ある夜のことだった。
 昼間はにぎやかなこの家の明かりも既に消え、住んでいる者たちは皆眠りに就いている。あいにくの曇り空に月明かりも阻まれ、街の明かりもこの山中までは届かない。
 しかしこの闇の中、その家からわずかに離れた大樹立つ池のほとりに、ひとつの人影があった。
 何をしているわけでもない。
 ただ、暗い夜の闇に立っているだけ────。
 突然、前触れもなく池の水面に淡い光が現れ、周囲を仄かに照らしだした。
 その光の中、池の側に立つ者の姿も闇に浮かび上がる。そこにあったのは静かに水面を見つめ続ける砂沙美の姿だった。

「砂沙美・・・どうしたのです?」

 どこからともなく声が聞こえてくる。それは大気を震わせて伝っているようにも、心に直接呼びかけてくるのかのようにも感じられた。
 声に応じて、砂沙美は池の中をのぞき込む。そこには本来映るべき今の砂沙美の姿はなく、もう一人の彼女───津名魅の姿があった。

「津名魅ちゃん、砂沙美お願いがあるの。」
「どんなお願いですか?」

 砂沙美は居住まいを正し、緊張した面持ちで、しかしはっきりと言った。

「お願い、津名魅ちゃん!一日だけ身体を替わって!」






SS 砂沙美と津名魅 〜月夜の晩に〜

                      sasami side




 いつもの朝。
 今日も砂沙美が作った朝食を天地たちが頂いているのだが、一部不機嫌そうな顔をしている者たちがいる。

「魎呼ちゃん、なにふくれっつらしてんの。そんな顔してるとせっかくのご飯もおいしく食べらんないわよ。」

 鮭の切り身で白いご飯を口に運びながらも鮮明なしゃべり方である。

「うっへ(せ)え!ふきげんにも(モグモク)、あるらろ(なるだろ)!」
「きゃっ、もう!口に物を入れたまましゃべらないでくださる?」

 そう言いつつ、阿重霞が魎呼から離れる。まあ、無理もない。
 そんな阿重霞の言葉を聞き流しつつ、更に魎呼は言い募った。

「そーゆーおまえは気にならねえのかよ。」
「わ、私は別に・・・気になどなりませんわ。」

 本当は気になるのだが、ここで自分も魎呼のように不満を漏らすわけにはいかない。魎呼と違って阿重霞には姉の立場というものがあるのだ。

「でもいいですね〜、砂沙美ちゃん、天地さんと一緒にお出かけなんて!」
「えへへへ、砂沙美も楽しみにしてたんだよ!」

 二日前のことである。
 天地の祖父・勝仁が「貰い物じゃ」と言って、遊園地の券を2枚持ってきた。それを聞きつけた女性陣が2枚しかないなら天地と二人きりで・・・と考えるのは柾木家では自然な流れと言えよう。
 その最右翼である魎呼は例によって力づくでも、と思っていたのだが今回はそうはいかなかった。
 なぜなら、

「遊園地の券だぞ。一枚は砂沙美ちゃんの券だ。」

という天地の強いお言葉により、一枚は砂沙美のものと確定してしまったのだ。天地にこうまで言い切られては魎呼も言い返せない。他のみんなはもちろん反対しなかった。
 さて、残り一枚はどうするか。
 魎呼は天地と行けないと判って興味が失せたらしく、一升瓶を持って姿を消してしまったし、鷲羽は権利を残りの面々に譲った。

「ここはやっぱり阿重霞さんが・・・」
「でも美星さんだって行きたいのでしょう?」
「そうですけど、でも、阿重霞さんと砂沙美ちゃんで行った方がいいんじゃないですかぁ?」

 阿重霞は少し考え込んだ。確かに自分が行くのが一番良いように思う。美星と砂沙美の二人だけでは一抹の不安がつきまとうし、でも天地を差し置いて・・・とそこまで考えたところで。

「あの、美星さん、天地様、残りの一枚は私が決めさせてもらってよろしいでしょうか?」
「ええ、どうぞ!」
「もちろんかまいませんよ。」

 天地も美星もてっきり阿重霞が行くものだと思ったのだが、阿重霞の指名は違った。

「では天地様、よろしくお願いします。」

 と言って天地に券を差し出したのである。それを聞いた砂沙美が驚き、喜んだのは言うまでもない。

(今回だけですからね、砂沙美。)

 阿重霞は心の中だけでそう呟いた。












 朝の一悶着の後、出発の時間になった。

「天地殿、そろそろ出掛ける時間じゃないの?」
「うん。砂沙美ちゃんは?」

 そう言いつつリビングを見渡すと魎呼が梁の上で相変わらず不機嫌そうにしているのが目に入った。美星、鷲羽、阿重霞の三人はテーブルを囲んで銀河放送を見ている。

「天地様、砂沙美は今部屋で支度をしております。もうすぐ降りてくると思いますが。」
「あ、そうなんですか。」

 天地は階段の下に行って、2階の部屋にいるであろう砂沙美に向かって声をかけた。

「砂沙美ちゃーーん、準備できたー?」

 すると、「はーーーい」という返事が聞こえてきた。
(ん?なんかいつもの砂沙美ちゃんの声と違うような・・・気のせいかな?)
などと天地が考えているうちに、トン、トンとリズミカルな音を響かせて砂沙美が降りてきた。

「天地兄ちゃん、お待たせ!」
「いや、そんなことな・・・え?!」

 砂沙美が降りてきた音を聞いて阿重霞たちもこちらに視線を移したが、皆一様に言葉を失った。そこにいたのは頭の両側で髪を結い上げた少女ではなく、束ねた髪を二筋、背中へと流した大人の女性。

「「「「つ、津名魅?!」」」」

  リビングにいた面々は見事にハモった声を上げた。
 ただし、約一名だけがあらまあ、とマイペースだったが。
 そう、砂沙美ではなく、まさしく津名魅である。普段の樹雷風の衣装ではなく、地球人の女性の服を着ているが、あの輝くような微笑みはそのままだった。

「天地兄ちゃん、早く行こっ!」
「さ、砂沙美ちゃん、なの?」
「う、うん。今日は特別だから。」

 そう言って砂沙美は恥ずかしそうに目線を下げた。顔がほんのり赤い。

「あ、うん、そうなんだ、は、はは。」

 その仕種に何故か天地は動揺したらしく、ごまかしの入った笑いで答えてしまっていた。

「まあ〜、砂沙美ちゃん、とっても奇麗ですぅ〜!」
「え、えへへへ・・・。ありがとう、美星お姉ちゃん。」
「ふふ〜ん、やるわね、砂沙美ちゃん。」

 いち早く立ち直り、なにやらニヤニヤとした笑いを浮かべる鷲羽。

「じゃあ、行ってきます。」
「行ってきまーす!!」
「行ってらっしゃい。」
「二人とも気をつけて下さいね〜!」

 美星と鷲羽が天地と津名魅姿の砂沙美を見送る。二人が玄関を出るまで、阿重霞と魎呼はリビングで化石になっていた。












 バスと電車を乗りつぐこと2時間あまり。
 天地たちは遊園地へと到着した。

「わあ〜、すっごい人!!」
「ほんとうだね。」

 天地自身も遊園地など滅多に来ないので普段どのくらい混んでいるかは判らなかったが、盛況のようだった。ほとんど乗り物には列が出来て、並ばなければ乗れそうにない。

「天地兄ちゃん、行こっ!!」

 砂沙美は天地の手を取ると、お目当てのアトラクションを目指した。




 あれから天地と砂沙美は次々と乗り物をまわった。
 高所から一気に急降下するパラシュート。
 定番のジェットコースター。
 ジャングルのようなコースを水路で巡るボート。
  天地は宇宙船を模したアトラクションに乗りながら、

(そういや俺、本物の宇宙船で宇宙に行ったんだっけ・・・)

 といまさらなことを思ったりした。

「楽しい?砂沙美ちゃん。」
「うん!魎ちゃんも連れてきてあげたかったなあ。」
「そうだね。」

 砂沙美は楽しそうにはしゃいでいた。そんなときは津名魅の姿がいつものイメージより年下に見えて、天地にはおかしかった。



 3度目のジェットコースターを降りた後。

「さ、砂沙美ちゃん。ちょっと休まない?」

 慣れない乗り物の連続に酔ったのか、天地は足元がふらついていた。












 天地は芝生に横になっている。
 目を閉じると地面が回っているような感じがした。
 そこへ砂沙美が戻ってきた。

「はい、ハンカチ濡らしてきたよ。」
「ありがと。」

 受け取ろうと身体を起こしたところ、

「いいから横になってて!」

 と砂沙美に止められた。

「大丈夫だって。」

 そのとき、砂沙美はふとあることを思いついた。
 芝生に仰向けになっている天地の頭の方へ移動する。そして、膝を揃えて座ると、天地の頭を乗せた。

「さ、砂沙美ちゃん?」
「じっとして!!」

 普段の身長では天地の頭を乗せるにはちょっとやりにくいが今なら難しくなかった。
 天地の額にハンカチを乗せ、しばらく二人の会話が途切れた。

「ごめんね、天地兄ちゃん。」
「なにが?」
「砂沙美が、はしゃぎすぎちゃったから。」
「そんなことないよ。」

 天地は砂沙美の方を向いて、

「このくらいで倒れるなんて、身体がなまってるのかもしれないな。じっちゃんに知られたらなに言われるかわかんないや。」

 と言って笑った。

「それにね、」

 一度言葉を切る。

「砂沙美ちゃんが楽しそうにしてると、俺も楽しかったよ。」

 津名魅、いや砂沙美は、恥ずかしそうに微笑んだ。
 砂沙美は今日ここに来れて良かったと心から思った。

(ずっとこうしていたいな・・・)











 天地が砂沙美の膝の上でダウンしている場所から少し離れて。

「天国の母さん見てるかい。お前の息子はこんなに立派になったよ・・・」

 などと言いながら植え込みの影でビデオを回す中年男性がひとり。
 端から見ると、はっきり言って怪しい。

「あ〜、そこの君・・・なにをしている?」
「あ、こりゃ警備員さんですか?」
「そうだが、こんなところで何をしているのかね?」

 怪しまれているせいか、口調がきつい。
 しかしビデオを手にした男は人の良さそうな笑顔で答えた。

「実は今、私の息子がデートの真っ最中でして・・・なんといいますか、つい気になってしまいまして、ははは」
「息子?あそこにいる少年が?」
「ええ。どうです、なかなかやるもんでしょう。」

 実を言うと、今日のチケットを勝仁に渡したのは信幸である。

「ほほう・・・お似合いじゃないですか。」
「いや〜、男手ひとつで育てたせいか、どうにも奥手で心配しておったんですがねえ。」
「や、それは、苦労なさってるんですなあ。」
「いやいや・・・」

 なにやら意気投合したらしく、ひそかに盛り上がっていた。









 一方、柾木家は。
 正気に戻った魎呼が後を追いかけようとして鷲羽に捕まったり、美星はいつも通りリビングのソファで昼寝をしたり、阿重霞は部屋に籠って『平常心』と習字した紙で部屋を埋めたりと、おおよそ平和だった。













 帰り道。家へと続く道を歩いて登っていく。
 天地は朝から気になっていたことを尋ねてみた。

「砂沙美ちゃん。」
「なに?」
「今日はどうして? その・・・」
「この姿?」

 天地は頷いた。

「嫌だった?」
「嫌じゃないけど・・・なんだか慣れなくて。」

 少し照れながら、答える。

「砂沙美ね、一度やってみたかったことがあったの。」
「やってみたかったこと?」
「うん・・・こうしてね・・・」
「さ、砂沙美ちゃん?!」

 砂沙美は天地の左腕を抱え込むようにして、並んで歩いた。

「こうして、天地兄ちゃんと腕を組んで歩いてみたかったの。TVやマンガの恋人たちがしてるみたいに・・・。」



 やがて家が見えてきた。
 手前の池が沈みかけの夕陽に染まって紅い。
 砂沙美は天地の腕をそっと離した。
 それでも、名残惜しいのか砂沙美の手は天地の肘の辺りに添えられたまま。

「砂沙美ちゃん」
「え?」
「その・・・今日は楽しかったよ。ありがとう、砂沙美ちゃん。」
「天地兄ちゃん・・・」

 砂沙美は胸の中が熱い気持ちで満たされて、じっとしていられなかった。
 背伸びして、唇を天地の頬に近づける。
 いつもならとても届かないけど。今なら。

「わっ!?」
「えへへ、砂沙美、先行くね!!」

 砂沙美は家へと駆けて行った。
 きっとみんなが首を長くして二人の帰りを待っていることだろう。





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