Sweet Dreams

 

僕が泳ぐ理由は2つある。

ひとつはもちろん!気持ちいいから。

泳いでいる時は感覚の世界に没頭していて、辛い事や不安な事も水に流され、心も体も楽になる。

体が水の流れに包まれている時は、ぽかぽかと太陽の日差しに包まれている時と同じで、とっても気持ちいいんだもん。

 

もうひとつは、水泳を教える時に「泳ぎの感覚」が必要だから。

僕は泳ぎを見ている時、その人が持っている泳ぎの「イメージ」と「感覚」を自分の中に取り込んで比較してる。

自分で泳ぎの感覚を持ち続けていないと、この読み取り作業がうまくいかない。

 

水は感覚で摑まえるもので、理屈では掴めないから、自分が泳ぐのも「感覚」。

人の泳ぎを分析するのも「感覚」。

感覚を捉えて、イメージを作る。

 

僕が教えているのは、目には見えない「泳ぎの感覚」。

 

その感覚世界を、僕が得意な「論理」で言葉にして、選手が頭の中でイメージを描けるように補助している。

実際の感覚に近い、動作イメージ。

目で見る事ができない「感覚」を、頭の中のイメージで見せるのが、僕の指導方法。

 

でもね、このやり方は、手間がかかる。

感覚を伝えるには、時間をかけて一人一人と向き合う必要があるのはもちろんのこと、指導してる時間よりも自分が練習している時間の方が圧倒的に長い。

水泳を主軸にして生きなければ、十分なエネルギーを投入できないのに、水泳でご飯を食べることはできない。

 

現実はまだ、そうなんだけど、感覚でしか捉えられない世界を、言葉でイメージ化させて伝えることは、僕にとって、とても大切なこと。

大切な事ほど、目で見る事はできないから、そこを省いちゃったら、速くなっていく事の価値が薄まっちゃうの。

 

「目では見る事のできない世界観を共有する」という行為は、

「人間同士が一段、深い所で繋がっていく行為」だから、

国や年齢といった立場の違いさえも超えていける力がある。

 

これは「理想論」じゃない。

これは僕の、体験論。

 

言葉に不自由する海外の語学学校では親友ができる。

「まだ言葉を十分に操れない初心者クラス」で、親友はできる。

 

お互い言葉が不自由な分、身振り手振りを使って、相手の目の奥にあるものを読み解いて意思疎通を図ろうとするから、心の深いところで自然と繋がっていく。

細かい部分を言葉で表現できない代わりに、伝えたいことの本質部分がまっすぐ、そして正確にやりとりできちゃうの。

これには面白いオマケも付いてきて、これまで縁遠かったタイプの人間と、なぜだか急接近する。

 

ところが、中級クラスに上がって、言葉だけで意思疎通が出来るようになると、そういった出会いはほとんどなくなる。

言葉で理解できちゃうから、相手の心深くへ入り込む機会が減っちゃうのね。

目で見ることが出来ない「その部分」にこそ大切なものがあって、そこを感じることで人は強く魅了される。

 

実感を伴って自分の人生を歩んでいくってのは、僕にとって簡単な事じゃないんだけど、相反する矛盾も、泳ぎの中なら矛盾なく表現できる。

誰しも、何かを探して生きているんだけど、見えない世界を感覚で共有するって、ちょっと、ステキでしょ。

 

2017/04/22

  おまけ。 これ僕ね (^ ^)