源氏無用物語
【若紫】 〜砂沙美姫と魎皇鬼〜
津名魅の宮との久しぶりの対面、夢のような一夜のあと、天地の君はまだ陽が昇りきらないうちに皇宮へ参内した。
そしていーかげんな公務をし、はやばやと退出した。
そのまま左大臣の邸に向かい、阿重霞姫の御機嫌とりをする。
「姫、昨夜はまことに申し訳ありませんでした。いやー、皇宮で剣術指南の勝仁殿につかまってしまいはからずも遅くなってしまいました。」
しかし姫はうつむいたまま黙っている。
「け、決して姫を軽んじているわけではないのです。ただ、どうしても断りきれなくて・・」
だが姫は黙っている。
まずい、これはかなり怒っていると冷や汗を流しつつさらに弁解する天地の君。
「阿重霞姫、どうか機嫌を直して下さい。次の機会には必ずうめあわせをしますから・・・ん?」
よく見ると阿重霞姫の身体がわずかに揺れている。
「あ、あのー、阿重霞姫?」
返事はない。
そう、阿重霞姫は。・・・・眠っていた。
「だああ、もう」
と言いつつもほっとする天地の君であった。
阿重霞姫をちゃんと布団に寝かせ、枕元に文を残して天地の君は自邸への帰路についた。
「さすがに疲れたなあ。」
何をしてそんなに疲れたのかというツッコミをよそに天地の君は自邸の二条邸にほどなくたどり着いた。
西の対にむかうと明るい少女の声が出迎えてくれた。
「天地兄ちゃん、お帰りなさい。徹夜でお仕事なんてたいへんだね〜。」
またしても後ろめたいものを感じる天地の君。
「う、うん。まあお役目だから。」
「朝御飯は?もう食べたの?」
「いやまだだよ。」
「良かったぁ!砂沙美ね、天地兄ちゃんと一緒に食べようとおもって待ってたんだよ。今すぐ用意するから待ってて。」
「ありがとう、砂沙美ちゃん。」
そう言うにつけても自分のいい加減さが気になる天地の君。朝食の準備をする砂沙美姫をながめつつ、砂沙美姫をこの邸にひきとったときのことを考えていた。
――― 数ヶ月前 龍皇池ほとり ―――
その日、天地の君は珍しく供もつけずに都からすこし離れた柾木神社にきていた。
社に程近いところにある龍皇池のほとりで一人ため息をつく天地の君−−−そう、一夜の契りの後なかなか会うことのかなわない津名魅の宮のことを考えていたのである。
「ああ・・津名魅様・・今ひとたびお会いしたい・・・」
なんとしても会って津名魅の宮のお気持ちを確かめたい。そう思いつつも機会なく数カ月が過ぎ去っていた。
(もしこのままお会いできなかったとしたら・・・)
そう思うとたまらなく身の置き場もない様な気持ちになり、伏せがちに池を見やるのだった。
そのときふと足元になにかがまとわりつく気配がした。
「みゃあ〜みゃあみゃあ!」
「え?なんだこれ?」
兎とも猫ともつかない見たことのない生き物が天地の君に擦り寄っていた。しかし、なんとも可愛げな様子なので、寂しさがしばし慰められる心地して、それの頭を優しくなでてやった。
「おまえ、どこからきたんだ?」
「みゃあみゃみゃあみゃあー」
「おかしな奴だなあ、おまえは。」
その生き物は天地の君の服の裾をひっぱり、しきりになにかをうながしているようであった。
「そっちになにかあるってのか?」
「みゃあ」
それについて少し歩いていくと、池の辺に一人の少女が倒れていた。あわてて駆け寄り、抱き起こしてみれば水色の髪の少女は穏やかな表情で、まるで眠っているかのようだった。とりあえず心配はなさそうだと、その少女の顔をよくよく見やると、かの愛しい人の面影が感じられる。
天地の君は急に興味をかき立てられ、少女を揺り起こした。
「君、大丈夫?」
「ん・・・・ここは?」
「大丈夫かい?怪我はないようだけど・・・」
「う、うん。どこも痛くないよ。」
「君は誰?どうしてこんな所に倒れてたの?」
「え・・っと・・」
その少女はなにも覚えていないようだった。
それどころか、自分が何者なのかもわからないらしい。どうやら記憶喪失らしく、思い出せたのは自分の名前とさきほどの不思議な生き物の名前だけだった。
よくみれば衣服はかなり高貴な者のらしく、ただの子供とも思えない。天地の君は津名魅の宮の面差しを見るような気がして、この少女と不思議な生き物を自分の邸に連れ帰り、妹ととして引き取ることにした。この不思議な生き物の名は魎皇鬼、少女の名は砂沙美といった。
「天地兄ちゃん!ご飯の用意できたってば!」
「あ、ああ。今行くよ。」
「どうしたの?ぼ〜っとしちゃってぇ。あ、わかった。女の人のことでも考えてたんでしょ!」
「違うよ。砂沙美ちゃんと会ったときのことを思い出してたんだよ。」
「そういえば砂沙美が天地兄ちゃんのとこにきてもうだいぶ経つね。」
「みゃあみゃあ!」
「そうそう、魎ちゃんも」
「みゃあ!」
「どうしたの急に?・・もしかして砂沙美たちがここにいると迷惑?」
と上目がちに天地の君を見る。
「そんなことないよ!砂沙美ちゃんは俺の妹同然なんだから好きなだけ居ていいんだよ。もちろん、魎皇鬼もね。」
(なあ〜んだ妹か・・・)
「え?なにか言った?」
「ううん、なんにも。さ、ご飯食べよ!」
こうしていつものように和やかな朝がきた。
それにつけてもこの砂沙美姫が、やがて津名魅の宮と天地の君の運命に大いなる波紋を投げかけようとは、このとき天地の君は知る由もなかった。
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