2011/12/4

Amazon『オリクスとクレイク』(早川書房) 

マーガレット・アトウッド『オリクスとクレイク』(早川書房)
Oryx and Crake,2003(畔柳和代訳)

装幀:ハヤカワ・デザイン、装画:ヒエロニムス・ボス「快楽の園」部分

 2010年の12月に出た本なので1年遅れのレビューになる。本書は、1939年カナダ生まれの純文学作家マーガレット・アトウッドによる、未来を舞台とした《マッドアダム三部作》の第1部となる作品だ。

 遠くない未来、人々は遺伝子操作に関わる企業群に支配された社会に住んでいる。そこでは、最優秀な学生は企業による私設学校を経て、最高の待遇が得られるようになる。主人公には人文系の才能しかなかったが、友人クレイクの推薦でエリートたちの仲間に入る。そこで彼は、かつて幼児ポルノのフィルムで見た少女オリクスと出会う。

 さて、その後人類社会は、謎の疫病の蔓延により崩壊する。残されたのは、主人公と遺伝子操作で生まれた無垢な新人類たちのみ。彼らは主人公の言葉を神の恩寵と信じ、アダム以前の生活で生き残ろうとする。“遺伝子操作”と言っても、本書でDNAなどの科学用語はほとんど出てこない。遺伝子を通して人々を支配する社会(この場合、支配者が政府であるか企業であるかは関係ない)、そこから生み出されるものの意味について考察しているのである。
 アトウッドの作品としては、A・C・クラーク賞を受賞した『侍女の物語』(1985)、SFを含むメタ・フィクションとなるブッカー賞/ハメット賞受賞作『昏き目の暗殺者』(2000)、本書の続編ともなるThe Year of the Flood(2009)がSFサイドからも注目を集める作品だ。著者自身も、In Other Worlds(2011)という最新の著作(ノンフィクション)で、SFと自身との関係について述べている(副題も「SFと人間の想像力」である)。

 

2011/12/11

Amazon『マインド・イーター[完全版]』(東京創元社)

水見稜『マインド・イーター[完全版]』(東京創元社)

Cover Design:岩郷重力+WONDER WORKZ。Photo Complex:瀬戸羽方

 著者の水見稜は1957年生まれの作家で、1982年から89年までの7年間だけ活動する。その後執筆を中断し、本書[完全版]に至る22年間沈黙していた。しかし、連作《マインド・イーター》は、早川JA文庫版の出版(1984年)以来、当時も書評を書き、本書の解説もする飛浩隆のような信奉者を得て、忘れられることは無かった。そういう意味で、本書もまた東京創元社が再発見する一連の伝説に相応しい、日本SFのマイルストーンなのである。

野生の夢(1982):宇宙に進出した人類を待ち受けていたのは、その心を喰らい結晶化させる異界の存在だった
サック・フル・オブ・ドリームス(1982):ニューヨークのジャズハウスで出会うピアニストとサックス・プレーヤ
夢の浅瀬(1983):月の平原「夢の浅瀬」を調査する隊員が見た風景/聞いた音の正体
おまえのしるし(1983):マインド・イーター=M・Eから採取された、文字のように見える記号の意味とは何か
緑の記憶(1983):前線基地で育てられた植物たちは、鉱物的存在M・Eの存在を感知する
憎悪の谷(1983):行方不明の息子を探して、砂漠の果てにたどり着いた男が見たもの
リトル・ジニー(1984):ある種の自閉症に囚われた少女は、見たことのない海の光景に反応する
迷宮(1984):外宇宙を彷徨う巨大な輸送船内で、繰り返される生と死の迷宮

 当時大野万紀は、本書を「文化系のハードSF」と評したが、今日的な意味でハードSFとは言えないものだろう。小松左京『ゴルディアスの結び目』(1977)に着想を得たという言葉からは、小松流ハードコアとの関連性を感じさせるものの、本書を読み進めていくと、その方法論がまったく異なることに気付く。例えば「おまえのしるし」では、チョムスキーの“普遍文法”とマインド・イーター=M・Eの言葉をモチーフに物語が進むが、それはいつの間にか人に内在する心の問題へと深化する。「サック・フル…」以降の作品は、むしろ内宇宙の問題へと方向を変えていく。J・G・バラードに代表される1960年代ニューウェーヴの影響は、先月紹介した山野浩一のように直後に現れたものもあれば、飛浩隆《数値海岸シリーズ》のように30年を経て姿を見せるものもある。まるで本書で描かれたM・E症候群のようだ。実のところ、本書はその中間に現れた作品とみなせるのである。

 

2011/12/18

Amazon『リヴァイアサン クジラと蒸気機関』(早川書房) 

スコット・ウエスターフェルド『リヴァイアサン クジラと蒸気機関』(早川書房)
Leviathan,2009(小林美幸訳)

カバーイラスト:Pablo Uchida、カバーデザイン:渡邊民人(TYPEFACE)

 本欄をお読みになるようなディープな読者諸兄には、余計な情報だろうが、旧・ハヤカワSFシリーズ(当初ハヤカワ・ファンタジー)は、1957年のジャック・フィニイ『盗まれた街』に始まり、1974年のハリイ・ハリスン『殺意の惑星』で終わる318冊(17年間)の叢書だった。後のハヤカワ文庫のように分化しておらず、日本作家やファンタジイもないまぜとなった、日本SFのエキスとでもいえる内容だった。だから、74年にシリーズが終わると、続刊を求める声が高まった。1970年スタートのハヤカワ文庫は、ヒロイック・ファンタジイ+スペースオペラの専用文庫だったからである。1年後、1975年にカート・ヴォネガットの処女長編『プレイヤー・ピアノ』から、俗に言う「青背」(背表紙の色が青なら本格SF、従来路線は白)が出るようになる。SFシリーズが担ってきた役割を、文庫も兼ねるようになったのである。ただし、現在のハヤカワ文庫SFは、内容を問わずほとんど青背になっているので、当時の色によるジャンル分けはもはや意味を持たない。
(注:当初記述でSFシリーズ終了を73年と記載していましたが、正しくは昭和49年=1974年です。それに合わせて本文を訂正しています)

 少年少女が主人公。平民生まれの15歳の少女は、大英帝国の飛行士になりたくて男性と偽り、士官候補生たちに潜り込む。少年はオーストリア=ハンガリー帝国の公子。両親がサラエヴォで暗殺されたことから、国内外の政敵に皇位継承者として狙われる。彼らは偶然スイスの山中で邂逅する。異世界の第一次世界大戦が舞台である。異形の人造生物を兵器とするダーウィニスト(英仏露)とメカ兵器のクランカー(独墺)が対決するのだ。

 さて、ハヤカワSFシリーズの歴史的背景から考えると、バチガルピ『第六ポンプ』なら分かるが、『リヴァイアサン』が37年ぶりの復活第一作となる意義がちょっと分かり難い。予定調和を絵で描いたような展開ながら、クトゥルーの怪物対蒸気トランスフォーマー対決みたいなヴィジュアルが楽しく(キース・トンプスンによる細密な挿絵入り)、ドラゴンが実在するナポレオン戦争という《テメレア戦記シリーズ》とも似ている。実は、旧シリーズ劈頭の『盗まれた街』も映画化直後の翻訳だった。最初の映画はドン・シーゲル監督により1956年に公開された。日本では劇場公開されなかったというが、話題性は考慮されたはずだ。そういうこともあって、新生SFシリーズの初回に、映像イメージ豊富な本書が充てられたのだろう。著者のスコット・ウエスターフェルドは1963年米国生まれで、著作が18冊ある中堅作家。そのうち2シリーズの5作は邦訳もある。大人向け初期作では、フィリップ・K・ディック賞(2001年の特別賞)を取った作品もあるが、ブレイクしたのはヤングアダルト向けで、本書を含む《リヴァイアサン・シリーズ》だろう。ローカス賞(ヤングアダルト長編部門)、オーストラリアのSF/ファンタジー賞であるオーリアリス賞(ヤングアダルト長編部門)を受賞し、仏独伊各国でも翻訳されている。


2011/12/25

Amazon『都市と都市』(早川書房) 

チャイナ・ミエヴィル『都市と都市』(早川書房)
The City & The City,2009(日暮雅道訳)

Cover Illustration & Design:岩郷重力+N.S

 毎年翻訳されるミエヴィルだが、本書はヒューゴー賞(バチガルピ『ねじまき少女』と同時受賞)、世界幻想文学大賞ローカス賞(ファンタジイ長編部門)クラーク賞英国SF協会(BSFA)賞を受賞した代表的作品である。ミエヴィルとしては最高に評価された長編だ。ファンが投票する、ヒューゴー賞(コンベンション参加の一般ファンが投票する)での受賞に注目する必要がある。難解で玄人受けというお話ではないのだ。
(注:世界幻想文学大賞をヒューゴー賞と同様に記述していましたが、同賞はノミネーションのみ参加者が投票し、審査員が最終決定するという仕組みのため、一般ファンの賞から外しました。また、ローカス賞は定期購読の読者なら誰でも投票可能なので、一般投票に近い賞になります。ご指摘ありがとうございます)

 都市と都市とが重なって存在する。それも異次元/別時間で重なっていたり、地上と地下とで二重化されているのではない。住人の取り決めだけで“お互い見えない”ことにしている都市だ。その取決めは徹底され、相手を見るだけで罪となる。2つの都市は言語や習俗、政治、警察機構まで何もかも異なるが、地理的には同じ位置を占めている。そこで、両都市にまたがる殺人事件が起こる。これは通常の殺人なのか、都市の不文律を犯した重要犯罪なのか。

 ファンタジイとミステリ、SFとの境界にある作品。技量があるからこそ掴めた設定で、誰でもが書けるものではない、とマイケル・ムアコックは英国の新聞ガーディアン紙の書評で述べている。実際、カルヴィーノ風寓話とは対極にあるハードボイルドなミステリタッチにより、リアリティに乏しいファンタジックな2重都市を描き切るのは並大抵ではないだろう。主人公(警部補)は、旧ベルリンのような物理的な壁ではなく、心理的な壁=障壁に重圧を感じながら、境界線に隠れる殺人犯を追う。架空都市での犯罪捜査ものでは、シェイボン『ユダヤ警官同盟』などがあるが、それと比べても異色の設定である。犯人は2つの都市のどちら側に存在するのか、その確率は、シュレーディンガーの猫の量子論に似ている。ただし、都市の隠された正体解明を期待した人には、ちょっと曖昧な結末かも知れない。