| 踊り場で中年の男が、あたりも気にせず大声で叫びだす。それを気にもとめず、若いカップルが口づけしながら通り過ぎてゆく。私はどちらも気になりながら、もっと気になるものを見るために地下鉄の階段をせっせと上っていく。鉄製の手すりが、入り口から射し込む午後の太陽に照らされくっきりと壁に影を曳く。やがて最後の段を上り終えると、私の左側にそれはあった。 澄みきった青空に突き刺さるが如くそびえ立つ4本の褐色の塔。それはまるで硬い地面を突き破って生え出た巨大な筍(たけのこ)集団の様でもあった。 --サグラダ・ファミリアを初めて見たときの印象
地中海に面したスペイン第2の都市バルセロナ。ピカソ、ミロ、ダリといった多くの芸術家を生んだ港町。そして、かの偉大なる建築家、"アントニ・ガウディ"(1852−1926)を生んだ街。 銅細工職人の息子として生まれたガウディは26歳の時、パリ万博に展示する革手袋店のショーケースをデザインする。それが後のパトロン、当時実業家でありまた政治家でもあったグエルの目にとまる。以後彼の惜しみない協力のもと数々の独創的な建造物を発表し、新しい建築の世界を切り開いていった。そのガウディの生涯賭けた代表作が"サグラダ・ファミリア(聖家族教会)"である。他にミラ邸、バトリョ邸、グエル邸、ビセンス邸などがあり、どれもが奇妙で芸術的な形をしている。確か建築家ル・コルビュジエの言葉に"建築は住むための機械だ"というのがあったが、ガウディの建築は、"住むためのオブジェ"といった感じだ。 バルセロナにはガウディの建築以外にも立派な建物が数多く存在する。19世紀末、スペインに興ったモデルニスモ<近代様式>とよばれる新しい芸術運動が、ガウディをはじめ当時の芸術家たちを刺激した。おりしも産業の発達や人口の増加に伴って建築ブームが起こり、数々の装飾的建造物が建てられたのである。
翌日朝早めにホテルを出、サグラダ・ファミリアの近くにある"サン・パウ病院"を訪れた。非常に格式高い煉瓦造りの病院で、建物内外部に施された美しい彫刻やステンドグラスは、先に記したモデルニスモの建築の中でもとりわけその特徴をよく表している。 病院の前からガウディ通りと呼ばれる道を通ってサグラダ・ファミリアへと向かう。一歩また一歩と進むにつれ巨大な筍群が朝もやの中から威風を現してきた。 入り口で500ペセタ(当時約550円)払って中に入る。ちなみに入場料は教会の建設費に当てられるらしい。お金を払っているにも関わらず、建設に一役買っている気がして何となく嬉しくなる。今日のお目当てはあの塔だ。
既に完成している四本の塔には、エレベーターか階段で上ることができる。私は塔の高さを身体で感じ取ろうと階段を選んだ。 それは横幅約70cm程の左回りに上がる螺旋状で、マンションの非常階段の様に円の中心に支柱はなく、手すりもない。そればかりか、所どころに明かり取り用の窓が足もと近くに空いており、そこから否応なしに地上が望めるといった按配。酒を飲んでいたら落ちてしまいそうな造りだ。 ひんやりとした暗い空洞の中を、肩で壁を時々掃除しながら登っていくと、やがて隣の塔へ連絡するブリッジの所へ出た。もうこの辺は相当な高さで、ブリッジの上からはバルセロナの街が一望できる。私はこういう高いところが好きだ。煙やナントカと同類なのかも知れない。 市街地とは反対方向にまっすぐな道が一本貫いており、その突き当たりに先ほど見た煉瓦造りのサン・パウ病院が見える。病院から教会までが一直線。ちょっとシュールだ。向かい側の4本の塔は現在も工事中で、細長いクレーンがゆっくりと回転している。その下では建設機械の稼働音が今日も絶え間ない。 一世紀以上前に着工されたこの建物が完成するまで、あと200年とも300年かかるとも言われている。その全ての工事が終わる頃には、私はもうこの世にいない。私の骨すらも褐色の土と化しているだろう。そんな事を考えながら、傍らに突き出た褐色のこんぺいとうの様なあるいは獣の角の様な形の石のオブジェを眺めていると、いつか病院で見た自分のレントゲン写真の、脊椎の一片に見えてくるのだった。 --1993.1
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