西郷隆盛  (2003.1.12掲載)
 

 西郷隆盛の写真は1枚も現存しない。西南戦争に際し、西郷隆盛の暗殺を防ごうとして、その顔を知られないように、弟子たちが写真を処分してしまったからだと言われている。
 図1の「西郷さん」はよく見かけるが、これは絵である。西郷隆盛死後、お雇い外国人の彫刻師・画家E・キヨソーネ(イタリア人)が描いたものだ。キヨソーネが明治政府に雇われて来日したのが1875年(明治8)だが、この2年前に西郷隆盛は征韓論に敗れ鹿児島に去っていた。そして、1877年(明治11)の西南戦争で西郷は死んでいる。キヨソネは西郷に会ったことはないはずだ。写真もない。

 では、どのようにしてキヨソーネは、顔を知らない西郷の肖像画を描いたのか。

 下の図2は西郷隆盛の弟、西郷従道(さいごう・つぐみち)、図3は従兄弟の大山巌(おおやま・いわお)である。キヨソーネは、近親者であるこの二人をモデルに、西郷隆盛の肖像を描いたらしい。
 従道の目のあたりは、図1の隆盛像の目に似ている。
 大山巌は、容貌も性格も西郷隆盛に似ていたと言われるが、顔の輪郭や鼻から口にかけては図1に似ている。
 我々が西郷隆盛だと思っていた肖像は、実は、西郷従道と大山巌の合体だったのだ。

 西郷従道は、海軍大臣、内務大臣、海軍大将、元帥、伯爵。明治35年没。
 大山巌は、陸軍大臣、内大臣、陸軍大将、元帥。日露戦争では満州軍総司令官。大正5年没。
二人とも政府の要人として生涯を全うしている。しかし、その肖像はあまり知られることなく、モデルとなった西郷隆盛像が人々の記憶の中に留まっている。

図1 西郷隆盛           図2 西郷従道           図3 大山巌

     


*課題
 西郷隆盛の写真がない理由を、「暗殺防止のため処分」と安易に書いてしまった。
これは、本で読んだ知識だが、果たして、そんな単純なものだろうか。
 歴史的に「逆臣」「悪人」の汚名のもと葬られた人物は、その業績も消されてしまうことが多い。
西郷隆盛の幕末から維新前期における偉大な業績は、消すことは出来ない。せめて、肖像だけでも消してしまおうとの思惑があったのではないだろうか。
 さらに調べてみる価値はある。