2012/3/4

野尻抱介『南極点のピアピア動画』(早川書房)


Cover illustration:KEI、Cover Design:岩郷重力+Y.S


 野尻抱介のオムニバス短編集である。独立した短篇が互いに関連し合いながら、全体として1つの物語を構成している。2007年以来、5年ぶりの著作。ニコニコ動画やボーカロイド・初音ミクを題材にとった内容や、ドワンゴの川上会長の解説などが大きな話題を呼んでいる。舞台は10年後の日本とされているのだが、本書で書かれているものは、実は明日の物語ではない。今現在「ここにある未来」がテーマなのである。

「南極点のピアピア動画」(2008/4-5):極に吹き上がるジェットに乗って、低出力の民間ロケットが宇宙を目指す
「コンビニエンスなピアピア動画」(2010/2):コンビニで発見された蜘蛛の糸から、宇宙エレベータが萌芽する
「歌う潜水艦とピアピア動画」(2011/8):払い下げられた退役潜水艦が、クジラ調査の過程で異星人を発見する
「星間文明とピアピア動画」(書下ろし):世界に広がりたいというロボット宇宙人の願いを実現する

 月に彗星が衝突、流出した水蒸気の雲により地球の極にジェットが吹き上がる→低出力の弾道ロケットでも宇宙に到達可能になる→オープンソースハードウェア(フリーのハード設計図/仕様書を指す)とネットを駆使したロケットシステムの誕生→コンビニの店頭に巣食っていた蜘蛛を宇宙に打ち上げ、蜘蛛の糸から宇宙エレベータが誕生→海底に眠っていた宇宙文明と遭遇→現在の政治体制を越えて、異星文明が世界に満ち溢れる(それは小隅レイ=初音ミクの姿をしている)…
 これらを実現するキーワードは、ニコニコ動画や初音ミクのコミュニティを熱烈に支持する技術者たちや、政府のどんな機関よりも効率的なコンビニシステムである。ロケットを安価に運ぶホワイトナイトカムイロケット、本書に書かれている日常/情報インフラ自体は、ほとんどが既にあるものだ。「ここにある未来」とは、そういう意味である。加えて、宇宙耐性を持った蜘蛛、ミクの姿をした宇宙人(表紙のイラスト)や、10年後にはニコニコ/初音ミク世代が要職に就いていて、ミクさえ掲げればどんなプロジェクトでも賛成などの、「周到なご都合主義/ギークのユートピア」が設けられている。すべてを個人の信頼ネットワークで繋ぐ考え方は、功利的な社会では決して明るい未来はこないという、作者の人生観を絡めた信念に基づいている。妄想(衆愚を増長させる危険思想)と見るか、理想(Web民主主義)と見るかは、読者の姿勢によって異なるだろう。
 ところで、小隅レイはもちろん、小隅黎=「生涯一SFファン」故柴野拓美のこと。コズミック・レイ(宇宙線)から採られたペンネームである。


2012/3/11

 萩尾望都(1949-)の対談集である。著者が20代後半だった35年前、1970年代後半の3年間に各誌に掲載された個別の対談を集成したものだ。昨年出た『音楽の在りて』(イーストプレス)が、1977年から80年にかけてのSF小説(大半が『奇想天外』誌掲載)の集成だったので、同じ時期のものといえる。本書の中でも、手塚治虫との対談などで小説に対する言及がある。ただし、著者が集中的に小説を書いたのは、この時期に限られる。

手塚治虫(1928-89)「SFマンガについて語ろう」(1977):萩尾作品のお手本となった手塚とのSF作家談義
水野英子(1939-)「私たちって変わり者かしら」(1976):少女マンガ確立の黎明期にあった二人の立ち位置
石ノ森章太郎(1938-98)「SFの話は延々尽きない」(1977):『サイボーグ009』など萩尾作品のSF原点を語る
美内すずえ(1951-)「親愛なるモー様へ」(1978):同年代である2人が語る少女マンガ家の日常
寺山修司(1935-83)「月で修学旅行の案内係」(1977):寺山の個性で語られた萩尾インタビュー
小松左京(1931-2011)「絵の理想型とは?」(1977):小松の薀蓄で語られるマンガや小説へのこだわり
手塚治虫+松本零士(1938-)「マンガ、SF、アニメーション」(1978):手塚作品の松本作品に対するインパクト
羽海野チカ「全部、萩尾作品から学びました」(語りおろし):萩尾作品を手本にした新世代からの作品分析

 1977年に萩尾は最初の少年週刊誌(「少年チャンピオン」)連載として、光瀬龍原作の『百億の昼と千億の夜』(〜1978)を開始している。当時は、竹宮恵子や著者のSFの他、大島弓子、三原順のような幻想性の高い少女マンガが、特に男子大学生の間で流行っていた。難解な宗教/哲学的テーマも含まれる『百億…』のマンガ化には、マニア以外の一般少年雑誌の読者に、自らの作品を幅広く知らしめる意図があった。萩尾自身もSF界、マンガ界から非常に注目されていた。インタビュー集でありながら、インタビュー「している」というより、「されている」雰囲気が強いのにはそういう理由がある。以降、萩尾望都は根強いファン層に支えられて、よりファンタジイの領域に踏み込んだ作品を出していく。後に『バルバラ異界』(2006)で第26回日本SF大賞を受賞しているが、その頃にはもう一般的評価は確立していた。
 手塚が萩尾の20年先輩だったのと同様に、本書も最後は萩尾から20年後の世代、羽海野との対談で締めくくられる。感覚的な対話ではなく、技術面にも踏み込んだ内容であり、マンガ技術の世代間継承が窺えて興味深い。


2012/3/18

神林長平『いま集合的無意識を、』(早川書房)


カバーデザイン:コードデザインスタジオ


 まず、表題作が特異な書かれ方をしている。既に死者である仮想の作家と、フィクション内の登場人物である作者とが議論を交わすという作品なのだ。仮想の作家は想像力の停止を物語の中で語り、一方現実に生きる作家は、リアルに対抗できる唯一の手段こそフィクション/想像力であると反論する。ここで、死者=伊藤計劃、作家とは自身=神林長平なのである。著者にしては珍しく、ダイレクトな意見表明となっている。そもそも本作が掲載された「SFマガジン」(2011年8月号)は、伊藤計劃の特集号だったわけでもない。その冒頭に本作が置かれた意味を考える必要がある。

「ぼくの、マシン」(2002):少年期の深井零は、ネットワークに拘束された自分の端末を解放しようとする
「切り落とし」(1996):ネットワークへのダイレクト・ジャックインで犯人を捜索する謀殺課の刑事
「ウィスカー」(2000):学校で嫌われ孤立感を味わう少年が、奇妙な生き物ウィスカーを手に入れる
「自・我・像」(2007):奇妙な夢に悩む人工的に作られた仮想の自我と、それを監視する男たち
「かくも無数の悲鳴」(2010):〈地球〉に舞い戻った主人公が迷い込むゲームの迷宮
「いま集合的無意識を、」(2011):30年来SF作家を続ける主人公のモニタに現れた存在とは

 著者は1979年にSFマガジンの第5回ハヤカワ・SFコンテストでデビュー、本年で33年目を迎える。飛浩隆や円城塔ら、信奉者も多い。小説の単行本としては、『敵は海賊・短編版』(2009)以来3年ぶりとなる。同書の収録作が80-90年代中心だったことから、本書が事実上21世紀最初の短編集となる。著者は実験的な領域に大きく踏み込んだ作品を書き続けてきたが、本書では「ネットワーク」を単一化/無個性化の象徴と批判した作品が多い。グーグル、クラウド、巨大な世界標準SNSなど、21世紀社会はネットワークの利便性の上に成り立っている。しかし、そのため全人類の思想/知識も簡単に同一方向を向くようになり、想像力もまた多様性を失って枯渇する。各個人が考える必要がなくなるからだ。神林はそういった伊藤計劃が描くデストピアを、批判的に超えようとしているのである。


2012/3/25

伊坂幸太郎『PK』(講談社)


装幀:松田行正+日向麻梨子


 伊坂幸太郎の最新連作短編集。ここでPKとは、念動能力を意味する Psycho Kinesis とも、サッカーの Penalty Kick とも取れるようになっている。文芸誌「群像」や、アンソロジイ『NOVA5』に発表した中編3作からなる。大半は、震災前に書き上げていたという(著者は仙台在住で、震災前後の生活を綴った『仙台ぐらし』が話題になった)。もともとSF的な設定のミステリは多かったのだが、この作品は明確に“時間SF”と言って問題ないだろう。

「PK」(2011/5):サッカーの試合の命運を決めるPKと、そこに至る登場人物たちの運命のつながり
「超人」(2011/7):メールで指示を受け、未来に犯罪を犯す人物を予め抹殺すると称する青年の話
「密使」(2011/8):世界の破滅を回避するため、過去へと送り込まれる密使とは

 ワールドカップ出場をかけた試合はロスタイムのPKで決着がつく。しかし選手は、奇妙な八百長を持ちかけられていた。ある中堅作家は、編集者とは別の男から意図しない改稿を求められる。改稿しないと、未来に重大な異変が起こるのだという(「PK」)。それらの行為には、未来を正常化するための意図が秘められているのか。作家の息子はやがて大臣となり、若いころに助けた青年と出会うが、その青年はちょうどスーパーマンのように正義のための活動をしている。どこか分からない未来からの指令を得て(「超人」)。さて、これらエピソードの意味は、巻末の「密使」で解明される。時間改変は、明確な矛盾を孕むと、分岐した別の時間線が生まれる。しかし、微小な変化を積み重ねれば、我々の存在する時間線=我々の明日を改変することができる…。著者の唱える時間理論は、科学的というより、なんともユニークで諧謔的だ。そんな時間改変騒動に巻き込まれた登場人物たちの行動が、また悲哀を産むのである。