源氏無用物語
【紅葉賀】 〜逢瀬〜
夏が過ぎ、花は散り失せ、秋になった。虫の音が聞こえ、風はすさび、目に入る景色すべてがあわれに満ちていく。
ここ樹雷皇宮でも木々は紅く染まり、わけもなくもの悲しい気配が漂っていた。
そんな皇宮の庭を天地の君は一人散策していた。
(津名魅様・・・今頃どうしておられるか・・・)
こんなとき天地の君の心に浮かんでくる女性はやはり津名魅の宮であった。
もう久しく二人で逢ったことがなく、このまま津名魅の宮に忘れられたり、薄情な男と思われるのも天地の君には耐え難く思われるのだった。
(ああ・・どうにかして津名魅様とふたりきりで会えないものか・・・)
と天地の君が物思いに耽っているところに後ろからこっそりと近づく者がいた。
「てーんち殿☆」
「わあっ!?」
振り向くと、そこには鷲羽の典侍が立っていた。
「なぁーによ。そんなに驚かなくてもいいんじゃない?」
「い、いやあ、ちょっと考え事をしてたもんで・・・」
「考え事?・・・ははーん、天地殿ったらこのこの!」
「な、なんです?」
「どーせ津名魅の宮のことを考えてたんでしょ?」
「(どきぃ!)そ、そんなまさか。」
「どうやら図星のようね。いいのよ、この鷲羽ちゃんには隠さなくても。ほんと、ふたりともウブなんだから☆」
「・・・津名魅様はお元気ですか?」
「元気よ。それよりも天地殿、また実験につきあってくれないかしら?」
「すみませんけどそういう気分じゃないんです。」
「あら残念ね〜。せぇっかく津名魅とふたりきりになれる方法を教えてあげようと思ったのに。」
「!」
「ま、しかたがないか・・・」
「鷲羽ちゃん!」
「は、はい?」
「さあ実験しよう!ほら早く早く!」
「え?いいの?」
「何言ってるんだ!私と鷲羽ちゃんの仲じゃないか!で、どうすれば津名魅様と会えるのかな?」
「あ、あのね・・・」
・・・案外変わり身の早い天地の君であった。
●
毎年津名魅の宮はこの時期になると北の霊山に紅葉狩りに行くことになっていた。今年も秋の紅葉を楽しむため、巫女達の庵に来ていたのだった。
少し丘になった高みから津名魅の宮は側仕えの右近という女房と燃えるように紅く染まった山の木々を眺めていた。
だが、その心は都にいるはずの天地の君の所へ飛んでいた。
(天地の君様・・・。ああ、この美しい景色を天地の君様と二人で眺められたらどんなに勝って見えることかしら・・・)
「宮様、あまり遠くへ行かれませんよう。」
「わかっています。私はもう子供ではありませんよ。」
(それにしても今頃天地の君様は何をなさっておられるかしら・・・ほんの少しでも・・・私のことを想って下さいますでしょうか・・・)
その頃、天地の君は津名魅の宮のすぐ側で二人の様子を木々の間から垣間みていた。鷲羽の典侍の過酷な(?)実験に耐え、津名魅の宮の居場所を聞き出すとともに、この近くの鷲羽の典侍の庵を借りることも承諾を得ていたのである。
普段の天地の君はどちらかと言えば慎重派で、あまり大胆な行動はとらないのであるが、こと津名魅の宮の件に関しては、本人にも信じ難いほどの積極性を示すのであった。
(津名魅様・・・変わらずにお美しい・・いや、前以上だ・・・)
紅葉を眺めている津名魅の宮の横顔はまさに神々しいばかりに美しく、天地の君はすっかり魅入ってしまい、
(この方を奪いたい、今直ぐにでも・・・)
と心をはやらせていた。
「宮様、そろそろ庵に戻りましょう。」
「ええ、もう少し・・・」
そういって津名魅の宮は右近から離れ、天地の君の隠れている方向へ歩き出した。
この機を逃すわけにはいかないと、天地の君は小声で津名魅の宮に呼びかけた。
「(津名魅様・・津名魅様・・・)」
津名魅の宮は天地の君の声が聞こえたような気がして、さては幻聴まで、と思いつつもあたりを見回した。
「(こちらです。津名魅様・・・)」
はたしてそこにはまごうことなき天地の君がおられた。
津名魅の宮は夢を見ているような心持ちで天地の君に近づいていった。
「(天地の君様・・・本当に天地の君様なのですか?)」
「(津名魅様にお会いしたく、追いかけて参りました。)」
天地の君は津名魅の宮を引き寄せ、強く抱きしめた。
「(津名魅様・・・お会いしたかった・・・)」
「(天地の君様・・・私もです・・・)」
二人はしばらく言葉を交わすことなく抱き合った。
伝えたいことは山ほどあったのだが、こうして抱き合っているとお互いの全てが分かるような気がして言葉が出ないのであった。
「宮様、津名魅の宮様、どこにおられますか。」
右近が津名魅の宮の姿が見えないので捜しに来たのだ。
「(いけない、どうしましょう。)」
「(津名魅様、私は貴女をさらっていきたい。今夜だけでも!)」
津名魅の宮は囁かれる熱い言葉に涙がこぼれかけるのを必死に押さえながら、
「(いけません、貴方に迷惑が・・・)」
「(どうか私と供にいらしていただけませんか。)」
「(でも・・・そんな・・・)」
「(お願いです津名魅様・・・)」
津名魅の宮は天地の君の言葉にあらがえなかった。
それ以上に、天地の君と離れたくなかった。
「(・・・わかりました、では・・・)」
すっと天地の君の腕の中から離れると、天地の君の姿が見えないようにしつつ、右近に声をかけた。
「右近、私はここです。」
「宮様、脅かさないでください。どこへ行かれたかと思いましたよ。」
「私はこれから出かけることにしました。」
にっこりと微笑んで津名魅の宮は言った。
「で、出かける?いったいどこへ行かれるというのです?」
「鷲羽の所へです。」
津名魅の宮は笑みを絶やさない。
「鷲羽の典侍様の所へ?しかしこちらにおいでとは聞いておりませぬが・・・」
「いいのです。なんとなく、鷲羽がいるような気がするのですから。」
普段から神秘的な行動の多い津名魅の宮が言うと説得力があった。
「わ、わかりました。私もお供いたします。」
「いえ、それには及びません。私一人で参ります。」
「そんなわけにはまいりません。宮様をお一人で行かせるなど・・・」
「先ほど申した通り、私はもう子供ではないのですよ。いつまでも右近に頼っていては鷲羽に笑われてしまいます。」
「しかし・・・」
「良いですね、右近。」
「は、はい・・・」
津名魅の宮の穏やかな口調で言われるとどうしても抗い難くなってしまう。
これも、津名魅の宮のもつ神秘的な魅力がそうさせるのだろうか。
「それから今日は戻らないかも知れません。心配はいりませんよ。」
「え・・・。そ、そんな宮様!お待ち下さい!」
しかし津名魅の宮は気にもとめずにどこかへ姿を消してしまった。
後に残されたのは、呆然とした右近のみであった。
●
天地の君と津名魅の宮は巫女達の庵から少しばかり離れた所に建っている鷲羽の典侍の庵を密やかに訪れた。
そこには庵を管理する年老いた留守居役がいるだけで、二人の他には天地の君の信頼する随身が二、三人ばかりのみであった。
「無理を言って申し訳ありません、津名魅様。」
「何もおっしゃらないでください・・・これは私の望んだことなのですから・・・」
二人は庵のひさしの間から山の景色を眺めた。
どこに人の目があるかわからないので外を出歩くわけには行かないが、滅多に二人きりになることができない天地の君と津名魅の宮にはそんなことは露ほどにも気にかけなかった。
やがて陽が傾き、山々をさらに紅く染める。
散りかう秋の紅葉を目にしながら、天地の君はふと儚さを覚えた。
「秋の木の葉の散りゆく様は美しいが、ふと儚い気分にさせられますね。」
「私には今、こうしている時のほうが儚い幻のように思われます。」
「そんなことはありません。これは幻などではなく、現実なのですよ。」
と言いながら、津名魅の宮を後ろから抱きしめた。
「天地の君様・・・いつまでもこうしていたい・・・」
二人の間にはもはや言葉はいらなかった。
触れ合う肌と肌、重ねた唇の感触が全てを伝えてくれた。
津名魅の宮は天地の君に全てを委ね、甘えた。天地の君は津名魅の宮の柔らかく艶やかな髪、甘い切ない吐息、なめらかな肌、そしてその深い想い、それら全てに身も心も溶かした。
天地の君は津名魅の宮の白い肩を抱きながら安らいだ気持ちで眠りに落ちた。
そして津名魅の宮も天地の君の優しさの中、心が満たされていた。
夜が明けて恋人達は離れなければならなかった。
短い逢瀬を惜しみつつ、想いを交わす天地の君と津名魅の宮。
「天地の君様・・・私は不安でした・・・貴方が私を忘れてしまうのではないかと・・・でももう今は心になんの翳りもありません・・・天地の君様のお心がわかったのですから・・・」
「津名魅様・・・たとえ離れていようと心はいつも貴女のもとに・・・・」
数日後、二条邸の天地の君に見事に紅く染まった紅葉が一枝届けられた。
枝には名のない文が結ばれており、歌が詠まれていた。
移りゆく 常の季節に 逢えずとも 想ひ変はらぬ 永久の恋人
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