2009/2/1

Amazon『テメレア戦記I』(ヴィレッジブックス) Amazon『テメレア戦記II』(ヴィレッジブックス)

ナオミ・ノヴィック『テメレア戦記I』(ヴィレッジブックス)
His Majesty's Dragon,2006(那波かおり訳)

ナオミ・ノヴィック『テメレア戦記II』(ヴィレッジブックス)
Throne of Jade,2006(那波かおり訳)

Cover Illustration:Dominic Harman、ブックデザイン:渡邊民人(TYPE FACE)

 ナオミ・ノヴィックは1973年生まれのアメリカ作家。2006年に3部作を一度に出版してデビュー、ローカス賞ジョン・W・キャンベル新人賞を受賞し、ベストセラーにもなり世界23カ国で出版(翻訳権は27カ国)された。処女作がベストセラーになった関係で、最新作 Victory of Eagles,2008 を含め、著書5作は全てテメレア・シリーズである。我が国でも2007年12月に第1部イギリス編が、昨年12月に第2部中国編が訳出されている。

 イギリス海軍の戦艦が拿捕したフランス軍のフリゲート艦には、ドラゴンの卵が積み込まれていた。そこから生まれた竜は、これまで知られるどの種類とも異なっていた。偶然竜の誕生に立ち会った主人公は、海軍の艦長から空軍のキャプテンへと意に沿わぬ転身を強いられる。しかし、その竜=テメレアには秘められた能力があり、やがて空軍の中で頭角を現し、ナポレオンの英国侵略戦争で大きな戦功を上げる。
 テメレアは中国の高貴な血筋を引く希少な竜だった。返却要求を受けた主人公らは、中国(清)と有利な取引をすべく、遠くアフリカ南端を経て、北京にまで遠征する。しかし、彼らは中国での竜の待遇が、戦闘でしか使われない欧州とは全く異なるものであることを知る。

 ドラゴンが登場するファンタジイというだけなら、世に枚挙いとまもなく、それこそ数え切れず存在する。ただし、大半の作品では、ドラゴンは御伽噺の精霊と同義語であり何のリアリティもない。ドラゴンを現実の存在として扱ったのは、ジャック・ヴァンス『竜を駆る種族』(1962)あたりが最初で、後にアン・マキャフリイ『パーンの竜騎士』(1968〜)で、竜のパートナーと供に戦う人間という設定が一般化する。本書は、さらに一歩進め、実在する竜と人間が生きる19世紀の世界を描き出している。テメレアは、ナポレオンと敵対する大英帝国の側にいる。当時イギリスは清に対して阿片を輸出して巨利を貪るなど、まさに(良くも悪しくも)帝国主義の絶頂期にあるが、そのことはほとんど触れられていない(という点では、第2部中国編は、ほとんどファンタジイだろう)。また、ナポレオンはアウステルリッツ三帝会戦(1805)で勝利し、地上戦不敗を誇っていた。もう一つの近世という並行世界の新鮮さと、妙に人間くさく可愛らしさを感じさせるドラゴンの存在が本書の魅力だろう。

 

2009/2/8

Amazon『魚舟・獣舟』(光文社)

上田早夕里『魚舟・獣舟』(光文社)

カバーイラスト&デザイン:山本里士

 2003年小松左京新人賞でデビューして以来、既に6冊の単行本(内3冊はミステリ、1冊は改稿版)のある上田早夕里の初短編集である。

 魚舟・獣舟(2006):遠い未来、陸地の大半が水没した世界。異形と化した生物“舟”と人類との結びつきとは
 くさびらの道(2007):九州に発生した不治の奇病が飛び火する。そこでは人々の精神を蝕む現象が生じている
 饗応(2007):主人公が都会の旅館とは思えない露天風呂で体験する出来事(ショートショート)
 真朱の街(2008):妖怪たちが跋扈する街で、子供を奪われた主人公が頼った探し屋との駆け引き
 ブルーグラス(2004):環境破壊から、外来者の立ち入りを禁止した珊瑚礁に隠された主人公の思い出
 小鳥の墓(書下ろし):教育実験都市で育ち、連続殺人者となった主人公の歪んだ青春(中篇)

 上田早夕里の特徴は、まず第一に描写の緻密さ/論理性にあるだろう。それに伴って、主人公たちは概ね内省的であり、感情が迸ることがない。たとえば、デビュー作『火星ダーク・バラード』で浅薄に描かれていた主人公が、大幅に改稿されて年齢相応の翳を持たされた点を見ても、著者の人物観が良く分かる。「小鳥の墓」では、主人公が殺人者となった根拠が淡々と積み上げられている(ハードボイルドな印象の由来でもある)。その点、直情型の多い最近のSFとは大きく異なっている。本書に収録された大半の作品は、ホラーアンソロジー「異形コレクション」収録作だが、SF的な骨格を崩していない。妖怪が出てくる「真朱の街」ですらそうだ。緻密さは作品設定と密接に関係するので、SFと親和性が高いといえる。というところからも、表題作の設定を敷衍したという次期SF長編(2010年予定)に期待が集まる。

 

2009/2/15

 Lovein' the CUBE(キューブに恋して)、このCUBEというのはプロジェクトの名称である。2008年(第9回)小松左京新人賞受賞作著者は1978年生まれの女性で、英国留学や自動車関連の生産管理をしていたなどの経験を持つ。本書の主人公と重なる部分も多い。470枚と短いが、書き始めてから(習作含む)4作目にあたるという。

 2050年代、日本の主力産業が自動車からロボットに移って久しい。主人公は派遣出身の正社員。多彩な経験を生かして、ロボット生産のプロジェクト管理リーダーとして活躍していた。あるとき、彼女は会長に能力を買われ、重要パートナーとの協業メンバーに抜擢される。しかし、仕事は異例ずくめ。わずか10体のアンドロイド生産、量産型では通常求められない人間との相似性重視、そして何より開発の成否が、組織になじめない天才たちの才能に左右される。このプロジェクトの本当の目的は何なのか、そもそも納期に間に合わせることは可能なのか。

 作者が生産現場を良く知っているためか描写はリアルだ。そのリアルな部分と、ファンタジイ的な要素の強い結末とのつながりが本書のポイントとなる。キーワードは、応募時の原題/最終章の表題「エスバレー・ポワンソン・プティタ」である。ラカン派の心理学から引用されたもので、「この世から抹消された主体が愛を求めている」という解釈がなされるが、これはもともと『人形愛の精神分析』藤田博史)からインスパイアされたものだろう。本書は小松左京から「SFにデカダンスを盛り込んだ」という評価を得ている。ここでいう“デカダンス”とは、ロボット開発の目的が“頽廃的な人形”であったことに由来する。リアルなエンジニアリング→芸術的な造型→「エスバレー…」(ロボット起動のパスワード)→人形愛→デカダンスという、特異な連想から成り立つ作品である。

 

2009/2/22

Amazon『ジョナサン・ストレンジとミスター・ノレル I』(ヴィレッジブックス) Amazon『ジョナサン・ストレンジとミスター・ノレル II』(ヴィレッジブックス) Amazon『ジョナサン・ストレンジとミスター・ノレル III』(ヴィレッジブックス)

スザンナ・クラーク
『ジョナサン・ストレンジとミスター・ノレル』
(ヴィレッジブックス)

Jonathan Strange and Mr. Norrell, 2004(中村浩実訳)


ブックデザイン:アルビレオ、編集協力:リテラルリンク

 作者のスザンナ・クラークは1959年生まれの英国作家。本書が初の長編/著作となる。ノンフィクションの編集者を90年まで勤め、イタリア(北部のトリノ)やスペイン(バスク地方のビルバオ)での英語教師を経て、再び編集者の仕事に戻ったのが93年。そのとき本書の構想を得て書き始めたものの、完成まで10年を費やした。しかし、2004年になってようやく出版された本書は、世界幻想文学大賞ローカス賞(処女長編賞)、翌年のグラスゴーで開かれた世界SF大会でヒューゴー賞(長編賞)を取るなど、相次いで受賞しベストセラーともなった。寡作なのは相変わらずで、現時点での著作は、本書と短編集の2冊のみである。

 19世紀初頭、魔法は歴史的な理論研究のみに衰退し、誰も実践を試みなくなっていた。そんな中で、実践魔術師を標榜するノレルは、魔法の復権を試みる。やがて政府中枢の理解を得たノレルは、魔法技術の独占を図ろうとする。その弟子ストレンジは別の路線を歩むようになる。ナポレオン戦争で功績を出すと、魔法の大衆普及に乗り出すのである。しかし、復活させた魔法は思わぬ副産物を生み出す。閉ざされていた、妖精界への扉が再び開かれたのだ。

 処女長編なのだが、2500枚(原書ハードカバー/ペーパーバックで800頁)もある。10年がかりで書いている途上では、創作学校でジェフ・ライマンやコリン・グリーンランド(現在の夫。『聖なる山の夜明け』の著者)らの指導を受けたり(この成果としていくつかの短編が書かれた)、さまざまな試行錯誤があったようだ。本書の特徴の1つは、2人の魔法使いの行動がユーモラスな点だろう。魔法を復活させようとする行為は、やはり近代(19世紀)とは相容れず人々は右往左往する。しかし、その一方、魔法は中世以前の闇の存在を垣間見せる。不気味な妖精世界(価値観が全く異なる妖精には、人間を思いやる配慮がない)の描写と、それに翻弄される現代の魔法使いとの対比が印象に残る。