2010/3/7

Amazon『跳躍者の時空』(河出書房新社)

フリッツ・ライバー『跳躍者の時空』(河出書房新社)
Space-time for Springers,2010 (中村融編)

カバー装画:松尾たいこ、ブック・デザイン:祖父江慎+安藤智良(コズフィッシュ)

 中村融によるフリッツ・ライバーのオリジナルアンソロジイ。スーパー子猫の“ガミッチ・シリーズ”を深町真理子訳で統一するなど、こだわりの編集である。ライバーはもう18年も前、1992年に81歳で亡くなっている。ヒューゴー賞受賞が6回とあるが、具体的には『ビッグ・タイム』(1958)、『放浪惑星』(1964)、「骨のダイスを転がそう」、「影の船」(1969)、「凶運の都ランクマー」(1970)、「あの飛行船をつかまえろ」(1975)である。ネビュラ賞3回は、「影の船」を除く中編3作が同時受賞したものだ。ただし、これら作品は翻訳されてから既に30年以上経過しており、大半の読者にとっては馴染みがない。

 「跳躍者の時空」(1958):冷静に飼い主一家を観察する子猫ガミッチの野望とは(ガミッチ最初の作品)
 「猫の創造性」(1961):毎日決まってボウルの水をこぼすガミッチの目的
 「猫たちの揺りかご」(1974):ガミッチの家を訪問した女性の正体
 「キャット・ホテル」(1983):ガミッチの飼い主/女主人は、ある日奇妙な猫専用ホテルを見つける
 「三倍ぶち猫」(1992)*:現代の魔女に入門する飼い主の儀式(ガミッチ最後の作品)
 「『ハムレット』の四人の亡霊」(1965)*:飲んだくれの俳優が復帰した夜、シェイクスピア劇団の舞台で起こった事件
 「骨のダイスを転がそう」(1967):女房から金をくすねた男は、見知らぬカジノが開店したことを知る
 「冬の蠅」(1967):読書する男の妄想がさまざまな影の生き物を生み出していく
 「王侯の死」(1976):1910年を起点に、何度も繰り返されるある男の生涯の出来事
 「春の祝祭」(1977)*:閉ざされた建物の中で出会う、若い男と女の駆け引き
  *…本邦初訳

 ライバーは本来のSF的な作品よりも、ヒロイック・ファンタジー、ホラーなど幻想味が混じった作品にむしろ強い印象が残る。それはライバー自身の経歴とも関係している。著名なシェイクスピア役者だった父親(後に、初期の映画にも多く出演している)、母親も同じく俳優だった。2人は劇団を主宰しており、各地を転々と巡業する中でライバーも育ってきた。作家になる前は役者も経験している。ラヴクラフトとの親交を得て創作に目覚め、いくつかの職業を経たのち第2次大戦後に作家、アルコール依存症からの脱却、愛妻の死、晩年になっての再婚と目まぐるしい生涯をおくる。その複雑な人生が、これら作品(特に200編にも及ぶ中短編)にちりばめられているのである。
 本書をライバー再発見として読むには、収められた代表作がやや少ない。しかし、猫の視点から書かれた「跳躍者の時空」、著者の体験を交えた「『ハムレット』―」、ホラー風味のファンタジイ「骨のダイス―」、「冬の蠅」などは、ライバーの魅力を十分伝えてくれる優れた作品といえる。

 

2010/3/14

Amazon『もいちどあなたにあいたいな』(新潮社)

新井素子『もいちどあなたにあいたいな』(新潮社)


装画:早川司寿乃、装幀:新潮社装幀室

 1月に出た新井素子の新作書き下ろし長編。ブラック・キャットシリーズの『チェックメイト』(2003/12)から起算して6年ぶりであるが、その前の独立した長編『ハッピー・バースディ』(2002)、日本SF大賞を受賞した『チグリスとユーフラテス』(1999)から見ても、大きな時間的隔たりがある(『チグリス―』そのものも、7年ぶりだった)。

 叔母の娘が生後3カ月で亡くなってしまう。あれだけ望んでいた子供なのだから落胆も深いはず。しかし、どこか反応が違っている。小さいころ、わがままほうだいを聞いてくれた叔母、母親代わりに育ててくれた叔母、けれど、何かが変わってしまった。まるで別人のように。

 物語は、3つの視点、父親、母親、娘から書かれている。叔母は父親の妹になる。娘は母が働いていた関係で叔母を母親のように慕っていた。そのため、母親は仕事に対し無理解な父親や、親子の関係を侵害した叔母に対し複雑な感情(怒り)を抱いている。父親は妹の期待に応えられなかったこと、娘は叔母の人生を狂わせてしまったことに後ろめたさを感じている。この3人の信頼関係は失われているのである。ところが叔母の子供の死を契機に、娘にとって叔母は別人に思えてくる。本書はその謎を解明する物語となっている。隔絶した人と人との関係を探究するドラマは、『クォンタム・ファミリーズ』を思わせる。オープニングとエンディングだけは叔母の一人称である。「もういちど、あなたにあいたい」という独白の意味は、本文とこの2つの章を読むことで分かるようになる。

 

2010/3/21

 鏡明が30年間にわたって「本の雑誌」に連載してきたエッセイ「連続的SF話」(1979〜)から2001年までの144編を抜粋し、再編集したものが本書である。通巻13号から開始なので、ほとんど「本の雑誌」の歴史とイコールと言ってもよい。昨年出た大森望日記が1995年以降の記載だったことを考えても、SFコラム最長という歴史的意義がある。

 本書のエッセイは、著者の読んできたSF(未訳の洋書多数を含む)やCDを紹介する内容となっている。本との出会いはさまざまだ。ニューヨークやロンドン、ロス、サンフランシスコなど世界中の本屋で(仕事の合間に)収集した本、ホテルや機中で読まれた本、書庫の山の中から発掘された本が順不同に登場する。マイナーな作品やさまざまなB級SFは、SFマガジンでは名前すら出てこない。著者の興味は大方のSF批評家たちとは異なり、フォーミュラー・フィクションに向かう。フォーミュラー=定型的/悪く言えば類型的な小説は、しかしSFのようなエンターティンメントには不可欠な要素なのだ。大半の読者は、毎回異なるものを求めているわけではない。

 鏡明は1948年生まれ。本書のエッセイが始まった頃の雑誌「別冊新評」(1977年夏号)を開くと、SF第2世代新鋭作家として、横田順彌/山田正紀/かんべむさし/堀晃/山尾悠子/津山紘一らと並べて紹介されている。そういう位置づけでスタートしたのである。しかし、本職の広告ディレクター業が多忙になる。ACC賞クリオ賞カンヌ国際広告賞など名だたる広告賞を受賞、審査委員長まで歴任してきた。今では執行役員や関係会社の社長まで手掛けているのだから、時間があるわけもない。本書から、本業の様子は(世界中を出張して回るなど)極めて間接的にしか見えてこない。その合間に、これだけ膨大な本を読み/アウトプットできた点をまず評価すべきだろう(少なくとも後者は誰もできなかった)。ただし、本書単独で分からないことも多い。たとえば、1997年のSFクズ論争事件など、あったことすら読み取りにくい。何らかの編集部注釈や、レビュー対象の著作索引が欲しいところだ。

 

2010/3/28

 鏡明と同時期にデビューした(年齢的には7歳違う)、山尾悠子の掌編作品集。創作の単行本としては、長編『ラピスラズリ』(2003)以来となる。

 「ゴルゴンゾーラ大王あるいは草の冠」:蛙の王のもとに、蛇の女王が助言を与えに訪れる
 「美神の通過」:荒れ野を美しい女神が通り過ぎるという噂が流れる
 「娼婦たち、人魚でいっぱいの海」:海辺の娼館に出入りする水夫たちと人魚の存在
 「美しい背中のアタランテ」:アルゴナウタイ(アルゴー船乗組員)に参加できなかった俊足の女アタランテ
 「マスクとベルガマスク」:見分けのつかない美貌の双子の兄妹
 「聖アントワーヌの憂鬱」:聖者アントワーヌの前に、かつての弟子の姿をした悪魔が出現する
 「水源地まで」:すぐそこに見えているのに、はるかに遠い水源地に住む魔女たち
 「向日性について」:日向だけで活動できる人たち
 「ドロテアの首と銀の皿」:夫を亡くした若い寡婦が見る、首を皿に捧げた亡霊(『ラピスラズリ』の世界)
 「影盗みの話」:影盗みの正体を書いた赤い本の存在(『仮面物語』の世界)
 「火の発見」(2000):腸詰宇宙を通り過ぎた炎の顛末(「遠近法」の世界)
 「アンヌンツィアツィオーネ」(1999):さまざまな自分の見た守護天使の意味するもの
 「夜の宮殿の観光、女王との謁見つき」:幼いころの謁見を思い出す主人公の見たもの
 「夜の宮殿と輝くまひるの塔」(1999):宮殿にいる女王の奇怪な姿形
 「紫禁城の後宮で、ひとりの女が」(2003):紫禁城、後宮に住む纏足の女の物語
  *:年号未記入は未発表作

 2000年に出た『山尾悠子作品集成』に、それまでの短い作品は大半収められている。本書は、その後に書き下ろされた未発表多数を含むショートショート集である。ショートショートといっても、山尾悠子の場合、起承転結を持つアイデアストーリーではなく、風景を切り取ったパノラマ写真/静止画のようなものだ。曠野の上空に見える女神、荒れ果てた娼館、遠近感の失われた世界、冬の館の光景、上下方向に無限に続く階段世界、剣で貫かれた女王などなど。15編全部でわずか300枚足らず、その分量で小宇宙を現出させる手法は当初から変わっていない。函入り、硫酸紙に包まれたハードカバーという造本、再デビュー以来近影写真を公開しないなど、作品だけでなく外観を含めた徹底的なイメージ作りも効果をあげている。