源氏無用物語

【夢通】 〜あくがれ〜





 咲き誇った花々も秋風に誘われて色を移し、おもかげのみを偲ばせては空しく朽ちてゆく。それを忘れさせるかのように、山は燃ゆる炎の如き色に染め上げられようとしていた。


 津名魅の宮は病の床に伏せられた。入内を控えた身であられるというのに一向に回復の兆しすら見えない。津名魅の宮のご様子は三条の社の外にはなかなかに伝わってこないが、眠っていることが極端に多くなられたという。数日に渡ってまったく目を覚まさず、そして目覚めたと思えばまた眠りの淵へと引き込まれてしまう、そんなご様子であるらしい。東宮からは毎日のように様々な見舞いの品が届けられるが、津名魅の宮は御礼の文さえお返し出来ない。
 熱や痛みに苛まれているわけではないと知って、病の知らせに心揺るがされた人々もひとまずの落ち着きをとりもどしてはいたが、人恋しい秋の夜長に晒されるゆえか、心にさす影は消えなかった。













 六条の改築は順調すぎるほど順調に進んでいた。邸全体の完成はもちろんまだまだ先だが、年が明ける前には天地の君が移り住めるほどの早さであった。初めの予定では梅の蕾が膨らむ頃であろうと予想していたのに、この作業の進み具合には全く脅かされるばかりである。
 一方、二条邸の空気はあるじの心を汲み取ってか重く沈んでいた。天地の君はもとより、砂沙美姫までもうち沈みがちであった。
 砂沙美姫は夜ごと不思議な夢を見ていた。その夢は、夢とは思えないほどに鮮明で生々しく、まるで魂がこの身を離れ、いずこかへと引き寄せられていくようにも思えた。

(今までもこんな夢を見ていたのかも・・・)

 ただ、目が覚めた時に全て忘れてしまっていただけ。砂沙美姫にはそう思えた。今は全て覚えている。昨夜見た夢も、その前の晩も、そのさらに前の夢も。
 そして今夜も。


 一面の白い世界。
 白以外にはなにもなく、ただ自分と、自分と同じ色の髪をした女の人だけがいる。自分は知っている。このひとを、知っている。

「ねえ、あなたは誰なの?」
「私は津名魅、です」

 津名魅・・・津名魅ちゃん。知っている、そう呼んでいた。

「前にどこかで会ったよね? どこかで会ってるよね?」

 野原で。

「ええ・・・私は貴女ですから」

 白い雪が降る中で。

「津名魅ちゃんは砂沙美なの?」

 一緒に泣いた。

「そう・・・貴女は私の夢・・・」

 砂沙美は津名魅ちゃんの夢。津名魅ちゃんは砂沙美の・・・。















 津名魅の宮は目を覚まされた。数日に渡る眠りよりの目覚めであった。ひどい苦しみというわけではないものの、顔色には憂い、額にかかる髪にも疲れがうかがえて、そんな有様を見るにつけても側に仕える者たちは心苦しく、自らが招く嫌な想像にも恐れを抱くばかりであった。

(あの子の夢を見た・・・。いいえ違う、夢であの子に会った)

 一時の目覚め。

(そう、もう二年も経っていたのね・・・)

 鷲羽の典侍は津名魅の宮が目を覚ましたとの知らせを受けて急ぎ来たが、到着した時には津名魅の宮は再び眠りに就いていた。
 ここに至って、鷲羽の典侍は三条の社に泊まり込む決意をした。

「部屋を用意していただけないでしょうか。」
「かしこまりました。」

 そうして、支度を整えるために再び皇宮へと戻っていった。






 またまんじりともしない夜が明けた。津名魅の宮が病に伏せられたと伝え聞いて以来、このような朝が何度あったことか既に覚えていないほどである。あの鋭いまなざしも冷たい気配も、今の訪希深にはない。

(私のせい、なのだろうか・・・。)

 あの方の病は。
 訪希深は津名魅の宮を見舞いたく思うが、とてもかないそうになかった。訪希深の今の立場では、三条の社と懇意にするのは難しい。第一位の巫女の座を津名魅からいや三条の社から奪ったことになっているからだ。
 今までにあった様々なる事々を、現在から過去へと思い返す。大陸のこと、鷲羽との出会い、津名魅の宮との出会い。いつか約束した風に流れる白梅、こがね色にさざめく稲穂の原、故郷の杉木立・・・そして、訪希深は唐突にあることを思い出した。取るに足りないことと、忘れ去っていたこと。あの日、自分は津名魅の宮になんと言っただろうか? 訪希深は自らの記憶に眠っていた言葉に慄然とした。

「君を離れて・・・恋に・・・」

 そこから先は声にならず、口元を覆ってその場に崩れてしまった。















 日暮れかかる頃、天地の君は鷲羽の典侍のもとを訪れていた。このところ身を慌しくしていて捕まらなかった鷲羽の典侍だが、ちょうど三条の社から戻ってきたところであった。

「せっかく来てくれたところ悪いんだけど、あまり時間は取れないよ。もっとも、天地殿のほうでものんびりする気分じゃないか」

 と、やや自嘲気味に言う。

「なら来た理由もわかっていると思う。」
「ええ。津名魅の容態でしょう?」

 天地の君は無言でうなづいた。緊張の色が見て取れる。

「危険な状態ね。このまま症状が続けば冬が来る前には・・・」
「なにか方法はないのか!?」
「あればもう試しているわ。私にやれることは全て」
「・・・くっ」

 その言葉に、悔しげに手を握り締めることしか出来ない。

「後はもう、霊芝でもない限り・・・」
「霊芝?」
「ああ、ただの独り言だから本気にしないで」
「いいから聞かせてくれ!」

 ふう、とため息をもらして鷲羽の典侍は言葉を続けた。

「伝説の薬よ。万病に効くと言われているけどね、そんな都合のいいものがあるわけないわ」
「いや、探してくる!」
「無駄よ、私だって見たことも、見たって人に会ったことすらないんだから。所詮作り話・・・」
「見たという人を知っている。だから、きっと見つけてくる。」

 そう言ってやおら天地の君は立ち上がり、そのまま部屋を出て行こうとする。そんな天地の君を見て、鷲羽の典侍の冷静な部分は止めても無駄だと呟いていた。しかし、それでも声をかけてしまった。

「天地殿!!」

 振り向かず、足だけを止めた。

「どうして行かれる?」
「どうしてって、当たり前じゃないか」
「病が治ってももう会うことは出来ないのよ」

 その言葉に身じろぎする。

「・・・それは。」
「そして津名魅は東宮のものとなる。」
「・・・・・・」
「でも、もし津名魅の病がこのままならば」

 その先を聞いてはいけない。天地の君はそう感じた。

「そうすれば津名魅は貴方のもの・・・永遠に。」
「鷲羽ちゃん!!」

 思わず振り向いて大声を上げた。いつもように手をひらひらさせながら、笑いながら、『冗談、冗談よ』と言ってくれることを期待したのに。それなのに。鷲羽の典侍は表情を変えずに続けた。

「もし津名魅が」

 これ以上何があるというのか。

「嫁ぐくらいなら死んだほうがまし、と考えていたら?」
「!?」

 二人の間に沈黙の幕が下りた。
 天地の君はなにも言いだせない。思い浮かぶ言葉は全て空しく、その奥にあるものは認めるわけにはいかないのだから。鷲羽の典侍も黙ったまま。能面のような表情を作り、心を隠して見せない。
 先に口を開いたのはやはり鷲羽の典侍だった。

「都を離れるのでしょう? 次の望月までには戻って。後のことはなんとかしておくわ。」 

 天地の君は頷き、そして去っていった。
 何も言うことなく。
 言えなかったのか、それとも言わなかったのか。
 鷲羽の典侍も、天地の君にもわからなかった。







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