源氏無用物語

 【華燭】 〜緩らか〜





 年年歳歳花は同じように咲くと言うが、桜の花が華やかに開く様を誰が疎むであろうか。その様を見て人はなにかしらを心に思い、時のまにまに齢を重ねる。
 この年の春、九羅密邸は邸中が華やかな喧燥に包まれていた。この広い邸で、これほど隈なく人の声と楽の音が通り行くのは、九羅密卿に孫姫が生まれて以来のことであろう。そしてその姫は今、人の妻となった。



 美星姫と天地の君の正式な婚儀が決まり、御披露の宴が今華やかに行われている。御本人達はもとより、九羅密卿の喜びようは物凄く、その心のうちを現わしたかのような宴である。
 並べられた装飾の品々、用意された料理にはそれぞれ気が配られており、楽手や舞人たちがそれぞれに趣向をこらして、桃源郷かと憧れるほどの場を造り上げている。
 招かれた人々をとっても、皇家ゆかりの御方々をはじめとして都にて名を知られた方が少なくない。その中には真備清音の中将の姿もあった。また、鷲羽の典侍も九羅密卿から格別の扱いを受けて招かれていたのだった。

 宴の主役の片翼である天地の君は盛大すぎる宴にやや圧倒されつつも、安心した気分であった。思い返せば去年のちょうど今頃、須磨へと降る折に、自分を待つと言って聞かなかった姫にようやく報いられたかという思いである。

「天地の君様〜、どうかしましたぁ?」

 少し思いに耽ってしまったためであろう、隣に座る美星姫が天地の君を覗き込むようにしている。

「いえ、たくさんの方がおいでになっているものだと驚いて。」
「そうですねえ、私もよく知らないんですけど〜、おじいさまはとても顔が広いんですよ。」

 美星姫は宴が始まったときからときどき顔を赤らめては一人照れていたが、周りの人々に関しては特に気にした様子はない。いつも通りにこにことした笑顔を惜しみなく振りまいていた。

「ところで美星姫・・・つかぬことを窺いますが」
「はい〜?」
「今、九羅密卿の隣にいるのは確か・・・」
「あ、はい、私の弟です〜!とってもいい子なんですよ〜!!」

 そう言って噂の人物に向けて笑顔で手を振る美星姫。向こうもわずかに手を振って答えているが、気のせいか、なんだか怨みのこもった視線を向けられているように感じる天地の君であった。
 そんなことにはもちろん気づかない美星姫は宴の客人に視線を移し、来ているはずの人の姿をひそかに求めていた。
 宴の席の奥まった所に清音の中将は座していた。主役の繧繝縁(うんげんべり)とはかなり離れ、間に太い柱もあり、見え難い。

(苦い・・・)

 清音の中将は振る舞われた祝いの盃を静かに傾けながらも、ひどく複雑な思いを味わっていた。
 この日が来るのを恐れて、何度も何度も夢に苛まれ、望んでもいた。心の準備をする時間はあったが、平静のわけもなく、心のうちに波が生ずる。
 しかしそれは美星姫への嫉妬、天地の君へのつれない人と恨む気持ちだけではなく、美星姫と天地の君がこうなってほっとしている気持ちもあるのだった。清音の中には美星を裏切って天地の君と契ったという気持ちは今でもあって、それが更に想いの糸を絡める。
 そして、あの黒髪に碧の瞳の少女。
 自分の心を鏡に映したように、哀しみと不安を抱いていた少女の気持ちを無碍にしたことは未だ辛く、美星はあのようにならなかったのだという安心にも似た気持ちも交じる。惑い乱れる心に、今はただ忘れたくて、酒杯を求めるのであった。



 一方、御簾の内の鷲羽の典侍。
 表面はいつも通りであるものの、わずかに苛立たしい思いでいた。もちろん、美星姫の結婚を祝福していないわけではない。
 それでは何に苛立っているというのか。
 何も知らないとはいえ、天地の君が人の苦境に華やかな場にいるということに怒りを覚えるのか、それとも他に理由があるのか。

(知り過ぎているというのも時には煩わしいものだわ)

 鷲羽の典侍は素直に宴を楽しめない自分を疎ましく思った。














 さて、賑わう九羅密邸から離れた皇宮の様子はどうであろうか。
 その日、皇宮は常になく静かで、どこかもの寂しい様子であった。唯一変わりなく見えるのは後宮ぐらいかと思われる。
 いつものように船穂皇妃が美砂樹皇妃をなだめ、あるいは慰めている。

「私も行ってみたかったのに〜!!」
「仕方ないでしょう。」
「でもでも〜、」

 このようなとき、身分の重々しく、気軽に動けない身が恨めしく思われるのももっともなことと思われる。
 今日の美砂樹皇妃はいつもより一際駄々をこねていた。こうなると側に仕える女房たちではとても手におえたものではない。申し訳ないとは思うものの、やはり船穂皇妃にお任せするしかないのであった。

「楽しみは後に取っておくものよ。落ち着かれたらきっと天地殿が機会を作ってくださるから。」
「本当、お姉様!!」
「ええ、きっと。」

 きらきらと目を輝かせる美砂樹皇妃の髪を撫でながら、船穂皇妃は心の中で天地の君に詫びていた。






 天地の君の本邸である二条邸はどうであろうか。
 家人も出払って、灯が消えたように静か、と思えばそうでもない。

「砂沙美ー、酒っ!!」
「貴女という人はっ・・・! 砂沙美、そんな女の言うこと聞くことありませんよっ!!」
「でも・・・」
「みゃあ・・・」

 砂沙美姫は口元を隠すように盆を抱えている。頭上の魎皇鬼も同調するかのように首を竦めている。

「あんだよ、茶なんか飲みやがって。茶はよくいきどおりを散ずれども功をなすこと浅し、萱は憂えを忘るといへども力を得ること微なり、だぜ。」
「変なところには詳しいのね!!」
「萱(くゑん)ってなに?」
「酒の追加を持ってきてくれたら教えてやるよ。」
「忘れ草のことよ。」
「ふーん。」
「ちっ。」

 などと、意外に姦しい様子であった。主のいない二条邸に、阿重霞姫と魎呼姫を招いたのは砂沙美姫である。このような日に独りでいると、またよからぬ考えに捕らわれてしまうやもしれない。そう思い、二人に文を送ったのであった。また、二人に聞いてみたいことがたくさんあった。今日はせっかくの機会、二人の姫のこと、そして自分の知らない天地の君のこと、興味は尽きない。思わず、身を乗り出すようにして尋ねていた。

「ねえねえ、阿重霞お姉さまと魎呼お姉ちゃんってどんなふうに会ったの?」
「私と魎呼さんが初めて会ったときのこと?」
「うん!!」
「あれはだな・・・」
「思い出したくもありませんわ。」

 と言いつつ、息の合った様子でそのときのことを説明する二人であった。いささかお互いの記憶に齟齬があるようであったが、聞き役の砂沙美姫は気にした様子もなかった。













 陽もやや西に傾き、匂いこぼれる花の枝が、今盛りの木々のもと、その影を大地に伸ばして行く。美しく空を舞う花びらも、いつしか地に落ち、物陰へと溶け込んで、やがて消え入ってしまう。
 かつてはあれほどの栄華と奢りを見せた右大臣家も、今では季節の流れに逆らうかのように暗く、沈んでいた。
 近頃の右大臣はすっかり邸に引き篭もり、あれほど執着していた権威にも見放され、今は後世(ごせ)を頼みにするばかりという有り様である。右大臣の北の方はそれが面白くなく、機嫌の悪さを撒き散らすこと憚りない。
 なんとか今一度この家を盛り返そうと躍起になっているのもこの北の方であった。

「どうですか、兵部卿の方は?」
「なんとかお話までは。しかしその・・・やはりまだ渋っておられるように見受けられます。」
「こ、これほどにこちらが下手にでておるというのに!! これというのも、あの娘が不出来なせいだわ!!」

 こう言っては娘や女房たちに当たり散らしてばかりいた。特に、娘に対しては、自分の腹を傷めた娘というわけではないので、世の物語の継母のごとく、冷たい仕打ちばかりしていたのであった。













 九羅密邸の祝いの宴はさらに盛りであった。夜になっても歓は尽きることなく、庭中に篝火を焚き、花が散っては火花となって辺りを照らす。招かれた客人たちもそれぞれに楽器を手にし、または歌い、舞い踊る。
 清音はその喧燥を逃れて庭へと出ていた。池に架けられた橋を進み、なかほどにて足を止め、吹き抜ける風に身をさらす。
 そこへ、誰か別の者の足音が聞こえた。

「清音殿?」
「鷲羽様?」

 思わず口にしてしまった後、はっとした清音だったが、鷲羽の典侍から咎めの言葉はなかった。

「清音殿も酔い覚まし?」
「ええ、まあ・・・。」
「私もね、今日はなんとなく飲みすぎてしまったみたい。」
「珍しいですね。」
「清音殿もそんな気分じゃないの?」

 そう言って、どこからともなく取り出した酒杯を進める。杯を満たす酒は濁り酒であった。
 清音はそれを受け取り、鷲羽の典侍もまた自らの杯を取り出す。
 ゆるゆると杯を動かすと、濁れる酒は杯の動きに渦巻いて、もの思いを誘った。鷲羽の典侍は親友のことを思い、清音はあの少女のことを心に浮かる。そして、今まだ宴の中心にいるであろう男性のことを思い浮かべた。
 二人は無言で酒を飲み干した。ほろ酔いのまにまに、今だけは忘れて。






ほのぼのと 歓びの香に ゆく春は よひの宴に 花もかすみつ





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