコックに比べて、1周り下の世代と言っていいだろう。日本でいえば、第2世代作家(堀晃、川又千秋、梶尾真治ら)に相当する。クリストファー・プリースト、イアン・ワトスン、ロバート・ホールドストックらと同世代だ。第1世代に比べればやや影が薄く、熱狂的なファンよりも静かなファンが多いのは英国/日本とも同じ状況にある。その中で、ハリスンは例外的な存在なのだ。ただ、やはり本書はこの作家をよく知る読者でなければ評価が難しい。ファンタジイとSFとの融合を試みたヴィリコニウム(ウルフ《新しい太陽の書》の先駆的作品とも言われる)との落差が、日本の読者には読み取れないからである。あえてSF叢書である《未来の文学》から外した効果(一般読者向け)が出たかどうか、ちょっと気になるところだ。

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2008/9/21

Amazon『司政官 全短編』(東京創元社)

眉村卓『司政官 全短編』(東京創元社)


Cover Illustration:加藤直之、Cover Design:岩郷重力+WONDER WORKZ。

 本年1月に刊行された《司政官シリーズ》の中短編集。もともと1974年(文庫化75年)と80年(文庫化82年)の作品集を、年代記順に再編集したものである。とはいえ、それから25年以上が経ていることから、本書で初めて司政官の原点(司政官そのもの)を知った読者も多いはずだ。

 長い暁(1980):多島海からなる惑星。軍政下で接触の機会が少なかった原住者との出会いは予想外の危機に至る
 照り返しの丘(1975):異星人の生み出したロボットが支配する惑星。その秘密を得るための手がかりとは
 炎と花びら(1971):知性ある植物の惑星。彼らは成長すると知恵を失い、花びらを開き、季節風に乗って旅立つ
 扉のひらくとき(1975):原住者たちが定期的に大移動する惑星。しかしその移動は膨大な犠牲を伴うものだった
 遥かなる真昼(1973):色彩に乏しい雨に閉ざされた惑星。そこで社会を変革しようとする原住者がいた
 遺跡の風(1973):遺跡だけが残され、遠い昔に文明が滅びた惑星。植民者の間には幽霊が出没するという
 限界のヤヌス(1974):急速に植民者が増えつつある惑星。司政官に反抗するリーダーはかつての同僚だった

 東京創元社から刊行されている“日本SF再発見叢書”とでも呼ぶべきシリーズは、川又千秋『幻詩狩り』、新井素子『グリーン・レクイエム』、堀晃《トリニティシリーズ》など、SF史上の傑作を現在の読者に再提供しようとする試みで、好評裏に受け入れられている。中でも司政官は最大の大物であり、ネットの評判を見ても大きな反響があることが分かる。過去リアルタイムにこれらを読んだオールドファンでも、再発見できることが少なくない。まず、連邦制度をとる未来社会(特に官僚機構)の設定、異星の描写、主人公の心理描写と、何れもが大変細密で完成度が高いのである。官僚機構などは、ローマ時代から本質的な変化がない普遍的なものだ。テクノロジーの変化と独立して読める。こういった部分に焦点を当てた作家は他にいないため、全く古びて見えず新鮮な印象を受ける。《司政官シリーズ》は長編を含めてもわずか9作しかない。文庫化されていない『引き潮のとき』(1988-1995)を除けば入手も容易になった。ばらばらでは独特の世界を理解するのが難しい。一挙に読んでこそ面白さが分かる内容といえる。

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2008/9/28

Amazon『赤い星』(早川書房)

高野史緒『赤い星』(早川書房)


Cover Illustration:加藤俊章、Cover Design:岩郷重力+Y.S

 高野史緒の書き下ろし長編。過去もこのJコレクションでローマ、エジプトとエキゾチックな舞台を選んできた著者だが、今回は本命のロシア。ただし、これまでと同様、本書の描くロシアは現実のロシアとは異なるものだ。

 江戸の政府がロシアとの戦争に敗れ、帝国の属領となっている世界。江戸文化はそのまま残され、吉原の花魁たちはロシアの帝都ペテルブルグを夢見る。若者たちは“シベリア横断ウルトラクイズ”で、その夢の実現を図る。しかし、かつて暗殺されたはずの皇子が、江戸に潜伏しているという噂が流れる。折しも帝都では皇位相続をめぐる内戦が勃発、真相を追う一人のジャーナリストは、時間を越えた別の世界の存在をヴァーチャル・ネットワークに感じとる。

 ロシアを舞台にした著者の長編には『ヴァスラフ』(1998)がある。本書にも登場するニジンスキーをモチーフにした作品だ(ただし、ニジンスキーは出てこない)。本書でそれと同じ関係にあるのが、ペテルブルグ(サンクト・ペテルブルグ)なのである。ピョートル大帝がネヴァ川河口に建設した、西洋的で巨大な人工都市は帝政ロシアを象徴する存在と言える。いつものように、著者の異世界ものには、さまざまな矛盾が(意識的に)組み込まれている。この世界は、近未来であるようにも(ソ連の時代、東京時代が過去にあったことを匂わせている)、並行世界のようでも(矛盾した史実)、果ては仮想世界であるかのようにも読み取れる。脱力ネタの“シベリア横断ウルトラクイズ(同名のネットクイズもあるが無関係)”も、ロシア風?ユーモアの一環と読めなくもない。これまでの著作中では、もっとも仮想/現実の境界を曖昧に感じさせる秀作といえるだろう。

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