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<Side A> 1. ニューヨーク炭坑の悲劇 New York mining disaster 1941 2. ホリデイ Holiday 3. 想い出の赤い椅子 Red chair, fade away 4.ワン・ミニット・ウーマン One minute woman 5.イン・マイン・オウン・タイム In my own time 6.ライオン・ハーテッド・マン Every christian lion hearted man will show you 7.ロイヤル・アカデミー・アーツのクレイズ・フィントン Craise Finton Kirk Royal Academy Of Arts |
<Side B> 8. ターン・オブ・ザ・センチュリー Turn of the century 9. キューカンバー・カスル Cucumber castle 10.ラブ・サムバディ To love somebody 11. 瞳を閉じて I close my eyes 12. 誰も見えない I can't see nobody 13. プリーズ・リード・ミー Please read me 14. クローズ・アナザー・ドア Close another door |
※発売時の曲順は現在のものと異なり、1と8が入れ替わっていた。(上の曲順は発売当時のもの)
| 期待されるニュー・クループ、ザ・ピー・ジーズの最初のアルバム“The
Bee Gees1st”をお届けしましょう。 1967年5月16日付のピルボード、キャッシュ・ボックスといったアメリカのレコード業界誌は、大さなスペースをさいて一様に一つの契約について報じていました。 "ニューヨーク − アトコ・レコードは、イギリスの素晴しいニュー・グループ、ピー・ジーズのアメリカての独占的権利を得る25万ドルの契約にサインをした。この契約は、今まてアメリカのレコード会社とイギリスのニュー・スターとの間でかわされた契約の中で最も高額なものだと伝えられている。契約書のサインは、アーメット・アーテガン(アトランティツク−アトコ・レコード社長)とロバート・ステイグウッド(グループのマネージャーであり、NEMS工ンタープライズのマネージンク・ディレクター)とによって行なわれた。ピー・ジーズのアメリカ・デビューのため、アトコ・レコードは同社の歴史にも例をみない大がかりな宣伝キャンペーンを行なう、と発表している‥‥" 記事の大要はこんなものてした。そして、この記事て伝えられた通り、アトランティツク・レコードはピー・ジーズに大さな力を投入、彼らはデビュー・レコードの「ニューヨーク炭鉱の悲劇」、続く「ラウ・サムバディ」、そして現在('67年10月)ヒット・パレードを急上昇中の「ホリデイ」と、たて続けにヒットを放っています。 オートバイ・レースて有名なマン島のタグラスで生まれたバリー・ギップは、双子の弟、ロビンとモーリスの3人てアマチュアー・ロック・グループを結成しました。もう10年以上も前の1956年のことです。そして、これがピー・ジーズの誕生てした。 彼らトリオの最初のステージはマンチェスターのゴウモント・ブリティッシュ劇場てした。少年達が集まって毎週土曜日の朝に開くコンサートて彼らは歌ったのてす。1958年、彼らの一家はマンチェスターを去り、オーストラリアに移住することになりました。 ブリスベーンというタウン・アンダー地区にギップ一家が着いて一ケ月もしないうちに、3人は早くもラジオ番組に出るチャンスをつかんてしまいました。ブリスペーンのローカル・ステーション、4KQという放送局の"タレント・ゲスト"という番組に出演したのてす。それから2年後の1960年の3月、ピー・ジーズはブリスベーンのABCテレビからテレビにデビューすることになりました。しかも30分のレギュラー番組にてす。このとき、一番上のパリーが12オ、下の二人は10オてした。 これはピー・ジーズのオーストラリアに於けるトロフィーと賞と、ナンバー・ワン・レコードに囲まれた輝かしい成功の道に至る、ほんのスタートてした。まもなく、レコード会社が彼らに目をつけ出しました。そして1963年の1月、フェスティヴァル・レコードから初めてのレコードが発売されました。曲はギップ兄弟が自分達て作った"Three Kisses Of Love"というものてした。この曲はまた、彼らのヒット・パレードヘのデビュー曲ともなりました。 この後"Timber" "Peace of Mind" そして"Claustrophobia"など、彼らが自作、自演て発表するレコードがどんどんヒット・パレードを賑わせ、ピー・ジーズは着実に成功への階段を登っていたのてす。 1965年から,66年の2年間はピー・ジーズがオーストラリアのポップ音楽界を代表してもいいくらい彼らの活躍はめざましいものてありました。"Wine And Woman”、"I Was A Lover And A Leader Of Men"、"Spicks And Specks" といったヒット・パレードのトップになる曲を次々と放ち、'65、'66年の二年連続して「最優秀作品賞」を自作の曲が受け取り、そしてまた1966年には「今年度最優秀オーストラリア・グループ」を受賞しているのてすから・・・・。 1967年の2月、ピー・ジーズの3人は、イギリスで自分達の実力を試してみようと思いたったのです。それまでにも、シーカーズ、ギップソンズ、イージー・ピーツといったオーストラリアで活躍していたグループがイギリスに渡り、ここて成功して世界的スターになった例があります。自分達の実力は決してそうした先輩グループに負けるものてないという自信はありました。それてもやはり、これは冒険だ、という不安も少しはありました。 しかし、そんな心配はまったく不必要なものてした。というのは、彼らがイギリスに帰って3週間もしないうちに数多くの人が彼らに注目を集め出したからです。 中ても熱心だったのは、ビートルズのマネージャーだった故プライアン・エプスタインが主宰していたネムズ・エンタープライズのマネージンク・ディレクター、ロバート・スティグウッドてした。そして2月24日、ピー・ジーズはスティグウッドと5年間の契約を結んだのてす。 |
この後ピー・ジーズは、オーストラリアて生まれてロンドンて育った、丁度彼らとは逆のコースをたどっている、コリン・ピーターセンをドラマーに加え、すぐ引き続いて、やはりオーストラリア生まれのヴィンス・メロウニーをメンバーに迎え、現在ては5人組のグループとして活躍しています。 ■このアルバムについて このアルバムは最初にも書いた通り、ピー・ジーズの最初のものてす。14曲のオリジナル・ナンバーが収められていますが、これは文字通り彼らのオリジナル・ナンバーて、14曲全部が、ロビンとパリーのギップ兄弟か、あるいはこれにモーリスが加わった3人て書かれたものです。 このアルバムを聴いていただければ、このギップ兄弟の作曲の才能が卓越したものてあることはよくわかりますが、彼らは自分達の作品の他、多くのアーティストにも素晴しい曲を提供しています。 "Black Is Black" のヒットて知られている、ロス・プラヴォースが、新曲としてギップ兄弟の“Like Nobody Else”という曲を採り上げたのもその一例てす。 A面2曲目の「ホリデイ」は、アメリカて3枚日のシングル盤として発売されたものて、'67年10月14日付キャッシュ・ボックス誌ては第48位にランクされています。 B面1曲目の「ニューヨーク炭鉱の悲劇」は、ご存知のように彼らのイギリス、アメリカヘのデビュー・ヒットてす。アメリカては'67年5月第1週に発売され、7月1日付のキャッシュ・ボックスて第17位まて上りました。 B面3曲目の「ラヴ・サムバディ」は、日本て発売された初めてのビー・ジーズのレコードてす。とても綺麗なストリンクスをバックにしたこの曲、最高位は'67年8月26日で25位てした。 全体的に彼らピー・ジーズのサウンドにはどことはなしに優雅な雰囲気が感じられるようてす。ザ・フー、クリームといったグループとは違ったよさがあります。このアルバムを聴くと彼らは一つの新らしいスタイルを確立しつつあるグループということがわかります。 ■メンバー紹介
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