ネパール写真館

 1994年11月に行ったネパール旅行で撮った写真とそれについてのエッセイ(?)をお送りします。画像をクリックすると拡大した画像が見られます。
ゆきの研究室 1997.9.10からの来客者数: 000000

●きっかけ

ネパールツアーパンフレット  1994年10月1日、青山円形劇場での谷山浩子101人コンサートスペシャルでのこと。そこで1枚のパンフレットをもらった。それには「谷山浩子101人コンサート・イン・ネパール」とあった。なんと、コンサートをネパールでやるというのだ。これは面白い!

 海外でコンサートといっても、香港とかアメリカの方とか、いずれにしてもごく当たり前の観光地や都市でやるというのが相場であろう。ところが、さすが浩子さん、ネパールの首都カトマンドゥ郊外の「カカニの丘」というところでやるという。これは行かねばなるまい。

 ネパールまで出かけるのだから参加者は少ないに違いないとタカをくくり、翌翌日だったか忘れたがこのツアーの主催者の西遊旅行に電話をかけた。しかし、既にA,B2つのコースのうち、AコースはいっぱいでBコースしかないという。Aコースは6日間。成田から一度香港で飛行機を乗り換えてネパールへ行くコースで帰りに香港で一泊する。Bコースは開港直後の関西国際空港から上海経由で行くコースで、5日間。Bコースの方が安価だが、東京近辺の人は早朝に羽田から関西空港へ飛ぶ必要がある。

 まあ、仕事もあるので5日間のBコースでよいということにして予約を入れた。30万円近い大出費であるがそれだけの価値があるに違いない。

●関西国際空港からネパールへ

 11月16日、Bコースの東京組は新しくなったばかりの羽田空港に朝6時に集合した。なんとなく特有の雰囲気を持つ人たち。ひとめでわかった。

 当初、ツアコンはいないはずだったのだが、多分、参加人数が多かったのでツアコンがつくようになったのだろう。Bコースのツアコンは西遊旅行の生田さんであった。

 わたしを含む不思議な面々は生田さんに連れられてJAL機で関西国際空港へ。たしか関空も開港直後である。

飛行機@関西空港  この写真は我々をはるばるネパールまで運んでくれるはずの飛行機である。ロイヤルネパール航空のものだが、日本に乗り入れるのは関空がはじめて。がんばってくれよー。

 途中、上海で給油。空港のロビーのTVでは中国語(だと思う)でCMをやっている。パナソニックだのソニーだの日本の企業が多い。その中に酒井法子が出てきた。さすがのりぴー、アジアのアイドルである。

 聞くところによるとカトマンドゥの空港は世界一着陸が難しいという。(94年当時。)山にかこまれた盆地の空港だからだそうだ。だが、機長は相当のベテランだというので安心するようにという話があった気がするが定かではない。そんななかでもお気楽なわたしはのほほんと機内の時間をつぶしていた。

 何事も無く着陸。飛行機から降りるとそこはネパール。手続きをするため空港の中へ。国際空港なのだがそこはやっぱりネパール、建物は2階建のささやかなもので、田舎の小学校くらいの大きさである。その場でビザを取り、入国審査を無事パスして外で待っているバスまで歩く。と、たちまち子供が群がる。荷物を持ってチップをせしめようとしたり、ストレートにお金やお菓子を要求する。大人も土産物を売りつけようとする。普通のところではこんなことはないが、観光地では外国人はこのような目に遭う。うっとおしいがそれは彼らの「仕事」であるので、こちらも「いらないいらない」と日本語で追い返す。気にすることはないが、最初はビビる。

バスの運転席  ホテルの送迎バスへ乗り込む。運転席に仏像とお花が飾られていた。一番上の顔はイコンでも心霊写真でもなく、ルームミラーにたまたまツアー客が写っただけ。

 バスが走り出すと「NHKスペシャル」とかそのテの番組でしか見ないような光景が広がる。その中を実際に走っているのである。これはなにかとても不思議な感じがしたものだ。以前行ったイギリスや韓国ではここまでの感動は無かった。

 ネパールは大変に信仰心の厚い国で、街中至る所にヒンズー教の神様や仏像が花で飾られている。国の大半の人はヒンズー教徒で、他にチベット系の仏教などが盛んである。このバスも安全を願って仏様が祭られているようであった。わたしたちが泊まったブルースターホテルも至る所に仏様が飾られていたり、チベットのラサのポタラ宮殿の大きな写真が飾られていたところから、仏教系の人達のやっているところではないかと思う。

 ブルースターホテルはネパールでも上級のホテルであったので、たまに停電することと生水が飲めないこと以外は全く問題なし。水もホテルのすぐ前にスーパーがあるのでそこでペットボトル入りミネラルウォーターを買えばOK。(ホテルでも売っているが、スーパーの方が安い。)このスーパーでは土産物や日用品を売っているのでとても便利。日本のお菓子やラーメンもあった。トレッキングや登山客がよく利用するのだろう。

●ヒマラヤ遊覧飛行

トリブヴァン国際空港  時期にもよるのかもしれないが、首都カトマンドゥからヒマラヤはほとんど見えない。乾季で埃っぽいのと車の排気ガスで意外に空気が汚れているのである。車はほとんどインド製で排気ガスはそのまま垂れ流しで真っ黒。それがひっきりなしに走りまわる。これなら東京の方がましである。カトマンドゥを離れて山に行けば空気もきれいなのだが。

 ネパールに来てヒマラヤを見られないのではつまらないのでオプショナルツアーのヒマラヤ遊覧飛行に参加する。費用は1万円ちょっとだったと思う。30〜40人乗りくらいのプロペラ機でヒマラヤ山脈のそばまでいくものである。バスで空港へ。

 空港は国内線で、日本からの飛行機も到着する国際線のとなりである。国内線だけあって現地の人がたくさんいる。でも、飛行機に乗るくらいの人たちなのでネパールとしてはとても裕福な人たちになるのだろう。日本の基準で見るとそうは見えなかったが、帰ってから冷静に考えるとそのはずである。山間部の人たちの中には一生に一度、記念写真を撮りに香港まで歩いて往復する人もいるとTVで放送していた。

スチュワーデス  この女性は遊覧飛行の時のスチュワーデスさんである。たしかもう一人いたと思う。乗客へのサービスとして操縦中のコックピットも見せてもらった。その写真も撮ったのだが、窓からの光が逆光になってしまって、窓が真っ白コンソールが真っ黒。なんにも見えないのでここでは省略。

ヒマラヤ1 ヒマラヤ2 ヒマラヤ3
 そのスチュワーデスさんがヒマラヤの山々を指差して「あれはホニャララ、これはア〜タラ…」と説明して下さったのだが、帰って写真を見直してもどれがなんだかわからない。この中にエベレスト(ネパール名サガルマータ、チベット名チョモランマ)があると思うのだが…。

空港のアンテナ  ヒマラヤ遊覧飛行を終えて、ふと、空港の屋根に目がいって思わず撮ったのがこれである。いやぁ、アマチュア無線もやってるものだから、つい。(^^; 専門用語を使うとログペリアンテナというものである。

●スワヤンブナートと市内観光

仏塔  カトマンドゥ市内観光でスワヤンブナートに行く。ここはカトマンドゥを望む丘の上の仏教寺院である。真ん中に四方を見渡す仏の眼を描いたストゥーパ(仏塔)が印象的である。同じ仏教とはいえ、日本のお寺とはかなり趣が異なる。

猿  この寺は一名「モンキーテンプル」と呼ばれ、至る所に猿がいる。もちろん、観光客やお寺の人たちからオレンジやバナナなどをもらうのである。たまに帽子をとられてしまうこともあるとも聞いたが、概しておとなしかった。

スワヤンブナートから町を望む  スワヤンブナートからカトマンドゥの町を望む人たち。

すぐれているお茶  市内観光でウケたのがこのかんばん。「ヒマラヤ紅茶」「すぐれているネパールの紅茶の店」「いちばんよいお茶!」「いらっしゃいませ。」と日本人にはマネのできない、とても味のある字体(皮肉ではありません。誉めてます。)がとてもいい!。こんなのばっかりだとすぐに飽きてしまうけど、たまにあるといいなぁ。

●カカニの丘

 いよいよ 11月18日、コンサートの当日。日本から駆けつけた面々は全員バスに乗り込み、カカニの丘へ。バスは市街地を離れ、窓から見えるものは茶色い建物から畑や田んぼに変わる。この段階でわたしには見慣れた景色になる。たしかに細かいとこまで見れば違いがあるにしろ、わたしの実家のあたりの景色とあんまり差が無いように思えた。

 そして、バスは山道を登って行く。もちろん、舗装などされていないし、ガードレールも無い。ちょっと運が悪いとそのまま谷間をころがるハメになるだろう。

 山には段々畑が作られている。浩子さんはこれを見て感激したそうだが、わたしは自分の田舎の「棚田」を見慣れているのでそれほどでもなかった。山道はわたしの住んでいる長岡と実家のある栃尾の間の「八方台」への道から、舗装とガードレールを取り去ってスケールを大きくしたような感じだった。

 「谷山浩子101人コンサート・イン・ネパール」には (財)日本農業研修場協力団(JAITI)等が後援となり、「JAITIを支援する会」と (財)ヤマハ音楽振興会によって企画されました。JAITIとは、アジア・アフリカで農業研修場を通じて農業技術を広めたりすることを目的としている団体(NGO)です。カカニの丘にも実験研修農場があり、その土地に合った作物と栽培方法を模索しています。1993年には地域農民への普及作物の第1号としてさつまいもをひろめたそうです。

カカニの丘  写真はこの JAITIの農場から望むカカニの丘の頂上である。コンサートはそこで行われる。やっぱり八方台みたいだ。

JAITIの農園  JAITIの農場である。ここで JAITIの人たちとネパールの人たちが協力してよりよい農業を模索している。写真をよく見ると鉄塔が写っている。これは、首都カトマンドゥへ電気を送る送電線の鉄塔。水力発電で作られた電気を送っているのだが、当時、慢性的に電力不足でひんぱんに停電したり「計画停電」も行われていた。

カカニの丘で1 カカニの丘で2
 カカニの丘の頂上での風景。頂上と言ってもなにもないわけではなく、小さなホテルと集落がある。コンサートはホテルの広場で行われた。入場は無料。地べたにシートをしいて、日本から駆けつけたわたしたち約80名と、近所から集まってきたと思われる人たちがいっしょに座って浩子さんの歌声を聞いた。わたしのすぐ前にも現地の女の子が座り、ときどきこちらを興味深そうにのぞきこんでいた。その光景は雑誌「FM[FAN]」1995 No.2 に載っている。3ページにわたってのカラー記事でとてもよい記事である。

 また、集英社・ヤングユーコミックスワイド版からやまじえびね作「お天気といっしょ」というマンガが出ており、この中でもコンサートの模様が描いてあるので興味のある方はどうぞ。

宮本さんと子供たち  この写真中央の男性は、わたしとホテルで同室だった宮本さんである。宮本さんは絵を描くのが趣味で、あちこちの景色をスケッチしていた。カカニの丘でもスケッチをしていると、現地の子供たちが集まってきてのぞきこんでいたが、そのうち宮本さんは子供たちの似顔絵も描きはじめた。あとでわたしもその絵を見せてもらった。よい絵だった。

●パシュパティナートと宮本さんの撮った写真

パシュパティナート  それまで写真を撮る趣味は無く、ツアーに合わせて急遽カメラを買ったばかりだったのと、ツアー後半は写真を撮るのを飽きてしまったのもあってあまりよい写真が無い。よい写真を撮るのにはよい腕がいるというのは、ネパールから帰って写真ができてから実感した次第。

 この写真は比較的マシなものである。場所はパシュパティナートという、ヒンズー教の寺院である。川はバグマティ川といって、ヒンズー教徒の聖なる川、ガンジス川の支流である。川べりのところで人々が何をしているかというと「火葬」である。台の上にまきを積み上げ、その上にオレンジ色の布にくるんだ遺体をのせ、火をつける。そして、灰となった遺体を聖なる川に流すのである。死期の迫った老人はここで焼かれて川に流されるのを望み、その時までここで過ごすこともあるそうである。

ネパールの子供たち ネパールの八百屋 道に寝そべる牛
 この3枚の写真はわたしが撮ったものではなく、宮本さんが撮ったものである。わたしは市内ではほとんど写真を撮らなかったのでそれを補うような形でこれをいただいた。

 ネパールの子どもたちは、少々こきたないけど反応がストレートでかわいい。学校を卒業すると(行かない子どももいるが。)すぐに働いて「大人」になる。家の手伝いをしながらもおもいっきり遊んで密度の濃い子ども時代を過ごすのだろう。いい大人のくせにいつまでもダラダラと子どものようだったり、その逆に小さいときからいつも「大人しく」するようにしつけられる日本の子どもは「子どもの密度」が薄いような気がする。ネパールの子どもは「子供の密度」が濃く、成長するときっぱり「大人」になるのだ。

 真ん中の写真はネパールの八百屋の風景。こんな店が至る所にある。カトマンドゥ市内には「危険地域」は無く(現在はどうなっているかはわかりませんが、たぶん、大丈夫でしょう。)、どんな小道でも入って行ける。ただし、道に落ちている牛糞には注意。

 ネパールの商店街にあたる「バザール」には食料や日用品。衣類などが売られている。電化製品を売る店もたまにあったりする。手編みのセーターが安いので、わたしは自分用と両親の土産に3枚買った。疲れると喫茶店(と言っていいのか?)のようなところでミルクティーを飲んで休んだりもした。ちなみにわたしが飲んだミルクティーは一杯3ルピーだった。当時のレートで約6円。これでもひょっとすると外国人価格かもしれない。

 そうやって歩いている時のこと、ふと、トントンと肩をたたく者がいる。振り向くと現地のおじさんがいて、いきなり「バザールでござ〜る!」と言った。嘘じゃない、実話である。思わず笑ってしまったのは言うまでもない。だれがそんなこと教えるんだ?

 道に寝そべる牛。ネパールではめずらしい光景ではない。平気で牛やにわとりが道の真ん中を歩いている。

●ネパールに行ってみて

 とてもよかった。日本で「外国」というと、つい、アメリカやヨーロッパを想像してしまうが、そことは全く違う世界があるというのを実感した。もちろん、頭ではそういう世界があるということをわかっているつもりだったのだが、行ってみて感じるのとは雲泥の差だった。

 それを「文化圏の違い」などと言葉で言ってしまうとわかったような気がするだけで、実際に見てみないと本当にわかったことにはならないだろう。わたしも長期滞在したわけではなく、ネパールを知ったことにはならないだろうが、それでも「違う世界がある」ということを実感できたことは大きな収穫だったと思っている。貴方もハワイやアメリカ、ヨーロッパとは全く違う世界に行ってみることをお薦めします。

 わたしもネパールにもう一回行って、トレッキングをやって直にヒマラヤを見てみたいものです。でも、その前にお金と体力を貯えなければ。


●もっとネパールを知りたい方へ

→日本ネパール協会


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