主催者あいさつ  

  関根 徳男 ( ペンネーム 東栄 義彦)

* 栃木県田沼町(現 佐野市)生まれ                     
 電機会社のエンジニア、教師、そして今、思門出版会(本作り研究会)。

*道楽として、今までに30冊余の本を自費出版しています。
 目標:
自費出版100冊

*著作こそ知的生産活動の最たるものだと思います。
 このホームページをアマチュア作家の活動の場としていきたいと思っています。

*本作り、自費出版の希望がある方の相談にのっています。                       

      
    30代     40代    50代     60代  どこまで行けるか…


コメント

2019.02.11

新刊情報

2月11日発刊
「増補版 通史田沼意次 平成31年版」
20年間に渡る田沼意次研究の集大成です。

平成11年 「田沼の改革」 
オリジナル
平成19年 「通史田沼意次」 
大幅改訂
平成25年 「増補版 通史田沼意次」 
第4部を追加
平成31年 「増補版 通史田沼意次 平成31年版」 
第5部を追加

これで田沼意次研究を終了する予定でした。
ところが、昨年10月、某テレビ番組で「田沼の改革」が紹介されました。
テレビ局から、番組のDVDも送って頂きました。
まだまだ、意次の再評価が注目されているようです。
このところ郷土史レベルの研究が主体でしたが、あらためて日本史レベルでの意次顕彰をしていこうと思っています。

ところで、2月11日の誕生日をもって高齢者の領域に入ります。

2019.01.01
謹賀新年

蔵の中に、私が小学生から中学生時代にむさぼり読んだマンガ雑誌が保管されています。
東京オリンピックから高度成長期にかけてのもので、50年以上経過しています。
痛みが激しいので、思い切って廃棄しようかと思いましたが、読み返してみると惜しくなりました。
今、補修中です。その後のことは、思案中です。

少年マガジン 少年サンデー ガロ 等


興味のある方はご連絡ください。(TOPページにメールアドレスがあります)

2018.08.12
新刊案内。
「復刻版 天明鋳物資料集」

原書「天明鋳物資料集」は歴史研究家・丸山瓦全の研究成果を、S53に佐野青年会議所が編集発行したもので、天明鋳物の基礎資料として第一級のものです。
しかし、非売品だったため流通しておらず、入手困難な稀少本でした。そこで、広く天明鋳物研究に役立ててもらおうと復刻しました。


研究目的で使用の方に無償提供しています。

新聞記事へのリンク。



2018.05.14

倉にあった手動式活動写真機を整備しました。
フィルムも5本あり、映写も可能でした。
阪東妻三郎の「血煙 高田馬場」などから、おそらく昭和初期のものと思われます。





2018.04.06
新刊「天明鋳物と佐野史」や、私の活動について、ラジオ番組からオファーがありました。
栃木放送「とちぎヒーローズ」3月14日放送に電話出演。約10分間。
事前に知らされた質問項目に関して、下記のようなメモを用意していました。
(実際は番組のパーソナリティとの小刻みなやり取りで進行)

Q1 中学校社会科教諭から郷土史家になったきっかけは?
  歴史の授業で、江戸幕府老中の田沼意次の政治が1時間扱いでありました。田沼意次のルーツは、私の住む旧田沼町にあると言われ、町でも「田沼意次展」などを開催していました。授業用のネタ用に田沼意次や田沼家の先祖を調べているうちに、私の家も田沼家と血縁があることがわかりました。そこで、地縁血縁から田沼意次のことをさらに詳しく調べ、「田沼の改革」として自費出版しました。この本は、地元では評判になり、NHK「その時歴史が動いた」田沼意次編の参考文献になったり、TBSの歴史番組では取材を受け情報提供しました。
 実は、「田沼の改革」の出版をはさんで、2回ガンの手術を行い、長期の抗ガン剤治療もしました。その後も体調不良が続き、結局、53歳で早期退職することになり、以後は自宅療養しながら、郷土史の研究と執筆活動を行っています。

*(この現在の状況に関して、パーソナリティは「ぴったり人生に合っている」と表現してくれました) 

Q2 「天明鋳物と佐野史(佐野の歴史)」 天明鋳物をテーマにしたきっかけ? 田沼家は佐野家の一族で、佐野領内に本拠がありました。田沼意次や田沼家を調べていく上で、佐野全体の歴史も調べたわけです。その成果として、2年前に「下野の国 佐野氏の系譜」を出版しました。
・戦国時代、佐野家は下野の小さな国にもかかわらず、上杉謙信の度重なる侵攻にも耐え、小田原北条家にも一時は支配されますが独立を回復しました。さらに、中央の信長、秀吉、千利休などとも関わりが深いことがわかりました。その背景は何かと考えた結果、佐野の名産である天明鋳物だったのではないかと思い至りました。
・安土桃山文化の代表に「茶の湯」があります。天明鋳物の茶釜は、当時「西の芦屋 東の天明」と言われたように、茶道具の最高ブランドでした。天明鋳物を単なる道具でなく、時代を代表する文化として捉えると、下野の小さな国である佐野が、天下人たちにも一目おかれたという構図が描けるのではないかと思いました。

 

Q3 30冊以上の本を出している。今後取り組みたいテーマ?(放送では、この質問は省略)
・ある末期ガン患者の手記に「執筆療法」という言葉がありました。もう身体的には活動はできなくなったが、執筆活動だけは許されていると、亡くなるまで手記を書き続けたといいます。
・私もこの壮絶な生き方に感銘を受けて、残された人生を執筆活動に専念しようと思いました。これをライフワークとして取り組むためには、郷土の歴史を中心にしながらも、テーマはあまり固定せず、幅広くチャレンジしていくことだと思っています。むしろ、新たなテーマを見つけていくことが楽しみだという心境です。

 

Q4 「本を読みたい」という人は?  

・私のところに在庫がありますので、直接お問い合わせ下さい。 0283−62−○○○○       

・今回の「天明鋳物と佐野史」は田沼の河西書店にもおいてもらっています。

・代表作「田沼の改革」は、栃木県立図書館、佐野市図書館、栃木市図書館、大平図書館などにあります。




2018.03.01
新刊です。
「天明鋳物と佐野史」
(頒価 1000円予定)
(光って見えづらいですが、タイトルは銀箔です)


   目 次


一 天明鋳物の起源
二 歴史からみた佐野と藤原秀郷
三 天明鋳物というブランドについて
四 天明釜の歴史
五 狩野松栄による佐野昌綱肖像画
六 織田信長と佐野家の軍事連携
七 豊臣秀吉と天徳寺
八 千利休と天徳寺 
九 犬伏の別れの人間模様 
十 方広寺の鐘事件と天明鋳物
余談 松本清張が描く佐野と天明鋳物

 論文調のものなら、何とか書けました。
 資料収集1年→順次ワープロ化→一気に執筆2週間



2018.1.1
平成29年の成果
・短編小説(原稿用紙10枚 ゆきのまち幻想文学賞入選)
・エッセイ(原稿用紙3枚 三田文学掲載)
・自著出版なし。他の方の書籍出版プロデュース1冊。

このところまとまった文章が書けなくなっています。
中編の歴史小説に挑戦したのですが、途中で挫折しました。
司馬遼太郎でさえ作家も60歳が定年(限界)だと、以後、長編小説はやめ、紀行文などに移行したといいます。
私もその年齢を超えてています。

さて、今年は何をターゲットにしていきますか…。


          

2017.7.1
短編の文学賞に入選しました
1月1日に記した無人駅を題材にした作品です。
「無人駅の記憶」

最終選考に残ったという通知には、
「○月○日○時、大賞受賞者に電話します」
とありました。
当日、ドキドキしながら待ちましたが、電話は鳴らず、後日入選通知を受け取りました。
それでも、一時、作家気分を味わえました。

結果はネットで公開されています。

http://www.prism-net.jp/0y-yuki/y30-bungaku-syo/27_kekka.pdf
(ここで、PDFファイルが開けます)

作品が収録された書籍は、来年発刊されるとのことです。
(著作権を譲渡してますので、残念ながら、このホームページでは作品掲載できません。)
書籍が出ましたら報告します。



2017.01.01
謹賀新年

・昨年は歴史論文の書籍を2冊執筆、出版しました。
今年は、物語を書きたいと思っています。

・私の住む地域は、2駅に1つは「無人駅」です。
そこにたたずむと、様々な場面が断片的に浮かんできます。
無人駅、または地方駅を舞台に、何か描けないかと考えています。


吉水駅(この手前側に、あの珈琲音があります)


多田駅(桜の古木があり、春には見事な桜吹雪が見られます)




2016.10.01
新刊です。
佐野市が10月12日を「田中正造の日」として制定しました。
そこで、書き溜めていた田中正造関連の文書を冊子化しました。
『論稿 田中正造』 論文調です。





2016.04.15
新刊です。
「下野国 佐野氏の系譜」 (歴史研究)



新聞記事(下野新聞電子版)


2016.01.18

6年間、私が介護していた親族(叔母)が、暮れに亡くなりました。
家族がいないため、実家である私の家でお葬式を行いました。
半分喪中ですので、元旦のホームページ更新は控えました。

叔母は俳句をたしなんでおり、俳句集の3点ほど思門出版会で出したことがあります。
遺稿集を計画しています。


2015.10.10

最近、近所のたんぼ道を散歩しています。
毎日、40分かけて同じコースを歩いています。
それでも季節は景色を変えてくれます。
TOPページの夕焼けの写真はその一コマです。


2015.07.28

下記作品の全文(テキストのみ)を掲載しました。
ネットライブラリーの名にふさわしいように、最終的には私の全著作を一覧できるようにしたいと思います。

「甦る血脈・意次夢想」
「復刻…佐野宗綱記」
「増補版 通史 田沼意次」




2015.04.08
2年ぶりに単行本を発刊しました。
『荒城の記憶 ー唐沢復興記ー 』
唐沢山城の栄枯盛衰と、明治時代の復興を小説として描いたものです。
以前に執筆して
いた作に手を入れて、このたび発刊に至りました。




2015.1.1
気分転換にジオラマを制作しました。
LEDライトを灯した夜景を眺めていると、ほっとします。
これも創作活動?
実は、この仮想の街を舞台に短編物語でも執筆しようかと思っています



他の写真はここをクリック。



014.07.29
・1月1日にも記しましたように、現在、介護に専念しています。

・創作活動においては、集中力、思考力が持続できません。
短文や過去の作品の修正で、何とかやりくりしています。
こういう時期もあると割り切ることにしました。

・本ホームページを通じ知り合い、情報交換等してきた皆様。
しばし、お暇(いとま)致します。



2014.01.01
あけましておめでとうございます。
親族の介護で時間と精神的な余裕が得られない状況になりつつあります。
その中でも、短編の歴史小説を2つ書き、投稿しました。
やはり、好きな歴史ものを中軸に活動していくのが合っているようです。



013.06.14
新刊情報  『増補版 通史 田沼意次』

田沼家・田沼意次研究の集大成です。
平成19年発行の『通史 田沼意次』の内容を一部修正し再掲載。
それ以後の研究3件を加えました。
東日本大震災で破壊してしまった田沼家墓所の顛末が最新情報です





2013.05.03
新刊情報。
おそらく最初で最後となる児童文学・SFファンタジーを書籍化しました。
実は小説を書き始めたころの作品です。
5年以上にわたり書き直してきましたが、ここらで書籍としての命を与えようと思い切りました。
『サイバー・シティへようこそ』東栄義彦 思門出版会
(私家版です)

  私的には表紙の色が気に入っています。



2013.1.1

あけましておめでとうございます。
現在投稿中の作品は、小説2点、エッセイ2点、歴史論文1点。
その決着が付くまでは、文章を書く意欲が鈍りがちでしたので、下記のようなデザインを始めました。
しばらくは、12.7の部分に追加していく予定です。


2012.12.7

最近、急に思い立って写真加工、切り絵、コラージュ、筆絵等の修行を始めました。
本の装丁のためです。
一応、これでも思門出版会のチーフ・デザイナーですから…。
(習作を何点か提示します。TOPページの図も習作です。)
  

 



2012.3.4

『復刻 津布久・川久保写本 佐野宗綱記』出版

地元では幻の書とされている『佐野宗綱記』の写本が偶然手に入りました。
半年かけ、古文書を復刻し、現代語訳し、考察したものを私家版として出版しました。
序文を掲載します。
↓ 表紙写真をクリックしてください。

                   写本表紙


2012.1.1

謹賀新年

昨年の主たる活動
・「高瀬伝・土の城」出版
久しぶりにプロの出版社から出し、全国流通しました。

・原稿用紙数枚程度のエッセイを書き始めました。
(その中の1点を掲載してあります)

・講演では、初めて癌をテーマに話しました。
(今までは歴史もの中心)

今年の方向
・「高瀬伝・土の城」で、地元関連の歴史ものは一段落つけようかと思っていました。
ところが、出版後「佐野宗綱記」の写本が手に入りました。
まだ、このテーマを続けよとの啓示かと思います。
地道な郷土史研究と、そこからヒントを得た創作活動(歴史小説)を並行させようと思います。

・古書の整理
蔵に明治から昭和初期にかけての古書がかなり眠っています。
全て陰干し、修復した後、表紙を写真撮影して蔵書リストを作っておきたいと考えています。



2011.10.9
たまには こんな話題も:
タヌキ出没

晴耕雨筆(読書、執筆)の生活中です。
旬の野菜を自給しようと、自宅菜園の他、妻の実家の土地も借りて耕作地を拡大しました。
実家は佐野市山越(やまこし)という場所です。
山を越えなければならない場所ではないですが、小高い山が近くに迫っています。
昨日、野沢菜の種を蒔いた後、栗拾いをしていると、猫くらいの小動物がこちらを見ているのに気づきました。
タヌキです。
田舎に住んでいますが、野生のタヌキを見るのは初めてです。
大急ぎで車からデジタルカメラを取ってきましたが、まだいました。
その写真を掲載します。





撮影後、姿を消しましたが、後に取り残した栗を食べに来たと思います。



2011.7.23

地元新聞に『高瀬伝・土の城』の記事が載りました。
電子版のURLは下記の通りです。


http://www.shimotsuke.co.jp/news/tochigi/top/news/20110722/570660


2011.7.1

新刊案内・

『高瀬伝・土の城  ー戦国の世を終わらせた男』東栄義彦 郁朋社

久しぶりにプロの出版社から出しました。
帯の文
「下野佐野の片田舎に高瀬紀伊守という
合戦では傷一つ負わない、強運をもつ、道楽者の武将がいた。
偶然か必然か、彼は小田原城内で
戦国の世を終わらせる場に立ち会うこととなる」


全国書店から取り寄せできます。
インターネット書店でも可。
地元佐野市の一部書店にはおいてあります。


よろしくお願いいたします。


2011.1.1

 あけましておめでとうございます。

久しぶりに作品(短編「大晦日のクリスマス・キャロル」)を載せました。

昨年後半、水嶋ヒロ(芸名)「KAGEROU」の小説大賞受賞は、衝撃でした。
文芸作品は投稿することで鍛えていこうと考えていた私にとって、良い意味でも、悪い意味でも教訓となりました。
作品は発売日に読みましたが、一小説としてはともかく、大賞に値するようなものでないことは、世評通りだと思います。
投稿作品は、内容以外に、作者自身の要素も大きいことを再認識しました。

さて、私の方針です。
余計なことを考えずに、書き続け、投稿し続け、評価を受けながら、作品を磨いていくことです。
最終的には、思門出版会で出版できますから、作品が完全に埋もれることはありません。
思門出版会の代表(私自身です)が保証してくれますから、安心して創作に打ち込めます。

没原稿をお持ちの同志のみなさん。
宝を埋もれさせずに、本という形にしてしまいましょう。
そして、また、次の原稿に向かいましょう。





2010.9.13

1.6月に田沼意次、池波正太郎に関する講演を2件行いました。
  
日光(鬼怒川)、栃木市(大平図書館)
  2つとも、市外でしたが、10月には佐野市内で行います。

2.新しく歴史小説を執筆しました。
「高瀬伝・土の城  ー紀伊守の決断ー」
(どこかに有ったようなタイトルになってしまいました。
初題は「高瀬紀伊守の決断」)
構想1年余、執筆・推敲2ヶ月。9月上旬完成
*歴史文学賞に投稿しましたので、詳細は述べられません。

3.佐野市の「町会のお宝・人物編」に登録されました。

  


1.昨日、長女の大学卒業式に行ってきました。
4月からは社会人として巣立ちます。
ホッとすると同時に、一抹の寂しさがあります。

2.3月4日発刊の「週刊 池波正太郎の世界」に拙文が掲載されました。
出版社から依頼されたものですので、落選、ボツはないはずなのに、現物を見るまでは落ち着きませんでした。
「全国デビュー」です。

3.3月8日の栃木県立高校の入学試験問題
・社会科・歴史の問題
「田沼意次財政再建策の特徴を、年貢と商人の二つの語を用い簡潔に書きなさい」
・模範解答例
「田沼意次の政策は、年貢による収入に頼るばかりでなく、商人の力を利用して収入を増やすものであった」
 私の知る限りでは、田沼意次の財政再建が出題されたのは初めてのことです。


2010.1.1
謹賀新年 
今年もよろしくお願い致します。

執筆情報

短編小説「大晦日のクリスマス・キャロル」
地元新聞の新春文芸で佳作になりました。
今朝の新聞で知りました。
「めでたさも 中くらいなり」
といった処ですが、まずは幸先のよいスタートです。

「週刊 池波正太郎の世界」(朝日新聞出版社)に執筆
3月発刊予定の第12巻に田沼意次に関して書きました。
A4で2頁。カラー図版入り。
(下記11.01の件が具体化しました)



2009.11.01

かなり知名度のある出版社から、原稿依頼がありました。
編集者が東京から、栃木の拙宅まで訪ねてきてくださり、打ち合わせをしました。
全国発売される雑誌の一部に、私の文章が載りそうです。
既に原稿を渡し、1回手直しをして、現在はゲラ待ちの状態です。
詳細は、出版が確実になった段階で述べます。

「自称作家」から、「作家」へわずかながら前進したようです。



2009.7.30

今までは、自分の作品の執筆と自費出版を中心にしてきました。
今後、他の方々の出版も積極的に応援していきたいと思います。
執筆段階から出版に至るまでの相談です。
自称ブック・プロデューサー(本つくり人)。
これなら生涯現役でいられます。

歌手の川村カオリさんが亡くなられたのを昨日知りました。
吉田拓郎さんは、最後の全国ツァーに臨んでいたのに、力尽き断念したとのこと。
癌宣言した人の動向は、やはり気になります。
やや落ち込んでいた気持を奮い立たせるために、ブック・プロデューサー宣言をしました。

ブックプロデューサーにふさわしいように、書斎をコーディネートしました。
表紙の写真はその一部です。
その場にふさわしいように本を配置する。
空間を本で演出する。
いわゆるブック・コーディネーター。
こんな仕事も、いいかもしれません。



2009.6.3
『甦る血脈・意次夢想』の書籍が今週末には完成します。
その情報を掲載しました。


*自費出版書籍を頒価でお譲りする件も掲載しました。



2009.5.6

*現在、午後4時。
10年前、2度目の手術が終了した時刻です。
これで、
完治宣言できました。 
心新たに、人生後半のスタートをきります。

*投稿経過
 現時点で、『意次夢想』が三田文学新人賞・予選通過が最高です。
やはり、新人というには年齢がいきすぎているようです。
今後、一般の文学賞への投稿は継続しますが、さすがに新人賞からは撤退しようと思います。

*出版予定
 『甦る血脈・意次夢想』を自前の思門出版会から出します。
初の小説仕立ての作品です。(2作)
論文的歴史小説というジャンルを勝手に作りました。



2009.1.1

謹賀新年
下をみると2回前の更新が昨年の元旦のようです。
この一年間で、4作ほど小説を書きました。
新人賞へ投稿もして、現時点では没ばかりです。
ただ、今年の5月6日をもって、ガンのの完治宣言ができます。
それまでは、ひたすら執筆を続けるつもりです。

その後は…!




2008.4.6
菜の花が咲き、桜が満開になっています。
それでも、日中は書斎に籠もることが多くなっています。
ついに、禁断の小説に手を染め始めました。
しかも、商業誌の新人賞への投稿を目論んでいます。
i
つでも自費出版できるという安心感が、質の低下につながることを懸念したからです。
しばらく、真剣勝負をしてみます。



2008.1.1
明けましておめでとうございます。

「私家版 関根・高瀬家の系譜と田沼意次」
が1月中に完成予定です。
自分のルーツを探る旅は、これで一段落にして、
今後は、本格的に創作活動に取り組みたいと思っています。




2007.11.27
*「ALWAYS 続 三丁目の夕日」
映画を見てきました。
茶川(ちゃがわ)竜之介が三人で暮らせるためにと、芥川賞に再挑戦するのが主テーマだと思います。
前作は、何と言っても昭和30年代の情景が懐かしく、ストーリーはあまり気にしませんでしたが、今回はストーリーが素晴らしく不覚にも涙ぐんでしまいました。
執筆に没頭する茶川と、それを見守る周囲の人びとの姿をみて、私自身の執筆への意欲も甦りました。
現在抱えている4つの構想の仮テーマで、パソコンのディスクトップにファイルをつくり、いつでも書き込める状態をつくりました。
そして、このホームページで執筆再開を宣言することで、怠け心を封じようと考えました。

(なお、「…三丁目の夕日」の制作プロダクションは「ROBOT」といいますが、親戚の息子さんがその会社に勤めているそうです。
私も将来は、田沼意次の映像化を夢見ています。)

*今回の更新
・表紙写真は珈琲音マスターがチベットに行った時のものです。
掲載許可は数ヶ月前にもらっていたのですが、更新が遅れ今になってしまいました。
(なお、マスターはその後アフリカの3カ国にも行ってきました。…)

・「いもフライ・ラーメン」は、エッセイなのか、企画書なのかよくわかりません。
あまりジャンルにこだわらず、量にもこだわらず、今後も思いついた文章を載せたいと思います。



2007.9.1 
*「通史 田沼意次」ベルリン国立図書館へ
神田・神保町の古書店から「通史 田沼意次」購入依頼がありました。

田舎の自費出版本をなぜ?と経緯を尋ねたところ、ベルリン国立図書館からの依頼だというのです。
「通史 田沼意次」は日本の国立国会図書館へ納本しましたから、日本全国書誌に登録されています。
日本全国書誌は世界中の図書館にも渡るので、ベルリン国立図書館の司書の方がそれを見たのだろうとのことでした。
自費出版本なので、通常のルートでは入手できないので、古書店に問い合わせたのではないかと思います。
その神田の古書店は、創業100年の老舗で世界中の図書館、大学、研究所とも取引があるとホームページにありました。
古書店には定価より少し安い値段で販売しました。

今、「通史 田沼意次」の1冊がベルリンにあるのかと思うと、感激です。

「田舎に居ても、世界的な仕事を」と夢見ていましたが、1歩踏みだせたようです。

*大平町で田沼意次関連の講演会
9月22日(土)14:00〜16:00
大平町立図書館で、「田沼意次の虚像と実像」という題で講演を行います。
佐野市以外の地で、意次の講演は初めてです。


2007.7.7
 宿命
『通史 田沼意次』を5月に出版しました。
意次に関しての著作は、『田沼の改革』がすでにありましたが、
新しい発見を加え、通史として書き直しました。
新発見とは、私と田沼意次は、血縁関係にあったことです。
詳細は、「田沼意次のルーツをさぐる」を見てください。

このことは、昨年、関根本家の系図を見て気づき、
田沼本家が興した西林寺蔵の田沼系図と照合して確認しました。
私が田沼意次に惹かれ、調査、著述をしてきたのは宿命だったのかもしれません。
そして、大病を経ても生かされ、時間ができたのも宿命のような気がします。

今後、田沼意次と田沼家の名誉回復と顕彰がライフワークとなりました。



2007.4.1 新たな旅立ち
*3月31日付で、17年間勤めた教職を卒業しました。
 いろいろ要因はありますが、第一は健康上の問題です。
お世話になった方々に、お礼申し上げます。

*今までのしがらみをリセットして、当分は療養に努めます。
 その環境の中で、やりたいこと、やれることを頑として貫いていきます。

2006.8.1
ぼくの夏休み。
体調がすぐれません。
ちょっと長めの夏休みをとります。
このホームページの更新もちょっと一休みします。

2006.7.1
自宅庭のツゲの木に、野鳥が巣を作り、ヒナが4羽孵りました。
高さ1メートルくらいでしたもで、親鳥がいないときには、のぞき込むのを楽しみにしていました。
ところが、猫もこの巣を見つけ、ヒナを2羽獲ってしまいました。
それに気づいた後、ツゲの木の周りに囲いを作り、猫を見かけると追いとばしていました。
親鳥も猫を恐れてか、時折餌を運んでくるだけです。
私たち一家が、ヒナを守って猫との攻防戦を1週間以上続けました。
それでも、朝気がつくと巣は空になっていました。
親鳥2羽が、高い木の上で盛んに鳴いていましたので、親が連れて行ったわけではなさそうです。
結局、猫にやられてしまいました。
猫には首輪がついていましたので、飼い猫です。それでも、野生の本能はもっています。
ヒナを猫が襲うのは、自然界の摂理でしょうか。人間がどこまで介入すべきか迷っている間に決着がついてしまいました。
今回の、表紙ページの写真は、2羽になったときのものです。
覗き込むと、親と勘違いして、餌をねだって首をのばしていました。

十数枚の写真が残りました。
今回は、身近な話題でした。


2006.6.1
5月20日、「佐野市民文化祭」の歴史講座の1つとして、田沼意次に関する講話を行いました。
持ち時間は、何と2時間。
そこで、拙著『田沼の改革』を参考文献の1つとして制作された、NHK「その時歴史が動いた・田沼意次」のVTRを見てもらいました。
これで、約40分間。
自己紹介を含めて、導入で10分間。
パソコンのプレゼンテーションソフトを駆使し、40枚の画像を映しながらの講話が50分間。
質疑で10分間。
途中休憩が10分間。
これで、2時間。
いざ、臨んでみると、あっという間でした。

1月に依頼を受けて以来、少しずつ準備を進めてきましたが、田沼意次に関し整理し、新たな課題を見つけるよい機会となりました。

「田沼発の田沼意次像」を、ライフワークにしていく決意がつきました。



佐野・城北地区公民館にて(60名以上の方が集まってくれました)

2006.5.1
*通勤時間、徒歩2分半。
歩いて仕事に行けるという、理想的な状態です。
母校とはいえ、環境の変化から心身の疲労はピークですが、この通勤環境に救われています。
ゴールデンウィークは、休養に努めます。


*長男が春休み(2月末〜3月末)の1ヶ月間、タイに入ってきました。
自転車でまわるというので、待つ身としては実は不安でいっぱいでした。
でも、帰国後送ってきた現地で撮った200枚ほどの写真を見ると、いい経験をしてきたなと感心しました。
ホームページ表紙の写真は、その中の1枚です。いずれ整理して、掲載します。
家を離れてから、急激に成長していく我が子を嬉しく思っています。
(今回は「親バカ」モードで書きました。以前、ショートエッセイで述べたように、「バカな親」でなく「親バカ」は、子供を伸ばすこともあるのです。)



2006.4.1
この4月から母校に異動になりました。

「ヤンキー母校に帰る」「ヤンキー母校に生きる」を読みました。
私は在学中ヤンキーではなかったと思いますが、自分を育ててくれた母校に対する思いは同じです。

心機一転、新たな場にチャレンジしていきます。


2006.3.1
*今回の表紙写真は、初めて人物を掲載しました。
10年ほど前、私が授業を受けもっていた生徒が俳優になりました。
主に舞台で活躍しています。
主演作品を故郷・佐野市でも公演することになり、その記者会見会場で会ったときの写真です。
私が授業で使った「ネタ(ギャグ)」を覚えていてくれたので、嬉しくなりました。
まだ、24歳。これからの活躍に期待します。

公演 「ダウンロードアップグレード」
4月23日(日)午後2時より  佐野市文化会館にて。
彼の公式ホームページを参考にしてください。


*拙著『ガンとして生きる』は、現在発売中ですので全文をホームページに掲載するのは時期尚早だと思います。
 まず、闘病に対する現時点での心構えを示した第3部から抜粋したものを、順次掲載していきます。



2006.2.1
映画「ALWAYS 三丁目の夕日」を見ました。
原作の漫画はもコミック版でそろえて、何度も読んできましたが、
映像で見ると趣が一段と増しました。
CGやセットだと分かっていても、子供の頃見た街並みが現れると、懐かしさでいっぱいになりました。
ストーリーなどどうでもよく、そこに人々が暮らしている姿を見るだけで十分です。
観客は、私と同世代の人ばかりでした。懐かしさにひたるだけの映画もありかな…。

「三丁目の夕日」は昭和30年代前半が舞台ですが、私の家は明治と、昭和初期に建てられたまま、今でも使っています。
訪ねてきた人は、「時間が止まったようだ」と言います。
今回の更新は、その家の写真です。
さて、ALWAYS(永遠に)となるでしょうか。




2006.1.1
明けましておめでとうございます。

「広報さの」1月1日号の「キラリ 話題の人」に私が取り上げられました。
「ガンとして生きる」の出版経緯を中心に、私流の生き方宣言が述べられています。



2005.12.1
『ガンとして生きる』は160冊ほど関係ある方々や機関に寄贈しました。
今後、より多くの人に読んでもらうためにPRしていきたいと思っています。
しばらくは、新たな自費出版は凍結し、『ガンとして生きる』を育てていきます。

なお、執筆のために集めていた史料のうち、田中正造の政界デビューに関するものを今回掲載します。


005.11.1
*新刊です。
久しぶりに、プロの出版社から自費出版しました。

関根徳男著 『ガンとして生きる』 慶應義塾大学出版会

8年間の闘病でたどりついたことです。
全国の書店や、インターネットでのオンライン書店で注文できます。
よろしくお願いします。


2005.10.1
本格的に仕事復帰して、1ヶ月たちました。
運動会などの行事もこなし、何とかやっています。
今回から、3年前に書いて自費出版した「珈琲音夜話・徳川埋蔵金研究会」を、一部リメイクして連載します。

2005.8.31
*復活しました。
明日9月1日から、教師の仕事も本格的に再開です。
今回のホームページは、「必勝の方程式・日本海海戦」の完結がメインです。
今後も、月1回のペースで、その時書きたいことを中心に更新していきたいと思います。

2005.4.3
*休養宣言
体調を崩し、しばらく静養することになりました。
ホームページの更新も不定期になると思います。

*2月28日にガンで亡くなった飯島夏樹氏の「天国で君に逢えたら」と「ガンに生かされて」を続けて読みました。
余命宣告を受けてから執筆活動に生き甲斐を見いだし、最後まで綴り続けたという壮絶な生き方に感銘を受けました。
そこに「執筆療法」という新たなガンとの闘い方が描かれていました。

私も「執筆療法」に入ります。
気に入ったものができた時点で掲載していきます。


2005.3.6
3月に入り「なごり雪」が降りました。今回の表紙も雪景色です。

年度末の忙しさと、体調不良で自分の著述は全くできませんでした。
そこで、3年前に思門出版会で手がけた「点描」を、著者の了解を得て、全編掲載しました。


2005.2.6
今月末、私の住む田沼町は合併により佐野市になります。
対等合併だといいますが、「田沼」の名称がなくなるのは寂しいことです。

せめて田沼ゆかりの田沼意次関連の著作をもっと行い、田沼の名を残そうかと考えています。
歴史的事実は合併されることはないですから。

先日、ある人に「江戸時代に、田沼意次があれだけ斬新なアイデアを次々出せたのは何でか」と聞かれました。
自称田沼意次研究家の私は必死に考えました。
「身分や立場を越え、平賀源内をはじめ異質な人々と交流したからでしょう。硬直化した幕閣といくら付き合っても新しいことは得られません」
と答えました。

これは江戸時代に限らず、現代でも当てはまりそうです。

2005.1.1
  


あけましておめでとうございます。
激動の2004年でしたが、さらに年末に衝撃的な出来事がありました。
人の力ではどうすることもできない事があるのを、改めて痛感しました。

明日死んでもよし、100歳まで生きてもよし。


2004.12.12
*「ホムページビルダー」を最新版に変えました。
現時点では、イラストを新しくしたくらいでですが、いずれ新しい機能を試していきます。
*ホームページの容量が、12月から100MBに増えました。(もちろん無料で)
今まで、リミットの20MBギリギリでしたので、写真を加えると、古いのを削除していましたが、今後はそのような苦労はなくなりそうです。プロバイダーの「SANNET」に感謝します。


2004.11.14
「昭和39年・セピア色のかなた」、「日本海海戦」と久しぶりに新作を掲載できました。
暇になったわけではありません。むしろ忙しいくらいです。
インターネット、メールの定期チェックのためにパソコンをつけるたびに、少しずつ執筆するようにしました。
苦しいときの方が、何とかなるものですね。


2004.10.10  
最大級と言われた台風が、昨夜かすめていきました。
朝見ると、植木鉢が1つ落ちて割れ、木の葉が庭一面に散っていました。
台風一過の上天気になると思っていましたが、曇り空で湿気を帯びています。

今日、10月10日は、統計的には1年で最も晴れの多い日だと言われています。
だから、東京オリンピックの開会式の日になったわけです。

東京オリンピックが行われた昭和39年は、日本にとって高度経済成長が本格化した分岐点といえます。
私としても、思い出深い年です。少年の日が凝縮しています。
「昭和39年・セピア色のかなた」というタイトルで著作のアイデアが浮かんでいます。
気負わず、書きためていきます。
(他のテーマを含め、定期更新時を待たずに、出来たところからアップしていきます)


2004.9.12
あっという間に夏休みが終了し、運動会が目の前に迫っています。
今回、何とか白州次郎については書けましたが、「必勝の方程式」日本海海戦は資料が山積みになったままです。
時間ができたら書こうなどと思っていては、いつまでたっても無理なようです。
「急ぎの仕事は、忙しい者に頼め」といいます。忙しい時ほど、効率よく時間を配分し早い仕事ができるようです。
まだ忙しさが足りないのか…?


2004.8.15
更新予定日の正午過ぎまでかかって、何とか数件の著作を仕上げて掲載することができました。
夏休みに入って、しばらく経ちましたが、土日以外で連休をとれたのは、このお盆が初めてでした。
夏休みはあと2週間ですが、後半は時間的に余裕ができそうだす。
もう少し書きためて、できれば、8月末にでも再更新しようと考えています。


2004.7.18
夏休み直前です。
4月に異動になって以来、時間的、精神的に創作活動ができませんでした。
今回も、表紙の写真更新のみでした。
この夏休みこそ、創作を再開し、次回更新時には新たな著作物で一杯にしたいと思います。
もうしばらくの猶予をください。

2004.6.20
慢性的な目まいや肩こり、疲労感に悩まされています。
年のせい?
脳神経外科では、脳に血液がよく回らないためだろうと言われました。
内科医では、中性脂肪値が高く、血液がドロドロだと言われました。
とにかく、運動をして、脂肪を減らし、血液をよくまわそうと、休日には歩き回りました。

先日、はじめて万歩計をベルトにつけて、仕事(学校)に行きました。
放課後に見ると、何と13500歩になっていました。
よく、1万歩が目安だといいますが、はるかにオーバーしていました。

考えてみれば、授業中、限られた範囲ではありますが、歩き回っているのです。
ひょっとすると、運動不足ではなく、運動しすぎだったのかもしれません。
何も、休日に歩き回る必要はないのかもしれません。今週は、寝ころがっています。

2004.5.23

中間テストの採点がようやく終わりました。
3年社会(公民)の新しい教科書では、40年前と現在の比較というのが最初にあります。
40年前と現在の渋谷駅前の様子。
40年前と現在の休日の過ごし方。
40年前と現在の食事。
40年前と現在の居間。
こういうのが延々と続きます。
(これで、どうやって試験問題をつくったらいいのだ?…)
40年前の生活を知る私としては、懐かしさに浸りながら当時を語るのですが、生徒たちはあまり関心を示しません。
おそらく、教科書執筆者たちも、私と同世代ではないかと思います。
薄くなった教科書に、これだけページ数を使うとは、よほど当時への思いが強いのでしょう。

 さて、今、昭和30年、40年代ブームが密かに進行しています。
高度経済成長期で、日本が最も活力に満ちあふれていた時代です。
あの頃は良かった…まさにルネサンスの精神です。
当時への郷愁を誘うホームページも増えています。
その中から2つほど選んで、リンク集に
加えました。

ぼろしチャンネル 昭和30年代生まれのお部屋

 私も「昭和39年」というタイトルで、少年時代を描く構想をずっと持っていました。
執筆活動が低迷している今、とりあえず一番書きたい部分からスタートしてみようかと思っています。


2004.4.25
あっという間に更新の時がきてしまいました。
新しい環境と仕事に慣れるために全力を費やしているため、新たに創作する余力がありません。
4月上旬に撮った地元の桜風景と、息子が携帯から送ってきた写真の2枚を新たに掲載しただけが、今回の更新となってしまいました。
次回の更新は、1ヶ月後とします。
とにかく我慢の時です。


2004.4.11
4月1日に異動になりました。
新しい環境になったため、創作活動どころではなくなっています。
今回は、3月下旬に長男の引っ越しで京都に行ったとき撮った、史跡関係の写真を掲載するだけになってしまいました。
自分のペースを取り戻すためにも、早く著述活動を再開したいと思っています。

2004.3.14
 昭和60年7月24日夕方、私は鳥取から羽田に向かう飛行機に乗っていた。この日鳥取でS電機グループの技術研究発表会があり、私も発表者の一人として参加してきたのだ。この発表会のため、上司や多くの同僚の協力のもと、長い時間かけて準備してきた。特にこの週間はリハーサルの繰り返しで、頭の中は発表内容でいっぱいであった。それも今日で終わった。緊張感が徐々にほぐれ、暗記していた発表内容の一言一言が消えて行くつれ、もうひとつ重要なことが頭を支配してきた。そうだ、昨日、子供が生まれたのだ。

 
これは、私の最初の自費出版本「通信教育日記」の冒頭です。この時誕生した長男も、今月高校を卒業し、京都の大学へ進学が決まりました。
 なお、大学受験に伴うゴタゴタと、私自身の年度末の多忙さから、連載作品が執筆できませんでした。まだ混乱は続きそうですので、次回更新は4月11日にさせていただきます。


2004.2.29
昨日、映画「ロード・オブ・ザ・リング3」を見てきました。
1000円ちょっとで3時間以上楽しめました。
モノが売れないのは不景気のためだけではなく、モノが足りていて入りきれないこともあると思います。
しかし、良質なエンターテイメントは満杯になることはありません。いくらでも売れます。
エンターテイメント(ソフト産業)こそ、これからの日本の基幹産業になっていくような気がします



2004.2.15
最近評判になっている村上龍「13歳のハローワーク」を読みました。
好きで好きでたまらないことを仕事にしようというメッセージです。
こういうことが好きな人には、こういう仕事(職業)があるというのが載っていて、けっこう面白い内容です。
ところで、なぜ13歳なのでしょうか。
いくら好きでも、やりたくも、その能力・技能がなければ仕事にはつけない。
だから、13歳の今から、就きたい仕事への準備を始めなければならないということだと思います。

ところで、中学校では2年生を対象に「立志式」というものがあります。14歳は、昔なら元服でしたが、今は将来の志を立てる時としています。1歳の違いはありますが「13歳のハローワーク」そのものです。
立志の文集に、私は次のようなメッセージを載せました。

立志によせて
目標を定め 一点に集中せよ

「人間の頭に上下などない。要点をつかむ能力と、不要不急のものは切り捨てるという大胆さだけが問題だ。従って物事ができるできぬというのは頭ではなく性格だ」
司馬遼太郎『坂の上の雲』に出てくる言葉です。
 
 いろいろなことが気になり、次々と手を出していたら、どれもモノになりません。大きな仕事を成し遂げた人は、早くから自分の目標を定め、他のことは切り捨て、それに向かってひたすら努力しています。
 人は一生に1つは、他人に誇れる事をするべきだと思います。一点に集中すれば、誰でも何かを成すことができます。
 
 自分の目標を定めるのが「立志」です。人生は長いようでも、時間は飛ぶように過ぎ去っていきます。義務教育もあと1年となった14歳の今、将来を真剣に見すえましょう。


2004.2.1
NHK「その時歴史が動いた」は、歴史授業のネタとして利用させてもらっています。
先日、「その時歴史が動いた」のホームページを見ていると、2003年4月に放送された「田沼意次」の参考文献に、私の「田沼の改革」があるのを発見しました。NHKからは何の知らせもありませんでしたが、記載されているだけで、まさに天にも昇る気持ちです。
めったに自慢しない(?)私ですが、ぜひ、NHKのホームページものぞいてみてください。

http://www.nhk.or.jp/sonotoki/syoukai/p0304.html

追記:平成15年12月28日発行「その時歴史が動いた」書籍版(KTC中央出版)最新巻に「田沼意次」が掲載されていました。
参考文献の欄を見ると、やはり「田沼の改革」関根徳男とありました。自著がNHK番組の参考文献に使用されたことは、何よりの誇りです。



2004.1.1
あけまして おめでとうございます。
「一歩でも、半歩でも、前に出る」
そんな一年にしたいと思います





2003.12.14
師走に入りました。
教師も忙しくなる時期だと言いますが、今は1年中忙しいような気がします。
師走という言葉にも季節感がなくなってきました。
そういえば、この一年間、本を一冊も出版していません。生涯100冊出版宣言したわけですから、停滞はできません。
冬休み中に、今まで書きためた中から1つは本にしようと考えています。
*次回のホームページ更新は、区切りよく元旦にします。



2003.11.30
11月も今日で終わり、あすから師走に突入します。
先週、わが町の山奥にある紅葉のスポットに写真を撮りに行ってきました。その中の1枚が表紙ページです。
ただ、例年より色の鮮やかさがありません。今年は冷夏で寒暖の差が少ないのが原因だとか聞きました。
紅葉には気温差が必要です。
ところで、最近の私は、ときおり体温が34度台に低下します。外気温度に体の体温調節機能がついていけないようです。
自律神経失調症かもしれません。気温の急変は私には大敵です。このままいくと、変温動物になり、冬場には冬眠しなければならないかもしれません。
ふと考えたのですが、それもいいかなと。先亡くなられた最高齢の「かまと」おばあちゃんは、2日眠り2日おきていたようです。
長持ちするために、1年の半分くらい眠っていたいですね。


2003.11.16
 「必勝の方程式」。大層なタイトルの連載を発作的に始めてしまいました。
絶体絶命の危機と思えることがあります。
しかし、それを乗り越えてみたとき、実は問題解決の絶好の好機だったと気づくこともあります。
危機を目の前にして逃げ出さなければ、何とかなるものです。
何とかするための処方箋を、また歴史の中から見つけだそうという試みです。


2003.11.2
 社会科の授業で、まんが日本史のビデオを見ていると、公武合体のところで有栖川宮熾仁親王(ありすがわのみや・たるひと・しんのう)の名前が出てきました。先週、詐欺事件で話題になった有栖川宮のことですので、生徒たちは大いに興味を示しました。
 熾仁親王は17歳で皇女和宮と婚約しました。しかし、公武合体という政略結婚のため、婚約は解消され、和宮は14代将軍家茂のもとに去りました。やがて、戊辰戦争になると、東征大総督となり官軍を率いて江戸に攻め上りました。官軍の中には西郷隆盛や板垣退助らがいました。

 
宮さん宮さん お馬の前に
ひらひらするのは何じゃいな
トコトンヤレトンヤレナ
あれは朝敵征伐せよとの
錦の御旗じゃ知らないか
トコトンヤレトンヤレナ

(作詞:品川弥二郎、作曲:大村益次郎)

 官軍の行進曲となったこの有名な歌の「宮さん」とは、有栖川宮熾仁親王のことです。なお、15代将軍慶喜の母は、有栖川宮家の出です。官軍、旧幕府双方のリーダーが有栖川宮に関係しているわけです。
熾仁親王は、その後、西南戦争で、征討代総督として今度は西郷隆盛と戦いました。日清戦争では、大本営幕僚長(参謀総長)となり、終戦の直前に亡くなりました。まさに、劇的な人生です。
 有栖川宮家は、熾仁親王に代表される名門でしたが、跡取りがないため大正時代に断絶しています。
有名な宮家ですので、詐欺にその名前が利用され、「有名人」と言われる人たちも、まんまと騙されてしまったのでしょう。

 ミニ歴史講座のようになってしまいましたが、事件後、このようなことを調べてみました。調べると、すぐに話さないと気が済まないものですから、授業がなかなか進みません。


2003.10.19
日本シリーズ直前に、阪神星野監督勇退のニュースが伝わってきました。
同じ日に、日本道路公団総裁の解任をめぐる聴聞が行われました。
総選挙では、とうに定年を過ぎている首相経験者の処遇をめぐって混乱があります。
「引き際はどうあるべきか」がよく話題になります。
日本人的には、惜しまれているうちにスパッと身を引くのが潔いとされています。
ただ、今回のショートエッセイ「逆転の可能性を持ち続ける」で述べた石田三成のような生き様にも魅力を感じます。
どういう引き際を選択するかに、その人の人生が凝縮しているかもしれません。

2003.10.5
彼岸花が咲くと、秋のはじまりを感じます。
彼岸花の咲く風景を見て歩くことも、私の年中行事の一つです。
自分なりの年中行事を、ひとつひとつ増やしていくことが、歳を重ねる楽しみにしていきたいと思っています。

表紙のページが煩雑になってきたので、作品一覧(目次)を別ページに移し、すっきりさせました。

2003.9.21
夏休みの最後に、友人に誘われて、福島県会津高原の舘岩村に行ってきました。
車でわずか3時間、トンネルを抜けたところに、懐かしい、別世界が広がっていました。
かつてのフォークグループ・かぐや姫の「ひとりきり」という歌を思い出しました。
「鳥がないて 川が流れて 野山は今 花が咲き乱れ 汽車はゆくよ 煙はいて
トンネル越えれば 竹中だ…」
友人たちはイワナ釣り、私は村をとび回り写真を撮りまくりました。
(表紙およびリンクの写真参照)

2003.9.7

夏をあまり実感しないうちに9月になってしまいました。
そのぶん秋を満喫したいと思います。秋の情緒あふれるページを演出します。

・前回更新は(8月17日)は、同窓会の写真を翌日掲載することを急遽思い立ったため、予告より1週間早めました。


2003.8.10
「ショートエッセイ」に「凡人の処世術」というサブタイトルをつけました。
今までの文章を読み返してみると、「天才」や「凡人」という言葉がよく出ていました。
天才に憧れつつ、われわれ凡人はどうすべきか、といった内容が多いようです。
今後、このテーマを中心に進めて行こうかと思います。

なお、今回から。、いくつかのページに音楽を付けてみました。
「ホームページビルダー」の標準機能にあるものです。ファイルサイズは数キロバイトですから、負担にはならないと思います。

2003.7.27
梅雨、今だ明けず。
今回の表紙ページの写真は、豪快な入道雲を予定していました。
しかし、夏休みに入って1週間が過ぎても、本格的な夏はやってきません。
一昨日、学校のプール当番をやりましたが、子供たちは10分ともたず、水からあがっていきました。
どんなに暑くても、過ごしにくくとも、やはり季節らしさに出会いたいものです。

なお、「残夢抄」の大田原哲哉氏が、ホームページを立ち上げました。彼らしいさわやかなイメージがあふれています。
リンク集からご覧ください。


2003.7.13
「良句もできるが、駄句もできる。しかし、できた駄句は捨てずに書き留めておかねばならない。理由はない。ちょうど金を溜める人が一厘や五厘のお金でも無駄にせずこれを溜めておくのと同じである。そういう一厘五厘を無駄にする者が金持ちになれないように、自分のつくった句を粗末にして書き留めておかぬ人はとてものこと、一流の作者にはなれない」
正岡子規の言葉です。
ネットライブラリーは、まさに駄作を書き留めておく場といえます。ホームページ開設の頃は、背景や文字の色に凝ったりしていましたが、今はそういうものには無頓着になり、ただ作品を書き留めることに専念しています。
あくまでも個人のホームページですから、こんなワガママをしています。


2003.6.29
「社会人のための自学自習のノウハウ」の連載が今週で終了しました。
これは平成6年に自費出版したものを、デジタル化してウエブ上で公開したものです。
自費出版としては多めの2000冊発行で、出版社からは無茶だと言われましたが、ほぼ完売(寄贈も多数)できました。
大学の通信教育というマイナーなテーマですが、毎年入学してくる通信生の間で、細々と売れていました。
出版経費の9割程度回収できた、私の自費出版本の中ではベストセラーの作品ということになります。
需要はすくなくても、特定の人には喉から手出るほど欲しいテーマの本を世に出せるのが、自費出版の利点だと思います。
今後もマイナーなノウハウ本を手がけていきたいと思っています。


2003.6.15

梅雨に入りました。
池の金魚は元気に動き回っています。
我々はこもることが多くなりますが、次に来る躍動の季節に向けて充電しましょう。

動きがとまっているときこそ、伸びるチャンスです。

2003.6.1
・表紙ページのデザインをほんの少し変更しました。
・写真は、コーヒーショップ珈琲音にある「もみじ」の新緑風景です。
梅雨の走りのぐずついた天気が続きますが、爽やかな風を感じてください。


2003.5.18
5月はじめの連休に、久しぶりに横浜に行って来ました。
ランドマークタワーやクイーンズスクウェアなどの新名所も見たのですが、やはり横浜といえば、港と氷川丸です。
小さい頃、家族で横浜港に行き、大きな氷川丸を見たときの感動は今でも残っています。一緒に行った、父も弟も今はいません。
5年前、新たな家族で横浜港に行きました。
そして今、3人の子供たちは、中学生、高校生に成長し、一緒に行きたがりません。5年前のことも、遠い思い出のような気がします。
横浜港と氷川丸。懐かしく、ちょっともの悲しい思いのある風景が今回の表紙の写真です。


2003.5.4
「こんな時代です」「偉人たちの肖像」の連載がままならないのに、性懲りもなく、また1つ連載を始めてしまいました。
「ショートエッセイ」です。
最近、写真はこまめに撮っているのですが、まとまった文章を書くのがおっくうになってしまいました。
できるだけ短い文章で表現するトレーニングをして、スランプからの脱出をもくろんでいます。


2003.4.20
花吹雪
日本人の魂を最も揺さぶる言葉だそうです。
桜の花が舞い散る情景は、日本人のDNAに組み込まれた原風景です。
懐かしく、神秘的で、そしてちょっと不気味な雰囲気があります。
今年の春も、近所の桜の写真を撮りまくりました。表紙ページの写真は、今回も桜です。

2003.4.6

*4月4日からインターネットをADSLに切り替えました。
たしかに速い!
すべての人がブロードバンド(ADSL、ケーブルテレビ、光ファイバーなどの高速通信)になると、インターネットの世界が一段階進むことでしょう。それを見越してのコンテンツも考えておこうと思います。
世界が情報の面ではますます狭くなってきました。戦争や飢餓といった人々の苦悩も身近なものとして伝わってきます。情報化社会が問題解決を加速することを願います。
*「偉人の肖像」等の連載が止まっています。現在、文献を必死に読んで充電しているところです。



2003.3.23
 イラクで戦争が始まってしまいました。
[あの閃光の下で、だれかが死んでいる」
胸が痛みます。
21世紀になっても戦争はなくなりませんでした。
平和は誰もが願っていることです。しかし、現実にはいたるところで争いが絶えません。
その原因は何か。
それを知るためにも、今回の戦争を、目をそらすことなく見つめていこうと思います。

 ところで、私が勤務する中学校のそばにある小学校には、太平洋戦争当時、陸軍の戦車部隊が駐留していたそうです。
アメリカ軍が太平洋岸に上陸してきたとき、戦うためにと、内陸部に温存されていました。海岸までは100km以上あります。
 敵が上陸してきた場合、避難してくる人々が道を埋め尽くし、戦車が進めないのではないかと、ある兵士が上官に尋ねました。
すると上官は、「その場合は、踏みつぶしてでも進め」と言ったそうです。
 国民を守るための軍隊が、国民を犠牲にして敵と戦う。そんな馬鹿なことがあるか。その兵士は絶望しました。その怒りがすさまじい創作意欲を生みました。
 戦後、兵士は、外国の侵略から国を守るために死力を尽くした、幕末から明治にかけての人々を小説に描くようになりました。
司馬遼太郎です。


 かつて司馬遼太郎が苦悩しながら歩いたであろう土地に、私も立っています。
司馬遼太郎には、遙かに及ばないまでも、やがて私も、戦争から受けた衝撃を描いていきたいと思います。



2003.3.9
 知り合いの自営業者が店のホームページ(ウェブサイト)をつくることになりました。
インターネットでの商品販売はうまくいけばメリットは大きいのですが、最初のお客は対面販売にこだわりたいといいます。
ですから、当面は、全国の人に店のことをよく知ってもらうためにホームページを活用したいとのことです。
ページを開くと、店の雰囲気が伝わってくるような、情緒あるホームページを立ち上げるんだと、彼ははりきっています。
 それに刺激されて、私も本ホームページを情緒漂ようものにしようと、改造を計画しています。
(第一弾として、表紙に大きめな写真を入れてみました)

2003.2.23
 連載してきた「田沼の改革」の本文が今回で終了しました。(次回の「あとがき」ですべて終了です。)
著作活動は私のライフワークですが、特に歴史上「不当な評価を受けてきた人物」「過小評価されてきた人物」を再評価することに力を注ぎたいと考えています。
 田沼意次がその一人です。佐久間象山もそうです。まず、「偉人の肖像」で取り上げてみましたが、さらに資料を収集し、やがて1冊の本にしたいと考えています。

2003.2.9
「偉人の肖像・ペリー対佐久間象山」について
 「ある人物のことを調べるなら、まず、本人の著書を読め」というのが鉄則です。
最近、ペリーに興味をもっていましたので、「ぺりー提督日本遠征日記」を入手しました。
佐久間象山に会釈した件はないかと探したのですが、さすがに付いていませんでした。
もっとも、吉田松陰が密航を依頼したという有名な事件さえ載ってないのですから、当然かもしれません。
 それでも、司馬遼太郎の「世に棲む日日」や、小学館の「人物日本の歴史」に明記されている件ですので、本ホームページの「偉人の肖像・ペリー対佐久間象山」には会釈事件を入れました。
 なお、この「ぺりー提督日本遠征日記」は、ペリーの日記や報告書をもとに、ニューヨークの牧師ホークス氏が編集したものです。ところが、最初、ペリーは作家のホーソーンに依頼し、断られたそうです。ホーソーンとは、かつて本ホームページで日本語復刻版(「ハイデッガー博士の実験」、「空想の見世物箱」「デビッド・スワン」)を紹介したあの作家です。
 思わぬところで、人脈はつながっているものです。

2003.1.26
「ペリーのフルネームは何ですか」
社会科の授業のあとで、生徒から質問がありました。
たしかに教科書には「ペリー」としか出ていません。日本人の歴史上の人物名はフルネームですが、外国人はほとんどが姓のみです。
私も知らなかったので、早速図書室に行って調べてみましたた。
「マシュー・カルブレイス・ペリー」というフルネームはすぐにわかりましたが、ついでにペリーについていろいろ読んでみました。
それをもとにしたのが今回の「偉人の肖像」ペリーです。

なお、ペリーのフルネームは授業でみんなに伝えました。
何日が後、あの生徒がまた聞いてきました。
「フランシスコ・ザビエルのミドルネームを教えてください」


2003.1.13
・新連載情報「偉人の肖像」

 
西郷隆盛の写真は1枚も現存してない。もしあったら、とんでもない「お宝」だ。
 現在、西郷像として知られているのは、弟と従兄弟をモデルとして描いた絵である。


 そんな話を何かの本で読んだことがありました。
最近、「国史大事典」を何気なく見ていると、モデルとなった二人の肖像を見つけました。たしかに、西郷隆盛像と比べるとうなずけます。
 そこで、歴史的な偉人像をネタに、エピソード的な歴史講座ができないものかと考えました。現在、ネタは西郷隆盛だけですが、衝動的に連載として始めてしまいました。今後、いろいろ発掘していきたいと思っています。


2002.12.29
雪景色
十数年前に見た夢のことです。朝目を覚ますと雪景色でした。外に飛び出し、雪の中を歩いていくと、一本の大きな木が視界に現れました。その見事さに、写真に撮っておこうと、カメラをとりに家に引き返しました。カメラを持って戻ってみると、そのような景色はどこにもありませんでした。
こんな昔の夢の景色に、今月初旬の初雪の時に出会いました。
いつも見慣れている、勤務校の欅の木です。写真に撮りまくりました。




2002.12.15
師走。走り回っています。
「プロはものごとを単純にし、アマチュアは複雑にする」
何事も、選りすぐり、スッキリやっていきたいですね。

2002.12.1
今年度、学校では図書委員会を担当しています。
「読書週間」にあたり、第4巻発売で話題になっていたハリーポッターの作者について、生徒たちに話をしました。
ちょっと長くなりますが、内容を要約したものをここに載せます。

今から6.7年前。イギリス北部のエジンバラという街に赤ん坊と二人暮らしの女の人がいました。赤ちゃんをかかえたままでは仕事も思うようにできず、生活保護を受けていました。赤ちゃんを公園で遊ばせ、寝てしまうと近くの喫茶店に入り、コーヒー一杯で何時間もねばりました。店の人はいい顔をしませんでしたが、その女の人はひたすらある物語を書いていました。
イギリスは北海道よりはるかに北にあります。自分の家では寒くて執筆ができなかったのでしょう。また家には適当な机がなかったのでしょう。女の人にとって、喫茶店しか執筆する適当な場所がなかったようです。
頭の中では、次々とストーリーが展開していきます。女の人は自らがその物語の虜になり、ひたすら書き続けました。
この物語はその後、世界的な大ベストセラーになりました。女の人の名前は、J・K・ローリング。物語は、そう、もうみんな分かってますね。ハリーポッターです。

さらにもう一つ、日本版のある女の人の話があります。
松岡佑子さんです。仕事は通訳をやっていました。
佑子さんの夫は小さな出版社を一人でやっていましたが、突然亡くなってしまいました。
一人になってしまった松岡さんは、通訳の仕事を続けるとともに、夫の出版社も引き継ぐことにしました。
通訳の仕事でヨーロッパに行ったおり、イギリスの友人をたずねました。そこで、友人が一冊の本を貸してくれました。それがイギリスで大ヒット中のハリーポッターでした。英語に堪能な松岡さんは、英語版の本を一晩で読んでしまいました。そして、自ら日本語に訳し、日本で出版したいと思いました。
しかし、こんな大ヒット作ですから、日本の大手出版社が出版契約を結んでいるだろうと、確認しました。ところが、どこも結んでいませんでした。松岡さんはローリングさんの代理人に必死になって手紙を送り続けました。「このすばらしい物語を、私に翻訳させてください。日本で出版させてください」と。そして、奇跡的が起こりました。ほとんど実績のない、日本で一番小さな出版社が、ハリーポッターの権利を得たのです。ハリーポッターは、松岡さんにとってもライフワークになりました。今私たちが日本語で読むハリーポッターは、松岡さんが日本語で命を吹き込んだものです。

ハリーポッターシリーズの陰には、どん底からはい上がった二人の女の人の壮絶な人間ドラマがあるのです。二人とも今や億万長者です。多額の税金を納めているばかりでなく、いろいろなところに寄付をしています。生活保護でもらったお金を何百倍、何千倍、何万倍にして世の中に返しました。そして、金銭的な貢献以上に、作者の生き方や、ハリーポッターの物語自体が世界の多くの人に希望を与えてくれています。
人は不幸のどん底にあると、私の怒り、恨み、悲しみで自分の心を引き裂き、他の人を傷つけてしまうものです。そんな状況にじっと耐え、希望を見いだしていく人こそ強い人だと思います。そういう人が書いた本が、人の心を打たないはずはありません。

ハリーポッターに限らず、どんな本にも作者や出版にかかわった人々の思いがこもっています。私たちは、本を読むことでそのパワーの一部を自分のものにすることができます。
私は3年前大きな手術をしました。そのとき、自分でもっている本の中からこれだというものを選んでもっていきました。手術直前まではこの本を読もう、手術が終わったらこれを読もうと準備しておきました。そして、本に没頭することで手術前後の大きな不安を振り払うことが出来ました。

人生の困難を乗り切り成功をおさめた人が共通して行っていたものが2つあります。
一つが日記をつけることです。日記をつけることで日々の自分を反省し、行動を修正することができます。
もう一つが読書です。読書で他人の知恵や経験を自分のものにし、勇気や希望をもらって自分のモチべーション(やる気)を高めていきました。
困難を乗り切り、人生を成功させたいのなら、読書しましょう。いつから始めるか。今からです。

2002.11.17
急に寒さが増し、一気に秋が深まりました。
家の庭の落葉樹も、紅葉する間もなく散り始めてしまいました。
今年は庭の木々の変化をデジタルカメラに収めることができませんでした。
その代わり、学校行事の様子を9月以降だけで1500枚は撮りました。
「プロとアマチュアの違いは、量の違いだ。プロは1000枚以上撮った中から1枚を選んでいる」
と、あるカメラマンが言っていました。
デジタルカメラでは、コストを気にしないで量をかせげました。アマチュアでも、量の面ではプロにちょっと近づけました。

2002.11.3
新連載情報「こんな時代です」

・昨年ベストセラーになった「世界がもし100人の村だったら」を今ごろ読みました。
60億人の人口を100人にたとえ、いろいろな統計資料を表すと実にわかりやすくなります。
そして、その中に人類に対するメッセージがさらりと書かれています。
・この本に影響を受け、歴史分野を分かりやすく表現してみようと、今回から執筆を開始しました

「世界がもし100人の村だったら」はアメリカの中学校の先生が、学級通信として子供たちにメール配信したものです。
私は、ホームページで配信していきます。

2002.10.20
・学校のホームページ更新の担当になりました。
個人の道楽としてこのネットライブラリーを2年半やってきましたが、ようやく仕事の一部にも役立ちました。
・今後、2つのホームページを運営していくことになりますが、ネットライブラリーの2週間サイクルの更新は維持したいと思っています。
本ホームページも最近マンネリ化しています。他のホームページを手がけることで、新たなアイデアが浮かぶことを期待しています。

2002.10.6


先週触れたインテリアとなる本の写真です。
百科事典の前に、「名作の はじまり と おわり」を3冊、「ベストセラー超要約・インターネット読書録」を1冊並べてみました。
恐れ多くもレオナルド・ダ・ヴィンチやラファエルロを使っていますので、それなりに見られます。
活字離れが進む中、こんな形でも本を活用できるのではないかと考えました。(邪道でしょうが)

飾っているうちに、本の中身が気になり、読み始めたらその虜になる…そのようなことでもいいのかな…。


2002.9.22
新規 出版情報
かつて、このホームページに連載した「ベストセラー超要約」「名作の はじまり とおわり」「勉強のヒント」を手直しして、本にしました。(非売品)本のタイトルは、次の通り。
・「ベストセラー超要約・インターネット読書録」
・「名作の はじまり と おわり」
・「勉強のヒント・頭をよくして勉強しよう」

今回は、著作権が消滅したレオナルド・ダ・ヴィンチやラファエルロの名画の一部を使った表紙をデザインしました。
表紙自体がインテリアとして飾れるような本をつくることをめざしました。(次回更新時に写真を掲載予定)
今後、著作の内容だけでなく、本の構造やデザイン面でも工夫してみようと思っています。

2002.9.8(日)
金曜日から降り続いた雨で、夏の熱気が冷まされました。一気に秋が来そうです。
学校では、集団演技と運動会の準備で大わらわです。
季節の移りかわりを実感します。

自費出版研究会・思門出版会が手がけた作品が一つ完成しました。
東栄義彦著『珈琲音夜話 徳川埋蔵金研究会 前編』歴史ミステリー?風の小説です。
モデルとなった喫茶店珈琲音(かひあん)で希望者に頒布しています。

2002.8.25
100冊自費出版宣言
本ホームページにかつて連載した『名作の「はじまり」と「おわり」』『ベストセラー超要約』と、書きかけていた小説の前編部分の3件を、夏休みを利用して小冊子にまとめています。
完成すれば、計10冊自費出版したことになります。
最初の本を出したとき、「生涯に10冊は出版したい」と思い、知人たちに公言してきました。
その10冊が、もうすぐ達成します。
これで安心…というより、不安がよぎりました。これで、生涯が終わってしまうのか。
そこで、再宣言します。「生涯に100冊自費出版するぞ」
赤塚不二夫氏は「まだまだ、面白いものを描きたい」「死んでる場合じゃないのだ」と病気を笑い飛ばしています。
だから私も、100冊出すまでは、「死んでる場合じゃないのだ」
もし、100冊に近づいたら、200冊宣言に切り替えます。プロの作家では、何百冊と出している人はいくらでもいるでしょう。
私は、アマチュアとして、最高の自費出版冊数をめざします。

2002.8.11
「残暑お見舞い申し上げます」
暦の上ではこうなるわけですが、残暑どころの暑さではありません。

日本は熱帯になったようです。温暖化が確実に進んでいることを実感します。
せめて気分だけでも涼しくなろうと、表紙ページのアニメーションを変えてみました。


2002.7.28
学校が夏休みに入りました。
基本的には土曜、日曜日以外全部出勤ですが、授業がない分、ようやく「ゆとり」が生まれました。
この休みには、新たな創作に取り組む前に、今までホームページで連載してきた著作物を整理し、小冊子にしておこうと思っています。
「言霊」といわれるように、言葉にも魂があるくらいですから、著作物にはさらなる魂がこもっているはずです。
どんな駄作であれ、一度手がけたものは、形(冊子)にして残しておきたいと思います。

2002.7.14
今回より
社会人のための自学自習のノウハウの連載を開始しました。
今から6年前に自費出版した本ですが、今年になって残部がなくなってしまったため、ホームページに載録することにしました。
ちょっと古い本になってしまいましたが、基本的なノウハウは普遍だと思います。
大学通信教育だけでなく、一般の学習においても、何らかのヒントを得ていただけたら幸いです。


2002.6.30

ワールドカップの熱狂も、今夜の決勝戦をもって終わりとなります。
日本が敗れた直後から、次のチーム編成などが職場でも話題になっています。
その中で、私が勤務する学校の卒業生が、アルゼンチンでプロになっていることを知りました。
彼の在学時のことは覚えていました。そして、私が弟さんの担任だったということ、さらに、妹さんも在学中という関係から、大山家から貴重な写真をお借りすることができました。
そこで、今回、特設コーナーとして掲載したのが「ガンバレ大山選手」です。
次のオリンピック、そしてワールドカップへと、期待がふくらんできます。しかし、プロとはいえ、まだ20歳です。本場で修業中の彼に、私の勝手な期待で、プレッシャーを与えてしまっても申し訳ありません。
当面、個人ホームページの中で、ささやかながら、応援のメッセージを送っていこうと思っています。