59回別府大分毎日マラソン(2010.02.07)

 

福岡国際〜レース前

    福岡国際で明らかとなった課題を踏まえ、ポイント練習は必ず2日で1セットとし、ポイント練習の前日には必ずある程度距離を踏んで、重めの脚で取り組むようにした。

    年末〜年始にかけて、レースペースよりも10〜20秒遅いミドルペースで30km走を3本、25km走を1本実施した。また、年末年始で延べ8日間、195kmを走り込んだ。

    仕事が忙しいから、眠いからという甘えは捨てて、予定したメニューは必ずこなすようにした。

    1月21日に、別大マラソンで2時間40分を切る夢を見た。しかも、前半が1時間20分11秒、後半が1時間19分17秒のネガティブスプリットでゴールするという、やけに具体的な夢だった。

    1月24日の千葉マリンハーフでは、予め脚を重くした状態で1時間16分05秒(ネット:1時間15分59秒)で走れた。

    別大1週間前にまさかの土日連続出勤が入ったが、レース当日に出勤指令が出るよりははるかにマシと前向きに捉え、日曜の夜に予定通り16kmP.R.を実施した。しかし、さすがに疲労が出たのか翌日は体調が低下し、定時に上がって10時間寝た。そのお陰で、今までの疲労も一気に解消した。

    2月3日夜、小雪のパラつく非常に寒い中を4kmP.R.。

    2月5日早朝、出勤前に最終刺激として2kmを7分03秒で上がる。脚は非常に良い状態で仕上がっていると感じた。 

    福岡国際からの2ヶ月間、明確な目標と意志を持って、高いモチベーションを維持してここまで来られた。気が付けば、1月走行距離が400km弱と過去最高を更新したが、疲労や故障もなく、メリハリを付けて取り組めたと思う。やるべきことはやったという満足感があった。

 

レース前日

 7:30起床。ぐっすり眠れ、12日連続出勤の疲れが解消出来た。稲毛まで車で送ってもらい、家族から激励を受けて出発。稲毛〜品川まで、総武線快速のグリーン車を使う。今日のような場合、グリーン車の550円は非常に価値があると思う。車内で、ここまでのプロセスや明日のレース展開などを考える。今まで、昨日よりも速く、昨日よりも上へと強い意志を持ってランニングに取り組んできた。現在37歳で、今がランナーとして最も充実している瞬間かも知れない。ここまで故障せずに来られたことに対して、また、自分を支えてくれた家族や暖かく見守ってくれた大勢の方々に対して、感謝の気持ちで一杯となった。

 11時45分発のJALは、15分遅れで離陸。2007年防府で知り合った複数の方々と同じ飛行機だった。13時50分に大分空港着。高速バスで別府北浜に向かい、別府駅前のホテルシーウェーブ別府にチェックイン。しばらくゆっくりして、移動の疲れを癒す。去年の事があったので、腹の具合にはナイーブになっていたが、今年は全く問題ないようで嬉しかった。

ウインドブレーカーとランニングシューズに履き替えて、17時から行われる激励の夕べ会場のビーコンプラザに向かう。第1コールとなる選手受付を済ませ、レセプション会場に入る。テーブルはナンバーごとに割り振られており、自分のテーブルは2時間44〜45分と思われた。その中に、2007年防府で知り合ったOさんと、ホームページで知り合ったイッシーさんがおられ、挨拶を交わした。また、同じくホームページで知り合ったみはみはさんが、「ぐっちゃんさんはいらっしゃいますか?」とわざわざテーブルまで自分を探しに来て下さった。来賓の挨拶に続いて乾杯、そして歓談。今回は去年ひどい下痢に見舞われた教訓から、酒は一切飲まず、生ものと揚げ物は控え、炭水化物や消化の良いものを中心に食べた。しばらくして、今度は自分からみはみはさんのテーブルを訪ね、ひとしきり話す。18時にお開きとなり、ホテルまで軽くジョグをして帰る。夜に、提携ホテルの源泉掛け流し温泉に入りに行く。貸切状態で、ゆっくり温まることが出来た。また、もう少し食べておきたかったので、駅前の郷土料理屋に入る。とり天が非常にくどく、全て残した。腹ごなしに海岸まで歩き、ユメタウンでお土産を買う。ホテルに戻り、今までの完走記を読み返してマラソンに対する想いを再確認したり、今まで積み重ねて来た練習を振り返ったりして過ごした。23:00就寝。

 

レース当日

7:00起床。朝まで一度も起きずに熟睡することが出来た。疲労感は全くなし。ホテルで朝食。和定食を頼んだが、もう少し食べたいかな?という位の量だったので、部屋に戻ってカステラを食べる。出発までしばらく時間があったので、荷造りをしながらテレビで今日から新しく始まる「ハートキャッチプリキュア」を観る。

9:10チェックアウト。風はほとんど感じず、最高のコンディションのようだった。別府北浜のバス停に向かうランナーが別府の目抜き通りを大勢歩いていた。送迎バスでスタート地点の高崎山・うみたまごまで送ってもらう。距離にして5kmほど。既に大勢のランナーが到着しており、おさる館3階の控え室はごった返していた。しばらくして、みはみはさんとお会いしたので昨日聞きそびれた連絡先を教えていただく。昨日に引き続き、今までの調整や今日のレース展開を話す。10時から最終コールが始まり、ナンバーカードを装着したランニングシャツを持ってチェックを受ける。別大マラソンは、記録の正確性を期するためか前後のナンバーカード両方に計測用チップが付いており、ウエアが重いのが難点だ。そのあと、ニッポンランナーズの齋藤コーチにお会いし、あいさつする。コーチは自分のことを覚えていてくれ、「ずいぶん走力を上げられたようですね」と声を掛けてくれた。コーチの今日の目標は、2時間40分近くで走りたいとのことだった。

11時ちょっと前からアップ開始。国道10号(別大国道)の歩道を、別府方面に向かって約1kmを往復。走ってみて、風が予想と異なり東から吹いているように感じた。例年、別大マラソンは西または北の風が吹くと言われ、今回のコース変更も、西風を受ける区間を長くして好記録を出やすくした、とされているのに・・・と思った。脚には適度な張りがあり、やっぱり今日は調子がいいぞと感じた。

アップ終了後、レースウェアに着替える。今日はランパン,ランシャツ,アームウォーマー,グローブの真冬仕様。左右のアームウォーマーにカーボショッツを1個ずつ入れ、更に前のナンバーカードにガムテープでもう1個固定。今回は15km以降、10kmおきに補給する計画を立てた。荷物をまとめ、ふたたびみはみはさんと合流してトラックに荷物を預ける。天気は良かったが、やはり外は寒かった。スタートまでしばらくおさる館の中で風を凌ぐ。ここで、イッシーさんとその友人にお会いし、今日の健闘を誓い合った。

スタート10分前にプレ・ラインナップ。一列15人で、自分は前から26列目の右から3番目。市民マラソンのように割り込みは許されない。自分の前に、ジョグノートで知り合ったシュンさんがいらしたのであいさつを交わす。スタート5分前にスタート地点の別大国道へ移動。テレビ中継が始まり、ヘリコプターが低空を旋回していた。心拍計を作動させ、準備完了。通常、スタート直前は緊張で心拍が高めなのだが、今日は不思議と低めだった。

 

スタート〜5km(18:44/0:18:44  HR=161)

 12:00スタート。ロスはほとんどなかったが、スタート直後で道路工事が行われており道幅が狭くなっていたせいで走りにくかった。走り始めてすぐに、ナンバーカードに貼り付けていたカーボショッツが1km手前で脱落するアクシデントが発生。すぐに取れるよう軽めに固定していたら、走っている振動で本当に軽く取れてしまった。まさか拾うわけにも行かないので、補給のタイミングを変更しなくては、と考えた。そうこうしているうちに、1kmの通過を見逃してしまった。2km通過は7分40秒弱で、若干遅めだったがまだランナーでごった返しており、流れに乗って走る。4km通過が15分20秒くらいで、キロ3分50秒か・・・少し遅いぞ、と考えていたら、5km通過は18分44秒でびっくりする。4kmまでの距離表示がきっとずれていたのだろう。結局、想定よりも早いペースで5kmを通過した。

 

5km〜10km(18:57/0:37:41  HR=166)

 工事区間は終わり、別大国道の3〜4車線を広く走れるようになっていた。ランナーのペースも徐々に安定してきて、そこかしこに集団が形成されつつあった。イッシーさんと友人の方を視界前方に捉えていたので、一定の距離を保って付いて行く。常に福岡国際の体感と比較しながら走っていたが、福岡では入りの5kmも結構飛ばした感覚があり、5km19分が楽ではなかった。それに引き換え今日は、はるかにゆとりを持って走れていた。別府観光港に停泊しているフェリーを横目に淡々と走る。別大国道は、道沿いに南国を連想させる常緑樹が沢山植えられているのが印象的だ。9kmで折り返し。このあたりでかなりまとまった人数での集団走となった。自分のペースから考えると、2時間40分カットを意識した集団と思われた。風は弱いか、むしろ向かい風に感じたが、集団の中で走っていたので助かった。この5kmは2時間40分ペース。

 

10km〜15km(18:55/0:56:36  HR=165)

 別大国道を別府市内に向けて戻る。集団の中でのポジションが多少変わることはあったが、優に20人はいると思われる大勢のランナーと共に淡々と走る。脚取り,呼吸ともに余裕があり、ここで体力を温存しようと思った。この区間で、イッシーさんに「いいペースですね」と声を掛けられ、「このまま行ければ良いですね」と返事をした。国道沿いには応援してくれる人々が沢山おり心強かったが、自分の走りに集中していたせいかあまり意識の中に入ってこなかった。少し前に齋藤コーチが走っていたが、集団から離れ、自らのペースで走っておられた。15km通過もほぼイーブンペース。別府市内を走っているとき、時折とんこつラーメンのにおいが流れてくるのには少々参った。

 

15km〜20km(19:11/1:15:47  HR=163)

 別府市内を離れ、海沿いの別大国道を走る。道路が大きく左右にカーブし、しかもバンクとアップダウンも加わるという別大国道特有の道路事情があり、集団は最短距離を走るべく、時折道路を大きく横切って逆サイドに移動する。まるで魚の群れのようだ。去年の別大では、スタート直後から身体に力が入らず、西へ向かう別大国道で次々とランナーの集団に抜かれ全く付いて行くことが出来なかった。別大国道は、単独で走ると気が遠くなるほど道幅が広く、心細かったことを覚えている。それに引き換え、今年はしっかり集団に入り、かつ体力気力ともに横溢し、力強く走ることが出来た。給水に関しても、誰かがゼネラルテーブルから取って回して貰えたので、助かった。ただ、集団のペースがわずかに落ちてきており、少々脚を持て余すようになった。実際、この5kmは19分を大きく越えてしまっており、楽をした分だけ心拍も下がっていた。

 

20km〜25km(18:47/1:34:34  HR=165)

 2008年のつくばマラソンで、集団走ではお互いに楽をしようという意識が働き、結果としてペースが落ちるという経験した。今回も正にこのパターンと感じた。現在の自分の余裕度を確認し、ほとんど無意識のうちに集団を飛び出した。ハーフ通過はラップを取らず、時計表示で確認したところ1時間19分50秒台だった(公式計時:1時間19分58秒)。客観的にみて、40分カットには厳しいタイムだったが、不思議と悲観的にならなかった。集団を飛び出しても、誰も付いて来なかった。少し前に2,3人走っていたので、付かず離れずの距離でしばらく並走したが、いつの間にか後ろに見えなくなっていた。また、200mくらい先にかなりまとまった集団が目に入っていたが、ほとんど距離は縮まらなかった。先ほどまでの集団とは、明らかに走力が上のグループと感じた。この区間は向かい風で、風除けも期待出来ず我慢の走りが続いた。25km手前でようやく前の集団と距離が詰まりだし、また集団からこぼれて来たランナーを抜くことが出来た。1kmごとのタイムがいずれも3分50秒を切っていたので、スピードは維持出来ていると感じており、結局この5kmは18分47秒と、大きく戻すことが出来た。この区間が、精神的に一番きつかったが、最大の勝負どころでもあったと感じている。

 

25km〜30km(19:06/1:53:40  HR=166)

 大分市内に入り、前の集団に完全に追い付いた。それどころか、大分川に掛かる弁天大橋を越えるとき、集団よりも自分の方が速かった。先ほどまで全然差が縮まらなかったのに、不思議なものだ。また、橋の上を通過しているとき、右手にフィニッシュ地点の大分市営陸上競技場が見えた。後で行くからな、と気合を入れ直した。

28km付近で、ふくらはぎがピクピクしてきた。自分はたいてい30km手前でふくらはぎが怪しくなる。しかし、完全に攣るという状態ではなかったので、歩幅を狭めてピッチ走法に切り替えたり、腰の動きを意識して極力脚を使わない走りを心掛けたりして凌いだ。また、アームウォーマーに忍ばせていたアミノバイタルを飲み、筋力の回復を期した。30km通過は1時間53分40秒。5kmを18分55秒で押して行ったときのタイムが1時間53分30秒と記憶していたので、10秒遅れていることを確認した。それと同時に、この5kmも19分少々でカバーしており、残り12kmの走り次第ではまだ40分を狙えるとも思った。この区間も、向かい風基調だったと思う。

 

30km〜35km(18:50/2:12:30  HR=167)

 31km過ぎの三海橋交差点を右折し、更にすぐ先の三川交差点を右折して進路を西へ戻る。1kmごとのタイムが再び3分45〜46秒付近まで上がって来たことを考えると、今度は追い風に変わったようだ。30km過ぎで2個目のカーボショッツを補給。ふくらはぎは相変わらず怪しかったが、うまく対処しながら走れていた。この区間で、430番台のランナーと並走するようになり、給水ポイントでボトルを回しあったりした。これが良い刺激になったようで、脚,呼吸共にきつくなり掛けていたが、強い気持ちで走ることが出来た。結局、この5kmは18分50秒と再びペースを戻すことが出来た。35km手前で、恐らく2009年の長野マラソンで最後に追い付けなかった、がっしりした体型のランナーを抜くことが出来た。今日は自分に分があるようだった。

 

35km〜40km(18:43/2:31:13  HR=171)

先の5kmで少しタイムを戻したため、まだ40分カットが狙えるはずだと考えた。しかし、身体はかなり限界まで来ており、ここから先は、自分との戦いになると思った。430番台のランナーとは、ところどころでお互いに前に出たり後ろに下がったりしながらまだ競り合っており、2人でかなりの人数を抜いた。この頃は全身がきつくなってきており、ふくらはぎ云々を言っていられる状況ではなかった。しかし不思議なもので、身体はきついながら気持ちは全く衰えておらず、気持ちに身体が付いて来てくれた。1kmごとのラップは35kmまでよりもむしろ上がっており、35〜39kmの4kmを初めて14分台で通過した。しかし、この付近で430番台のランナーは更に加速し、これにはさすがに付いていくことが出来なかった。その一方、2007年防府や2009年別大でご一緒したHさんを抜いた。抜くとき、一瞬驚いた表情をしていたのが見えた。この5kmは18分43秒で、今回最も速いラップを叩き出した。この区間は当然きつかったが、2007年勝田,2007年防府,2008年つくばなど、良い走りが出来たレースが思い出され、今回はこれらと同等か、それ以上の走りが出来ていると、一杯一杯の頭で考えたりした。

 

40km〜ゴール(8:17/2:39:30  HR=173  152位/完走470人)

 残り2kmを通過するときに時計を見て、2時間40分まで残り8分少々あることが分かり、あと2kmならばキロ4分で走れると感じた。ゴール直前の難所である大分川に掛かる舞鶴橋を越えるときは、左斜め前方からの風が吹いてきつかったのだが、ひたすら攻めの走りに徹した。残り1kmで4分以上の貯金を確認し、ここで初めて40分カットが確信に変わった。舞鶴橋を渡り切って左折し、大分市営陸上競技場へ向かう土手下の道路に入ったとき、前方にみはみはさんを視界に捉えた。最後の最後でみはみはさんに追い付いたのは、何かの縁かも知れない、と思った。スピードは自分の方が上だったので、徐々に差を詰めて並びかけたとき、自分への気合入れも込めて「みはみはさん、行きましょう!!」と声を掛け、抜かせてもらった。トラックに入り、各コーナーには電光計時板が設置されていたので、残りの距離からフィニッシュタイムを割り出そうとしたが、そこまでの余裕はなかった。第4コーナーを回り、ゴール地点の電光計時板が見えた。ゴールする直前の数秒間、デジタル表示が2時間39分23秒、24秒と変わってゆくのを見ながら、そう言えば1月下旬に2時間39分28秒でゴールする夢を見たな、そして今、夢とほとんど変わらないタイムでゴールするんだな、と思った。そしてフィニッシュラインを通過するとき、ありったけの力を込めて吼えた。ゴールした後も、誰にという訳でもなかったが、獣のように叫んでいた。

 

ゴール後

自分の7秒後にみはみはさんもゴールされ、共に悲願だった40分カットを達成したことを称え合った。係りの人にフィニッシャータオルを掛けてもらう。トラック内の芝生に座り込んだとき、不意に去年の別大以降の様々なことが思い出され、感極まって人目も憚らずに声を出して泣いた。レース後に泣けたのは、2006年のつくばで初めてサブスリーを出した時以来だと思う。みはみはさんは、自分のすぐ隣で頭からタオルを掛け、身じろぎ一つしていなかった。それほどまでに追い込んで来たのだろう。みはみはさんとはホームページやブログを通じて知り合い、マラソンに対する想いも似ており同じ40分カットを目指していることから、今回初めてお会いしたにもかかわらず親近感を感じた。そして今日、同時に40分カットを達成し、不思議な縁を感じた。

 

去年、25kmで収容され競技場に戻って来た時、完走者がフィニッシャータオルを肩に掛けて誇らしげに語り合っているのが羨ましく、また自分が情けなかった。そして1年後の今日、因縁のレースで悲願の40分カットを達成し、最高の形で別大フィニッシャーとなった。去年の別大,福岡国際のリベンジをまとめて果たせたかな?と思う。

競技場の2階で荷物を受け取り、選手控え室に荷物を置いてシャワーを浴びる。今回はレース後すぐに帰路に就くため、さっぱりすることが出来てよかった。競技場入口の掲示板に記録速報が張り出されていたので確認した結果、自分の公式記録は2時間39分30秒で、完走470人中152位だった。

 

送迎バスで別府駅まで送ってもらう間に、いままでお世話になった方々へ2時間40分カットの報告メールを打った。空港行きの高速バスの時間を調べた後、トキハデパートの7階レストラン街で遅めの昼食を食べる。地鶏から揚げ膳を頼んだが、とてもおいしかった。客席から夕暮れの別府湾が望まれ、心地よい疲労感と共に最高に気分が良かった。このような充実感は、2007年の防府マラソンの時以来だと思う。ただ、防府マラソンのときは期せずして2時間45分59秒という好タイムが出たのに対し、今回は2時間40分カットを見据えて準備を整え、レースを展開し、結果を掴んだという点で決定的に異なる。17時20分発の高速バスに乗り、大分空港へ。バスが少し遅れ、慌しい搭乗手続きとなった。大分空港で再びみはみはさんとお会いし、自分よりも5分早い便で大阪へ帰られた。定刻に大分空港を離陸、定刻に羽田空港に着陸し、羽田からリムジンバスで帰路に就く。22時帰宅。

 

まとめ

 公式記録は2時間39分30秒で、前半ハーフが1時間19分58秒、後半ハーフが1時間19分32秒のネガティブスプリットだった。ネガティブスプリットは、2時間台のレースとしては2007の勝田全国マラソン以来2回目。5kmごとのスプリットも18分43秒〜19分11秒と30秒未満で収め、イーブンペースをマラソンの美学と考える自分としては会心のレース展開だった。レースコンディションは、気温が低めで風も弱かったが、東寄りの風だったことが予想外だった。そのため、9kmで折り返してから31kmまで、多少なりとも向かい風の中を走っていたことになる。

 

本レース最大のポイントは、20km通過後にそれまで一緒に走っていた集団と決別し、自分の力を信じて飛び出したことに尽きる。正に賭けだったが、今回はいい目が出た。また、25km以降、ふくらはぎが攣りそうになりながらも、強い気持ちで攻め続けたのが奏功した。欲を言えば、上がり2.195kmでもう少し上げたかったが、向かい風と橋越えがあったことを考えれば、8分17秒は良く走れた方だろう。

 

今回は、要所要所でマラソンの神様が味方をしてくれたと感じている。富士通の藤田敦史選手が、2000年の福岡国際マラソンで日本最高記録を出した時「神様は存在する。そして神様は奇跡を起こしてくれる。しかし、神様は死ぬほど努力をした者にしか力を貸してくれない。」と色紙に書き残しているが、その通りだと思う。自分は死ぬほどの努力はして来なかったが、去年の福岡マラソンが終わってから、自分なりに課題を見つけ、限られた時間で精一杯の準備をしたつもりだ。実際、レースを前にしてやるべきことは全てやったという、誰に対してでもない、静かな自信と誇りというべきものを持つことが出来た。そのような気持ちでレースに臨んだ結果、厳しい場面でそれまでの積み重ねが無意識のうちに発揮された。それが、神様や奇跡というものかも知れない。2時間39分30秒を構成する1秒1秒は、今までの積み重ねで掴み取った時間だと感じている。

 

マラソンに限らず、試験や発表会など、ここ一番という場面では、決まった期日に自身のコンディションを合わせる必要がある。マラソンの場合、100%以上の力が出ることはないし、まぐれは絶対に起きない。あとは本番にピークを合わせ、どれだけ100%に近い力を発揮出来るか、と考える。その意味では、今回は自分の持っている力をほぼ全て出し切れたと思う。100%のうち、95%は自分自身で調達し、2%が見えない力によって上積みされたといったところか。残りの3%は、今後の伸びしろということにしておこう。

 

2008年つくばで2時間45分を切ってから、今後の伸びしろ,年齢,身体能力を総合的に勘案して、2時間40分カットが手の届くギリギリのラインと見定めた。そして、2時間40分という高く険しい山に挑み、そこから見える景色をこの目で見てみたい、と本気で願うようになった。つくば以降、2009年は別大,東京,長野,福岡国際の4レースに出場し、東京と長野は共に2時間48分台、別大と福岡国際はDNFと4レース続けて跳ね返された。特に、福岡国際ではそれなりに手応えがあったにも関わらずDNFとなり、正直に告白するとレース後に「そろそろ潮時かな・・・」と考えたりもした。また、福岡国際の後、家族旅行で別府の地獄めぐりをしているとき、2ヵ月後(今回の別大)に再びここに来ることはもうないだろう、と半ば本気で考えていた。しかし、走り終わって数日後に、今回のプロセスで過去数年間と決定的に異なる点に気が付いた。それならば、別大までの2ヶ月間で自分で立てた仮説を元に、福岡国際で明らかになった弱点を徹底的に潰し、別大で検証してみようと思った。

 

果たして、自分が立てた仮説は正しかったようで、遂に2時間40分という山を登り切った。2時間40分を切れば感じることが出来るもの、2時間40分を切らなければ感じることが出来ないものが確かにあった。ここに至るまでの道は非常に険しく、何度か挫折しそうになったが、結局はその全てが今日のレースに繋がっていたのだろう。自分の可能性を信じ、諦めないで本当に良かったと思う。折りしも現在、高校や大学の受験シーズン真っ盛りだ。自分は現役で大学受験を全敗したが、浪人生活を送った1年間でどんな試験にも対応出来るよう必死に勉強をして、1年後に国立を含む全ての大学に合格した約20年前のことを思い出した。

 

2010/02/09 記)

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