2014/6/1

 SFマガジンが100号ごとに企画している記念号、今回は700号目にあたる。高価な本ながら、毎回そうなのだが、一部の書店では在庫がなくなるほどの人気だ(毎月買わない人でも、記念号だけは入手したくなる)。100号ごとのテーマはオールタイムベストである。過去はオールタイムからの小説の復刻もあった。しかし、今回はエッセイ/レビュー/インタビュー/紹介記事など、「小説以外」を合計70編も(当時の紙面のまま)収めたのが最大の特徴となっている。

 SFマガジン創刊当時、日本には現代SF小説を作り出せる基盤がなく、作家や翻訳家、読者自体を養成する必要があった。その一つが、土台のインフラ整備として行われた叢書/シリーズや文庫の創刊、もう一つが海外SF紹介記事の充実だ。例えば、文献から説き起こした伊藤典夫の「SFスキャナー」は、後の時代の翻訳家を多く生み出す情報の源泉となった。大森望や中村融、山岸真らのセンスにはその影響が認められる。また新しい切口として、スリップストリームの小川隆やサイバーパンクの巽孝之らのリアルタイムな現場からの記事も印象的だ。

 SFマガジンの歴史を700号収録記事に基づいて図示してみた(ここで縦軸は5年単位の収録記事の数、横軸に各編集長の在職期間、青地白抜きでインフラ的事項、緑地白抜きで作家/作品関係の事項を示す)。福島・森編集長時代にインフラが整備され、今岡編集長時代にディック、サイバーパンクなどのジャンル外一般化、阿部・塩澤時代にイーガン/ハイペリオン、エヴァンゲリオン/グインサーガ、伊藤計劃/円城塔と、出版不況とも重なり合ったSFの冬から夏の時代への変遷がわかる(夏といっても、業界全体が良くなったわけではない)。世界SF大会が横浜で開かれた2007年は、柴野さんがアメリカの大会で日本開催を夢見た1968年から40年後のことだ。しかし、SF大会は変わらないかもしれないが、ベースとなるSFは大きく変貌した。例えば、神林長平のデビュー時(1982年)と作家30周年(2009年)のインタビュー併載など、その差異も良く分かるジャーナリスティックな編集内容となっている。

 

2014/6/8

 「SFマガジン創刊700号」と併せて出た傑作選の海外編(12作品収録)と、国内編(13作品収録)である。どちらも(記念号がらみなので)一流の作家陣を揃えている。前者は原著の発表順に各作家の代表的なシリーズ、受賞作、作家別特集から選抜。後者は(現時点で)単行本未収録のレアな作品を、コミック、エッセイを含めて収めたものだ。

 アーサー・C・クラーク「遭難者」(1947/83):宇宙から大西洋に落ちてきた生命との一瞬の出会い
 ロバート・シェクリイ「危険の報酬」(1958/60):賞金のかかった人間狩りで、追われる出演者の運命
 ジョージ・R・R・マーティン「夜明けとともに霧は沈み」(1973/92):霧の惑星に棲むとされる未知の生き物の正体
 ラリイ・ニーヴン「ホール・マン」(1974/76) :火星で発見された異星のテクノロジーを巡る顛末
 ブルース・スターリング「江戸の花」(1987/86):明治の世、落ちぶれた浮世絵師が視る火の魔物
 ジェイムズ・ティプトリー・ジュニア「いっしょに生きよう」(1988/97):探査船の降りた星には精神感応する植物がいた
 イアン・マクドナルド「耳を澄まして」(1989/96):疫病に満ちた世界、修道士のもとに感染者の少年が届けられる
 グレッグ・イーガン「対称(シンメトリー)」(1992/2012):軌道上の加速器に“四等価次元”空間が発現する
 アーシュラ・K・ル・グィン「孤独」(1994/96):未開の惑星で育った少女は、生地を捨てそこを故郷とする
 コニー・ウィリス「ポータルズ・ノンストップ」(1996/2010):何の変哲もない田舎町で知らない作家を訪ねるツアー
 パオロ・バチガルピ「小さき供物」(2007/13):環境汚染が蔓延し、遺伝子異常が日常化した社会での出産
 テッド・チャン「息吹」(2008/10):肺が機械的に交換可能な世界で、自ら思考の秘密を知ろうとする試み
 注:(原著発表年/SFマガジン掲載年)

 手塚治虫「緑の果て」(1963):(コミック)緑で覆われた惑星に着陸する探検隊の見たものとは
 平井和正「虎は暗闇より」(1966):主人公が立ち寄る場所では、なぜか残虐な事件が次々と発生する
 伊藤典夫「インサイド・SFワールド 下」(1971):(エッセイ)SFシンポジウムに参加した海外作家たちの素顔
 松本零士「セクサロイドin THE DINOSAUR ZONE」(1972):(コミック)恐竜時代に転移する能力を持つ男
 筒井康隆「上下左右」(1977):コマ割りされた4階建て20室の団地で、巻き起こるさまざまな事件
 鈴木いづみ「カラッポがいっぱいの世界」(1982):GS時代から遍在するグルーピーの会話
 貴志祐介「夜の記憶」(1987):異星の海で泳ぐ海棲生物と、地球の海で遊ぶ恋人たちをつなぐもの
 神林長平「幽かな効能、機能・効果・検出」(1995):遺跡の発掘現場から盗み出された遺物の正体
 吾妻ひでお「時間旅行はあなたの健康を損なうおそれがあります」(1998):(コミック)過去の自分を観察する旅
 野尻抱介「素数の呼び声」(2002):ガス巨星で素数通信する異星人とのファーストコンタクト
 秋山瑞人「海原の用心棒」(2003):未来、クジラの群れを殺戮する「岩鯨」に立ち向かうもの
 桜坂洋「さいたまチェーンソー少女」(2004):恋人を奪われた少女はチェーンソーを手に登校する
 円城塔「Four Seasons 3.25」(2012):時間の隙間を突きながら行われるタイムトラベル

 今回も、SFマガジン掲載月に合わせて、収録作品の図示をしてみた(ここで縦軸、横軸は先週と同様、青の棒グラフが海外作品、灰色が国内、オレンジの折れ線が海外原著の発表年を意味する)。21世紀以降がやや多く、2014年時点で知名度のある作家が中心になる(歴史的価値を重視した「危険の報酬」などは、この中ではむしろ例外だろう)。海外原著の中心は1980年後半から90年代にかけて、スターリング、イーガン、ウィリスといった流れだ。国内編は、他ではあまり採られない大家のコミック、紙面的に困難だった筒井康隆「上下左右」、貴志祐介の埋もれたデビュー作(ハヤカワSFコンテスト佳作受賞後の初掲載作品)など、珍しい作品を多く収録したのが特徴だろう。『日本SF短編50』や『日本SF全集』という、スタンダードな傑作選が出たせいもある。「SFマガジン」がオンリー/ロンリー・ワンで、時代の影響を受けながらも一定のペースを保てた翻訳短編に対し、国内は時期によって大きく中身が変わる印象を受ける。

 

2014/6/15

キジ・ジョンスン『霧に橋を架ける』(東京創元社)
At the Mouth of the River of Bees,2012(三角和代訳)

装画:緒賀岳志、装幀:岩郷重力+WONDER WORKZ。


 キジ・ジョンスンは1960年生まれの中堅作家。デビュー後26年間、編集者を含むさまざまな職業や創作講座の教師を務める傍らなので、著作は5冊のみと少ないながら、ヒュ-ゴー/ネビュラ/国際幻想文学賞と多くの賞を得ている。これまでは断片的な紹介のみだった。今回、その全貌が窺える初の短篇集が出た。原著は17編を収めるが、本書は多少の異同を含むオリジナル版。

 26モンキーズ、そして時の裂け目(2008):たった1ドルでもらい受けた猿たちのサーカス
 スパー(2009):遭難した宇宙飛行士は、不定形のエイリアンと密接につながりあう
 水の名前(2010):無言電話から漏れ聞こえる何かの音に憑かれた女子大生
 嚙みつき猫(2012):家庭不和に苦しむ少女が、保健所から引き取った猫の行動
 シュレディンガーの娼館(1993):箱を開けようとした主人公は、さまざまに変化するありさまに巻き込まれる
 陳亭、死者の国(1999):貧しい官吏の男に、死者の国での仕官が告げられるが
 蜜蜂の川の流れる先で(2003):大河のような流れを作る蜂の群れ、その源を探す旅
 ストーリー・キット(2011):小説を書く作者、その技法と、さらに書かれる小説が絡み合うメタフィクション
 ポニー(2010):少女たちが飼う、アニメに登場するようなカラフルなポニー
 霧に橋を架ける(2011):有毒な霧に分断された帝国の地域で、首都から赴いた技師により橋が架けられようとする
 《変化》後のノース・パークで犬たちが進化させるトリックスターの物語(2007):物語を語りだした犬たちの命運
 *冒頭の2短編を除き初訳

 原著がケリー・リンクのスモール・ビア・プレスで出ていることから見ても、作品の多くがジャンルを意識させない現代的な幻想小説であることが分かる。サーカスの猿、無数の触手を持つエイリアン、噛みつき癖のある猫、計り知れない蜂の群れ、ペガサスとユニコーンを合わせたようなポニー、霧を泳ぐ巨大な怪物、お話を創造する犬と、多くの作品で動物が登場する。しかし、どの生き物とも、主人公は本当の意味で交感することができない(人間同士の機微を描く表題作も、実は同じ結末になっている)。その空隙/断面こそが、キジ・ジョンソンの描き出すテーマなのだろう。ネビュラ賞受賞の「スパー」は、ティプトリーの「そして目覚めると、わたしはこの肌寒い丘にいた」(1972)とも共鳴し合う作品だ。異生物/全く異質のものに対する、人間として避けがたい本能/衝動を描いた異色作である。我々は理性的な意思だけで生きているわけではない。

 

2014/6/22

片瀬二郎『サムライ・ポテト』(河出書房新社)


装画:北澤平祐、装丁:川名潤(prigrahics)


 1967年生まれ。2001年にENIXエンターテインメントホラー大賞を受賞(『スリル』)してデビューするも、2011年の第2回創元SF短編賞で再デビューするまで10年の沈黙を経ている。当初キングの影響を受けてホラー的な作品を書いていきたいと語っていた著者だが、本書の作品はどちらかといえばSF指向といえるだろう。

 サムライ・ポテト(2012):駅ナカで、接客用に作られたキャラクタロボットたちに突然自我が目覚める
 00:00:00.01pm(2012):時間が限りなく静止してしまった世界、男はただ一人取り残されていた
 三人の魔女*:魔女というあだ名の付いた三人の中学生たちは、学校の中に奇妙な幻影を見る
 三津谷くんのマークX*:バイト青年が開発した自走ロボットが誘拐され、恐ろしい事件に巻き込まれていく
  コメット号漂流記*:スペースコロニーが破壊されるが、たまたま生存できた少女は意外な手段で敵に反撃する
 *書下ろし

 表題作は、菅浩江が書きそうなロボットものだ。ただ、菅浩江のロボットは、鏡のように周囲の人々の心情を撥ね返す存在なのだが、片瀬二郎はロボットの中に閉じ込められた自我を考える。時間の中に閉じ込められる「00:00…」、中学生の見る世界「三人の魔女」も実は閉じた世界なのだし、自身の欲求を解放するはずのロボットが邪悪な存在となる「三津谷くん…」や、「コメット号…」で主人公は宇宙空間のコンビニに閉じ込められているのだ。この“不偏化された閉塞感”が、本書のすべての作品を象徴しているかのようだ。

 

2014/6/29

チャールズ・ユウ『SF的な宇宙で安全に暮らすっていうこと』(早川書房)
How to Live Safety in A Science Fictional Universe,2010(円城塔訳)

カバーイラスト:朝倉めぐみ、カバーデザイン:渡邊民人(TYPEFACE)


 著者は、1976年カリフォルニア生まれ。両親は台湾人。理科系を目指すも弁護士となるが、書き溜めた作品が、さまざまな文芸誌に掲載され、2004年に出た初の短篇集で複数の文藝賞を受賞した。本書は、そんな著者の最初の長編になる。では、なぜ円城塔が翻訳するのかというと、本書が円城塔の小説の一部になっているからである。

 主人公はタイムマシンの修理工/サポートエンジニアだ。電話ボックスの大きさしかない閉鎖空間に閉じこもり、パラドクスを生じる時間の流れの中で補修作業を請け負っている。主人公の父親は、タイムマシン開発にのめり込む在野の研究者だったが、失意のあまり行方不明となる。そして彼は、重大なパラドクスである自分殺しのループに巻き込まれる。

 その小説というのが「松の枝の記」(2012)で、芥川賞受賞作を収めた『道化師の蝶』に収録されている。作品の冒頭で、本書のことがそっくりそのまま出てくる。「わたしは彼の翻訳者であり、」とあり、「一読、訳さなければと考えた」とある。お話では、でたらめに翻訳(英→日)をして出版、それを今度は逆に翻訳(日→英)と、まさに迷宮のようなループに巻き込まれていく。つまり円城塔の小説がチャールズ・ユウの翻訳なのか、チャールズ・ユウの小説が円城塔の翻訳なのかという、極めて現代小説風の螺旋状のフィクショナルな関係が、本書が出たことによって、ようやくリアル世界に顕在化したわけだ。