Bee Gees 1st

 

<Side A>
1. ターン・オブ・ザ・センチュリー
 
Turn of the century

2. ホリデイ
 
Holiday
3. 想い出の赤い椅子
 
Red chair, fade away
4. ワン・ミニット・ウーマン
 
One minute woman
5. イン・マイン・オウン・タイム
 
In my own time
6. ライオン・ハーテッド・マン
 
Every christian lion hearted man will show you
7. ロイヤル・アカデミー・アーツのクレイズ・フィントン
 
Craise Finton Kirk Royal Academy Of Arts
<Side B>
8. ニューヨーク炭坑の悲劇
 
New York mining disaster 1941
9. キューカンバー・カスル
 
Cucumber castle
10.ラブ・サムバディ
 
To love somebody
11. 瞳を閉じて
 
I close my eyes
12. 誰も見えない
 
I can't see nobody
13. プリーズ・リード・ミー
 
Please read me
14. クローズ・アナザー・ドア
 
Close another door

 


 コマーシャルなポップスから自由な表現のロックへ、サイケデリック・ミュージックの流行、サンフランシスコでの若いグループの台頭など、67年はポピュラー音楽のターニング・ポイントになった時代である。イギリスのポリドールからも同年2月、一組の若いグループがレコード・デビューした。彼らは新人離れした魅力的、かつ個性的なヴォーカル、ハーモニーをもち、ビー・ジーズと名乗っていた。そのデビュー・シングル「Spicks And Specks / I Am The World」は総まりのある出来も悪くない作品だったが、音楽ファンの興味を刺激できなかった。
 これがイギリスを基盤にその後世界のポピュラー音楽市場に進出するビー・ジーズの出発点だった。もっとも彼らのレコード・テビユーは厳密にいえば、オーストラリアのリード/フェスティバル・レーベルで63年に実現していた。詳細は後述するとして、オーストラリア時代の彼らは63〜66年までの4年間でシングル11枚とアルバム3枚を残している。作品発売、人気が特定の地域に限定されていたためそれらはほとんど知られていないという点で、彼らの経歴上でも参考記録程度にとどめられている。
 ともあれビー・ジースは67年のイギリス・デビューで世界のポピュラー音楽界への第一歩を印した。チャンス、運とも他のミユーシシャンに比べれば恵まれていたが、世界進出のスタート・ラインにつくまで約4年かかった。
 その道のりを改めて振り返るとこうなる。彼らがミュージシャンに憧れたのは多分に家庭環境、とくに父親の影響が強い。父のヒュー・ギブ・ジュニアもかつてはプロ・ミュージシャンとして活躍した。彼はドラマー兼バンドリーダーとして40年代に成功していた。
 ヒューがマンチェスターのダンス・ホールで活動していた時(41年)、バーバラ・パスという女性と出会い、3年後に2人は結婚した。夫妻に初めての男児が誕生したのは47年9月1日、彼はバリーと名付けられた。さらに2年後の12月22日早朝、双子の男児ロビンとモーリスが生まれた。バーバラは出産4週間前から双子の誕生を医者にいわれて知っていたという。
 しばらくのあいだバリー、ロビン、モーリスの三兄弟はマン島で幼年期を過ごしたが、やがて一家はマンチェスターに移住した。このマンチェスター時代がビー・ジーズの音楽の開幕になったのである。
 三兄弟で最初に音楽に関心を示したのは年長のバリーだった。彼は同年代の友人達とグループを組んでいたか、まだこの時点ではロビンとモーリスはメンバーに加わっていなかった。
 だが三兄弟がグループを組んで歌い始めるまでにはそれほど時間はかからなかった。バリーが9歳、ロビンとモーリスが7歳の56年にそれは実現した。父のヒューは三兄弟のハーモニーを生かしたコーラス・クループ、たとえはミルス・ブラサースを頭に描いていた。しかし、三兄弟のやりたいことはぜんぜん違っていた。当時イギリス国内でも若者の興味をひきつけていた流行、ロックン・ロールが彼らの目標だったのである。
 三兄弟はたまに地方の映画館で歌うチャンスに恵まれた。幼いビー・ジーズの50年代におけるイギリスでの音楽活動は足跡らしきものも残せないまま閉幕した。58年にギブー家は故郷イギリスを後にオーストラリアに移住したのである。
 オーストラリアのブリスヘンに住居をかまえてからも三兄弟は歌に専念した。この地で最初に彼らの歌に注目したのはレース・ドライヴァーのビル・グッドである。母バーバラの記憶ではそれは59年の終り頃だったという。ビルは友人のDJ、ビル・ゲイツに歌のうまい三兄弟をひきあわせた。
 バリーはすでにこの頃にはオリジナル作品を書き始めていた。「Turtle Dove」が初めて彼が書いた作品で、他にも何曲かストックがあった。DJのゲイツは彼らの歌を評価し、ギブ・プラザーズに新たなグループ名を提案した。バリー・ギブ、ビル・グッド、ビル・ゲイツ、偶然3人の名前の頭文字がBGと一致していたことからビー・ジーズ(当時はB.G.'S)と命名された。
 グループ名は決まってもすぐにチャンスはやってこなかった。60年を迎え、父のヒユーは息子達のために地元のテレビ局をまわって宣伝した。そしてABCのバラエティ番組<エニシング・ゴーズ>のオーディションに挑戦する機会を得た。この初の難関をパスすることでチャンスは広がり、彼らは<クーティーズ・ハッピー・アワー>のレギュラー出演グループに躍進した。
 ビー・ジーズの人気はテレビを通じてオーストラリアでは飛躍的に高まっていった。テレビ出演から4年目を迎えた63年、遂にフェスティヴァルから彼らにレコード・デビューの話がもちかけられた。それが彼らの初オリジナル「The Three Kisses Love / The Battle Of The Blue And The Grey」である。ライヴも活発に行なわれ、レコードも続いて発表され、ヒットした。
 約9年にわたるオーストラリアでの彼らの活動は実り多いものとなった。しかし、世界を目指す彼らにはまだほんの序の口にしかすぎなかった。ビー・ジーズの本当の戦いはこれからだった。
 67年1月3日、ギブ一家はオーストラリアを離れ、故郷イギリスヘの帰途についた。イギリス着後の彼らはロバート・スティッグウッドとマネージャー契約を結んだ。この時点でギブ三兄弟にヴインス・メロニー(ギター)とコリン・ピーターセン(ドラムス)がビー・ジーズのメンバーに名前を連ねていた。
 イギリス第1作「Spicks And Specks」は完全な空振りに終ったが、追って4月に発表された「ニューヨーク炭鉱の悲劇」が彼らの前途を明るく照らした。イギリスでは12位、アメリカでもヒット・チャートの14位に入った。この勢いを維持しようと3作目の「ラウ・サムバデイ」が続いて67年6〜7月、英米のチャートにランクされた。
 ようやくビー・ジーズの名が世界のポピュラー音楽ファンに知られ始めた67年7月、計ったようなタイミングで発売されたアルバムがこの『ビー・ジーズ・ファースト』である。
 先にシングル発売された「ニューヨーク・・・」と「ラウ・・・」の4曲を除いて、他の収録作品はすべてロンドンでレコーディングされた。収録14作品は全部ビー・シーズのオリジナルである。


[1] ターン・オブ・ザ・センチュリー(Turn Of The Century)
 トラディショナルな感覚を秘め、追想的なポップ・メロティが印象深い作品である。時代めいた管楽器演奏がとても効果的に生かされている点も見逃せない。
[2] ホリデイ(Holiday)
 センチメンタルなメロディに象徴されたポップ・バラード。コンパクトにまとめられたなかにもドラマ性をもった親しみやすい作品である。イギリスではシングル発表されなかったが、アメリカでは「Every Christian Lion Hearted Man Will Show You」と組み合わせでカット、「To Love Somebody」に次いで全米(記録は全てBillboard HotlOO)16位を記録、日本でも人気を集めた。
[3] 想い出の赤い椅子(Red Chair Fade Away)
 初期のビー・ジーズにしては凝った作りのサウンド、時代性を感じさせる少々サイケデリックがかった演奏、当時の流行を意識?したポップスという点が興味深い作品である。
[4] ワン・ミニット・ウーマン(One Minute Woman)
 シングル・ヒット曲ではないがなかなかの秀作である。バックの管弦楽演奏が新鮮で瑞々しい響きを演出、スマートで柔和さが全面にみなぎったポップスである。
[5] イン・マイ・オウン・タイム(In My Own Time)
 ビートルス作品を彷彿させる少々ラフなスタイルのポップ/ロックン・ロール。粘着質的なサウンドとヴオーカル、若さと力強さはあるが、本アルバム中では最もビー・ジーズらしくない感じの作品である。
[6] ライオン・ハーテッド・マン
 (Every Christian Lion Hearted Man Will Show You)

 明と時のサウンドが同居、そのコントラストが大胆でおもしろい個性的な作品である。とくに含みのある神秘、あるいは幻想的な時の部分のフレーズはメロティメイカー、ビー・ジーズでは予想外のサウンド。アメリカでのシングル「Hollday」のB面曲である。
[7] ロイヤル・アカデミー・アーツのクレイズ・フイントン
 (Craise Finton Kirk Royal Academy Of Arts)

 単純で素朴なピアノの伴奉をバックに、軽く、明るくストレートに歌われたポップ・ナンバー。
[8] ニューヨーク炭鉱の悲劇(New York Mining Disaster 1941)
 英米とも「I Can't See Nobody」と組み合わせでシングル発表、アメリカではレコード発売3週間後で35万枚、全世界100万枚セールスを記録したビー・ジーズ初のミリオン・セラー・ヒットである。イギリスでは12位、アメリカでは14位、彼らのハスキーなハーモニーが一段と効果を発揮した傑作である。
[9] キューカンバー・キヤツスル(Cucumber Castle)
 物悲しさを含んだメロテイ、ノスタルジックなムードが微妙なバランスをとりあったポップス。若さを押さえて、しっとり聞かせる、ビー・ジーズ・パターンにあった作品である。
[10] ラヴ・サムバデイ(To Love Somebody)
 ポップ・バラード、メロデイ・メイカーとしてのビー・ジーズを最も強くファンにアピールした作品である。「Close Another Door」と組み合わせでシングル発売され「NewYork・・・」に次きヒット。英で50位と41位の二度、米で17位、71年公開映画『小さな恋のメロテイ』にも印象的に使われていた。新鮮でナチュラルな美しいメロティのバラード、彼ら初期の傑作である。
[11]瞳を閉じて(I Close My Eyes)
 リズムにアクセントをつけ、流れるようなストリングスの演奉をバックに明るく歌いあげられたポップス。
[12] 誰も見えない(I Can't lSee Nobody)
 物悲しいヴァイオリンの調べ、対照的に力強く安定したハーモニーが織りなす叙情的なポップ・ナンバー。「New York Mining Disaster 1941」のシングルB面曲である。
[13] プリーズ・リード・ミー(Please Read Me)
 ビー・ジーズ得意のポップなミティアム・バラード、ソフトで厚味のあるハスキーなハーモニーが光った作品である。
[14] クローズ・アナザー・ドア(CLose Another Door)
「To Love Somebody」シングルB面収録曲。明るく快活に歌われ、聞きやすく、優しさを曲調にたたえたポップスである。

(かまち潤)
CD(POCP 2225)の解説より抜粋



●私の一枚 〜ビー・ジーズ・ファン・クラブ〜

 誰にでもその人の存在を知るきっかけかありますね。それはひとつの映画だったり、一冊の本だったりします。このアルバムの中に私がビー・ジーズというグループを知るきっかけになった一曲があります。
 その曲はそれまでタイガーズやテンブターズといったグループ・サウンズに夢中になっていた私にはとても新鮮で印象的なものでした。ちょうど海外のポップスやロックに興味を持ち始めた中学生の私の心にそのメロディと歌声は深く刻まれ、忘れられない記念すべき一曲になったのです。初めてその曲を耳にした'70年のクリスマスの頃。もちろん誰が歌っているのかも何というタイトルなのか分かりません。もの悲しいメロデイ、ゆったりとした歌声に強くひかれた私は洋楽に詳しい友人にたずねてやっとビー・ジーズというイギリスのグループが歌う「ホリデイ」という曲だと知りました それ以来私の彼らに対する興味は増すばかりで、彼らの事を知りたくて小さな記事ですら見つけた時には大騒きし、おこずかいを貯めてアルバムを買い、くり返しくり返し聴いていました(そのおかげで?両親ですらビー・ジーズを知っています)。一枚のアルバムを買うのに何ヵ月もかかるのですから欲しかったアルバムをやっと買った時の嬉しさはひとしおです。私が持っている「ビー・ジーズ・ファースト」の歌詞カードは少し黄ばんでしまいましたが、この歌詞カードを見ているとレコードがすり切れてしまうのではないかと思えるほど毎日の様にレコードを聴いていた日々を思い出します。完璧なまでにみごとなハーモニーの美しさは誰にも真似ができないと信じ、「トウ・ラヴ・サムバデイ」を聴いた時には“やっぱり彼らはR&Bが好きなんだ”と思ったり、いろいろ想像していました。
 これが今から25年も前に作られたデビュー・アルバムだなんて思えないほど魅力あふれる曲が収められていて、いつ聴いてもその度に少し違った魅力を発見するように思うのは私だけでしょうか。たまには古いレコードを聴き直してみるのもいいですよ。

('92年8月 西原祐子)
Bee Gees Fan C山b
〒165 東京都中野区中野北郵便局私書箱第38号

 


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