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春は過ぎ行き、夏も色あせ、秋の足音が聞こえつつある。天地の君がいなくとも都の季節はいつものように移っていった。皇宮では右大臣家が権勢を振るっていたが、長男の頭の弁が病にかかったらしく、皇宮への出仕を休んでいた。 そんな折り、ここ三条の邸では二人の女性が天地の君の話をしていた。 「津名魅、天地の君からの文を持って来たわよ。」 「いつもありがとう、鷲羽。」 「ま、他ならぬ天地殿と津名魅のためだものねえ。ところで文を読まないの?」 「あ・と・で、ね。」 「津名魅ちゃんたらぁ、イ・ケ・ズなんだから☆」 天地の君が須磨に降ってからは、鷲羽の典侍が津名魅の宮への文の仲介をしていた。普段でも文のやりとりのままならない二人のために鷲羽の典侍が自らかって出たのであった。こればかりでなく、今回の須磨の件について鷲羽の典侍は様々な面で尽力してくれていたのである。 「鷲羽、皇宮の方はどうなの?」 「結構いい感じなんだけどね。あの方の御力もあるし、天地殿あれで人望あるから。」 「あれで・・・?(ジト)」 「いやいやなんでもないわ(汗)。それより右大臣家におかしな動きがあるようなの。これは何かやらかす気かもね。」 「何かって・・・まさか!」 「まあ、津名魅は心配しなくていいわ。これからその件である人と話をしてくるから。」 「大丈夫なの?」 「この鷲羽ちゃんにまかせておきなさいって。」 鷲羽の典侍は三条の邸を退出して、一路二条邸へと向かった。無論、清音の中将と話をするためである。 津名魅の宮は天地の君の文を手にしながらも、不吉な想像を拭いきれないでいた。 樹雷皇宮の最も奥、皇の後宮では女性たちが世のうわさ話に興じていた。そこには女房たちに混じって皇妃の姿も見られた。 「最近、皇宮も寂しくなりましたわね。どうしてかしら?」 「頭の弁様がいらっしゃらないから・・・ではないですわね。」 なみいる女性たちの中でも一際美しい女性が微笑みながら答えた。 「『華』がないからではありませんか?」 「船穂様、『華』と言われますと?」 「管弦の遊びやその他の催しをするにつけても、秀でた方々があってこそ興も乗るというものです。近頃はそのような若い殿方が少なくなったように見受けられますね。」 「やはり天地の君様がいらっしゃらないとねえ・・・」 「そういえば真備の中将様もあまり皇宮にいらっしゃらなくなって・・・」 「世の中がすっかり右大臣様方の世になってしまいましたから、お気に障ることも多いのでしょうね。」 「(それだけならば良いのですが・・・)」 「えっ?船穂様、なにかおっしゃいました?」 「いいえ、なんでもありません。」 「そういえば、皇が天地の君をお許しになるという噂もありますが・・・」 「まだはっきりしたわけではありませんが、その御心があるように見受けられましたよ。ところで美砂樹は・・・?」 などと、とりとめのない話を続けていた。 それにしてもここしばらくの右大臣家の権勢を、後宮の女性たちはあまりよく思っていないようである。やはり人個人の魅力は政(まつりごと)にも影響するのであろうか。 こちらは訪れる人もまばらな二条の邸。 その二条邸の一室で鷲羽典侍と清音の中将は密やかに会話していた。 「それで例の件の方は・・・?」 「今一歩ってところね。さすがに一筋縄ではいかないわ。それより清音殿、じつはね・・・」 「右大臣家が?しかし確か噂では頭の弁は病にかかったとか・・・。」 「それはおそらく偽の情報ね。皇宮から姿を消しても怪しまれないようにするための口実でしょう。」 「それでは頭の弁がなにかを企んでいると?」 「まず間違いないわね。それも天地殿がらみってことも。」 「あの男、いったい何故そこまで!」 「理由はいろいろ考えられるけど一番の原因は美星殿と阿重霞殿に断られた、ってことじゃないかしらね。逆恨みだけど。」 「阿重霞姫にも言い寄ったのですか?」 「阿重霞殿のことだからかなりきっぱりと断ったんじゃないかしら。まあ、それはともかく清音殿には須磨に向かってもらいたいの。天地殿には一応警告の文をだしてあるけどね。お願いできる?」 「ええ、もちろん。あ・・でも・・・」 「砂沙美姫のことなら心配いらないわ。私が責任持つから。」 「申し訳ありません、鷲羽様。」 「清音殿・・・(ジト)」 「(汗)わ、鷲羽ちゃん。」 「(にっこり)そう、それでいいの。それじゃあ細かい計画だけど・・・」 陽が沈みかけ、西の空が不吉なほど紅く見える。 その頃、頭の弁は密かに都を発つ準備をしていた。目指すは天地の君の居る須磨である。この男に限って天地の君への慰問などのはずはない。 「くそっ・・・!奴さえ、奴さえいなければ!」 頭の弁は怒りを顕にしていた。九羅密の姫に続き、左大臣家の阿重霞姫にも求婚を断られてしまったのである。言わずと知れたことだが頭の弁はかなり自信過剰な男であり、なおかつ尊大な自尊心の持ち主だったので、これらのことを多大なる侮辱と感じていたのであった。 「あのときの屈辱・・・!」 「阿重霞姫、いつまで意地を張っておいでになるのですか?」 「私は意地など張っておりませぬ。」 「今日でいったい何度目の訪問でしょうね?」 「・・・・・・・・・」 「相変わらず気のお強いことで・・・。昔とお変わりになりませんね。しかしどうしてこのわたくしめの誠意がお解り戴けないのでしょうか。」 「誠意?夫を待っている妻を拐かそうとする者のどこに誠意があるというのですか?」 「天地の君はもうお帰りになりませぬ。もはやいないも同然ではないですか。となれば、私が阿重霞姫に求婚してもなにもおかしいことはありませんでしょう?貴女のような美しい方がこれから先、一生一人で暮らすなど私にはとても見ていられなかったのですよ。」 頭の弁の顔には勝ち誇ったような薄笑いが浮かんでいた。 阿重霞姫は御簾越しにそれを見て不快感を覚えた。 「天地様はかならずお戻りになられます!もうお帰り下さいませ!」 「そうは参りませぬ。そろそろはっきりした答えを戴かないことにはこの頭の弁、引き下がれません。」 阿重霞姫は今まで父・左大臣のことを思い、なるべく頭の弁を刺激するような言葉を避けてきたのだが、さすがに忍耐の緒が切れた。 「貴方のような方と添い遂げるくらいなら、私は出家いたします。」 「い、いまなんと言われた?」 「貴方の妻になるくらいなら尼になった方がまし、と言ったのです!もうお帰り下さいませ!」 そう言い放つと阿重霞姫は奥の間に引き込んでしまった。 頭の弁は拳を握りしめ、誰も居なくなった御簾の内を睨み付けていた。 頭の弁、いや右大臣は昔から左大臣家と阿重霞姫に目を付け、いずれは自分の息子の嫁にしたいと考えており、そのため頭の弁は阿重霞姫が自分のものになるのものだと思い込んでいた。しかし実際には阿重霞姫は天地の君と結婚したため、頭の弁は天地の君が横取りしたと考えていた。そうとしか考えなかった。 近々皇が天地の君に対し帰還の勅命を下すという噂が流れ始めていた。もはや猶予はない。 頭の弁はその夜、闇に紛れて須磨へと向かった。そのことを清音の中将はまだ知らなかった。無論、遠く離れた天地の君も。 |