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皇宮では天地の君の不穏な噂が取りざたされていた。 天地の君が花の宴の折りに皇の後宮の女性と密会した、というのである。どこからともなく噂は流れ、はや都中に広まっていた。更に、皇に密告する者があってとうとう天地の君は皇宮に呼び出され、事の真偽を問いつめられることとなった。 もちろん、天地の君にはそのような事実はなかったのであるが、あの夜のことを全て話すわけにはいかなかった。その理由は言うまでもなく、清音の中将の身を案じたためである。 『後宮で女性と会っていた』と言う事実は何者かに目撃され、言い逃れは出来なかった。本来は後宮ではなくその控所だったのであるが、事実はいつのまにかすり替えられていた。 ここにおいて天地の君は『自分は皇に対しなんの罪も犯しておりません』と申し上げることしかできなかった。それで納得されるはずもなく、天地の君は事の次第が明確になるまで一時謹慎の身となってしまった。 ここは右大臣邸。天地の君の謹慎を耳にして舌打ちする人物が居た。右大臣の長男の頭の弁である。 「くそっ!たかが謹慎で済むとは・・・。位の剥奪ぐらいあっても良いものをっ!」 「やはり天地の君を弁護する者が少なくありませんので・・・」 「そんなことより貴様、女の方の顔は見なかったのか?」 「は、はあ、あのときはどうにも暗くて・・・天地の君を見分けるのが精一杯でして・・・。」 「相手の女が後宮の誰かとわかれば間違いなく奴を失脚させられるのだが・・・。今のままではせっかく流した噂も無駄になってしまうではないかっ!」 「は、はい、申し訳ありません。」 「なにか方法があるはずだ・・・なにか・・・。」 頭の弁はしばらく考え込んでいたがなにか思いついたらしく、口元に薄笑いを浮かべた。 「くっくっくっ・・そうだ、これだ!今に見ていろよ!」 頭の弁は更なる奸計をめぐらそうとしていた。 天地の君は九羅密邸を訪れていた。二条邸で謹慎していた天地の君を九羅密卿が無理を言って連れ出したのである。九羅密卿はこの度の噂を信じていない様子であった。 「すみませんな、天地の君。無理矢理に連れてきてしまって。」 「いえ、しかし何故私を?」 「いやなに、美星が会いたがっておりましたから。つまらぬ噂が流れているようですが私どもは天地の君が皇に不敬を働くなどとは思っておりません。」 「九羅密卿・・・。ありがとうございます。」 九羅密卿の言葉には暖かさが感じられた。 「まあ、そんなことより美星に会ってやっていただけませんか。」 「はい、それでは・・・・」 天地の君は九羅密卿に挨拶をすると、南の対へ足を運んだ。 「天地の君様ぁ、いらっしゃいませぇ〜!」 「美星姫、しばらくでした。」 天地の君は美星姫の明るさにやや圧倒されながら部屋に入った。 「既に噂はご存じと思いますが・・・」 「はい、でもぉ天地の君様は悪い事をしてないんでしょう?」 「それはもちろんです。皇に対し畏れ多いことですから。」 「それならいいじゃありませんか。」 「え、ええ、そうなんですが。何かと邪推する人もありましてしばらく皇宮への参内を止められてしまいました。」 「私には難しいことはわかりませんけどぉ・・・時にはこういうこともありますよ。でもぉ、きっと最後には正しい人が勝ちますから!」 「え・・・」 「それにぃ、私の好きな天地の君様には違いないですしぃ・・・きゃあ、なんちゃってなんちゃって!」 天地の君は自分の言葉に照れている美星姫を見ながら、つくづく不思議な方だと思った。この姫はいつも気取ることなく、素直にのんびりしている。気位の高い者の多い貴族の娘の中では希有の存在であった。 向かい合って話をしているといつのまにかこの姫の柔らかい雰囲気に包まれ、身も心も和んでいく。 このところの騒ぎで疲れていた天地の君はここに来てとても心やすらでいた。美星姫のおっとりとした物の言い方や、春の日差しのように暖かく優しい笑顔が男の心をかくも和ませるのである。 「そおいえば、お仕事の方はどうなるんですかぁ?」 「一応謹慎が解けるまでは公務にはつけませんので。」 「じゃあ、当分はゆっくりできますね〜。そうだ、しばらくこの邸で過ごされてはどうでしょう?」 「いえ、謹慎の身なのでそおいうわけには・・・」 「そうなんですかぁ〜残念ですぅ。でもぉ、これで骨休みが出来ますねぇ〜」 「はははっ、その通りです。」 天地の君はつい笑い出してしまった。ここ数日見ることのなかった屈託のない笑い声であった。 一方そのころ、清音の中将は皇宮で天地の君の代わりとして公務をこなしていた。しかしその胸中は察しがたいものがある。表面は何事もないように繕っていたが、心の中では天地の君のことだけを考えていた。 (まさかこんな事になるなんて・・・) 清音はこの度の件は全て自分の責任と思っていた。あの場所が危険な場所であることは充分承知していたが、かえって人目につかずに済むはずであった。そう、自分さえ気を付けていれば。 だがあの夜、天地の君が自分を受け入れてくれた嬉しさのあまり、周囲に気を配ることを忘れてしまったのだ。 無理のないことであろう。普段の冷静な清音の中将ならばともかく、長年の想いが叶ったばかりの恋する女性には・・・。 あの日、天地の君は自分を一言も責めようとはしなかった。 (天地の君・・・) 清音はまた心を過去へと漂わせた。 噂が流れてすぐに、清音は二条邸に向かい、天地の君と話した。 「天地の君・・・、申し訳ありません。全ては私の浅はかさが招いたことです。私の身はどうなってもかまいません、ですから・・・皇に本当のことをお話し下さい!」 自分は官位を剥奪され、良くて流刑、悪くすれば命はないだろう。それでもかまわない。この方を罪におとすわけにはいかないのだから。たとえ・・・二度と逢えなくなろうとも・・・。 「中将、私がそんなことをすると思うのですか?」 「・・・思いません。ですがこれは全て・・・全て私の罪なのです!」 「貴女の罪なら・・・それは私の罪ということです。」 「えっ・・・?」 「私はそう思っています。ですから決してあの夜の事を皇に言ってはいけません。」 「それでは天地の君の身が!」 「中将、私からの頼みです。聞き入れてくれますね?」 「し、しかし・・・」 天地の君の瞳はじっと清音の瞳を見つめている。 清音はその瞳にあらがえず、顔をそらし、目を伏せた。 「天地の君・・・私は、私はいったいどうすれば・・・」 清音が涙をこらえながらそう言うと、天地の君はそっと清音を肩に腕を回して言い聞かせるように優しく言った。 「私は大丈夫ですよ。貴女はいつも通りにしていて下さい。それが最も良い方法なのです。」 「でも・・・」 「貴女が本当はこんな美しい女性だと知れたら、世の男たちが騒いで大変ですよ。」 「な、なにを言っているのですか。」 清音は天地の君の突然の言葉にうろたえた。 「貴女は何も心配しないで・・・清音」 (・・・清音・・・) 清音は初めて天地の君に女性として名を呼ばれて胸が震えた。 それは幾度となく夢に見た瞬間であった。清音はもはや天地の君の言葉に逆らえなかった。ただ少女のようにうなずくだけ・・・。 (天地の君はああ言ってくれたのだけど・・・やっぱり心配だわ・・・) 天地の君の優しさに触れている間は忘れていられる不安がまたわき起こってくる。何か悪いことが起こりそうな予感・・・。清音はそれが気のせいであるよう、祈らずには居られなかった。 公務を終え、清音の中将は皇宮を退出して行く。皇宮を歩いていく清音の中将を離れたところから見ている女性がいた。 (清音・・・・・・) その人物は清音の中将の沈んだ顔を案じているようであった。 清音の中将が皇宮を退出してすぐに、入れ替わるように天地の君が参内した。謹慎のはずの天地の君が何故ここにいるのか。 皇宮のある一室で天地の君は厳しい追及を受けていた。 「天地の君、貴方が逢っていたという女性は誰なのです?」 「・・・・・・」 「やましいことがなければその名が言えるはずですがな。」 「言えないのですか。」 「これは不審な。やはり噂通りと言うことですかな。」 「それは違います。」 「ほう、どう違うと言われるのですか。」 「どちらにせよ、女性の名を明かしていただけないことにはね。」 「・・・・・・・・・」 審問していたのはこの件をまかされた貴族達である。 しかし何故急に追及の手を増したのか。先日謹慎を申し渡されたばかりであるのに。 執拗なまでの天地の君に対する審問。そこに何者かの意志があったことを天地の君は知らない・・・。 皇宮から邸に帰る途中、清音の中将は胸騒ぎを感じていた。 それを暗示するが如く、春だというのに強い風が時折吹いて、耳に嫌な音を上げていた。 |