ぷそ研//のいのい


 アスタリカがその大学の中に生まれる、暦で見ればその八ヶ月前。

 研究室の配属についてのオリエンテーション、いわば進路決定のため凛子は多目的ホールに他の学生と共に集まっていた。

○――
 とりあえず。
 館林凛子は情報工学科三階のぷそ研の前に来ていた。そして目に入るのは数センチだけ開いたぷそ研の出入り口。
 すき間。その上には黒板消し。
「……うわぁ」
 どうしたものかとドアを見上げる。黒板消しを眺めながら考える。これが偶然の産物とは流石に現役大学生としては考えられない。
 ――これは……“なぜ”と考えて答える出る問題なのかなぁ……。

○――
 凛子は自己紹介から理解して頷いた。
「基本的に被害者の人ですね」
「ええ、基本的に被害者の人です」
「う、うわぁん! ひどいよ藤実! 第一印象! 超大事な第一印象!!」
 勇は「藤実の知らない言葉ですね」と鼻で笑って、藍兎の頭をなでる。すると藍兎も意識を取り戻した。

○――
「それで、黒板消しとその研究の関係は……?」
 痛かったのですけど、とちょっとアタマをさすりながら訊ねた。本当ならば藍兎本人に問い詰めたい所だがそんなことをすれば余計な面倒を被りそうで、控えめに先輩に聞くことにしたのだ。
 しかし。
「ははは、ならレクチャーしてあげよう」
 背後の衝立から声がする。
 瞬間、危機を感じて凛子は椅子から転げ落ちた。
 縦一閃。凛子の座っていた場所を垂直に日本刀の刃が通過した。直後、お茶菓子のせんべいが二つに割られる小気味良い音が響く。
「避けちゃレクチャーにならないよ。やっぱり足枷市民じゃないから反射で避けてしまうのかね」
「げ、撃甲の話しがしたいんでしょっ。わかるわよ。私、中学入る前まで足枷に住んでたから」

○――
「いかんね。ここで思いっきり斬られて無事でいてくれないと、続けて黒板消しを投げつけてあイターってなる差異が説明できないじゃないか」
 言った直後。ごすり、と黒い金属の塊が藍兎の脳天を直撃した。
 衝立が倒れる。
「あ、あいたーっ!」
 倒れた藍兎の向こうに居たのは、銃を手にした勇だった。
「世話人、借りますよ、銃」
 言うと同時に藍兎に発砲。藍兎は寝転がりながら「いやんいやん」言いながらその弾丸を身体に受けている。それを横目に見ながら凛子は椅子に座りなおす。

○――
「例えばマンドラゴラの採り方だよね。人の形したセクシー大根で、引き抜くと叫び声を上げて、その悲鳴を聞くと死んじゃうって言う――うわぁっ!?」
 蹴られた。
「なんで!? 僕ちゃんと説明してるでしょ!? 大根じゃないけど!!」
「あ、ごめん。とっぴな例だったからつい。……はっそうです。そんなファンタジーなゲーム脳の説明ではわかりにくいと思ったからですっ。ですがまぁ、はい、続けて続けて」
 あからさまに後付の理由であったが、藍兎は特に気にしない。代わりに頼茂がいぶかしんで勇に睨まれていた。
「んーと……だから、対策として犬とマンドラゴラを紐で結んで遠くから呼ぶ、と――ぐはぁ」
 蹴られた。
「ワンコかわいそう!!」
 見れば頼茂もうんうんと涙目で頷いている。

○――
 その時に自分が持ったプランターの手のすぐ近くに毛虫が居た。
 幼い凛子は悲鳴と言葉を発した。「いや」「殺して」。
 そして誰かが誰かを突き飛ばしてベランダから落ちた。
≪この中で一番「いや」なやつを「殺して」≫
 事件は当然悲鳴に驚いたものとされ、事故扱いにされた。当人たちも撃甲で衝撃は相殺され、慣性によって揺さぶられた内臓も少しびっくりした程度で済んだそうだ。
 だから。その程度だったからクラスのみんなは笑い話にできた。
 マンドラゴラ。バンシー。ハーピー。
 みんながそう呼ぶ。だけど凛子は知っていた。
 人は、高いところから落ちたら死ぬ。
 今回はたまたま運が良かっただけだ、と同年代の誰よりも知っていた。だから自分は冗談ではなく死を呼ぶ怪物の名の、“その通り”なのだと思っていた。
 あれ以来大きな事故は起こしていない。代わりに先ほどのように【声】を安易に使うようにもなっていた。
 自戒する。
 嫌いではない。だから気をつけなくてはならない。
 この【声】は死に繋がる暴力である、と。

○――
 天海陸美(あまがいりくみ)は噪域研究室の院生で修士課程の一年生だ。
 鷹の眼を思わせるような鋭い目つきと、感情を表に出さないクールな美貌で人気はある。
 時々髪型は変わるものの、基本的には外に広げたショートからショートボブ。深い紺のその髪はいつも濡れているかのように艶やかで、落ち着いた色調のスーツを私服として着用している。見た目はさながらキャリアOLだ。
 しかし、性格が少々きつい。
 愛想という言葉を知らないのか、会話は基本的に短く、他人の世話も必要以上はしない。そんなタイプ。
 少なくとも、凛子はそう思っていた。

○――
 一息ついてノックする。
「失礼します」
 声に力を込めすぎないように。喉を意図して潰しながら入室。
「情報工学科三年、たてばやし……?」
 凛子です。と続くはずの言葉は尻すぼみになる。
 見れば確かに陸美は部屋の中に居た。一番奥の席に。黒いスーツを着て。
 そして。
 おっかない院生などとは比べ物にならない存在感が、凛子の真横にいた。
 “不良”。
 長身でがっちりした体格の――金のリーゼント。服装は学ランを意識したものに赤のシャツという“不良”にとっては定番だ。その胸には『紳士』と大きく書かれている。
 入り口の、丁度外からの死角となる場所に立っていた彼は、顔を真っ赤にして小刻みに震え――それに同期して長いリーゼントも震えて――何事かをぶつぶつとつぶやいていた。
「…………?」
 先客かと見ればその顔に見覚えがある。凛子の記憶に寄れば、確かこの人がぷそ研の院生の――。
「あっ、天海“むつみ”さんっ!!」
「“りくみ”です」
 撃沈。
「しっ失礼しましたっ――!!」
 逃げた。
「……“逃げるな”よ」
 つぶやいて、しかし言葉は『紳士』の彼に届かない。
 そして、少しの間。
「……凛子です」
 彼を無視して言葉を繋げてみた。
「……“りくみ”だってば」

○――
「だっ、なっ、ならっその……また、よろしく“お願いします”ッ」
 意識せず、【声】が漏れてしまった。咳き込むが、しかし。
 涙目で見る陸美の身体がぐらついた。むしろ一瞬――。
 ――波打った?
 というか、歪んだというか……。
 しかし陸美はしっかりとそこに居て、しっかりと凛子を見つめていた。
「……何を?」
「は?」
 鼻先で一笑。
「お願い。よろしくって言ったでしょうに」
 緩く笑むその表情は、冗談のような口調は、先ほどとは違いやわらかく――高圧的だった。
「あ、いえ……」
 一歩下がり、顔の筋肉が緊張する。
 これは、知っている。
「冗談よ」
 そう、“冗談”だ。――陸美の印象からは想像もできない。
 そして陸美は笑みをたたえて手だけを振る。
「四時半にまた会いましょう?」
 凛子は「はい」と頷いて研究室を後にした。そしてすぐ、息を整えて手のひらの汗を拭った。
 愛想のない、怖い先輩。そのイメージに修正を加えなくてはいけないかもしれない。
「……愛想、こっわー」
 暑いのか、寒いのか。身体は震えているのに局所だけ熱を持って汗が噴き出していた。

○――
 赤茶けた狐色の毛に、おそらくは都市演算機構のエフェクトで加工したのだろうか、銀髪が食い込むように混ざっている。長さとしては耳にかかるくらいの細い髪だ。
 中学生と見間違うような細身で小さい身体を包むのは、丈の短いインナーとエナメル質のジャケット。ロングのブーツとジャケットに合わせたハーフパンツと、腰を取り囲む前の開いたスカートのような、背中から続くロングコート。
 そして――。
 ――あ、金目だ。
 一瞬振り向いた、彼とも彼女ともつかない学生の向かう先を見る。
 ――あー、天海さんやっぱりもう居る。
 都市演算機構研究センター前で黒のスーツが腕組みして待っていた。時間的にはまだ二十五分は余裕があって、それでも凛子を待っているのであれば――。
 ――仁王立ちとか、怖いよ……天海さん。
 早目に出てよかったと思いながら歩いていると、先ほどの学生も同じ方向に走っていく。
 程なく陸美がこちらに気づいて軽く手を振った。そして、それに突進するその学生。
「アマちゃーん、ごめーん、遅れたー」
 やさしく微笑む陸美。
「何その服。可愛いじゃない」
 そして突進してきた学生の首根っこを掴んで吊し上げる。まるで小動物扱いだ。

○――
「えー、と。まず名前になってる噪域についてだけど……」
「二人とも、準備できたから入って」
「早いよ!! 何も説明してないよ!! え、俺はずかしめられ損!?」
 陸美が凛子ににっこり笑う。
「はずかしめたの?」
 凛子もにっこり笑って見せた。極力恐怖を、抑えて。
「ええ、はずかしめてみました」
 対する応えは一言。
「わかるわ」

○――
 夜空にオモチャのような月が浮かぶ風景が広がった。
「足枷市には噪域っていう騒々しい領域があります」
 凛子はそれを知っている。都市演算機構のバグであり、死に至る現象であるから病名に使われる躁の字があてられた――足枷市の恥部。
 その領域があるため、その周辺領域は危険区域として隔離され、さらにその周辺は戦闘領域として認定されている。だからこそ、足枷市は戦闘が日常化した都市となっていた。
 なお全くの余談だが、足枷市のおばちゃんは、この戦闘領域を自転車で一度も止まらずに通り抜けられる能力を持っている。

○――
「その中では一歩進む事に風景が変わったり、夏なのに寒かったりしますが……」
 ヨモギが言につれて景色が変わる。そして――。
「噪研では、その噪域を――」
 身体の奥に、恐怖が生まれた。
「――――ッ」
 宵闇の中で、より深い闇が動くのがわかる。
 空を見れば満月。耳の奥にはイヌ――狼の遠吠え。
 ちりちり、ちりちりとうなじが焦れる。
 走っている。自分の周りを、黒い、深い、獣が――駆けている。
 その感覚は、まったく幻だとは思えなかった。何より、本能的な何かが刺激され、明確な恐怖を凛子は感じている。
「何か、まわりに……」
 気配に気を取られて視線が外せない。そこには【闇】しかない。

○――
「遅くなってしまったわね。本当に暗いから【闇】に気をつけてね。もしもの時はその【声】で叫ぶのよ?」
 言った陸美が楽しそうに笑っているので、凛子は思わず泣きそうになってしまった。

 凛子も去って二杯目のコーヒーを飲みながら天海陸美は学生センターに一人残っていた。
 闇に馴染むスーツとは対照的に、その髪の艶色は褪せることなく自己を主張している。
「――――」
 不意に、近くで獣の気配がした。四足獣特有の足音。吐き出すような息遣い。
「ヨモギ」
 ふと、その気配に声をかける。
「どうしたの? 追わないの?」
 すると、獣の気配はヨモギの声で答えだす。
「……見失っちゃった」
 陸美は「おバカ」とため息。
「まぁいいわ。次はちゃんと、“食べる”のよ?」
 コーヒーをあおって、またため息。
「頭からでも、お腹からでも、ね」
 陸美の眺める外には、暗く深い闇が広がっていた。

○――
「……館林さん。困っているなら【声】に出して言うのよ?」
 優しそうに心配して言う陸美の口元は、しかし小さく笑っている。
 ――知ってる! この人絶対私の【声】知ってる!!
 思いながらも声には出さない。こんな【声】など信じられるはずがないのだから。
 するとさらに厄介な人物が通りかかる。
「おや、紳士。セクハラですか? 朝から性が出ますね」
 通りかかった人物――田中藍兎はそのまま階段を上って三階へと通り過ぎた。――そして程なく落ちてくる。
「先輩に向かってそー言う口の利き方はメッですといつも言ってますよね? 若」
 多分蹴って落としたであろうその人物――藤実勇は駆け下りながら簡単に全員に挨拶して、さらに下に転げ落ちた藍兎を追う。

○――
「さっきも言ったけど、年内を目途にアレをどうにかしておくわ。詳しい説明は、もう遅いから明日にしましょ。研究室空けておくから」
 基本的に鳥目なのよ、私。と陸美は笑う。勇も苦笑いをして一礼をした。横では藍兎が服についた砂を払っている。
「それじゃ去り際に一つ最初の質問を。アレってナニです? 一言で」
 すると陸美は迷う。一言とは難しい、と。そしてゲップをしたヨモギが見かねて。
「俺達は“妖怪”だけど、アレは――」
「ああ、そうね。その物言いなら、“怪物”――【The_Monster】ね」
 その言葉に藍兎は頷いて一礼。勇と共に去っていく。
 去り際に、鳴らすようにつぶやいた。
「ん。“妖怪”は居ても居なくてもどっちでも良いけど、“怪物”はいてもらっちゃ困るなぁ」
 そして嬉しそうに。
「ん。困る困る。これは『問題』だ。ありがたい」
 嬉しそうに。楽しそうに。
 そして“人間”二人は闇に消えて、“妖怪”二人が残った。

○――
「そんなわけで、マンドラゴラの説明で研究室に来てくれた人ということにちなんで僕らは“エロ大根”と呼んでいるのだけど何か問題は――」
 多々ある。多々ある、が。
「……発案者は?」
 静かに言った。そして直後に涙目になる頼茂。
「…………」
 無言。チョーカーも外し明らかな怒りを込めて見つめたが、【声】だけは発しない。そしてさらに涙目になる頼茂。そんな二人を見かねたのか、不良紳士が間に入った。
「俺も同じ事を考えていた。『勇み足のユウキ』レベルとは言わないまでも、少しぴんと来ないな、と」
 凛子は勇をちらりと見て、やっぱり似合っているなと思いながら考え直してもらえることに安心する。マンドラゴラは嫌いだけど、エロ大根もイヤだからだ。
「そうだな……先日の叫びは見事だった。ゆえに――」
 バンシーだのディーバだのつけられるのだろうか。凛子は身構えて、そして不良紳士は告げた。
「命名しよう。君は今日から――“絶叫エロ大根”だ」
 ぷちん。と何かが突き抜けた。
「“エロ大根”から……“はーなーれーろー”っ!!」
 そして。
 みんながみんな凛子から“離れ”てそれぞれがそれぞれにいろんな場所にヒザなり頭なりをぶつけてうめく。

○――
「――あ」
 頭に降りかかる紙テープに気づいて、それがクラッカーだと気付く。見ればそれは都市演算機構の幻で隠されてはいたが、部屋の四方に設置されており――。
「――――」
 電灯に偽装されていた中央のくす玉が割れて、紙吹雪と垂れ幕が落ちる。その垂れ幕には大きな文字。
『 ようこそ ぷそ研へ 』
 それは一人だけ遅れて研究室に入る自分への配慮だろうか、それとも単に騒ぎたいだけなのか。
 それでも、凛子は小さく笑ってつぶやいた。
「入る研究室、間違ってなかったのかなぁ」



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