源氏無用物語外伝

【七夜】 〜少女〜





 晴れた天気が続いた皐月が過ぎ、陽のささない日が多くなった。紫陽花の花が露に濡れている日も少なくなく、梅雨が近づきつつある。そんな曇り空の日のことであった。



 ここは二条邸。砂沙美姫が天地の君と供に暮らしている趣のある邸である。天地の君は六条の方に出かけておられ、砂沙美姫は邸の内で魎皇鬼と庭を眺めていた。


「今日も天気が良くないね、魎ちゃん。」
「みゃあ〜ん」
「洗濯物も乾かないしなあ。」
「みゃみゃ」


 砂沙美姫は雲に覆われ、昼にもかかわらず薄暗い空を見ているとわけもなく不安な気持ちになった。

(あの紫陽花の花、あのとき天地兄ちゃんがくれた藤の花に色が似てる・・・)

 砂沙美姫は春先に催された藤の花の宴を思い出していた。
 無理を言って天地の君についていき、不安から涙を流してしまったのだった。

(「ずっとそばに居るからね。なにも心配しなくていいよ・・・」)

「天地兄ちゃん・・・・」

 何故かひどく心が弱くなっている自分に気がついた。

「そうだよね。なにも心配することなんかないよね。」
「みゃあ?」
「なんでもないの。夕食の支度でもしよっか!」
「みゃみゃああ!」
「はいはい。じゃ、今日は人参の料理にするね。」
「みゃあーん!」


 魎皇鬼を頭の上にのせ、ゆっくり立ちあがって台所に向かいつつも、心の中の不安が振り払いきれない自分に奇妙さを感じていた。それとも砂沙美姫はこれから、いや今天地の君の身の上に降り懸かっていることを感じとっていたのだろうか。
 空は相変わらず暗く、陽が遮ぎられていた。









 陽が完全に落ちた頃、天地の君がお帰りになった。
 出迎えた魎皇鬼の頭を撫でている天地の君に、砂沙美姫は何かいつもと違う雰囲気を感じていた。

「お帰り、天地兄ちゃん。」
「ただいま、砂沙美ちゃん。遅くなってごめんね。」
「ううん。ご飯、できてるよ。」
「う、うん。」
「?」

 やはり、どこかおかしい。
 食事の支度を整えながら、砂沙美姫は天地の君の不自然さを気にせずにおれなかった。
 砂沙美姫と向かい合って食事しつつも、天地の君はなにか落ちつかない様子である。

「どうしたの?天地兄ちゃん、なんか変だよ?」
「そ、そうかな。そんなことないよ。」
「なにかあったの?」

 砂沙美姫がそう尋ねると、天地の君はなにか言い出しにくそうにしていた。

「ねえ、天地兄ちゃんたらぁ。」
「じ、実は・・。」
「実は?」

 言いにくそうに天地の君は魎呼姫との婚約を砂沙美姫に話した。

「・・・・・・ということなんだ。」
「・・・うそ」
「い、いやその子供の頃からの約束っていうか、なんていうか、」
「やだ!そんなのやだ!」
「で、でも、もう決まっちゃって・・・」
「て、天地兄ちゃんのばかぁ!!」

 砂沙美姫は泣きながら自室に走った。

「さ、砂沙美ちゃん!」

 天地の君が後を追ってきたが、障子に止め金をかけ、入れなかった。
 しばらくの間、砂沙美姫を呼んでいたが、やがてあきらめたように部屋の前から去って行った。




 砂沙美姫は布団に顔を伏せ泣いていた。

(ひどい!ひどいよ、天地兄ちゃん!砂沙美の気持ちなんかちっともわかってない!)

「うっうっ・・・」

 涙がとめどなく溢れた。何も考えたくなかった。だが、涙に濡れる瞳が拒んでも瞼の裏には天地の君の姿が浮かんでしまう。

(どうして?どうしてなの?)

 天地の君に言いたいこと、聞きたいことが頭の中に渦巻いていたがどれも言葉にはならなかった。悲しさ、悔しさ、憤りが入り交じって唇からは嗚咽しかもれず、心は虚空を彷徨わんばかりであった。











 砂沙美姫は夢を見ていた。
 女の人が泣いている。
 藤の花房を露に溶かした色の髪をした奇麗な女の人だ。


 この人は誰だろう?
 何故泣いているの?


 知っているような気がする。
 そう、ずっと前から。


 誰だろう・・・
 自分と何か関係のある・・・・


 ふと、女性の姿が消えた。かわりに別の誰かが現れる。


 あれは・・・天地兄ちゃん?天地兄ちゃんなの?


 その人物は何も言わずに背を向けると見知らぬ・・いや、顔の見えない女性とどこかへ去っていこうとする。


 待って!いかないで!砂沙美を置いていかないで!


 追いかけてもその背中には手が届かない。


 やだ!おいてかないで!!!




「・・・・やだ・・いっちゃやだ・・・・天地兄ちゃん・・・」

 そのとき砂沙美姫の目が覚めた。

 既に夜が明けているようであった。

「そっか・・・・あのまま眠っちゃったんだ・・・」

 頬にはまだ涙が伝っていた。



 起きあがり、部屋の外に出ると外は雨が蕭々と降り注いでいた。
 そのまま母屋に向かうと、魎皇鬼が砂沙美姫の姿を見つけて駆け寄ってきた。

「みゃあ〜ん」
「おはよ、魎ちゃん。」

 元気のない砂沙美姫を見て魎皇鬼は心配げだった。

「お、おはよう砂沙美ちゃん。」

 振り向くと天地の君がいつのまにか起きてきていた。

「・・・・」

 砂沙美姫はつんと顔を背けると、魎皇鬼を抱えて走り去った。

「あ・・・・・」

 天地の君はそれを見送ることしか出来なかった。









 あれから四日が過ぎた。
 その間、砂沙美姫は天地の君と一言も言葉を交わしていなかった。更に、天地の君が普段邸にいる間は砂沙美姫の住まう西の対で砂沙美姫の作った食事を供に食するのだが、つい魎呼姫の事が気に掛かって悪いこととは思いつつも天地の君の食膳におかずを乗せずに出してしまっていた。
 つまり天地の君の食事はご飯と吸物のみという有り様であった。
 天地の君がそれに文句の一つも言わず、食べているのを見るにつけても済まなく思うのだが、やはりまだ許す気にはなれなかった。

(天地兄ちゃんが・・・悪いんだからっ・・・・)




 次の日から二条邸には急に多くの客が訪れだした。
 魎呼姫との婚約を耳にした天地の君の友人たちが祝福に来はじめたのである。東の対は訪れた客でにわかに騒がしくなり、天地の君もその応対に追われていた。
 砂沙美姫の事情を知るのは清音の中将ぐらいであるので、砂沙美姫は東の対には顔をだせず、魎呼姫の噂を聞く事もできなかった。

(噂が聞けなくてちょうどいいや、天地兄ちゃんのにやけた顔も見なくて済むし・・・。そう、あっちに行きたくなんかない!)

 どこか自分に言い聞かせるような考えを抱きつつ、砂沙美姫は食事の支度に台所へと向かった。


 お膳を並べながら砂沙美姫はうっかり天地の君の分まで用意してしまったことに気がついた。

「馬鹿だね、今日は天地兄ちゃんこっちに来ないのに・・・」

 大勢の客の相手をしなければならない天地の君が西の対にこれるはずがない。それに今はきっと客へのもてなしとともに天地の君もなにか食べているに違いない。
 そう思って天地の君のお膳を片づけようとしたところ、驚いたことに天地の君がやってきた。

「砂沙美ちゃん・・・俺にもご飯もらえるかな。」

(え?どうして?)

 砂沙美姫は驚きつつも顔に出さないようにして無言でお膳を並べ直した。
 やはり天地の君のおかずは抜いてある。
 天地の君はいつも通り恨み言一つ言わずに食すると、

「ごちそうさま。」

 と言って、また東の対に戻っていった。
 そんな天地の君の様子に砂沙美姫は胸が苦しくなるような感覚を覚えた。




 次の日も天地の君は砂沙美姫と供におかず抜きの食事をしていった。

(もしかして天地兄ちゃん、ずっとこれだけしか食べてないんじゃ・・・)

 もう六日目である。精進料理もかくや、という量の食事では天地の君の身体が保つはずがない。砂沙美姫は天地の君の食を減らすと言うよりも自分の手料理を食べさせないと言う意図であったのだが、もし天地の君が他所で食事をしてないとしたらこれはかなりな仕打ちになってしまう。
 砂沙美姫は急に心配になった。




 七日目。ようやく客も減り始め、二条邸も落ちつきを取り戻しつつあった。

(天地兄ちゃん大丈夫かなあ・・・・)

 砂沙美姫は天地の君に対する憤りがいつのまにか薄れていた。天地の君が辛そうにしているのを見てしまったからである。
 砂沙美姫の前では控えめな笑顔を浮かべていたが、朝食後、天地の君の様子をこっそり物陰から窺っていたところお腹を押さえてげんなりとした溜息をついていた。
心なしか顔色も良くないように見える。

(どうしよう・・もう許してあげようかな・・・でも・・・)




 そうこうしている間に日が暮れてしまった。
 砂沙美姫は部屋の前で天地の君が来るのを待っていた。
 すると、いつもの時間に天地の君は西の対にやって来た。
 天地の君は砂沙美姫が部屋の前で立っているのを不思議に思ったらしく、

「どうしたの、砂沙美ちゃん?」

 と優しく声をかけた。

「・・・・・・・・・・・」

 返事のない砂沙美姫に天地の君は沈んだ表情になった。

「・・・まだ怒ってる?」

 砂沙美姫はそれに答えずに、

「・・・天地兄ちゃんはどうしてここに食事にくるの?」

 と尋ねた。

「だって砂沙美ちゃんの料理はここでしか食べられないし、それに・・・」
「それに?」
「砂沙美ちゃんの事が・・気になって・・。」

 心なしか天地の君の頬が赤いように見えた。
 砂沙美姫は天地の君がずっと自分のことを気にしていてくれたのを嬉しく思った。

「ごめんね砂沙美ちゃん、今度の事は・・」
「もういいの。」

 砂沙美姫は天地の君の言葉を遮って、微笑みながら言った。

「え?」
「それよりご飯にしよ!天地兄ちゃんお腹空いたでしょ?」
「う、うん。」
「さ、早く早くぅ。」

 と、天地の君の手を引っ張り、部屋に入った。
 そこにはいつもの、いやいつもより豪華な料理が既に用意してあった。
 天地の君は驚いた様子である。

「すごいね、この料理。」
「天地兄ちゃんのために作ったんだよ。いっぱい食べてね!」
「・・・ありがとう、砂沙美ちゃん。」

 砂沙美姫は言葉のかわりの花のような笑顔で答えた。
 それはいつもの明るく元気な砂沙美姫の笑顔であった。


 その夜は久しぶりに二条邸に笑い声が聞こえていた。
 砂沙美姫は天地の君の笑顔を見て想う。



    今は妹扱いだけど・・・いつかきっと天地兄ちゃんから・・・言わせてみせるんだから!





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