源氏無用物語

【野分】 〜常ならぬ〜





 朝晩に吹く風の音も日に日にすさまじく、山々から色が失われてゆく季節になった。
 木々に残る葉を強いて奪い取るかのごとく激しい風が吹いて、今までにないこと、と恐れる人も少なくない。
 この頃になると、先だって都を騒がせた天地の君に関する噂も一段落したようで、大方の人がただの噂に過ぎなかったと思っているようである。そしてまた新たな噂へと興を移していくと言った有り様であった。


「近頃、主上や皇妃様方がなにやら話し合うことが多いようね。」
「それはきっと東宮のお妃のことを話しておられるに違いないわ。」
「そういえばもうそのようなお年ごろでおられましたか。」
「私が思いますに、なにがしの大臣の姫では・・・」

 東宮、すなわち次代の皇となられる御方が妃をお迎えになるとのことで、宮仕えの女房達はいったいどこの姫が迎えられるのかと気になっているようである。時が来ればその方が皇妃となられるやも知れないのであるから宮中の者たちが気にかけるのももっともなことと思われる。









 世の噂の表舞台から開放された天地の君はまた穏やかなる日々を取り戻したかのように思えたが、目慣れしない出来事に直面しておられた。あの六条の魎呼姫が病に倒れられたのである。
 まさかあの魎呼に限って、と予想外の事態に天地の君も慌てられ、急いで六条の邸へと駆けつけた。

「魎呼、大丈夫か?!」
「あ〜〜、天地ぃ、来てくれたんだね〜〜〜(ごほごほ)」
「どうしたんだよ、いつも元気なおまえが・・・」
「あたしもこんなの初めてかもしれ・・(ごほごほ)」
「あ、しゃべらなくていい、寝てろって。」
「うん・・・。」

 普段の魎呼姫からは想像も出来ないほど弱々しい様子である。
 これはもしや重い病いなのでは、との不安にわさわざ別室で魎呼姫の側仕えである麻真に尋ねてみたところ、

「僧や祈祷師の話によるとそう重い病いではないそうでございます。ただ、私も長く仕えておりますが病いを患われた覚えがないので、それで不安がられているのではないかと・・。」
「そうか・・・。」
「かくいう私どももやや取り乱してしまったらしく、方々に大げさに伝えてしまったようです。天地の君様にも申し訳なく・・・」
「いや、それはいい。たいしたことがないのならそれにこしたことはないよ。」

 とは言うものの、やはり魎呼姫の様子が気になるのでその日は六条邸に留まられた。



 翌日になっても魎呼姫の具合は特に変わりがなく、快方にも悪化にも向かっていないようであった。
 天地の君は皇宮へ出仕せねばならなかったので、昼になる前に魎呼姫の寝所へ向かった。
 天地の君の姿を見ると相変わらずか細い声で話してくる。

「天地ぃ・・・出かけるの?」
「ああ、ちょっと皇宮に行かなくちゃならないんだ。」
「そっか・・・・」
「うん・・・。」
「あのさぁ、天地」
「なんだい?」
「今日も・・・ここに戻ってくる・・・?」
「ああ、暗くなる前に戻ってくるから、ちゃんと寝てるんだぞ。」
「戻ってくるのか・・・わかった、もう寝る」
「じゃあ、行ってくる。」
「うん・・・。」

 魎呼姫はようやく安心したように眠りについた。天地の君は後のことを麻真にまかせ、荒々しい風が吹き抜ける中、静かに六条邸を後にした。









 普段は華やかな樹雷皇宮も今日は人がまばらで、天地の君も心落ち着かない。皇宮での公務を手早く済ませ、退出しようかという途中、偶然鷲羽の典侍に出会った。

「天地殿、しばらく。この間は大変だったわね。」
「ええ、まあ。噂というのは困りもので。」
「でも火のない所に煙は立たないって言うし。ニヤリ
「そ、そんなことはないですよ(汗)」

 鷲羽の典侍は意地の悪い笑いを浮かべている。この方はいつも全てを見通しているかのようで、天地の君もろくに言い返すことができないのであった。

「まぁ〜〜〜ったくこの女殺し☆」
「あのね・・・。あ、今日はあんまりゆっくりしてられないんだ。」
「どしたの?女性と逢い引き?」
「そうじゃなくて、魎呼が病気で・・・。」
「あの魎呼ちゃんが?」

 これには鷲羽の典侍も意外な顔をしている。それほど稀な事態だと言うことか。

「そういうわけですので、詳しくはまた後日に。」

 そう言って天地の君は足早に退出して行った。

「ほーー・・・・。あの魎呼がねえ。天地殿でなくても気になるところだわ。」

 鷲羽の典侍は観察、もとい見舞いにでも行こうかなどと漠然とした思いを浮かべつつ、ゆっくりと歩き出した。









 ここ数日、皇宮の奥深い広間では毎日のように皇族の方々が談議なさっておられた。
 東宮の妃候補を選定するためである。東宮は先皇の皇子で、現樹雷皇の甥であられる方であった。
 国家に関わる大事な話とのことで、この場には皇をはじめとして信頼ある皇宮付きの博士や神官らが居並んでおられる。その中にひときわ目立って、皇妃の姿も見受けられた。

「京極家の六の姫はいかがでしょうか。」
「あの方はまだ年が若すぎましょう。それよりも橘様の御妹君が・・・」
「九羅密殿の孫姫はもうお相手がおられますしなあ・・・。」

 談議は万事この有り様で、遅々として進まなかった。
 それというのも、いかにもこの方こそが、と皆々に思わせる姫が上がらなかったためである。もし左大臣家の阿重霞姫が独り身でいらっしゃったならばすぐにでも皆納得したことであろうが、そのような方はなかなかにいらっしゃらない。
 それでも候補は絞られ、なんとか決まりつつあった。

「あと一人ですが・・・。あの姫はどういたしましょう?」
「いや・・・やはりまずかろう。」
「うむ・・・なんと言ってもあのような事があっては・・・。」

 選定の者達が口を揃えて言葉を濁らせているのはいったい誰のことであろうか?その姫は、一時は最も有力な妃候補と言われていた方であったのだが、ある事件をきっかけに候補を外されつつあるのだった。

「右大臣家の姫君には残念だが辞退していただくか・・・」
「お待ち下さい。」

 皆がその声にうなづこうとしたとき、凛とした声が響いた。

「美砂樹様?」
「なにかご不満な点でも・・・」
「私は右大臣家の姫が妃候補としてふさわしい方と存じます。」

 きっぱりとした口調で言い放つ美砂樹皇妃の姿は普段の柔和な様子とは異なり、揺るぎなかった。

「しかし美砂樹様、右大臣家はあのような不祥事を犯したばかり。仮にも皇家の妃には・・・」
「あれは頭の弁殿の行いであって姫とは関係のないことでありませんか?」
「それは・・・そうですが・・・。」
「されど右大臣は油断のならぬ方。このような機を与えればまた何か策をろうじてくるやも知れませんぞ!」
「させません。」

 にっこりと笑顔で答える美砂樹皇妃に、人々も鼻白み、お互いに顔を見合わすばかりで反論できる者はいなかった。
 いったい美砂樹皇妃にどれほどの考えがあって姫を推しているのかは疑わしいが、結局右大臣家の姫を含む数人が候補として選ばれ、この日の談議は閉幕となった。











 皇宮を退出した天地の君は、まず自邸である二条邸に戻り、砂沙美姫に事情を話してしばらく六条邸に居ることを伝えた。砂沙美姫は不満もあったが、魎呼姫が心配でもあるので、恨み言を言うこともなく天地の君を見送った。その姿はやや寂しげな様子であった。

 さて、天地の君が六条邸に戻ってくると、魎呼姫は眠っていて、麻真の話によれば良くなって来ているとのことであった。
 そこへ、阿重霞姫から文が届けれた。
 しかしそれは天地の君に宛てられた物ではなく、魎呼姫に宛てられた物であった。てっきり自分に宛てられた物と思っていた天地の君は、やや拍子抜けした気分でとりあえず魎呼姫の自室へと文を持ち運んだ。
 魎呼姫の机に文の入った箱を置こうとしたところ、そこには文を書き損じたものと思われる和紙が取り散らかされてあった。
 天地の君はつい好奇心に駆られて、

「魎呼も少しは女らしい文を書くのかな・・・ん?」

 いくつか拾い上げて目を通すと、それはとても女性が遣う言葉とは思えない罵詈雑言の嵐であった。

(やれやれ・・・(--;)

 判っていたこととはいえ、なにか頭痛がしてくるのを感じる天地の君であった。



 しばらくして、魎呼姫が目を覚ました。
 阿重霞姫からの文を携え、様子を見に行くと、出かける前に会った時よりだいぶ顔色が良いように見受けられる。

「具合はどう?」
「天地ぃ、寂しかったよ〜、もっと側に来てぇ〜☆」
「起き上がったりして大丈夫なのか?寝てていいんだよ。」
「アタシのこと心配してくれるの、魎呼ウレシイ☆」

 と言って天地の君にしなだれかかる。
 薄い夜着のまま天地の君の腕をとって、自分の頭を天地の君の肩へともたれかける。
 どうやら魎呼姫はここぞとばかりに天地の君に甘えている様子である。昨日は話すのも辛そうにしていたのに、余裕が出てきたということであろうか。
 だが天地の君はそうすぐに直るとは思っていないので、魎呼姫がまだ不安がっているものと思い、常より優しく接していた。

 ふと、天地の君の持ってきた箱が魎呼姫の目に入った。

「その箱は?」
「そうだ、阿重霞姫から文がきてたんだった。おまえ宛てに。」
「阿重霞からぁ?」

 やや気分がそがれた様子で、とりあえずも受けとって箱を開き、文を広げて目を通す。ところが文を読み進めるうちに肩を震わせ、ついには憤って立ち上がった。

「・・・!」
「どうしたんだ、魎呼?」
「どうしたもこうしたもあるか!」
「どうかなさいましたか?」

 その声が聞こえたらしく、隣室に控えていた麻真も何事かと心配してこちらへやって来た。

「見ろ、これ!!」

 と、阿重霞姫からの文を天地の君と麻真に突きつけるように見せる。


 魎呼さんへ
                                 
    世の中は私の予想だにしない事が起こるものなのですね    
    まさに鬼の霍乱ですわ                   
    たまには大人しくなさるのも良いかと思います        

                                 
                                 
   常ならぬ 冬の野分も激しくて 鬼引き倒すかぜ起こりける   

                                 

天地様の最も愛する妻 阿重霞より 



 鬼、鬼とは魎呼姫のことであろう。天地の君は文の内容に共感するところもあるが魎呼姫の手前、苦笑するばかりであったし、麻真も鬼の霍乱とは言い得て妙だ、と心では思っても決して口には出さない。
 魎呼姫はそんな二人の様子にも気づかない程怒り心頭と言った様である。

「待ってろよ、今すぐ目にものみせてやるからなぁ!!」
「おっ、おい!落ち着けってば!」
「なりません、魎呼様!!」

 慌てて天地の君と麻真が魎呼姫を止める。魎呼姫はしばらく暴れていたが、さすがにまだ本調子ではなかったし、天地の君が側にいることもあってなんとか再び床についた。
 天地の君は汗を拭いながらも、先程までの甘えた魎呼より今の魎呼の方が魎呼らしく感じられ、我知らず微笑みを浮かべていた。



 天地の君、麻真、別室にて。

「魎呼は?」
「ようやく休まれたようでございます。」
「それにしても阿重霞姫からあんな文が来るとは驚いたな。」
「いつものことでございますから。」

 困った笑いを浮かべる麻真に、天地の君は驚いて聞き返す。

「いつもって、それほどよく文を遣取りしてるのか?」
「はい、それはもう毎日のように。」

 天地の君はまた心から驚き、それでは先程の魎呼の文は阿重霞姫宛てだったのではと思い、阿重霞姫と魎呼姫はもしかすると仲が良いのかも知れないと思い始めていた。

 翌朝、魎呼姫はすっかり回復し、阿重霞姫への報復の文に頭を悩ませていたそうである。











 松吹く風、物を倒すが如く、冬には珍しく雨さえ降りて常ならぬ夜の様に、人々は皆家屋敷に閉じこもりて路には人、獣、虫のいずれの姿もない。まして、都の外れでは明かりすら乏しく、心細い有り様であった。

「美砂樹皇妃も余計なことをなさる・・・」

 女性はそう呟いた。独り言なのか、辺りに人の気配は感じられない。外を吹きつける風の音がかすかに聞こえてくるばかりで、他には動く物もない。
 手にした一枚の和紙には先程仮決めされたばかりの妃候補の名が連ねられてあった。いったい、あの場におらぬ者以外は知りようもないことをいかにして知り得たのか、美砂樹皇妃の御言葉についても通じている様子である。

「また少し動かねばならない・・・。」

 そう呟いて音もなく立ち上がり、明かりの届かない所へと歩み去って行った。その足取りには少しの迷いも見られず、ただわずかな芳香のみを紛らせ、読み難き思考を先の世へと漂わせていた。




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