下野国 佐野氏の系譜  


    目 次

 序
一 神話から中臣氏まで 7
二 藤原氏(鎌足から秀郷へ) 10
三 藤原秀郷から佐野氏へ 14
四 鎌倉・室町時代の佐野氏(地頭から国人へ) 25
五 戦国時代の佐野氏(大名へ) 33
六 安土・桃山、江戸時代の佐野氏 45
七 諸家の系譜 58
八 参考資料 現代語訳 佐野宗綱記 76 
九 ルイス・フロイス『日本史』の天徳寺 132
 参考文献

    

 序

 長きにわたり佐野を治めた佐野氏の系図は、十種類程あり、確定したものがない。
 大名佐野氏は江戸時代初期に改易になり、後継の旗本家は佐野を離れ、残された家臣団は解体しほとんどが帰農した。そのため、一貫して整理する機会を失い、玉石混淆(こんこう)の資料が散在したままになったのだろう。
 系図が無いのでなく、あり過ぎるのも混乱してやっかいである。
 私は佐野市の中学校社会科教師として、引退後は自称郷土史家として、佐野氏関連の資料を収集してきた。今、新たな発見があったわけではないが、既存のものを整理し、取捨選択し、自分なりに佐野氏の系譜を体系化してみることにした。
 佐野氏は藤原秀郷(ひでさと)の子孫と称している。これを前提に、日本史上の人物である秀郷から、藤原氏の祖である鎌足(かまたり)までたどることができる。鎌足は古代氏族の中臣(なかとみ)氏の出であるから、中臣氏の系譜をさかのぼり、さらには古事記を頼りに神話の領域まで祖先をたどることができる。
 神話の世界は史実とはいい難いが、そこには先祖に対する思いが込められているものと尊重したい。わかる限り名前を求め、そこを起点として時代を下ってくる。
 神話 … 中臣氏 … 藤原鎌足 … 藤原秀郷 … 佐野氏の始まり(佐野庄と佐野姓) … 鎌倉幕府御家人・地頭としてのの佐野氏 … 在地領主・国人としての佐野氏 … 戦国大名佐野氏 … 大名改易、旗本佐野氏
この流れで惣領(そうりょう)の名前を一本の線としてつなぎ、すっきりしたものにしたい。その上で、別の説もある場合、付け加えていくことにする。
ここで、主に参考にしたのは次の系図集である。

・『尊卑分脈』(そんぴぶんみゃく)
 南北朝から室町時代初期に完成。編者は洞院公定。日本初期の系図集。
・『寛政重修諸家譜』(かんせいちょうしゅうしょかふ)
 江戸時代中後期に完成。寛政一一年(一七九九)~文化九年(一八一二)
 編集は江戸幕府。若年寄・堀田正敦ら。一七九八年までのことが記されている。
・『続群書類従』(しょくぐんしょるいじゅう)
 江戸時代後期に完成。発刊は明治になってから。
編集は、塙 保己一(はなわ ほきいち、延享三年(一七四六) - 文政四年(一八二一)
『群書類従』に続いて編集が進められ、塙保己一没後は弟子が引き継ぐ。
・『田原族譜』(たはらぞくふ)
 明治一六年(一八八三)発刊。
 編集は山士家左俜(やましげさへい)。栃木県下都賀郡大前村の元名主、神主。栃木県 の史誌編纂(ししへんさん)史科材料調査委員。主に地元の秀郷子孫諸家の系図を収集し編纂。

また、あくまでも軍記物でフィクションを含むが、『佐野宗綱記』も参考資料とした。

佐野氏の居城だった唐沢山城趾は、本格的な発掘調査が進み、国指定史跡になった。
 今後は佐野に関わる人々にも、さらに光を当てていかねばならない。その一環として、佐野氏の系譜がより明らかになることを願っている。本書が一助になれば幸いである。

本文略