”ヨーロッパの街”というと、まず思いつくのがパリではなかろうか。(こう書くと、いいやロンドンだ、とか、ローマだよとか、中にはハウステンボスなんていう人もいるかもしれないけど、私がそう思うので、この場はパリということにしておいてください)
ドイツ方面からの夜行がパリEST(エスト)駅に到着した。プラットホームに次々と湧き出す乗客たち。家族連れ、カップル、学生、ビジネスマンetc...。その中に、あたりをきょろきょろ見回しながらスーツケースを引きずる東洋人の男が一人。これが私であった。 フランス語はおろか、英語もおぼつかないこの男が見まわり中の警官に話し掛けたのにはそれ相応の理由がある。さっきから駅構内をいくら探しても、使えるコインロッカーが見当たらないのだ。身振り手振りで意思を伝えると、2人のうち1人の警官がBombeという単語を発した。どうやら、爆弾テロ騒ぎでパリじゅうのロッカーが封鎖されたらしい。荷物は持ったまま移動せよ、とのことであった。
この日私は夕方にパリを発ち次の都市へ向かう予定であったので、そのままスーツケースを引きずり、地下鉄に乗ってギュスターブ・モロー美術館へと向かった。 ギュスターブ・モロー美術館はルーブルやオルセーのようにメジャーではないが、私には以前から訪れたい美術館の1つであった。ふつう優れた画家の作品といえば世界中の美術館に点在しがちであるが、ことモローにおいては、彼のアトリエであったこの建物に入りさえすれば、そのあでやかな作品のほぼ全てをたんのうすることができる。入り口で荷物を預かってもらい、身軽になって絵のひとつひとつを食い入るように見入った。気に入った作品をカメラに収めた。
昼食を済ませ、再び地下鉄に乗る。このとき、うっかり財布を胸のポケットに収めていて、あとでえらいことになるのである。 ホームに下りて、ちょうど来た車両にひょいと乗りこんだ。右手にカメラ、左手にスーツケースを持って。そのとき、女が目の前でジャンバーを脱いで広げた。なんて邪魔なことをする!後ろから続いて客が乗りこんでくるというのに、と思った瞬間、女は電車を降りた。ふと見ると、胸のポケットにあった皮の財布が消えている。とっさに私は車外へ出た。しかし、そのときには女も、後ろから乗ってきた客も、ホームから消えていた。 こうして、私はいくらかのフラン札とユーレールパスを失った。しばらくは呆然とホームで来ては去る地下鉄の車両を眺めていたように思う。 パリの忘れられない思い出である。
さて、次の日の朝、私は若い女の子とエッフェル塔の付近を散歩していた。 けっきょく出鼻をくじかれた私は、パリに1泊することにし、ガイドブックに載っている1ツ星ホテルに宿泊した。翌朝めざめると、枕元にこの女性が寝ていた。だったらびっくりしていただろうが、実は朝食のとき同じテーブルにいたヤマトナデシコである。彼女はこちらに留学している友達を訪ねて来たのだが、昨夜は連絡が取れなかったらしく、昨日の一件に意気消沈しながらもエッフェル塔見物を誘った私に、同情してついてきてくれたのである。荒木経維夫人の故・陽子さんのファンだそうで、2人でシャイヨ宮を散歩しながら「センチメンタルな旅・冬の旅」<※1>などについて語り合った。エッフェル塔の見えるテラスでサンドイッチをほうばる彼女は、なんだか陽子さんになった気分だ、と言った。私もちょっぴり荒木経維になったような気がした。暖かい日差しが2人の影を作っていた。 彼女と別れたあと、私はひとりモンパルナスの駅からレンヌ行きに乗った。列車は定刻どおり出発した。短いパリ滞在であった。 --1996.春 <※1>:1991年に発売された荒木経維の写真集
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