源氏無用物語

【乙女】 〜魎呼〜





 六条の東の対に続く渡殿を歩きながら天地の君は必死に記憶の糸を手繰っていた。
 幼い日、天地の君は皇宮で育った。そのとき常に自分のそばにいた姫。それが魎呼姫であることはたぶん間違いないだろう。
 しかしなぜか頭の中に霞がかかった如くそれ以上の記憶が戻らなかった。



 考えながら歩いている内に姫の部屋の前まで来てしまった。
(仕方がない、会えば思い出すだろう。)
となかばあきらめて、咳払いをしてからゆっくりと障子を開け、中に入った。

「魎呼姫・・。天地にございます。」

部屋の中は薄暗く、明かりは灯されていなかった。

「魎呼姫?いらっしゃらないのですか?」

さらに返事は返ってこない。
(どうなっているんだろう?)
まさか六条の御息所が自分をからかったわけでもあるまいし、それとも避けられているのだろうか。

 そのとき、

「わっ!!」

という大声とともに後ろから何かが天地の君に抱きついてきた。

「うわっ?」

 天地の君は驚きのあまり、床に転んでしまった。
 おそるおそる抱きついてきた者を見るとそれは薄い水色の髪に切れ長の瞳をした少女だった。
 天地の君はしばらく言葉を忘れ、その少女の顔に見入った。確かに見たような気がする。それに・・・

(奇麗だ・・・・・)

 天地の君は素直にそう思った。
 津名魅の宮のもつ神々しいまでの美しさや阿重霞姫の高貴さの漂う美しさとも違う、一種野性的な美しさであった。

「どうしたんだよ、天地ぃ。黙りこくっちゃってぇ。」
「あ、ああ。」
「そんなに驚いた?あ、それとも、あたしがあんまり奇麗になったもんだから驚いてるんだね(^^)」

 この口調にも覚えがある。
 しかしまだ記憶がどこかでひっかかっている。

「天地も格好良くなったぜぇ〜昔は可愛かったけど、さ。」

 むかし・・昔なにがあったんだろう。
 ぼんやりとした情景がしきりに浮かんでくるが、それがなんなのか判らなかった。

「ねえ、天地ぃ、どうしたんだよ。さっきっから変だぜ。あたしがわかんないのかよ。」
「い、いや・・まるでわかんないってわけじゃ・・・」

 そのとたん姫の表情が変わった。

「なんだってえ!」

 笑顔が消え、鬼女のような目つきで天地の君を睨んだ。
 そして天地の君の胸ぐらをつかんで引き寄せた。
(殴られる!)
 直感的にそう思った。
 しかし次の瞬間、

「ひ、ひどいよ天地。あ、あたしは、あたしは別れてからも一日だって忘れたことなかったのに。」

 魎呼姫の瞳から涙がこぼれた。

「・・・明石の地で天地が結婚したって聞いたときはいてもたってもいられなかった。何度死んでやろうかと思った。・・・でも母上が都からきて必ず都に戻れる からって・・。天地はきっと約束守ってくれるって信じてたのに・・。それなのに・・・!」

(やくそく?約束・・・魎呼との約束・・・)

 突然天地の君の脳裏に幼い頃の記憶がよみがえった。
 大きな木・・・そうだ樹雷の神木だ・・・その大樹の下で子供が泣いてる・・・自分だ・・そう、あれは自分だ!五歳のとき母様が亡くなったとき・・




  「てんちぃ、かなしいの?」
  「・・・かあさまが・・かあさまが」
  「てんち泣かないでよ。あたしがそばにいてあげるから・・・」
  「・・・ほんとに?」
  「あたし、おおきくなったらてんちのおよめさんになってずっとてんちのそばにいるから!ね、だから泣かないで」
  「・・・ほんとだね?やくそくだよ?」
  「うん!あたし、てんちのおよめさんになる!」




(思い出した・・・思い出したぞ!)

 確かに自分はそう約束した。何故今まで忘れていたんだろう?母様の事を思い出してしまうから?だから全て忘れていたのだろうか? 天地の君は泣いている魎呼姫を抱きしめた。

「ごめんよ・・魎呼・・・」

 魎呼姫は泣いたまま何も言わなかった。

「忘れてなんかいないよ・・・約束したよね、樹雷の大樹の下で。」
「え・・?覚えてるの?天地・・」
「忘れてたんじゃないよ。驚かされた仕返しにちょっとふざけてみただけなんだよ。」

魎呼姫はようやく顔を上げて、

「な、なーんだ。そっか・・・。天地のバカ!」
「バカはないだろ。これでおあいこさ。」

 そう言って姫の涙をぬぐってやった。

「じゃあ、お嫁さんにしてくれるんだね?」
「・・・うん。結婚しよう魎呼・・・」

 そしてゆっくりと唇を合わせた。
 天地の君は魎呼姫をしっかりと抱きしめ、いとおしそうに姫の髪を撫でていた・・・。






 遠き日の 遥かな夢に 微睡めば いで立つ乙女 現世にあり

                                天地の君



 遠き日の 悲しき日々は 消え去れど 遥かな契り いまとこしえに

                                  魎呼姫






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