11.

完璧主義
 

● 完璧主義の根本
完璧主義者という人は結構多いと思います。完璧主義的な思考をしている人は、何かにのめり込みやすいと思います。完璧主義は、何かにのめり込んだり、ある事を高度に追求する時に陥りやすい罠です。

初めは完璧主義でなかったはずなのに、ある事を追求していく間に、だんだん緻密な設計図を作っていきます。その内、完璧な設計図を追い求めるようになってしまうのです。

例えば水泳を始めた頃には水着などなんでも良いでしょうし、ゴーグルだってたいして気にならないでしょう。しかし、レベルが上がるにつれ、道具にもこだわりが出てきますし、プールの水ですら感覚的に良いとか悪いとか出てきます。だんだん気にするものが増えてくるのは普通の事です。

しかし、それらの拘りが満たされない時に、許せなくなる、焦ってしまうところまで行ってしまうのが完璧主義なのです。

しかし、完璧主義の根本にある「極めたい」という強い欲求は、ある意味、何かを極める時には比較的有利な性格と言えます。私もどちらかといえば完璧主義でしたし、今でも根本部分ではその性格は変わっていません。

しかし、競技を通して知ったのは

「完璧主義は結局何も成し得ない」

という事と

「完全は不完全。不完全が完全」

だという事です。

完璧主義の考えの根本に「完璧な完成」や「完璧なゴール」があると信じているというのがあります。しかもゴールへは全部プラスで積み上げないと到達できないと思っているのです。

bestな選択をし、bestな結果を得て、bestな結果を積み上げて、そして最後にbestな結果が手に入る。この手段以外では最高の結果は手に入らないと考えているのです。

この考えには2つの間違いがあります。

ひとつはこの世には「完璧」というものは存在しないのです。

もう一つは何かを成しうる時(完璧主義者はそれを完成、ゴールあるいは最高点と考えている)は、常にプラスの足し算をした結果なのではなく、3歩進んで2歩下がるといった足し算と引き算を繰り返した結果がプラスになって、何かを成し得ているという事です。


●完璧主義者は結局何もなし得ない
私は現役で競技をしていた高校生の頃、完璧主義者でした。

「練習はちょっとでも休んだらダメ」「ベストは出し続けるものだ」「1位以外は全部負け」究極の完璧主義的空想では「オリンピックで世界記録で金メダル」というものです。

この完璧主義的発想を持った私が、最終的にとった行動は

「水泳を辞めた」

です。理由は

「自分はどう考えてもオリンピックには出れそうにもない。金メダルや世界新などもっての外。したがって水泳を続ける意味がない。理由がない」

です。

もちろん完璧主義的発想しかないような私にはオリンピック出場すら遠いものでしたが、完璧主義的考えが出した結果というのは

「やーめた」

です。スポーツを楽しむ、好きだ、金になる、何でも良いのですが、どんな理由であれ「水泳を続けている」という結果は、どんな競技レベルまで到達した人であれ「水泳をやめた」という結果と比べれば明らかなように、最低でも「水泳を続けている」という目に見える結果を残しています。

しかし、「水泳を辞めた」という状態は何もしていないという事であり、結局何もなし得ていないのです(もちろん、ずっと何もしないで来るよりは、何か行動を起こし途中で放り投げる方がましです)。

究極の完璧主義者は、必ず途中で投げ出します。

投げ出さずにはおれないと言った方が正確かも知れません。完璧主義者の「完璧」というのは

「無理の固まり」

なのです。たまには後退してみるといった発想がなく常に前進し続けて、素質、実力、運を最高の状態にした結果を求めているので、頂上が見えなほど高い断崖絶壁を上っていているような錯覚に陥るため、前へ進めなくなるのです。

何かをやっている時には、常にYES、YES、YES・・・・・なのです。仮に断崖絶壁なら、休憩してみるとか、一端は諦めるとか、自分でも登れそうな別のルートがあるんじゃないかとか、誰かに協力を求めて再挑戦といったような発想にはなれないのです。

そして出る答え、行きつく先は

「絶対無理」

というこれまた「絶対」という

「完璧な否定」

しかできないのです。

「チャンスがあるかもしれない」といった「かも」という曖昧な状態ではいられないのです。私が水泳を辞めた時の気持ちは「自分はオリンピックには絶対出れないという事が分かった」という理由です。「チャンスはまだあるかもしれない」などというような発想は微塵もありませんでした。

完璧主義者はYESかNOかの二者択一なのです。

出来るか、出来ないかなのです。しかも出来る方も、出来ない方も非常に極端なのです。

○コンピューター
YESかNOしかない究極の世界があります。コンピュータです。

コンピュータの仕組みを知らない人は、信じられないと思うのですが、現在のコンピュータは電気のONとOFF、つまり電気が流れた、止まったの2進数(0と1)で動いています(未来は違います。量子力学を応用し、電子スピンの右回り、左回り、右でも左でもないスピンという3状態を使って3進数で動く量子コンピュータが現在研究されていていて、近い未来に実用化されるでしょう。興味のある方は本屋へ)。YESかNOかだけでもかなりの事が出来てしまうのです。コンピュータレベルの事はYESとNOだけで出来てしまうのです。

コンピュータを使っている人は多くても、中の仕掛けまで知っている人は少ないので、コンピュータは有能だと思っている人も多いかと思います。人間より利口だと思っている人も多いかもしれません。しかし、ON-OFFの2進数で動いているコンピュータは何も出来ないのです。「何も」です。

コンピュータはただの金属の詰まった箱なのです。コンピュータが人間よりもすごいのは、同じ事を何度でも何万回でも文句を言わずにミスなく繰り返す事だけです。彼らには何かを成しうるといった創造は出来ないのです。

プログラム自分でを書いてみると「コンピュータは馬鹿だ」とよくわかります。例えば10個の数字を大きい順にならべるという作業は人間なら考えもせずに出来てしまいますが、コンピュータには非常に難しい事なのです。

プログラムの書き方はいろいろありますが、単純なのは数字10個を横一列に並べて、前から順に隣の数字と比べて小さければ後ろへ。大きければそのままにして、2番目と3番目の数字を比べて。。。。という事を繰り返さなければいけません。

しかも、それを人間(プログラマー)が教えてやらなくてはいけません。応用は一切利きません。例えば「表示しなさい」という命令文である

print

という文字列をタイプミスで

prinnt

とnを連打して打ってしまったという場合、人間が見れば前後の脈絡から

「あ〜、printをタイプミスしたんだな」

と解釈して理解してくれますがコンピュータはそうは思いません。printは知ってるけどprinntは知らないとわがままな事を言うのです。たった1文字じゃないかと人間は思うのですが、コンピュータではそれは許されないのです。

「正しい」文字列か「間違った」文字列の二者択一なのです。人間は「たった一文字くらいいいじゃないか」と曖昧を許すのですが、コンピュータはYESかNOの世界なのでYESでもNOでもない「たった一文字違い」という曖昧さは許さないので、結局「print(表示する)」という行動をとらないのです。

「prinntは知らない」と言うだけで(画面に表示するだけで)行動しないのです。自分の範囲から少しでもはみ出すと「表示する」という事を成し得える事ができなくなるのです。

人間の完璧主義者も同じ事が起きるのです。コンピュータほどの完璧主義者もいないでしょうが、許せる範囲が狭い上に、その範囲を超えれば、絶対NO!になってしまうのです。完璧主義者は、途中で投げ出し、結局何も成し得ないのです。

●完全は不完全。不完全が完全
「じゃあ、何が完璧で、何が完全よ?第一、完璧という言葉があるじゃないか?」

と思うかもしれません。これは不完全な事が完全な事なのです。中途半端のように見える不完全が完全なのです。曖昧な状態を受け入れているからコンピュータではなく人間なのです。

例えば

完璧な安定 = 安定 + 安定 + 安定 + ・・・

だと考えると思いますが、これは完璧ではありません。不安定という状態がないからです。不安定も安定要素の一つなのです。

不安定と安定があって、合計が安定している状態が当たり前の安定なのであって、安定だけの安定状態は完璧な安定状態ではなく「おかしな状態」なのです。

スポーツの結果も同じです。完璧な結果、若かりし頃の私の完璧で言えば「オリンピックで世界記録で金メダル」を仮に達成したとしても、それは完璧な結果ではないのです。

残念な事に私はオリンピックには出ていないので説得力に欠けますが、オリンピックで金メダルを取った人はきっと「完璧な結果が手に入った」とは思っていないはずです。

完璧主義者の完璧だと思っていた結果が手に入った瞬間に、それはもう完璧の結果ではないものになり、何か物足りなさを感じ、他を探そうとするはずです。

では、「スポーツでの完璧な結果とは何か?」

「完璧な結果などない」

という事に気づいたらそれが完璧な結果なのです。

世の中は逆説的に出来ています。世の中は矛盾だらけです。矛盾があるのが世の中なのであって、矛盾がない世界は矛盾した世界なのです。矛盾があるという状態が、矛盾のない状態なのです。

ちょっと哲学的、宗教的ですが、物事はフラクタル的になっている事を理解していれば不思議な事ではありません。何かを突き詰めつと、結局はみな同じ所に行き着くのです。坊さんが修行をしても、哲学者が必死で考えても、スーツを突き詰めても、結局はみな同じ事にたどり着くのです。


2004/12


 

フラクタル理論

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