源氏無用物語
【剣舞】 〜天地と清音〜
樹雷皇宮では神事を数日後に控えて皆あわただしい様子である。
神事をとり行う巫女、神官たちは言うまでもなく、楽を行う者、舞を奉納する者、はては場をしつらえる下々の者たちまで支度に追われていた。
天地の君も例外ではなかった。
ここ天地の君のお邸である二条邸では、絶え間なく木剣を打ち合わせる音が響いていた。
カツン! ガン! カキィィン
どうやら二人の剣士が剣の稽古をしているらしい。
「中将!腕を上げたな!」
「天地の君こそ!」
一人は天地の君、そしてもう一人は清音の中将である。天地の君は言うに及ばないが、清音の中将もひけをとらない腕前であった。
そもそも天地の君とまともに打ち合えるのは皇宮の剣術指南・勝仁をのぞけばこの清音の中将だけであった。
十合ほど打ち合った後、二人は邸の縁側に腰を下ろし休みをとることにした。
話をしているうちに、九羅密邸での花の宴に話題が及んだ。
「ところで中将、貴方はまだ結婚しないのですか?」
「な、なんですか唐突に。」
「美星姫のことですよ。あの方なら中将の妻として申し分のない方と思いますが?」
「で、ですからあれは・・・」
「そうだ、中将。美星姫との馴れ初めでも語ってくれませんか。この前は皆が居たのであまり話してくれませんでしたが、私ぐらいには教えてくれてもいいでしょう?」
「え・・・・・」
このとき清音の中将の脳裏にあの思い出したくない忌まわしい記憶が甦ってきた。
──── 二年前 ────
その日、清音の中将は公用で九羅密守護役を訪ねていた。
折り悪く、九羅密卿は留守にしており、代わりとなる者はこの邸にはいなかった。
「仕方がありません。また、出直して参りましょう。」
そう言って清音の中将が立ち上がったところ、奥の廊下から女の声が聞こえてきた。
「お待ちくださ〜い、私が・・・きゃあ!」
ドタン!
派手な音が廊下に響き渡った。
「いたいのぉ〜」
「・・・大丈夫ですか?」
と、清音の中将はなにもない廊下で豪快に転んだ女性を助け起こした。
「あらぁ〜すみぃまぁせ〜ん。」
「貴女は?」
「あ、どうもぉ初めましてぇ。九羅密の孫娘の美星と言いまぁ〜す。」
「ああ、貴女が九羅密卿の・・・。」
それにしてもとろい姫だと思った。
「あのぉ、おじいさまが留守なんでぇ、私が代わりにお話ししようと思ってきたんですけどぉ〜。」
「いや、それには及びません。また出直して参りますゆえ。」
清音の中将は内心こんな姫では話にならんと思いながら立ち去ろうとした。
すると、美星姫は清音の中将の衣服の裾をつかんで、
「そんなぁ、帰らないでくださぁい」
瞳に涙をいっぱいにため、うるうると中将を見上げた。
「な、なんですか。離して下さい。」
「帰らないでぇ、おねがい〜。」
思えばこのとき、妙な仏心をだしたのが間違いだった、とつくづく思うが今となってはどうしようもない。とにかく、何故か美星姫にほだされ、わけもなく話をすることになったのであった。
「へえ〜そうなんですかぁ〜中将様って大変なんですね〜」
「いえ、それほどでも。」
勧められるままに酒を飲んで、清音の中将はかなり酔ってきた。
普段は酒に強いのでこのくらいでは平気だと思ったのだが、何故か今日に限って酔いがまわった。
「だいぶ酔ってしまったようです。そろそろ私はおいとまを・・・」
「そんなぁ、まだいいじゃありませんかぁ。」
「い、いえもう夜も更けてきましたし、これ以上はご迷惑かと。」
「あらぁ、そんな心配いりませんよぉ〜。なんだったらぁ泊まっていかれてもいいですしぃ、私ぃ、中将さまならぁ、いいかなぁ、なんて思っちゃたりなんかしてぇ、やだやだもう〜、中将さまったらぁ〜」
といきなり恥ずかしがる美星姫を見て、清音の中将はとんでもない悪寒に襲われた。
そして、このとき中将の叫んだ一言はまさに大湿原、いやいや大失言、人生最大の不覚であった。
「わ、私は女ですよ!そんな趣味はありません!」
酒のせいか、悪寒のせいかわからないがとにかく気づいたときにはもう遅かった。
「ええ〜っ、女なんですかぁ〜?そういえばよく見ると女の人みたいですぅ。」
(し、しまったぁ〜!わ、私としたことが・・・)
「へぇ〜、中将さまって、女だったんですねぇ〜。でもぉ、どうして男のふりをしてるんですかぁ?」
「み、美星姫。どうかこのことは内密に!このことが世間に知れたら、私は、私は・・・・!」
「え〜っ、どうしてですかぁ?いいじゃありませんかぁ。」
「そ、そこをなんとか。お願いします、なんでもしますから!」
「ほんとですかぁ?じゃあ、美星のお友達になってくださぁい。」
「お友達?」
「私、おじいさまが厳しくってよその人とぜんぜんお話できないんですぅ。だからお友達がひとりもいなくって・・・」
「(ほっ)そういうことなら・・・」
「じゃあ、いいんですねぇ?」
「はい、でも約束は守って下さいよ。」
「わかってますよぉ、わ〜い、中将さまぁ。」
そういっていきなり清音の中将に抱きつく美星姫。
「ちょっ、ちょっと姫・・・」
ふう〜(←耳に息を吹きかけた音)
「きゃあ!ひ、姫、なにをするんですかぁ!」
「美星、さびしかったのぉ、なぐさめてぇ〜」
「や、やめて下さい姫、わ、私はこういう趣味はないんです!」
「うふふ、だいじょうぶですよぉ、痛くしませんからぁ」
「いっ、いやぁ!やめてぇ!」
「あらぁ〜中将さまの肌って白くてきれいですね〜」
「あっあっ、や、やめて、やめて・・・・」
「中将さまぁ〜」
「だっ、だめぇ・・・!」
・・・・こうして清音の中将と美星姫は深い仲になりました。
──── 回想終り ────
「て、天地の君、はっきり言っておきますが私と美星姫は恋人なんかではありません!絶対に!なにがなんでも!」
「わ、わかりました中将、どうか落ちついて(汗)」
稽古以上に息をきらしている清音の中将だった。
そこへ砂沙美姫が飲み物などを運んできた。
「どうぞ、お飲み下さい。」
「あ、ありがとう。」
「(はあはあ)これは砂沙美姫、申し訳ありません。」
「お二人とも精が出ますね。そんなに息をきらして。」
「皇宮の神事が近いからね。今年は中将と供に剣の舞を舞う予定なんだよ。」
「天地の君の相方とは光栄ですが、気後れしてしまいそうで。」
「中将様なら大丈夫です。私も見てみたいなぁ。」
楽しげな会話が交わされている。
本来、砂沙美姫がここに居ることは公には秘密なのだが、親友である清音の中将だけはその経緯を知らされていた。(もっとも、砂沙美姫が津名魅の宮に似ていることまでは知らされていなかったが)
そこへ、左大臣邸から使者がやってきた。
「中将、ちょっとすみません。砂沙美姫、しばらく中将のお相手を。」
「はい、お兄さま。」
そういって天地の君は邸の中に入っていった。
「砂沙美姫、ここでの暮らしにはもうなれましたか?」
「はい、中将様。毎日が楽しいです。」
となごやかな会話が続いたが、
「ところで中将様にお聞きしたいことがあるんですけど。」
「なんです?」
「どうして中将様は女性なのに男性の格好してるんですか?」
「・・・・・え?」
清音の中将の心臓が一刹那停止した。
「趣味なんですか?それともお役目とか?」
「さ、砂沙美姫!な、なぜ私が女だと?」
「え?だって・・・この間この邸で湯浴みなさったとき胸が・・・」
「(が〜ん)さ、砂沙美姫!ほかにこのことを知ってるのは?」
「えっと、砂沙美だけだと思いますけど・・・」
「どうか、皆には内緒にしてください!お願いです!」
「え、ええ。いいですけど・・・」
「お願いです、誰にも言わないで下さいね!」
「はっ、はい、わかりました。」
天地の君がもどってくると、清音の中将が砂沙美姫に頭を下げていた。
「なにをしているんです?」
「こ、これは天地の君、なんでもないです、なんでも。」
「そうそう、なんでもないの、いえ、ないです。」
「(?)まあ、いいや。中将、舞の型を練習しましょう。」
「はい!」
こうしてまた稽古を続ける二人だが、全くもって気が休まらない清音の中将であった。
●
翌日、皇宮。
天地の君は厄介な人物にからまれていた。
その人物とは先日宴を開いた守護役の九羅密卿である。今、天地の君は少々追いつめられていた。
「天地の君、先日の花の宴では途中から姿が見えなくなってひどいではありませんか。なんでも酒に酔って寝入ってしまわれたとか。」
「は、はあ。いや、まことに申し訳ありませんでした。」
九羅密卿は一歩近づきつつ、
「では、どうですか今夜あたり。私の孫姫も会いたがってますぞ。」
(そういえば中将は恋人ではないと言ってたなあ・・・まてよ、そうすると・・・・・)
なんとなく九羅密卿の考えが見えたような気がして天地の君は一歩下がりながら、
「い、いやそのなんと言いますか、今夜は予定が・・・」
「予定?どんな予定ですかな?」
「え、えーと・・」
そのとき廊下の向こう側から清音の中将が歩いてきた。
天地の君はこれぞ天の助けとばかりに、
「そう、清音の中将と酒を飲む約束をしてたのですよ(^_^;」
「真備の中将と?」
清音の中将も側にやってきて、
「これは天地の君に九羅密殿。何を話していられるのですか?」
「真備の中将、ちょうどよかった。今夜天地の君と約束があるとは本当ですかな?」
「約束?」
と天地の君を見ると、九羅密卿の後ろで清音の中将に必死に目配せを送っている。
察しの良い清音の中将は事情を理解して、
「ええ、今度の神事の舞の打ち合わせをすることにしていたんですが。それがなにか?」
「そうですか、神事の打ち合わせを・・・」
天地の君は長居は無用とばかりに、清音の中将の肩を抱き、なかば背中を押すようにして、
「そういうわけで九羅密卿。私たちはこれで。」
とさっさとその場を離れた。
九羅密卿の姿が見えなくなってから、
「いや〜、中将、助かりました。」
「いったいどうしたと言うのです?」
「九羅密卿にまた邸に誘われまして・・・あやうく強引に連れて行かれるところでした。」
「なぜ行きたくないのですか?」
「どうも九羅密卿は苦手で・・。それよりも中将と話しているほうが楽しいですから。」
清音の中将は天地の君の言葉に頬がゆるんでしまうのを強いて抑えながら、
「それでは今夜は本当に天地の君の所で御馳走になりましょうか。」
と言えば、天地の君は微笑みながら答えた。
「はいはい、どうぞおいでください。」
二人は同じ車に相乗りして二条邸に退出した。
清音の中将はなぜかことのほか機嫌が良かったという。
世にありて 憂き目の多き 我が身にも たまさかあらん 幸ありし日々
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