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《キノコ同定の意味》

 日本にいくらのキノコ同好会があるのだろうか。
 その数、数百とも千以上とも言われている(ほんの数人のサークルもあまた有り)が、はっきりしたことはわからない。キノコを趣味にするなんて異端のようにも思えるが、実のところキノコ人口は多い。
 そんなキノコの会へ参加すれば、まず間違いなく、ひととおり山を歩き、キノコの採取を行なった後で、「キノコの同定」をすることになる。
 採取したキノコのいくつかは、何々タケですね、○○タケの仲間ですねと解説が付きながら同定されていくのであるが、終盤に近づくにつれ、「これはひだが垂生であるが、ピンクがかってないので、何かなあ」などと、熱心な何人かのメンバーだけが盛り上がっているという光景となる。

 キノコの同定、すなわち自分の採取したキノコがどの属のどの種のキノコであるかを判別することは、いったいどれほどの意味があるのだろうか。また、どういう意味があるのだろうか。なぜかくも熱心に同定を行う人がいるのだろうか。

 同定することは、キノコのプロとアマチュアでは多少意味合いが異なると思う。
 キノコのプロ、すなわちキノコを相手に職として、つまり生活の糧(かて)を得るために活動する人にとって、キノコの同定は、糧を得るために避けて通れない道である。
 キノコを食材として山で採って売る者、キノコの薬用成分を探す者、キノコの毒を研究するもの、そして生物学の一貫としてキノコの同定する者さえ、基礎科学は応用科学の基礎である故、(応用科学は人に有益なものをもたらす)何か「役に立つ」という理由付けの上にプロの科学者として糧を得ているのだ。
 つまり、キノコを利用するという目的のために、手段としてあるいは途中過程として同定作業をするわけである。
 アマチュアでも「このキノコは食べられるか食べられないか」という目的があって同定をするのじゃないの、と言われるかも知れない。それはそのとおりだ。食用のほかにもキノコを利用するうえで、同定する必要に迫られている人は少なくないだろう。

 しかしアマチュア・キノコ・ファンにはそうでない人、つまり同定そのものが目的と化している者がいるではないか!

 批判しているわけではない。そういう人は実に合理的な理由がある。そのことに最近気づき、納得したうえで、自分もそうした者の一人だと安心した次第である。
 私も趣味としてキノコを始めたのだが、ついつい分類、同定に走ってしまう。日本キノコ協会では、あるキノコが食べられるか食べられないかを目的に同定会を催し、食べられないキノコはろくに観察もせず、まとめて捨ててしまうことを、強く批判する者がある。キノコをもっと全人格的に理解しよう、それを哲学的にもっと展開しようという主旨がある。
 そんな中では同定に走るものは、「注意」される。それでもやめないのがしぶといところだが。
 もちろん「食べられるか食べられないか」だけの会は底がしれていて、すぐに飽きがくるのである。
 しかし、食の可否に限らずもっとキノコを沢山見たい、知りたいと思っている者は多少はいて、彼ら(いや、私たち...かな)は実に熱心に同定をしているのである。

 思うに、同定を好むものは、キノコを同定し、その名前を確認することによって、自分のキノコ・コレクションに1品加えているのであろう。

 趣味の世界に、コレクションをするという事は多い。 切手収集、マッチのラベルから、ライターやレコードまで。それならばキノコの収集があってもいっこうに不思議ではない。
 ところがキノコはそのままの状態で保存できないから困る。 標本にすればたいがい実物とはかけ離れた色、形となり、収集の感激が萎(な)えてしまう。そこで写真やスケッチの登場となる。それでも写真やスケッチにそのキノコの特徴や、少なくとも名前がなければほとんど価値が無くなってしまう。
 かくして同定は不可欠である。そしてそのうち同定すれば最低自分のコレクションが1つ増えたことの確認になると思えてくる。
 スケッチも写真も標本も無くても、いつ、どこで、自分が採取したキノコが、○○図鑑の検索表で確認した結果、これこれしかじかの特徴を認めることが出来たので○○タケであったというメモさえあれば、コレクションが1つ増えたという自己満足が得られるのである。
 その一方、非常に似ていても少し疑わしければ別の種のキノコではないかと詮索を続けるようになる。なぜなら別種であればまたコレクションが1つ増えるからだ。

 だから、同定はキノコ・コレクターの目的そのものであって、コレクションそのものである。キノコを集めるものにとって趣味そのものであって、満足のいく面白いものである。したがって批判される筋合いのものでは無い。

 コレクションが増えるとやがてキノコ・コレクターはいよいよ新種を発見したくなる。ある種のキノコの周辺について、同定を極め前人未踏の高度な領域へ入っていく自負心がますますキノコへの熱をあおっていく。
 趣味として、今やアマチュアのキノコ学者にとってのみ許される特権でもある「キノコ・コレクティング」である。


《徒然菌 〜テングタケ〜》

 良く知られた幻覚性の成分を持つ毒キノコ。わりあいどこにでも生えていて、普通は無視されるか、気持ち悪がられるので誰も採らず、そこらあたりで容易に見つけられる。季節は5月から秋まで。神戸では松の多い雑木林でよく見かける。

 しかし、この夢見る成分は純度が低いのか、当たりが少なく、その向きの期待をしてはダメである。周りで耳にする話もことごとく「いい気持ち」になった人のことではなく、幻覚に至らず単に苦しんだか、せいぜい気味の悪い夢を見たという程度のことしか聞かれない。

 この毒が一方では、ハエによく効くようで、ハエトリタケの別名がある。煮て皿の上にでも置いておくとハエが寄ってきて舐め、死んでしまうという。イボテン酸という殺ハエ成分は、トリコロミンという旨味(うまみ)成分に化学構造が似ており、テングタケも食すると非常に美味しいという。乾燥などして食用にする地方もあるとの記述も見かけるがいったいどこの地方なのだろう。

 10年ほども前に観察会の後、テングタケを縦に裂いてアルミホイルで蒸し焼きにして毒見イコール味見をしたが、私はキノコの会に入門したばかりで遠慮した。食した人は口々にうまい! おいしい! 味の素のかかったようにうまみがある、などと口々に言っていた。

 ハエトリシメジというキシメジ科のキノコもハエを採る成分が含まれている。こちらはトリコロミン酸で、イボテン酸ではない。しかし、トリコロミン酸も悪酔いしたような中毒症状を呈することがあるので、食べすぎてはいけない。

 ベニテングタケもアカハエトリタケという別名があるという。同じくイボテン酸を含み、ハエを採る成分(人間にも有毒)が作用するためだ。やはり食すると美味しいということで、塩蔵や乾燥などにより保存し、利用する人がいる。しかし、ベニテングタケの方は、食べるにつれ蓄積し内臓に作用し、特に肝臓などがぼろぼろになっていくというから恐ろしい。テングタケにも同様の作用があると推測できる。

 いずれにしても「うまい話には気を付けよ」のとおりのキノコ毒である。

 もし、このうまみを体験してみたければ同じテングタケ属のタマゴタケなどを召し上がるのが無難でござろう。

 さて、テングタケの形に目をやってみれば、学名pantherinaの意味する豹紋の傘、すなわち粉々にちぎれた外被膜の名残が(特に中央部に多く)見られる傘が印象的である。

 しかし、何度となく、このいぼというか破片が、雨に流されて、つるつるになったテングタケを目にしている。一見ツルタケのように思えるが、近くでよくみるとささくれた柄にしっかりとつばとつぼが備わっている。

 この破片の形や量がかなり変化が大きいので、テングタケもさらにいくつかの種に分けられるのではないかという意見を聞いたことがある。

 私も観察する地域でだいぶん差があるように思っていたので、そうかもしれないという感じがしていた。しかし、最近では、同じ場所で何度もテングタケを見ていると、成長するにつれ、色、大きさ、傘の形や破片の量が著しく変化していくことがわかっている。

 そこで、別の種に分けられるというのは希望に過ぎないような気がしている。逆に個体差の大きな種であると言えるのではないだろうか。


《徒然菌 〜ベニテングタケ〜》

 アニメやおとぎ話しの絵本の挿絵にキノコが描かれるならば、ほとんど必ず登場するのが、このベニテングタケだ。実にめでたい紅白の色使いと、愛らしい丸い幼菌、あるいはのびやかなテングタケ型の子実体は美術・文学の題材としても好適であることは間違いない。

 私がこのキノコの出会うのは、年に1度。神戸を含む関西一円にはこのキノコは生えない。高地の気候・植生に出るベニテングタケは日本では東日本のキノコである。従って、信州方面へ秋に出かける、年に1度のフォレーが唯一のチャンスとなる。否、このキノコに出会うため出向いていくわけである。

 テングタケと同様、毒キノコでありながら食される場合もあるというこのキノコを、実は生まれて初めてこの9月に試食した。このキノコが「色の鮮やかなキノコは毒」という迷信の源であることは容易に推測できるが、キノコには迷信深い日本でも、このベニテングタケを誰もが食している村(現在の真田町)があるというのも不思議だ。

 塩で味付けされていたソテーは、その旨味の濃さが他の食材に見いだせないものであり、驚いた。パンに似合うおかずになりそうだ。

 ベニテングタケを見に行くには、いつも白樺林を目印に探しに入るが、そうした明るい森、いわゆるヨーロッパの森に似合う容姿を持ったキノコだと思っている。
 もう5年も前のことになるが、ドイツへ海外研修に行ったおりに、シュバルツバルト(黒い森)のバーデン近郊にあるシュロースホテル(お城のホテル)で、緑の鮮やかな前庭に点々とこのベニテングタケが咲いており、「本場のベニテングタケ」にしばらく動けなかった思い出がある。

 こうした陽気なイメージのキノコ(私だけかもしれんが)であるにもかかわらず、和名が「ベニテングタケ」であり、英語名も「蝿きのこ」とくるから何とも情緒の無いことである。最もアメリカでは高さ50センチにもなる個体もあるというから、可愛い幼菌のイメージだけがAmanita muscariaではないのかもしれない。


Copyright(c): Tomoyuki Nakashima 著作:
中嶋 知之

◆「妙なるキノコの話」の感想

*ネットエッセイ館は、ネット上で発表されている優れたエッセイを紹介するページです。
*「妙なるキノコの話」は、中嶋さんがオーナーの「妙なるキノコのページ」から3つのエッセイを抜粋して、転載させていただきました。
*作品中の写真も、中嶋さんのサイトで掲載されていたものを使用させていただきました。


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