荒城の記憶  ー 唐沢復興記 ー 
 
(冒頭部分)            

唐沢山は下野国(栃木県)南部の二百数十メートルの山である。山頂から南に向けば、関東平野が一望できる。北を向けば、足尾、日光の山地や、遠く越後につながる山並みが見渡せる。
 唐沢山は関東のど真ん中にある。
 戦国時代、藤原秀郷の末裔にあたる佐野家が、平地にあった吉水城からここに城を移し本拠とした。以後、唐沢山城は改修を重ね、山全体を利用した強固な城塞と化した。
 戦国末期、唐沢山城をめぐり壮絶な戦が幾度となく繰り広げられてきた。
 上杉謙信が十回にわたり攻めたが、落ちることはなかった。
 小田原北条家も何度か大軍で押し寄せてきたが、それもことごとく退けた。
 難攻不落の唐沢山城は、家臣団ばかりでなく佐野領民にとっても誇りだった。戦国大名としては、極めて小さな佐野家であったが、この山城に籠もっている限り安泰だった。
勝つことはなくても、敗れることもない。戦国の世においては、生き残ることこそ肝心である。
 宿敵上杉謙信が没したのと同じ年、城主佐野昌綱も四十五歳で病没し、十五歳の宗綱が跡を継いだ。小田原北条家との対立は依然続いていたが、隣国足利の長尾顕長との境界争いが頻発し、当面の主戦場となった。若く勇猛な宗綱は、自ら先頭に立って出陣することが多かった。
 天正十三年(一五八五)の元旦早朝のことである。宗綱は突然、唐沢山城を発し単騎足利へ向かった。そして、境界の須花坂にさしかかったところで討たれた。
 享年二十六歳。五歳と三歳の娘が残された。

 二百七十余年が過ぎた。
 明治十年秋。唐沢山頂を壮年の男が歩いていた。かつて難攻不落を誇った城も跡形無く、苔むした石垣だけが残っている。草木が覆い茂り、通路を見いだすのにも難渋をきわめた。木々の幹や根元には様々な種類の茸がびっしりと群生し、人が入ってないことが分かる。
 自分の足音だけが聞こえる。ふと足を止め視線を上げると、一面の紅葉だ。静寂の中、盛りになった紅葉が、かえって荒城の淋しさを際だたせている。
「まさに、夢の跡、だな 」
 男はつぶやいた。
 山頂付近を一回りした後、男は大手門跡を出て天狗岩に上った。山頂の端から突き出たこの岩場は、城の見張り所となっていた場所だ。
 男は天狗岩の先端に座った。ここからは江戸、いや、今は東京と呼ばれるようになった国の中心を望むことができる。
「これが命取りだった」
 徳川の世になったころ、ここから江戸の町の火事が見えたという。
 宗綱から三代目の当主佐野信吉は、直ちに江戸に駆けつけ家康に見舞いを述べた。ところが、江戸が見えるということで幕府は警戒し、佐野家に唐沢山から平地に城を移すように命じた。そして、新城が完成する直前、突然佐野家は改易になり領地は幕府に没収されてしまった。
 以後、幕府をはばかり唐沢山城は捨て置かれた。いつの間にか建物もなくなり、山全体が荒れ放題となっている。
「さて、いかがしたものか」
岩場の平らな部分に座り込み、男は考えこんだ。
男は近隣の村の元名主で、その後、神社の神官も務めた。五十を前に神職を嫡男に譲り隠居となったが、郷土史に造形が深かったことから、栃木県の史誌編纂史科材料調査委員
を拝命していた。
 そのような経歴をもつ男に、佐野家の旧家臣や縁故者の有志から、佐野家の名誉回復、唐沢山の復興と神社建立等に関して相談があった。
 男は自家所有の古文書や近隣の旧家から借りた史料を読み進めていくうちに、佐野家没落の事情を知り、この相談事に興味をもった。だが、佐野家とは直接の縁もなく、隠居の身である自分に何ができるか当てがなかった。
 現在、唐沢山は官有となっている。有志の会が二度にわたり「唐沢山城趾官有林払い下げ申請書」を栃木県庁経由で国に提出しようとしたが、栃木県の段階で却下されていた。
 明治に入り新たな神社を建立するには、それなりの大義名分と強力な後ろ盾が必要だ。それと、やっかいな問題がある。祟り伝説だ。

 突然、強い風が吹き抜け、真っ赤な紅葉が男に降り注いだ。
「ぎゃーあ」
 悲鳴が聞こえた。
 紅葉は血しぶきに変わっている。
 いつの間にか男は山腹の斜面にいた。幾筋か並行する細い山道に甲冑をまとった軍勢が、蟻のように群がっている。
 上からは人の頭くらいの大きさの石が次々と降ってくる。加速度を増した石が命中した兵卒は悲鳴を発し、周囲の者も巻き込んで坂を転げ落ちていった。
「鉄砲隊、撃て」
 下方から銃撃音が響き、硝煙の匂いが立ちこめた。だが、山は木々に覆われており、鉄砲の弾が無駄に費やされたのは明白だった。
 一連の射撃が止むと、上からはさらに大量の石が降り注ぎ、多くの兵士が石と共に血しぶきをあげ落ちていく。
「退け、退け。逃げろ」
 声がして軍勢の姿が消えた。

 気が付くと男は再び天狗岩に座っていた。辺りは薄暗くなっている。遠く西の空には星が一つ輝いていた。かなりの時間が経っているようだ。夢だったのか。
 馬の蹄の音が聞こえてきた。かすかな風を感じると、男の上を何かが通りすぎた。
「やぁー、行け」
 かけ声がした。上空を馬が駆けていく。そこには武者が乗っている。
武者が振り返った。顔は影になっているが、目だけは青白く光っていた。
(なんて寂しい目をしているのだ)
 一瞬のことだが、男にはそう思えた。
 やがて馬は高度を上げ、西に空に向かって進んだ。馬と武者の姿が小さくなり、薄暗い闇の中に溶け込んでいった。
( 何が起こったのか。まだ夢の中か)
 辺りは一段と暗くなった。胸騒ぎがする。闇の中、何かがやってくる気配がした。
 それは、どんどん迫ってきて、すぐ側にきた。何かがいる。
 男は気配に向かって黙礼をしてみた。
(わしが分かるのか)
声が聞こえた。いや、男の頭の中で声がしたような気もする。
「はい。感じます」
 男は気配に向かって答えてみた。
(廃城になってから二百七十年余。ここを訪れる者は稀だった。たとえ来たとしても、わしの存在に気づく者はいなかった。何故、貴公は分かったのか)
「私はかつて神職にあった故、他人よりは霊感が強いのでしょう」
 相手はこの世の者ではないようだ。もし魔性の者だったらどんな災いを受けるかしれない。神職という言葉で牽制するとともに、相手の出方を見ようと男は思った。
(神職か。貴公の名は何と申す)
「はい。藤岡の元名主で山士家左兵衛と申します」
男は答えた。ー以後は左兵衛と呼ぶことにするー
(藤岡のヤマシゲか。藤岡もかつて我が支配下であったが、その名は聞いたことはない。だが、新田という武士がいた。たしか名門新田義貞の一族に法名が山重という者がいたがその流れか)
 そのような昔のことまで知っているのか。気配の主はただ者でないと左兵衛は思った。
「はい、我が家は新田一族です。後に新田から山重に改めたと聞いております」
 たしかに系図には、関ヶ原の頃、先祖の法名にあやかって新田改め山重姓にしたとある。今ではさらにシゲの文字を重から士家に改め、山士家としている。
(そうか。それなりの家柄の者であったか)
気配が自分を認めてくれたことを感じた左兵衛は、相手に尋ねてみた。
「あなた様のお名前は」
(田原藤太秀郷こと藤原秀郷が子孫、佐野小太郎修理大夫宗綱と申す)
 左兵衛は驚きで一瞬呼吸が止まったが、ゆっくり息を吸い込むと、かつての城主に敬意を表し拝礼した。


以下、略