Hawks
日本ポリドール
P25P 20260
(1989.6.25)

1. システム・オブ・ラヴ
  
System of Love
2. チャイルドフード・デイズ
  
Childhood Days
3. マイ・エターナル・ラヴ
  
My Eternal Love
4. ム−ンライト・マッドネス
  
Moonlight Madness
5. ホエア・トモロー・イズ
  
Where Tomorrow is
6. セレプレイション(ホークスのテーマ)
  
Celebration De La Vie - Theme from Hawks
7. チェイン・リアクション
  (ヴォーカル:ダイアナ・ロス)
  
Chain Reaction
   - Performed by Diana Ross

8.
カヴァー・ユー
  
Cover You
9.
ノット・イン・ラヴ・アット・オール
  
Not in Love at All
10.
レッティング・ゴー
  
Letting Go

 


 バリー・ギブのニュー・アルバムが届けられた。ソロとしては,84年の『ナウ・ヴォイジャー』以来5年ぶりの新作にあたる。とくに今回は映画のサウンドトラック盤ということもあって、話題性にも富んでいる。
 そのあたりのことについては後述するとして、まずは近年のバリーを含むビー・ジーズの動きに関して、いくつかコメントしておこう。
 グループとしての作品では、一昨年に発表されたアルバム『E.S.P』や、シングル・カットされた「ユー・ウイン・アゲイン」のヒットは、まだ記憶に新しいところ。同曲はアメリカや日本では不発に終ったものの、イギリスでは4週間にわたってトップを独走、'67年の「マサチューセッツ」以来5曲目のナンバー・ワン・ヒットとなった。
 ちなみに、アメリカでのナンバー・ワン・ヒットは、'71年の「傷心の日々」から'79年の「ラヴ・ユー・インサイド・アウト」まで9曲を数える。
 いわゆる“フィーバー”現象で湧いていたさなか、末弟のアンデイ・ギブやRSOレコードのアーチストたちが、次々と大ヒットを連発していた時期。イギリスでは「恋のナイト・フィーバー」と「哀愁のトラジディ」の2曲がトップにランクされるにとどまったが、映画の人気とあいまって、世界中でビー・ジーズ旋風が吹き荒れていたのは御承知のとおり。バリーについていえば、そうした姿勢をかってバーブラ・ストレイザンドとのデュエットによる「ギルティ」を大ヒットさせたり、バッキング・スタッフとして、同じくバーブラの「ウーマン・イン・ラヴ」(ともに'80年に発表され、前者は3位、後者は1位を記録)、ディオンヌ・ワーウィックの「ハートプレイカー」('82年発表、最高10位)などのヒットも送り出していた。
 参考までに、当時のビー・ジーズ・フィーバーを境に生まれたデータの一部を列挙しておくと。

●アルバム『失われた愛の世界』からタイトル・ナンバーの「失われた愛の世界」、「哀愁のトラジディ」、「ラヴ・ユー・インサイド・アウト」の3曲が全米ナンバー・ワンを記録。
(ワム・ホイットニー・ヒューストンと並んで史 上第1位)

●「恋のナイト・フィーバー」、「ステイン・アライヴ」の2曲が同時にベスト・ファイヴ入り。
(前年−'77年のリンダ・ロンシュタットに続いての記録)

●全米アルバム・ランキング(TOP200)で『ステイン・アライヴ』が『ビー・ジーズ・ファース
ト』から数えて16年目のランク・インをはたす―史上3位。もちろん、その間にチャートされたアルバムは数多くあるが・・・・。
(最長記録はローリング・ストーンズで、最初の『12×5』から『ダーティ・ワーク』までの21年5ヶ月、2位はジェファーソン・エアプレーン 〜 のちスターシップと改名の18年10ヶ月)

●「哀愁のトラジディ」が、シングル・チャートの29位で初登場。ポール・マッカートニー&ステイーヴィー・ワンダーの「エポニー&アイボリー」、クリストファー・クロスの「オールライト」と並んで4位。
(1位はジョン・レノンの「イマジン」〜20位でチャート・イン。2位はポール・マッカートニー&マイケル・ジャクソンの「Say Say Say」〜同26位、3位はメン・アット・ワークの「オーバーキル」〜同28位)

●ソング・ライター・チームとして16曲の全米トップ・ヒットを送り出した−史上1位。内訳はビー・ジーズたち自身による9曲、以下、アンディ・ギブの3曲、イヴォンヌ・エリマン、フランキー・ヴァリ、バーブラ・ストレイザンド、ケニー・ロジャース&ドリー・パートンらに提供した各曲を含む。
(2位はライオネル・リッチーとアーヴィン・バーリンの9曲)といった具合。

 もちろん、こうした記録の影にロビンやモーリスをはじめとするスタッフ陣の協力があったことは云うまでもない。とはいえ、さすがの彼らも'83年に映画“ステイン・アライヴ’を手がけて以降はいささか沈滞気味で、バリーは前出の『ナウ・ヴオイジャー』をリリース。同アルバムから「シャイン・シャイン」のシングルを発表したが、大成功というまでには至らなかった。
 思えば'67年にデビューして以来、幾多の苦難をクリアしてきたビー・ジーズの面々だったが、もしかしたら・・・・という危惧を感じたファンの人たちも少なくなかったろう。しかし、彼らは埋没しなかった。

 不幸にしてアンディ・ギブが他界(去年3月10日)するというアクシデントはあったものの、3人の兄弟たちはより強い絆をもって、'90年代へのあらたなるチャレンジをはじめた。

 伝えられるところによると、ビー・ジーズはまもなく(5月から6月にかけて)ヨーロッパ・ツアーを敢行。その後もノース・アメリカン地区のコンサートを経て、オーストラリアか日本にもやってくるという。彼らにとっては、久々の大々的ワールド・ツアーであり、それにあわせてのニュー。アルバムのレコーディングも進行しつつあるらしい。
 バリーのスクリーンとのジョイントによる、本作品のリリースも、そうした背景を睨んでの一環として受けとめることもできる。
 ところで、そのバリーが音楽を手がけた今回の映画“HAWKS”あの“007/リヴィンク・デイライツ”で主役を演じたティモシー・ダルトンとアンソニー・エドワーズが主演。内容はイギリス有数の弁護士と、ヨーロッパで活躍するアメリカ出身のフットボール選手との友情を描いたものだとのこと。
 バリーがミュージカル・ディレクターを担当したことについては、彼がフロリダにいた際、長年の友人であるデヴイッド・イングリッシュと会い今回のプランニングが立てられたという。おりしもバリーはバーブラ・ストレイザンドのアルバム『ギルテイ』をプロデュース中だったが、デヴィッドのアイデアに賛同。ロイ・クラークに脚本を依頼するとともに、音楽面での作業に着手、2年後 にはストーリーも完成し“HAWKS”は、念願のクランク・アップにこぎつけた。              
 今のところ、同映画の日本公開は未定だそうだが、すでにヨーロッパ各国ではかなりの観客を収容しているとのことだ。
 それにしても、本作品がバリーのソロ・アルバム2枚目というのは、その人気やキャリアからして少な過ぎる、というのが率直な印象である。
 何しろ、彼の最初のソロ・レコードが発表されたのは、'70年夏のこと。「I'll Kiss Your Memory〜思い出のくちづけ」/「This Time」(日本盤ポリトルDP-1736)だった。以来、グループ内のみならず、世界のポップ・シーンのメイン・ス ターとして歩んできた彼が、'84年までの14年間にわたってソロ・レコードを出さなかったというのは、不思議な気さえする。
 余談ながら、当時のビー・ジーズ'69年にロビンがグループを脱退、「救いの鏡」(同年夏に発表され全米チャートの最高2位を記録)をはじめとする数枚のシングルとアルバムをリリース。一時はトリオとして活動を続けたが、まもなくコリン・ピーターセンも退団、バリーとモーリスは自分たちのレーベル“GEE BEE”を設立。'70年夏にはロビンがグループにもどり、再生ビー・ジーズとしての初シングル「ロンリー・デイ」とアルバム『トゥ・イヤーズ・オン』を大ヒットさせ、今日への布石をおいた。
 もともとビー・ジーズ兄弟の仲の悪さは有名だったが、そのあたりのまとめ役をはたしていたのが、ほかならぬバリーだったと想像される。あえてソロ活動を控えていた(?)のも、そうした理由からだったかもしれない。
 それでは、あらためて本作品について述べておこう。といっても、何分にも映画をみていないので限られた範囲のコメントしかできない点をお許しいただきたい。
 収められた曲は全部で10曲。うち1曲はインストウルメンタル・ナンバー。3曲は映画とは無関係に収録されたもの(ボーナス・トラックとクレジットされた曲がそれ)、さらに、ダイアナ・ロスの歌がフィーチェアされた曲もある・・・・・といった具合に、いわゆるサウンドトラック盤とは多少趣を異にしている。
 各曲についての詳しい説明は、スペースの都合上省略させていただくが、まずはオープニングを飾る「System of Love」と2曲目の「Childhood Days」をしっかりとお聴き願いたい。
 ともにこれまでのビー・ジーズ・スタイルにはなかったロック色を強く打ち出しているのがわかる。バリーの精一杯シャウトした歌い方も熱気にあふれ、並々ならぬ意気込みといったものがうかがえる。
 これまでの独特のファルセット・ヴォイスをメインにした唱法とは、あきらかにちがう。サウンドもハードでシャープな感じに仕上げている。
 ある意味で、'90年代への新しいビー・ジーズ・ミュージックを示唆した作品としてあげられるかもしれない。同じ傾向の曲としては8曲目の「Cover Me」もかなりロックしているが、ヴォーカル・パターンとしては従来の延長線上にある。むしろ、ヴォーカル・スタイルは同じでも、4曲目の「Moonlight Madness」は、ブルージーな
サウンドとの調和を試みている点で興味深い。これぞサン・トラ盤の典型的な作品といえるだろうか。それとなく画面のワン・シーンが浮かんでくる気さえする。
 映画の日本公開が未定なのは、かえすがえすも残念だが、バリー(しいてはビー・ジーズ)の新境地が窺い知れるだけでも、本作品の存在はきわめて重要ではないか、と僕白身には思えるのだが。

1989年(平成元年)4月
八木誠/MAKOTO YAGl
(Thanks To Mr.Shin Miyamoto)

 

あらすじ

 イギリスで成功している弁護士バンクロフト(ティモシー・タルトン)とヨーロッパをまわっているアメリカのフットボール選手デッカー(アンソニー・エドワーズ)に残された時間は、もうあとわずかだった。全く達う世界の2人の男がたまたま病院で出会い、あまり時間がないという共通点から心を通わせるようになった。
 バンクロフトは彼独特の乾いた哲学的ユーモアの仮面の下で、何とか自分の置かれた状況に対処する術を身につけ始めていたが、デッカーの方は、もともと自分の運動選手としての体格に誇りを持っていただけに、異国で自らの病いという現実に直面させられ、苦しんでいた。
 バンクロフトは、悩むデッカーをわざといだぶるように、容赦ないやり方で、この状況に耐えていくには、固い決意と笑いをもって自分の間題と戦っていくしかないのだということを教える。
 そして彼らは救急車を盗み、何でも不可能はないという場所アムステルダムをめざす。中でも、一大娼館ザ・パラダイスは、5階建の快楽の園として有名だった。
 道々2人は自分が如何に勇敢か口々に言い合う。そしてそれを試すチャンスは、すぐにやって来た。一目で故障したとわかる車に、2人のこれまた如何にもフランス娘といった女の子がいたのだ。
 実は彼女たち、1人はヘーゼル(ジャネット・マクティア)といい、やせっぽちでのっぽのイギリス人の彼女は、ロルフというオランダ人とヴァージンを捨て、妊娠して、そのグッドニュースを彼に伝えに行く途中だった。そしてもう1人は彼女のいとこで、何かとうるさく命令してばかりいるモーリーン(Camille Coduli)。たいていのことはうまく片付けてしまうモーリーンも、メカには滅法弱かった。
 彼らは、下心を隠し切れない様子で、この獲物たちに近付いて行ったが、やがてとんでもない間違いをしてしまったこのに気付く。が、もうその時は遅かった。男たちをもっとよく見ようと眼鏡を磨いたヘーゼルは、途端に丸ごとバンクロフトに恋してしまった。彼女にとって、彼は外国人のあるべき姿そのものだったのだ。
 それからのストーリーは、おかしくもジンと来るお話だ。勇気、根気とは何か、そして自分は何も悪くないのに、いつ自分の人生が終わりになるかもわからない状況の中で、どう生きていけばよいのか、この映画は教えてくれる。


“HAWKS”制作までのいきさつ

 大西洋の裏側、フロリダ州でバリー・ギブと彼の長年の友人で仕事仲間でもあるデヴィッド・イングリッシュは、車の中で新しいプロジェクトにっいてのアイディアを交換し合っていた。
“HAWKS”のストーリーは、ここから生まれたのである。「7年位前だったかな。デヴィッド・イングリッシュと僕はマイアミのスタジオに向かって車を走らせてた。バーブラ・ストライザンドのアルバム“Guilty”をプロデュースしてたんだ」バリー・ギブは、そう話し始めた。「デヴィッドはしょっちゅうアメリカに来てて、僕たちはよく冗
談を言っては笑い転げたものさ。毎日スタジオヘ通う途中、色んなアイディアを出し合った。そしてその日は、もうあまり生きられないとなったら、どうするか、という話になった。今じゃ、どこでもよく話題になることだけど、とにかく、そうなったら、人はどういう反応をするか、どういうことを考えるかってね」。
 「そしてこのアイディアを2人で練り上げた。主人公は、もちろん僕たち2人さ。― 若い2人が致命的な病にかかっていて、イギリスの病院にいる。もう時間がない。で、何かバカなことをやろう?てことになって、病院を脱け出す。そして救急車を盗んで、すべてが自由な場所に行く。そういう所で、僕が考えつく場所と言ったらアムステルダムしかなかった。めざすはそこだ。それでアムステルダムに着いたら、何でもかんでも、若い男が考え得る限りのことをやる。おさらばする前にね」そう言って彼は笑った。
 アイディアがかたまると、デヴィッド・イングリッシュは、“Lost of the Summer Wine”を担当したロイ・クラークの所に持ち込んだ。そして2年後、脚本の初稿が完成した。

 映画のオリジナル・ソングと、ジョン・キャメロンとの曲の共作は、バリー・ギブが担当したが、脚本はすべてロイ・クラークに一任した。「これは彼の脚本だよ」そう彼は言った。」僕たちは一切あれこれ言わなかったけど、彼は100%満足の行くものを書いてくれた。他にもいくつか考えることはあるけど、人が僕たちの話に耳を傾けてくれるようになったよ。全くどうなるか、わからないものだよね。何年問もがんばってても、誰も相手に
してくれないことだってある。それが、1本映画ができると、皆が他のアイディアについても聞きたがる。最高さ」。