源氏無用物語

【宵闇】 〜契りの末〜





 山は心逸らせた炎の如く、まだ染まりきらぬ木の葉を紅く燃やしてゆく。そうして風に舞う火の粉は恐ろしいまでに美しい。紅い輝きを躍らせ、全てを染め尽くしたあと、何を残すというのだろうか。



 天地の君は深い山奥へと分け入り、津名魅の宮の病を癒してくれる薬を探し求めていた。道の整わぬ山中のこと、車はもちろん馬すら使えず、徒歩(かち)で踏み入る。
 今の天地の君には紅葉し目にも雅な山紅葉にも目を向ける余裕がない。都を発って既に二日、今日こそはなんとしても手がかりを得なければならない。焦っても無駄とは判っていても気の逸りは抑えられず、日に日に焦りは募る一方であった。
 しかし霊芝は伝説に謳われるほどの薬、そうおいそれと見つかるはずも無かった。

(まるで昔物語の、月の姫に求婚して与えられた難題のようだ)

 そんな思いが我知らず思い浮かぶ。それでも自分にはあきらめることはできない。与えられた時間も限られているのだ・・・。













 天地の君が急遽都を発った。女君たちに顔を見せることすらなく。鷲羽の典侍から届けられた文によれば『あるお方の病を治すため内々に承り、剣にて薬を取りに向かっていただいた』とあった。
 いま都で病に臥せっている高貴な方といえばきっとあの方、三条の社の津名魅の宮のことだろうと阿重霞姫は思いあたった。剣にて、とあるのは邪なる行いを為す者たちを打ち倒す―――すなわち呪い(まじない)を行っている者を征伐するためと解釈していた。津名魅の宮は東宮妃となられる御方、妙な噂はどこに飛び火するかわからない。それを推し量って、人の口に戸は立てられぬゆえこのような遠回しな言葉になっているのだろうということも。

(それにしても・・・)

 一点、面白くなく思うこともある。

(どうして、九羅密の邸から天地様の文が?)

 出立前の天地の君の文は九羅密邸より送られてきていた。二条邸にも戻らず九羅密邸から出かけたところをみると九羅密邸で報せを受けたということなのかもしれないが、そうでなかったとしたらやはり気になってしまう。
 ひとしきり心をざわめかせた後、今度は悪戯心を起こし、

(そうだわ・・・天地様のいらっしゃらない間に九羅密の姫とお会いしてみましょう。約束はしてあったのだからいいわよね)

 以前、天地の君に美星姫と会わせるという約束はしてあったのにどうにも機会がなく、今まで先延ばしになっていたのだ。

「誰か、紙と硯を。」

 阿重霞姫はそうと決まれば早速とばかりに筆を取った。




 魎呼姫は二条邸へと出向いていた。
 天地の君からの文でそう頼まれていたのである。砂沙美姫をひとりにしておくのは心もとないので六条邸に移すか魎呼姫に二条邸に居て欲しいとのこと。近頃六条には木工の音も喧しく、阿重霞姫がなにかと出入りすることが多いのも鬱陶しい。もしかしたら移り住んでいたかもしれない二条邸にいるのも悪くない、と魎呼姫は思った。

(たまには二条邸で砂沙美や魎皇鬼の相手をしてのんびりするのもいいだろ・・・でも阿重霞には黙っておくか・・・面倒だし)





 一方、九羅密邸。
 美星姫は、常になく気を沈ませていた。
 人に言えないことを知っているということは時に心苦しい。特に旅立ち際の天地の君の様子があの須磨への旅立ちの時より余裕なく見え、その身が案じられた。



――― 数日前 ―――


 皇宮からの足で九羅密邸を訪れた天地の君は、前置きもなく美星姫に尋ねた。

「お願いがあります。」
「は、はい〜。」

 いつもと違う雰囲気の天地の君に戸惑いつつ頷き返す美星姫。

「以前話してくれた霊芝がどうしても必要になったのです。どうか、入手先を教えてください。」
「天地の君、さま?」

 美星姫の目の前にあるのは決意の焔(ほむら)と焦りの蒼い影を混じり合わせた彩り。美星姫は天地の君のその様子になにも尋ね返すことなく、知る限りのことを伝えた。そして、すぐに発とうとする天地の君を抑え、夕餉の支度を整えさせた。さらに事情に詳しい者を供に加わらせ、送り出したのであった。

「天地の君さまそんなに一生懸命なんですからきっとみつかりますよ!」

 天地の君はその言葉にわずかに癒される心地がしたものの、やはり不安と焦燥は燻り続けた。美星姫に阿重霞姫、魎呼姫、砂沙美姫への文を託し、そのまま空に浮かぶ三日月の見送りを受けて九羅密邸から都を発った。




「天地の君様、今ごろどうしてますか〜?」

 などと独りごちているところへ文が届いた。














 翌日、六条邸に美星姫の姿があった。阿重霞姫が六条邸の改築の話にかこつけて招いたのである。美星姫にも六条邸にみなを集めるつもりであるという話は天地の君から伝わっていたため、さして不自然なこととも取られなかった。

「初めまして、阿重霞にございます」
「美星と申します」

 まずは型通りの挨拶をする姫君たち。

「あの〜、六条の姫はおいでにならないんでしょうか?」
「え? あ、その、魎呼さんは・・・留守のようなので」
「そうなんですか?」
「え、ええ」
「そうですか〜、お会いできなくて残念です」
(まったく、魎呼さんたらどこに行ったのかしら?)

 阿重霞姫も魎呼姫がどこに出掛けたのか知らなかった。一応、今の六条邸の主は魎呼姫ということになっているから主がいないのに客を招いているのは妙なのであるが、美星姫は特に気にした様子もなかった。それどころかまるで臆する様子もなく、はしゃいでいるように見える。

「広いお邸ですね〜、これからまだ広くなるんでしょう?」
「ええ、今でだいたい六割といったところでしょうか」
「は〜、それは抜け穴の作りがいがありますねえ」
「ぬ、抜け穴?」

 美星姫は九羅密邸のような邸が一般的と思っているようであった。

(考えの読めない方だわ・・・)

 天地の君抜きで対面したことを少し後悔する阿重霞姫であった。





 美星姫が帰った後、阿重霞姫は六条邸の一室でしばし休息を取っていた。美星姫との話が思った以上に疲れたためである。夕刻の、紅い斜陽の差し込む部屋で、阿重霞姫はまどろみの中に不思議な光景を見た。

 子供の声が聞える。

「「阿重霞お母様ーー!!」」

 振り返ると建物の狭い隙間から子供たちが這い出してきた。

「まあ・・・またそんなところから出てきて。」

 驚かそうとしたのだろう、小さな身体に埃や蜘蛛の糸をまとわりつかせていた。
 邸というよりはもはや小さな町とも言うべきこの六条邸を毎日駆け巡っては装束を汚して叱られている。それでも一向に懲りる様子もない。
 そこへ、邸の縁側から女性の声。

「阿重霞お姉さま、その子達を捕まえて!」
「まずい」
「逃げよっ」
「あ、こら、待ちなさいっ!!」

 一目散に逃げていく子供たち。どうせ行き先は姉妹達のいる秋の御殿に決まっている。

「まったく日に日に逃げ道が増えていくんだから・・・」
「どうせ魎呼さんに教わったんでしょう?」
「それが美星お姉ちゃんみたいなの・・・。」

 そう言って嘆息しながらも表情は柔らかいまま。

 不意に風が吹いて、水色の髪が視界に波のごとく靡いた。それはやがて藤色の渦となって景色を染め、紫の花びらの降る中を人々の姿が浮かんではまた消えてゆく。赤い髪・・・ああこれはあの方。次に巫女の装束を纏った見知らぬ女性。そしてもう一人、長く艶やかな黒髪の後姿。



 風が板戸を揺らした音で目を覚ました。

(ゆめ・・・?)

 なんておかしな夢。あの子達は誰の子供だったのだろう。どうしても顔が思い出せない。それに見知らぬ女性の影が二人も。

(まさかまだ増えるんじゃないでしょうね・・・?)

 増えるかもしれないわね、と思わず溜め息が漏れた。例えば、装束に絡んでいた黒髪の人とか・・・そもそも砂沙美にしてもそうだ。

(まったく砂沙美ったら、楽しそうに笑っちゃって)

 そう、楽しそうだった。砂沙美も、あの子達も、私も。
 なんだ、だったら別にそれでいいんじゃない。
 毎日が幸せに暮らせるなら、妃の位もなににかはせむ、ね。














 三条の社はうちしづみ、祈祷の声もない。
 新月から有明の月へと夜ごと月に光が満たされていくにつれ、虫の音すらひそやかになり、空気も重苦しい。慰む方なく思い沈みて、ただ紙燭の灯火のごとき希望にすがるほかなかった。

 津名魅の宮の側には鷲羽の典侍の姿のみがあった。いまや、この都においても鷲羽の典侍以外にはどうすることも出来ないと誰もが思っている。
 しかし。

「すまないわね」
「いいの」

 津名魅の宮は床に伏せられたまま。

「初めに無理を言ったのは私のほうだもの・・・」

 それはとても大切なことだったのだから。

「後は、お願い」
「津名魅・・・」














 いよいよ人の通うこともない、獣が作ったような道を踏み分けてゆくほどに、敷き詰められた木の葉を踏みしめる音、どこからともなく響く鹿の鳴き声など、否応もなくもの寂しさを増す。
 日が暮れる頃、ついに村とすら呼び難いほどの小さい集落にたどり着いた。

「あれこそ、美星姫が教えてくれた里に違いない!」

 天地の君は狂喜して、休みを取ることもなくすぐさま薬師のもとを訪ねた。
ところが里の者の口から出たのは苦い報せであった。

「以前、草木のみならず金石すら薬として扱う薬師が住んでおりました。ですが年老いた独り身で頼む者もいなかったのでしょう、今年の春に山の奥へと一人去ってしまいました。」

 天地の君も供の者たちも、その事実にしばし呆然とした。ここまで来て全て無駄だったというのか。もはや猶予が無いというのに、一から出直せというのか。
 しかし、天地の君はあきらめきれなかった。

 「まだだ。まだ、この世を去ったと決まったわけじゃない!!」

 そうして天地の君は薬師を追った。夕闇の中、なお暗い山奥へと更に足を踏み入れていった。








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