武 士 道



   新渡戸稻造 著

   櫻井鴎村 譯





  目次

第一章    武士道の倫理系
第二章    武士道の淵源
第三章    正義
第四章    勇気 敢爲堅忍の精神
第五章    仁愛 不忍の心
第六章    禮儀
第七章    至誠 信實
第八章    名譽
第九章    忠節
第十章    武士の教育
第十一章   克己
第十二章   切腹及び敵討
第十三章   刀 武士の魂
第十四章   婦人の教育と地位
第十五章   武士道の感化
第十六章   武士道の命脈
第十七章   武士道の將來





    第一章  武士道の倫理系


 日本の武士道は、之を表象する櫻花と共に、我國土に特生せるの華なり。斯花たる、今や乾枯せる古代道徳の標本として、僅に其形骸を、歴史の※[#「月+昔」、第3水準1-90-47]葉品彙に存するものに非らず。其力、其美、尚且つ浩然、旺盛剛大なるものありて、我民族の心裡に生々たり。武士道は、既に形態の捕捉すべき無しと雖、遺芳尚ほ徳界に遍く、吾人は此れが著大の薫化に浴す。蓋し斯道を産み、斯道を育ひたる社會の状態は、杳として跡を歛めたりと雖、維れ昔、霄漢萬里に麗りし星辰の、其本體は既に消燼せるも、而も殘光尚ほ頭上に※[#「勞」の「力」に代えて「火」、第3水準1-87-61]々たるが如く、封建の寵兒たりし武士道は、此れが生みの母たる舊制度の滅後に存し、光輝遂に蔽ふべからず、吾人の道を明かにす。英國エドモンド、ボルクは曾て、哀々の辭を以て、既に久しく世の顧みざりし歐洲武士道の樞槨を弔せり。予も亦た斯人の顰に倣ひ、其國語を假りて、我武士道を攷究するを以て、自から快しとするものなり。
 悲しむべし、外人の東洋に關する知識に缺乏せるの甚だしきや。彼の識見該博なること、ジョージ、ミラー博士の如きを以てして、尚且つ武士道《シヴアリー》若くは此類の制度は、古代史の邦國、又は現時の東洋に於て、之を認むること能はずと斷言せり。さりながら、此の好博士の名著『歴史哲理解』第三版の刊行せられたるは、水師提督ペリーの浦賀に來りて、我朝二百年鎖國の門戸を叩きたると、其年を同じうするより之を見れば、當年のミラー博士が無識も亦た大に恕すべきものあらん乎。此より後十餘年、我封建制度の將に滅亡せんとして、氣息奄々たりし時に當り、カール、マークスは『資本論』中にて、社會學及び政治學よりして、封建制度の特質を研究せんとせば、現に日本に於て、特り其命脈を維持せる此制度を活例として、之を觀察するの、頗る有益なるを云へり。然るに予は、今茲に、秦西の史學家、論理學者に寄語す、請ふ、現代日本に於ける武士道の研究に一指を染めんことを。
 歐洲と日本とに於ける、封建制度並に武士道の異同を比較し、之を史學上より論考するは、趣味多方なるの問題なり。されど、是れ予が本書の目的とする所に非ず。
 予の目的は、第一[#「第一」に丸傍点]、日本武士道の淵源[#「日本武士道の淵源」に白丸傍点]、第二[#「第二」に丸傍点]、其特質と教訓[#「其特質と教訓」に白丸傍点]。第三[#「第三」に丸傍点]、社會全般に及ぼせる其感化[#「社會全般に及ぼせる其感化」に白丸傍点]。第四[#「第四」に丸傍点]、其感化の持續如何[#「其感化の持續如何」に白丸傍点]の此の四問題に就きて、之が説明を試みんとするに在り。然るに第一問の如きは、單り其梗概を略説して、直に第二問に入らん。乃ち此問題たるや、萬國倫理學若くは比較品行論を研究する學者をして、日本人の思想行爲の徑路趨向を曉解せしめんとするに於いて、稗益する所、必ずや大なるべきを以て、予は稍や詳細に渉りて、之を論述せんとすと雖、他の二問の如きは、單に餘論として、些か辯を加ふるに過ぎざるのみ。
 日本語にて武士道と謂ふものは、英語のシヴアリー即ち騎士制度《ホースマンシツプ》と云ふよりも、意義の更に深きものあり。乃ち武士が、日常の生活動作に於て、又た其職分を盡すに於て、共に守るべき道にして、要言せば即ち武門の教訓なり、武人階級に伴ふ尊貴の責務《ノーブレス、オブリーヂ》なり。されば此字の如きは、之を他國の語に譯して妥當なる能はず。夫れ我武士道の如くに、自から範圍あり、又た此匹を見ずして、特殊なり、邦土的なる心性品格を生ぜる教訓は、此れが特性を標榜すべき名目勿からざるべからず。或る文字は、之に伴ふ國|調《タンブル》ありて、人種的特質を帶び、熟達なる譯者の妙筆も之を譯するに於て、縱ひ全然誤謬失當に陷ることなしとすとも、尚ほ其正を得るに難し。誰か獨逸語のゲミート(心氣精神の義)を譯して、其意義を精からしむることを得るものぞ。又た誰か英語のゼントルマンと、佛語のジヤンチオーム(gentihomme伊達者)との二語の、字根同じくして、而して意義遙に異なれるを感知せざらんや。
 武士道とは、即ち士林の輩の必ずや實踐すべくして、又た絶えず此れが遵奉を誨へられたる倫理の綱領なり。固より成文律には非ず。或は前人の口傳、或は英雄先哲の筆に成れる格言の類を有せざりしに非らずと雖、要するに、武士道の由りて以て典型とせるものは、即ち古人の昌言懿行なり、又た人心の方寸に銘せる制裁最も嚴なる神の律法なり。聰明叡智、倫を絶すと、一人の頭腦にして、能く斯道を創むることを得ず、徳望名聞群を拔くとも、一人の生涯の能く斯道の基礎を成すに足らず。武士道のものたる、我國民の武を以て國を建てたる幾百年の間に、徐々に有機的發達を以て成形したるものにして、若し夫れ倫理上の地位に至りては、或は以て英國憲法の政治史に於けると比儔するを得べきが如し。されど英國憲法には、大憲章《マグナ、カルタ》及び人身保護律《ハベアス、コーバス、アクト》を基とせるありと雖、日本武士道に至りては、大に此れと其趣を異にせり。第十七世紀の頃に出でたる『武家法度』は十三條の簡明なるものより成り、主として婚姻、城郭、徒黨等に關し之を規定したりと雖、道徳上の訓戒に至りては甚だ稀なり。故に我國武士道は彼時、此處を指して、『尋ねて其源を知る』と云ふを得ず。唯だ封建の世に※[#「しんにょう+台」、第3水準1-92-53]びて、其形態を完成したるものなるを以て、源を此れと共にすと稱すべし。而して封建の雜多なる經緯より成れるが如く、武士道も亦た其然るものありき。抑も英國の封建制度はノルマン征服を以て興隆せりと記す。此れより百年、即ち第十二世紀の末造に※[#「しんにょう+台」、第3水準1-92-53]び、源頼朝霸府を鎌倉に開きたるは、實に我國封建の始なりき。然るに英國に於てはウイリアム征服王以來、既に久しく封建社會の要素の存在せるを認め、日本封建亦た必ずしも鎌倉時代を待つて、初めて播種せられたるものにあらず。
 歐洲に於けるも、亦た日本に於けるも、封建制度の確立せらるゝや、即ち武門武士なるもの、自から頭角を露はし來れり。此輩を稱して『さむらい(侍)』と云ふは、字義より推すに、上古の英國に於ける『クナイト』(cniht,knecht,knight)に等しく、家來又は侍臣の謂にして、その地位たる、大シーザーの書に、アキタニアに在りたりと記せる、『ソルジユリイ』(soldurii)若くは、タシタスの古史に散見せる、彼が時世の獨逸種族の酋長に隷屬したりし『コミタチ』(comitati)と相似たり。更に時代の近き比較を擧ぐれば、歐洲中世史に現われたる、『ミリテス、メデイ』(milites medii)に類す。我國にては、又た普ね此れに漢字を宛てゝ、『武家』『武士』と稱し、『ものゝふ』、『物部』は、古來の雅名なり。抑も武士とは、特權ある階級の人にして、元、是れ爭鬪攻伐を事としたる剽悍殊死の徒なりき。爭亂久しく絶ゆること無かりし世に至りて、兵農是一なりし、上代の制度自から廢れ勇猛膽大の徒は、犁鍬を投じて弓矢を執り、行伍に列したり。而も其間亦た淘汰の行はるゝありて、懦夫弱輩は自から排斥せられ、エマソンの語を借りて云へば、『膂力勇敢、剛膽不敵なる粗野漢』のみ適存して、遂に『さむらひ』なる一種の門族階級を成したり。斯て彼等が多大の名譽と特權との寵遇を受くると共に、又た多大の責任あるを自覺し、乃ち各自の態度行爲を律すべき規準法度を要とするに至れり。況んや彼等の干戈を交へ、矢石の間に見ゆるを常とせしより、其要を感ずること、更に深甚なるものありしをや。譬へば醫士が其徳義たる醫戒を守り、競爭に制限を置き、状師若し同業の徳義を破らんか、自から名譽の法廷に被告たらざるべからざるが如く、武士にして若し悖徳不義の行跡を敢てするものあらば、之に對して必ずや最後の制裁を下すべき權能《オーソリチー》を缺くべからざるものなりとしたり。
 喧嘩なら堂々とやれ!この蠻野幼稚なる原始的觀念の裡、大に壯剛なる道義の萠芽を含み、且つ凡て文徳武徳の根帶を成すものにあらざるなき乎。人の或は大人びて、彼のラグビー學校の小英人トム、ブラウンが、『幼童を虐げず、巨童に背を示さゞりし男兒なりとの名を傳えん』との希望を嗤ふべしと雖、焉ぞ知らん、此希望こそ即ち一隅の首石にして、此れが上に道義の大厦高樓を築くを得るものに非ずや。而も借問せん、世界宗教の中、最も※[#「酉+榲のつくり」、第3水準1-92-88]藉好和なる宗教と雖、此少年トムの熱望を賛翼するものに非ざる無き乎と。トムの希望は、即ち英國が其偉大なる國家を百代に建つるの基礎なり。而して武士道の由つて以て柱礎としたる所のものも、亦た此れと齊しきものあるを認むに難からず。吾人はクエカー教徒の如く、攻守の如何を問はず、兵は凶器也とせんとも、尚且つレツシングに倣ひて、『徳は過より生ずるを知る』と云ふを得べし。『卑怯』、『未練』は、健全、質朴なる人格の受くる最醜の蔑辭なりとすることや、小兒は此觀念を以て世に生まれ、武士も亦た然り。されど人生の擁大し、其關係の多方面に渉るに從ひ、初時の簡易なる信仰により進みて、自己の行爲の是認せられ、且つ滿足と發達とを與へらるべき、一層高尚なる權能《オーソリチー》の批准と、一層合理なる準據とを求むるに至る。若し夫れ武邊の利害のみを主眼となして、之を支ふるに高き道義の有る無かりせば、武士の理想の武士道《シヴアリー》に到達せざりしこと幾許大なるべきぞ。歐洲の基督教は騎士《ナイト》によりて、恣に解釋適用せられたりと雖、尚ほ此れによりて、其武士道に供するに、靈性の因素を以てしたり。ラマルタン曰く、『宗教、戦爭、名譽は圓滿なる基督教武士の三魂なり』と。而して日本武士道の淵源は單に二三にして止まらず。
[#ここから3字下げ] ラスキンは※[#「酉+榲のつくり」、第3水準1-92-88]藉好和の人なり。然るに又た奮鬪的生涯の崇拜者とし、熱火の精神を以て戰爭を是認せり。其書『橄欖の冠』中に曰へることあり。『予が戰爭を以て、凡百の藝術の基礎なりと云ふものは、又た戰爭が、人間界凡ての道徳、及び技藝の根本なりとの意をも含めり。予にして此理を發見するに至りたるは、自ら亦た怪訝し、畏怖すと雖、奈何せん、予は之を以て否定すべからざる事實なりと認知するを……要するに予は、凡ての強大なる國家が、戰爭によりて、言語の眞理、思想の勢力を覺知せる事、又た國家は戰爭によりて培はれ、平和によりて荒らされ、戰爭によりて教へられ、平和によりて欺かれ、戰爭によりて鍛はれ、平和によりて毀たるゝ事、一言以て之を蔽へば、『國家は戰爭に生まれ、平和に死するものなるを知れり』と。
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    第二章 武士道の淵源


 武士道の淵源を繹ぬるに當り、予は先づ佛教を擧ぐべし。佛教は武士道に供するに、安心立命の志氣、從容として運命の免るべからざるに服するの心念、危難災厄に臨みて、ストイツク的なる沈着不動の情操、及び生を輕んじ、死を甘んするの意氣を以てせり。柳生但馬なりし乎、枯れが劍道の門弟たる三代將軍の、斯道の奧義を極めたるを見て、唯だ此上は禪を學び給へと申せし昔話もあり。禪とは梵語のドヤナにて小泉八雲氏は之を説明して、『瞑想沈思の自力を以てして、言語文字を超脱せる思索界に轉迷開悟するの法なり』と曰へり。禪の形式は思索なり、開悟なり。其理たる予の曉解し得たる所を以て云へば、宇宙の森羅萬象裡に伏在せる大秘儀を覺悟し、其極意に到着せば、即ち能く絶對存在者を認識し、而して終に人間と絶對存在者を認識し、而して終に人間と絶對存在者とを調和せしむるものなりと。斯く定義を下せば、禪の道は廣大にして一宗一派の教義に拘泥せず、人若し絶對存在者を認識するに至らば、乃ち俗世間を解脱して、彼の鬼糞先生と共に、『新天、新地』に覺醒すと叫破するを得ん。
 武士道に於て、佛教の供給する能はざりしものは、即ち神道ありて、裕かに之を補充せり。君主に對する忠義、祖先の崇拜及び孝義の三者の如きは、他の教義の誨ふる能はざる所にして、特り神道ありて、之を訓へたり。此三者は即ち武士道に與ふるに服從抑損の念を以てして、若し之を缺かんには、忽ち倣岸粗野の性癖に陷り易きより免かれしめたり。神道の教理は、基督教所信の原罪説を容れず。此れに反して性善を信じ、六根は元、神明の如くに清淨なりとし、靈魂を神の宮たる人心の至聖殿に祭り、此れよりして神託を聞くものなりとす。試に神祠に賽せんか、社殿の裏、禮拜の物體、祭具の多きを見ずして、靈廟唯だ質素なる一面の銅鏡を懸くるあり。此鏡面を懸くるの理は、以て人心に象り、此心若し曇らずば、神明の靈姿を映ずべしとの義なり。故に人若し神社に詣づれば、我貌の神鏡に映ずるを見るべく、禮拜の旨趣は、希臘デルフアイの宮の託宣に『己を知れ』とあると、其歸を齎しくするものなり。されど希臘の宗教にても、日本神道にても自知とは、自己の身體の構造、若くは精神物理を明かにするの謂にあらずして、其知識は即ち道徳的なり、我徳性を内に自から省ることなり。史家モムゼンは、希臘人と羅馬人との禮拜を比較して、希臘人は天を仰ぎ、其祈念は即ち瞑想なりしと雖、羅馬人は之に異りて、頭を被ひ、其祈念は即ち自省なりきと云へるが、日本人の宗教觀念は、其質頗る羅馬人に類するものあり。されど、吾人の反省は道徳的なるよりも、寧ろ人々の國民的自覺を主とす。天然崇拜の念は、人をして衷心深く此國土に愛着せしめ、祖先崇拜の念は、人をして血統の源に溯り、帝室を以て、全國民の宗家なりと信ぜしむ。日本人の思想にては、國土は單に金銀を掘り、五穀を植うるの土壤たるのみに非ずして、即ち神と祖宗の靈との宿れる聖廟なりとす。吾人の觀念よりせば、至尊は單に法治國《レヒツスタート》の警務長官《チーフ、コンスターブル》たり、文治國《クルツアスタート》の保護者《パトロン》たるものに非らず。寔に昊天の權化とし、其靈威と徳澤とを體して、此國土に降臨せるものなりと信ず。ブートミー氏が、英國王家を評して、『啻に權威を體するのみに非らずして、又た國家統一の造營者なり、其標準なり』と云へるを眞理なりとせば、予は信ず、更に此説を擴充して、此れぞ洵に日本帝道を謂ふべきなりと。
 神道の教義は、乃ち日本民族の情感的生命の二大特質たる忠君、愛國の道を説くものなり。ナップ氏が、『希伯來の文學に於ては聖書の記者の語る所に就いて、神なるか、將た國家なるか天なるか、將たエルサレムなるか、救世主なるか、將た國民なるか、其異同を辧ずるに苦しむものあり』とは、頗る眞を穿てるの言なり。而して此れと、類せる混同は我國民信仰の用語に於ても亦た、之を認む。高天原が天にして、又た國土たり、『まつりごと』が政事[#「政事」に丸傍点]たり、祭事 [#「祭事」に丸傍点]たるが如し、其言語の隻關せりが故に、予は論理學者の言を假りて、之を用語の混同と云ふ。されど神道は我邦人の國民的本能と、民族的感情とに因りて發生せるものにして、組織哲學たり、又た合理神學たることを潜するものに非らず。此宗教、否寧ろ此宗教の顯現する民族的情感は、君に忠に、國を愛するの念を以て、洽く武士道を鼓吹せり。此等の念は教義たるよりも、寧ろ刺戟たるの作用を成す。神道は中世紀の基督教と異り、信徒に課するに、信條《クレデンダ》を以てすること稀に之に反し、直截簡易の奉事《アゲンダ》を以てしたるものなり。
 嚴正なる倫理の教訓より觀れば、孔子の道は、豐富なる武士道の淵源なりき。孔子の宣べたる君臣、父子、夫婦、長幼及び朋友等五倫の教の如きは、我民族の本能の、未だ聖人を俟たずして、夙に此れを重んじ、此れを行ふことを知りたるものなり。孔教は啻に其善を詮證するに過ぎず。蓋し孔子の靜穩寛厚にして、常識ある政治道徳教は、特に治者の位地にありたる武士に適し、貴族的、保守的なる其説は、善く武人政治家の需要に合したりといふべし。孔子に亞ぎて、浩大なる感化を武士道に寄與したるは孟子なり。孟子の所説の、剛健にして、又た頗る平民的なるは、能く武士の同感性を動かすに足るものありき。而して其説く所、或は社會の秩序を危くし、之を破るものなりと目せられ、從つて多年の寃屈を免れざりしと雖、此賢人の道は、永へに武士の精神に宿りて、遂に此れより離るゝことなかりき。
 孔孟の書は幼者學に入るの第一の教科書にして、又た老者が以て議論の憑據となす所なりき。されど、唯だ此の二聖賢の典籍を諳んずるに過ぎざるの徒の、會て社會に重視せられたること無く、孔子の書の訓話にのみ通ずるの徒を、俚諺にも『論語讀みの論語知らず』と嘲り、眞の士人は、文學の徒を貶し、目するに書臭紙魚を以てしたり。三浦梅園の如きは、『學問は臭き菜のやうなり、能く能く臭みを去らざれば、用ひがたし。少し書を讀めば、少し學者臭し、餘計書を讀めば、餘計學者臭し、こまりものなり』と曰ひ、學問若し、心念に同化するよりして、品性に發露すること無くんば、眞に學びたりとは謂い難しとせり。蓋し武士より見れば、學藝に專らなる人は器械の如く、學問は倫理的情操に隸從するものにして、人も宇宙も共に齎しく靈あり、道あるものなりき。武士道は、宇宙の進行を以て非道徳なりとする、ハックスレ−の斷定を容るゝ能はざりしなり。
 武士道は此類の知識を蔑視し、學問は終極の目的に非らず、之に志ざす所以のものは、唯だ智慧に通ずるの方便とするにありき。故に此目的を誤りたる腐儒の徒を賤むるに、指呼に應じて、錦心繍膓を吐き、風雲月露を彫むの便具となしたり。されば、學問と躬行とは、一致して相離るべからざるものなりとす。而して東洋に於て、此のソクラテス系の教説と符節を合して、知行合一を指教したるは、即ち支那の哲人王陽明なり。
 士林の人格高邁なる者にして、陽明の強健なる感化に浴したることの尠からざるを述べんとするに當り、姑く予に閑説を許せ。西洋の人士、若し試みに陽明の書を繙かん乎、其書中、新約全書に酷似せるの詞句に乏しからざるを見ん。兩者の用語の殊別なるに拘はらず、直ちに其意義に入れば、『神の國と其義とを求めよ、さらば此等のものは、凡て汝等に加へるらべし[#「るら」はママ]』との語の如きは、陽明の書を通じて散見する思想を云ふものなり。日本陽明學派の大家、三輪執齋は曰く、『天地生々の主宰、人にやどりて心となる。故に心は活物にして、常に照々たり』と。又た曰く、「其本體の靈明は常に照々たり、その靈明人意に渡らず、自然より發見して、よく其善惡を照らすを良知と云ふ。かの天神の光明なり』と。何ぞ其語のアイザツク、ペニントン及び他の神祕哲學家の説と一に調を諧しくするの甚しきや。予は思へらく、神道の簡易なる教義に現はれたるが如き日本人の心は、特に陽明の教理を納るゝが爲に開放せられたるものなりと。陽明は良心不惑の理を、極端なる超自然主義に馳せ、良心は即ち善惡邪正を糺すと共に、又た心理的事實、物質的現象をも鑑別するの能ありとせり。其唯心説は、バークレー若くはフイヒテを凌駕するに至らずとすとも、少くとも彼等と齋しく、人智以外に物體の存在することを否定するものなり。陽明の説は、唯我獨尊主義《ソリブシズム》に傾きて、或いは不合理なるの譏を免れざるものあらん。されど其説は、人に強固の確信を與ふべき偉力を有するのみならず、又た特立の品性と、平靜なる情操とを發達せしむるに於て、其徳果の顯著なりしことは、之を否むべからず。
 斯の如く何の源泉よりしたるにもせよ、武士道が吸收同化し得たる根本の主義は其數少くして、而も簡易なり。然りと雖、其主義たるや我國史の紛糾亂麻の世、兵馬倥偬の日にありて、猶ほ人生に與ふるに、容與不逼の精神、堅忍不撓の行爲を以てして餘ありき。我が祖先の武士は、健全至誠の天禀に頼り、古人の思想の大道小徑を歩みて、小杷の落穗を拾集し、其の與ふる平板零碎の教訓よりして、多大の餌食を獲て、心神を養ひ、且つ時代の要求の刺勵する所、即ち此落穗を以て此匹稀なる人間の新儀表を造り出したり。慧眼なる佛國碩學マゼリエル氏は、其の『日本史論』中、第十六世紀史に就いて感想せる意見を總説して曰く、
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第十六世紀の中葉まで、日本は、政治も、社會も、宗教も共に混亂の状態に陷りたり、然りと雖、爭亂紛擾止む時なく、社會の情態は蠻野に復し、人民自から義法を行ふの要ありたるよりして、彼等はテーヌが、『勇敢なる起手、決意斷行の習性、堅忍敢爲の襟度』と賛せる、第十六世紀の以太利人に髣髴たるの人格を形成したり。然るに以太利に於けるが如く、日本に於て亦た、テーヌの云へる如く、『中世紀の粗野なる状勢の、人をして武力的、反抗的なる、卓絶非凡の動物たらしむる』ものありたるが故に、日本民族の資質は、第十六世紀に於て、最高度に發展し、其性情、心念亦た同時に頗る多方に伸張したり。支那、印度に於けるや、人の優劣は、主として、精力及び知識の程度に在るものの如く、而して日本に於ては之に異り、人の差等は品性のオリヂナリチーの多少に在り。抑も個々特立の人格とは、優等なる民族の徴證にして、又た既に發達したる文明の左劵なり。ニーチェが得意の言を假りて云へば、亞細亞大陸に於けるや、人は其平原の如くなりと雖、日本に於ては之に反し、歐洲に於けると齋しく、要するに其民は其山嶽の如し。
[#ここで字下げ終わり]
 マゼリエル氏の評論せる國民、即ち我が大和民族の共有せる特種の性格たり、又た武士道の大本たる所のものに就き、吾人は爰に日本人の地歩よりして、此れが解明を試みんとす。而して先づ其の『正義』より之を説かん。
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    第三章 正 義


 義は武士道の嚴訓也。武士最も醜汚奸邪を惡む。武士最も醜汚奸邪を惡む。義の觀念には、或は誤謬に失せるものあらん、或は狹隘に過ぐるものあらん。名ある武士は、此れが定義を與へて、
[#ここから2字下げ] 義は勇の相手にて、裁斷の心なり、道理に任せて决心して、猶豫せざる心を云ふなり。死すべき塲合に死し、討つべき塲合に討つことなり。
[#ここで字下げ終わり]
[#地より2字上げ](林子平)
と云ひ、又た一人は、説明して、
[#ここから2字下げ]
節義は例へて云はヾ、人の體に骨あるが如し。骨無ければ、首も正しく上に在ることを得ず。されば人は才能ありとても、學問ありとても、節義なければ、世に立つ事を得ず。節義あれば、不骨不調法にても、士たるだけの事缺かぬなり。
[#ここで2字下げ終わり]
[#地より2字上げ](眞木和泉)
と曰へり。孟子は『仁人心也、義人路也』と曰ひ、且つ嘆ずらく、『舍其路而弗由、放其心而不求、哀哉。人有※[#「鶏のつくり+隹」、第3水準1-93-66]犬放、則知之、有心而不求』と。吾人は爰に孟子の世を去る遠く、國を異にして生れ、『我は義の道[#「義の道」に丸傍点]なり、我により手失はたるものは見出さるべし』と説きたる大教師基督の譬喩の『鏡を以て見るごとく見ること昏然《おぼろ》なる』面影を認め得べきに非ずや。アヽされど予は※[#「止+支」、第3水準1-86-36]に馳せたり。唯だ云はん、直くして且つ狹き道なりと。
 封建の季世、武士は長時の泰平に馴れて、安逸遊惰の生活を樂しみ、從つて放肆懦弱に流れ、風流文雅に淫したりと雖、此時に當りて尚ほ、義士[#「義士」に丸傍点]たるの稱は、學術技藝に長ずるの名に優ること遠しとしたり。されば赤穗四十七士に冠するに、義の一字を以てして、士は之を欽慕し、其芳烈美名は、徳教を維持するに、著大の効を有するに至れり。
 輙もすれば權謀を以て戰術となし、詭道を以て兵略となすの時代に在りても、義と名づくる此の率直正大なる丈夫の徳は、燦爛たる明珠の如く、人の歎賞して措かざるところなりき。義、勇の二は、雙生せる武徳なり。されど、勇の説を爲すに先だち、由來義より出でゝ、而して初は義と異ること毫釐の間なりしと雖、漸次懸絶して、遂に世俗の曲解妄用に陷りたるものに就き予は爰に多少の辯を加へんとす。是れ即ち『義理』なり。字義より推せば、義しき道理[#「義しき道理」に傍点]然るに時と共に移りて、義務の朦朧たる觀念となり、俗論は人に俟つに之に遵ふべきを以てするに至れり。『義理』の有せる本來無垢の旨意は、純粹簡明なる義務の謂なりき。されば、父母、長者、臣僕より、大にしては社會に對し、國家に對して、負ふべき義理ありなど云ふ時、其義理とは即ち義務の意なり。然り、義務とは即ち義しき道理の要求命令するものに非らざる無き乎。義しき道理とは、人に於ける無上命令《カテゴリカル、インペラチーヴ》たるべきものにあらずや。
 義理とは原、義務を謂ふに外ならざりき。而して此字義の由來する所を料るに、其故あり。人の行爲、例せば、父母に奉事するが如き、一に愛を以て動機とすべきものなるに、若し之を缺かん乎、乃ち他の權能《オーソリチー》の能く人をして孝ならしむべきもの無くんばあるべからず。是に於て乎、世は乃ち義理に於て其權能を作爲せり。愛の自から徳行に馳すること無くんば、乃ち人の知能に訴へ、其理性を勵まして、行正しきを要することを曉らしめざるべからず。されば義理の權能の形成さられたる良に以ありと謂ふべし。他の道徳責任に於けるも、亦た皆斯の如し。今夫れ、人の義務を厭ふや、義理は直ちに現はれ來りて、此れより免る能はざらしむ。義理は、譬ふるに、嚴酷なる教師の如し、笞を執りて懶惰の兒童に臨み、其分を致さしむ。されば義理は道義の力の副位に在りて、彼の基督の教の、愛即ち法を以て動機とするとは天壤の差あり。要するに義理は、人爲の社會、即ち血統爵位の如き、人生偶然の差等の、階級の序を成し、家族は國家の單位たり、年齒は才幹よりも重く、自然の愛情の、往々人爲の專横なる慣習に屈從する社會の状態の産物なり。義理は人爲なるを以て、遂に漠然たる觀念に陷り、唯だ彼を説明し、此を是認するの儀則となり終れリ。例せば、母たるものゝ、止むを得ざるに當りては、弟妹を犧牲として、長子を救ひ、女子たるものゝ貞操を賣りて、父の酒色を購ふことあるは何が故ぞ、是れ即ち義理なりと稱す。されば義しき道理[#「義しき道理」に傍点]を本としたる義理は、往々偏して單に決疑の規準となり、又た遂に墮落して、人の誹謗を畏怖するの念となれり。スコットの愛國心を稱して、『似而非なる他の感情を蔽ふへる、最も美はしく、最も怪しむべき假面なり』と云へるは、亦た以て義理を評すべきにあらずや。義理は義しき道理に遠ざかり、其名美にして、却て其實を誤り、其翼の下には、詭辯、僞善等あらゆる醜汚を包蔽せり。故に武士道若し、敢爲堅忍の精神たる勇の念の、明敏牢確たるものなかりせば、所謂『義理』は一變して、怯懦の巣居と化したるべし。
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    第四章 勇 氣  敢爲堅忍の精神


 勇若し義に由らずんば、即ち徳たるに値ひせず。孔子は論語にて、非常とする、消極よりして、勇の定義を下し、『見義不勇也』と説しきが、之を積極に換言すれば、即ち『義を爲すは勇なり』となる。危を求め、命を殆くし、死の口に馳する事、人の或は之を以て勇に擬するあり。武人の如きは、誤つて沙翁の所謂『庶出の勇』たる暴虎憑河、死而不悔者を賛すと雖、獨り武士道は然らず、死すべからずして死するを犬死と賤めたり。水戸の義公は、プラトーの名さへ耳にせざりき。されば此哲人が勇を稱して、『恐るべきものと、恐るべからざるものとを辧識することなり』と云へるが如きは、固より之を學びたること無し。然るに義公は曰へらく、『戰に臨んで身を捨つること難からず、田夫野人と雖、之を能くす。されど生くべき時に生き、死すべき時に死するのは眞の勇なり』と。又た秦西の識者の、肉體の勇と、道徳の勇とを區別するが如きは、我國人も亦た夙に之を爲す。苟も士林に在る者は、小少より既に大勇[#「大勇」に丸傍点]と匹夫の勇[#「匹夫の勇」に丸傍点]とを瓣知せざるものなかりしならん。
 剛毅、大膽、自若、勇猛の徳性は、青年武士の嚮徃する所にして、彼等は實例に則り、實行に由り、世の最も尊尚する比徳を磨※[#「厂+萬」、第3水準1-14-84]して、敢て人後に落ちざらんことを努めたり。孩提の兒童と雖、母の懷に在りて、武功譚、英雄物語に耳を欹て、若し苦痛を哀訴することあらんか、母は『些少の苦痛に泣くは卑怯者』と呵し、繼ぐに『戰場に出でゝ、腕を斷たれなば如何。切腹を命ぜられなば如何』等の※[#「厂+萬」、第3水準1-14-84]語を以てしたり。千代萩の千松が、籠に寄り來る親鳥の餌ばみをすれば、子雀の嘴さしよる有樣に、小鳥を羨む稚心にも、侍の子は、ひもじい目をするが忠義ぢやとの、健氣さ、いぢらしさの昔語は、人の普く記する所なり。加之ならず、勇敢壯烈なる御伽噺の類多く、小童は襁褓に在りて尚ほ之を樂めり。而して此等の物語の、既に少年の精神を鼓舞し、之を養ふに、勇剛の性を以てせるのみならず、又た父母の嚴として子に臨み、殘忍酷薄に失するまでも、其膽力を試練し、『獅子其兒を千仭の壑に擠す』の行に出づるものありき。侍の子は艱難の深淵に投ぜられ、又たシシフアスの苦役を命ぜらるゝことありき。時としては、小兒に與ふるに凍餓の苦を以てして、即ち堅忍不拔の精神を磨勵する所以なりとしたり。いたいけなる稚兒の遠國に使ひすることあり、冬天朝餐に先んじ、裸足師家に走りて、書を講ずることあり、一月一二次、天滿宮の祭日を卜し、數輩の少年相會して、徹宵輪講をなすことありき。刑塲、墓地、化物屋敷の如き荒涼たる地に賽することも亦た、少年の快とする所なりき。甚しきは斬首の刑あるや少年の輩は、其凄悽愴たる光景を目睹すべきを命ぜらるゝのみならず、而も闇夜單身刑塲に赴き、梟首に印して歸るべきを命ぜらるゝこともありき。
 今日の教育論者は斯の如く、スパルタ主義の極端に馳せて、神經を鍛冶するを畏怖し、之が爲に少年の敦厚なる情性を嫩芽にして摘み去りて、粗剛殘忍の性に陷らしむるの弊あらざる無きかを疑はんとするものゝ如し。されど武士道の勇に於ける觀念は、啻に斯の如きに止まらず。
 勇の人の精神に宿るや、現はれて沈毅となり、不動となる。平靜なるは勇の休息せる形にして、又た勇の平衡を得て靜止せる現象なり。之に反して大膽なる行爲は、其の動勢に表はれたる形なり。大勇の士は、沈着重厚なり。事に處して、其常を矢[#「矢」はママ]はず、矢石を冒して畏れず、災厄に臨んで動かず、雷霆の威に屈ぜず、風波の烈に驚かず、泰山前に崩るとも變ぜず、鼎※[#「金+(護−言)」、第3水準1-93-41]の中にありて自から安じ、死生の巷立ちて自から樂めり。眞の勇者は危を踏み、死に瀕して、從容詩歌を詠じ、聲音筆蹟毫も平生に異ならず、人、皆之を歎稱せり。蓋し悠々逼らざること、斯の如きは、其心に多大の餘裕あるに因らずんばあらず。故に毫も外物の窘迫する所とならず、常に他を容れて、多々益す瓣ずるものなり。
 史に傳ふ、江戸城の開祖たる太田道灌、曾て戰塲に若武者の首級を獲るや、※[#「さんずい+林/日、第4水準2-79-24]然として之を憫み、
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かゝる時さこそ命の惜しからめ、かねて無き身と思ひしらずば。
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の和歌を詠じて、之を弔せり。然るに後、道灌の讒に會ひて、浴室に刺さるゝや、神色變ぜず、手づから槍幹を抑へ、
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昨日まで、まゝ妄執を入れおきし、へんなし袋、今やぶりけん。
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と、一首の狂歌を吟じて絶命せりと云ふ。道灌たるもの亦た自から、かねて無き身と思ひ知らずば、いかでか能く斯の如きを得にや。
 丈夫の心中、常に磊々落々たるものあり、凡夫の一大事は勇士の一笑事に過ぎず。されば古への戰に、兩雄陣に臨み、劍戟を交ふるに當りて、尚且つ連歌を鬪はしたるのためしも尠からず。戰役は啻に戰力を格するのみに非らず、又た才知を較すべき塲裡たるの觀ありき。
 前七年の役、衣川の戰に、敵軍潰走し、其の將安部貞任纔に身を以て遁るゝや、義家之を追ひ、きたなくも敵に後を見するものかな、しばし返へせやとぞ呼ばゝりける。貞任乃ち見かへれば、義家弓を引きしぼりつゝ、大音に、
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衣のたてはほころびにけり。
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と云ひかけたれば、貞任馬の鼻を引返し、聲に應じて、
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年を經し糸のみだれの苦しさに。
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と詠じたる、あまりの優しさに、義家は引きたる弓を弛べ、番ひし箭を棄て、掌中の敵を放ちて、其の遁ぐるにまかせたり。人怪しみて其故を問ふ。答へて、貞任ほどの剛なればこそ敵に辭をかけられて、事の急なるに、死を前に置きながら、斯くやさしくも致したれ。其志をも感ぜずして、一矢に射落さんこそ無骨なれと云ひけり。
 アントニー及びオクタビアスの二人の、フイリヒの野にブルタスを僵して、嗟嘆慟哭したるが如きは、此れ實に勇士の常情なり。上杉謙信の、武田信玄と兵を構ふること十四年、怨恨甚だ深し。然るに信玄病んで死せりと聞くや、謙信は箸を投じて長嘆したりと云ふ。又た謙信の信玄に鹽を遣りたるは、武邊の美談なりとして傳へらる。信玄の領地甲信二國は海に濱せず、鹽を東海より買ふ。然るに北條氏陰かに其鹽を閉ぢて、甲信に送るを禁じたるより、甲信の民大いに困み、一種の兵糧攻に異ならざりき。上杉謙信之を聞き、書を信玄に寄せて曰く、聞く北條氏、公と困むるに鹽を以てすと、此れ不勇不義の至なり。我の公と爭ふところは、弓箭に在りて米鹽にあらず。今より以後鹽を我國に取れ、多寡唯だ命のまゝなりと。乃ち賣人に命じ、價を平にして、之を給したりとぞ。此れ彼の羅馬の勇士カミラスが、『羅馬人は金を以て戰はず、鐡を以て戰ふ』と云へるに以て、而も更に優なるものあり。ニーチエが、『汝は其敵を誇りとすべし。敵の成功は、又た汝の成功なり』と云へるは、能く我國武士の眞情を語れるものなり。戰塲に臨んで、我が良敵とするに値ひある者は、平時の親友たるに適して、勇武あり名譽あるの人たらざるべからず。夫れ勇の極意は、仁に邇し。孔子曰はずや、『仁者必有勇』と。
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    第五章 仁 愛  不忍の心


 武士道は愛敬、寛仁、同情、憐憫を以て、徳の最なるものとし、人の靈魂の賦性の最も高尚なるものなりとす。仁は二樣の意義に於て王者に徳なり。即ち高尚なる精神に伴ふ多くの資禀に冠たるのみならず。又た特に王道に契合するが故に徳の王なり。慈悲の王者に於けるは、冠※[#「日/免」、47-6]よりも貴く、又た權威に勝るとは、吾人は沙翁を俟ちて始めて之を知るものに非らず。唯だ宇内諸人と共に、彼より初めて此名言を聞くに得たるのみ。孔孟屡ば王者の一日も仁勿るべからず、『仁之者人也』なることを明かにせり。孔子曰く『國君好仁、天下無敵』と。又た曰く『仁天之尊爵也、人之安宅也』と。又た、『君仁莫不仁、君義莫不義』とも曰へり。而して孟子の之を説く、更に詳なるものあり。蓋し國君徳を好めば、百姓之に歸し、從つて地自から大に、貨自から殖し、此れを用ひて謬らず、徳は本にして、利は末なりとは、即ち孟子が王道の大義にして、『不仁而得國者有之矣、不仁而得天下之有也』と曰ひ、又た民の心を得ずして王たるは能はざるを説けり。帝範に曰く、『天以寒暑徳、君以仁愛心』と。抑も武力角逐を常とせる封建制度の下に在りて、人の能く壓制無道より免るゝを得たる所以のものは、即ち仁の徳大なるを以てなり。臣僕は其『生命、肢體』を捧げ、而して君主は此れが生殺を恣にするや、壓制從つて生ず。外人徃々之を罵つて『東洋的壓制』となし、而して其云ふ所を以て見れば、泰西史上、未だ會て一人の暴主をも有せざるものゝ如し。
 予は固より何の壓制をも是とする能はず。されど壓制と封建を同視するは、甚だ謬れり。『王は國家第一の臣僕なり』とのフレデリツキ大帝の名言は、立法學者の評して、自由主義進歩の一新時代を迎ふるの聲なりと云ふものなり。然るに時代は奇遇し、日本東北の僻壤に於て、米澤公鷹山も亦た帝と同一の宣言をなし、世子を誡むるに、『國家人民の立てたる君にして、君の爲に立てたる國家人民には無之候』と曰ひて、封建の必ずしも壓制暴虐に非らざるを明言せるあり。封建の君主たるもの、縱ひ君臣互に負ふの義務あるを曉らざりしとするとも、尚ほ祖宗に對し、天に對して負ふ所ありとの高大なる思想を感じ、臣民は天より委ねられたる子にして、君主は其父なりとす。武士道は實に親父政治《パターナル、ガバーメント》を保持す。而して親父政治《パターナル、ガバーメント》とは、外人の之を稱するよりは、其意義更に深きものあり、又た政府と國民との利害關係頗る淺き『アンクル、サム』(アンクル、サム即ちサム叔父とは米國の戲稱)の叔父政治《アヴアンキユラー、ガバーメント》と※[#「しんにょう+台」、第3水準1-92-53]かに其旨を殊にす。壓制政治と、親父政治との異る所は是なり、即ち彼に在りては人民已むを得ずして慴服し、此に在りてはボルグの云へるが如くに、『服從を誇り、品位を保ちて歸服し、隸役の中にありとも、其心に、昂々たる自由の精神の活在せる從屬』をなすものなり。古人は英國王を以て、『臣民屡ば謀叛纂奪を謀るが故に、惡魔の王[#「惡魔の王」に傍点]なり』と稱し、又た佛國王を以て、『人民の苛税收歛に苦しむが故に、驢の王[#「驢の王」に傍点]なり』と稱し、而して西班牙王に與ふるには、『其民の服從を甘んずるが故に人の王な[#「の王な」に傍点]り』との稱を以てしたるが……されど※[#「止+支」、第3水準1-86-36]此れを措け。
 道徳と專制權との二語はアングロ、サクソン人民の以て、氷炭相容れざるの感をなすものにならん。ポペドノスチエフは英國社會と他の歐洲諸國の社會との、各※[#二の字点、1-2-22]、其根底を異にする所を明示して、後者の人民共通の利害を基礎とするに反し、前者はその著しく發達せる特立の個人性を重んずと謂へり。此露國政治家が、歐洲の大陸諸邦、就中スラヴ民族の國家に在りては、人民は個人權を棄てゝ、其社會の團結と國家終極の目的とに合すと云へることは、我國民に於て、特に其然るものあるを見る。故に日本に於ては、王權の自由行動を憂ふること、歐洲に於けるが如きもの無きのみならず、而も之を緩和するには、王者の民心を察するに、親父の至情あるを以てす。ビスマーク曰はずや、『專制政治の第一要義は、治者の無私、正直にして、義務を重んじ、精力あり、且つ内自から謙讓なることなり』と。而して又た爰に予の更に此問題に就きて、一引證を加ふることを許せ。されば近時獨逸皇帝の、コプレンツに於てせる演説の一句を與げん乎。曰く、『神恩によつて王たるものは、之に伴ふ重大なる責任あり。而して特り、造物主に對して、甚大なる責務を有し、人も大臣も國會も君主をして、能く此れより免れしむること能はず』と。
 仁は温和なる徳なり、母の心なり。端正なる節義、嚴※[#「厂+萬」、第3水準1-14-84]なる公正を以て男性的なりとせば、仁愛の柔和にして人を服するは、即ち女性的なりと云ふを得べき乎。されど仁愛に加ふるに正義を以てせずして、漫に之に流るゝは、人の深く誡むべき所にして、伊達政宗の言にも是れあり、『義に過ぐれば、固くなる。仁に過ぐれば弱くなる』と。
 仁は美はしくて、又た遍し。『最も剛毅なる者は、最も柔和なり。最も愛ある者は最も勇敢なり』とは、古今東西の通義なり。武士のなさけ[#「武士のなさけ」に傍点]とは、人心に妙音を傳へて、高尚なる情感を覺醒するの語なりき。武夫の慈悲の質たる、他者の慈悲と其類を殊にするには非らず。されど仁の武士に於けるは、漠然たる感情より發するものに非らずして、其心に正義を忘れざるにあり。又た其仁は啻に情緒の發現たるのみに非らずして、而も其後へには生殺與奪の權を有し、恩に兼ぬるに威を以てす。經濟學者が、需要に有効無効の別ありと云ふが如く、武士の慈悲は即ち有効なるものと稱すべくして、之を受くるものに對して、或は利益を生じ、或は損毫を來たすの力を有せり。
 武士は獸力を榮とし、之を用ふるの特權に誇りたりと雖も、又た深く孟子が仁の力を説くに服するものなりき。孟子曰く、『仁之勝不仁也、猶水勝火。今之爲仁者、猶一杯水、救一車薪之火也』と。又た曰く『※[#「りっしんべん+述のつくり」、第3水準1-84-46]タ惻隱之心、仁之端也』と。是れに由りて之を觀れば、孟子は、彼のアダム、スミスに先んじて、夙に倫理哲學の基礎を同情に置くの説を唱破したるものに非らずや。
 凡そ國の東西を問はず、各※[#二の字点、1-2-22]武士が以て名譽の律法とせるものには、其規矩準繩を等しうするものありき。換言せば、頗る他の誹譏を招ける東洋の道徳思想が、歐洲文學に於ける荘重なる格言と、不節を合するものあるは、盖し驚くに足るべきなり。人あり若し日本の士人に示すに、彼のヴアヂルが羅馬建國の精神を歌ひて、
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順ふ者を安んじ、逆ふ者を挫きて、
平和の計を定むるこそ、これぞ汝の業なれ。
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と云へるを以てせんか、彼れ或は直ちにマンチユアンの詩聖を目するに、皇國文學の精粹を剽窃するものとなす勿らん乎。神功皇后が征韓の軍にも曰はずや、『姦謀勿聽、自服勿殺』と。
 弱者、劣者、敗者に對して仁恕なるは、賛して武士の美徳となす所なりき。日本美術の翫賞家は、屡ば行脚の一僧の、逆馬に跨るの障`を視ることあらん。この逆馬の僧こそ、俗なりける日には、其名を聞くだに、尚ほ人の怖れし猛者なりけれ。頃は壽永の秋の暮、須磨、一の谷の合戰に、源平兩家茲を先途と鎬を削りて戰ひける時、熊谷は敵の若武者を追驅け、強き腕に組んで伏せたりけるが、扨もかゝる時、組敷かれたる人の、天晴の大將軍か、力量劣らぬ剛の者ならでは、血を流さぬが戰の作法なりければ、上なる武士は云ふやう、我こそは熊谷の次郎直實なれ、抑も和殿は何人にておはすと問へど、唯だ夙う/\首取りて人に問へ、見知らうずるぞと答ふ。熊谷其兜を押し仰けて見るに、我子の小次郎の齡ほどして十六七なるが、容顏まことに美麗なり。流石の熊谷も打驚かれつゝ、腕をゆるめ、扶け起して、あな美しの若殿や、助け參らせん程に御母《みおや》許へ落ちさせ給へ、熊谷の刄は和殿の血に染むべきものにならず。敵に見咎められぬ間に、とくとく逃げ延びたまへとありければ、上臈は、吾妻の武士は、唯だ荒くれたる男とのみ思ひけるに、かくもやさしき武夫もありけるか、我こそは無官の大夫敦盛なれ。一旦敵に組敷かれながら、助からんは武夫の耻ぞ、熊谷ごとき情知つたる武夫に、首打たれんは本望なり、和殿も我を討つて功名せよやと云ふ。老巧の熊谷が霜置く頭に振り翳したるこそ、あまた度、人の玉の緒を絶ちける刄なれ。されど猛き心も碎け、我子の小次郎が今日の初陣に、貝鐘諸共に先驅けしたる姿も目のあたり映じて、武夫の強き腕も戰く。再び落ちさせ給へと云ふ、敦盛聽かず。後より顧みれば味方の軍兵雲霞の如くに滿ち/\たり。今はよも遁し參らせじ、名も無き人の手に亡はれ給はんより、同じう直實が手にかけ奉りて後の御孝養を仕らん、一念彌陀佛、即滅無量罪―大刀一閃、忽ち若武者の血に染みて紅なり。斯て西國の軍鎭まり、熊谷凱陣の日に※[#「しんにょう+台」、第3水準1-92-53]んで、敢て勳功の賞に預らんことを思はず、弓矢の家を射出でゝ、桑門に入り、剃髮緇衣、日の入る方の彌陀の浄土を念じ、西方に背を向けじと誓ひつゝ、一所不住の行脚に殘生を託したりとぞ。
 評者或は此物語を讀んで、熊谷の行爲を難じ、其の是非曲直を疑ふものあらん。然り、夫れ或は然らん。されど柔和、慈悲、仁愛は、武士の慘慄なる軍功を美化するの特質なりしことは、亦た此れに由りて知るを得べし。古語に曰く、『窮鳥懷に入る時は、獵夫も之を殺さず』と。此一語は彼の特に基督教徒の事業なりと思惟せられたる赤十字の、我國に其根脚を確立せる所以を説明するものにあらずや。吾人はセネバ同盟條約を耳にするに先だつ數十年、既に大小説家馬琴よりして、屡ば敵の傷者を醫療するの物語を聞けり。由來武斷の氣質に富み、其訓育に秀でたるを以て聞えし薩摩藩にては、若殿原の間に音樂を嗜むの風行はれたり。その樂とは、鉦鼓殺伐の聲にも非らず、沙翁の所謂『血と死との囂しき前驅』の吾人を刺勵して、豺狼の行爲を學ばしむるものにもあらず。却つて是れ※[#「口+曹」、第3水準1-15-16]々切々たる琵琶の音の、猛き心を和げ、思を腥風血雨の外に馳せしむるものなりき。希臘の史家ポリビアスの傳ふる所によれば、徃古アルカヂアに於ては、其嚴慄なる風土の峻峭なる性情を賦與するを融和せんが爲、國法として三十歳以上の男子に課するに音樂を以てしたりと云ふ。而して史家は彼の荒凉なるアルカヂア山國の人民の、能く殘忍の性より免れたる所以のものは、一に此れを音樂の賜なりとせり。
 凡そ我國致る處として、武士を教ふるに温雅の質、優美の性を以てせざるは無かりき。薩藩の如きは僅に其一例たるに過ぎず。白河樂翁公の、心に映るまゝを、そこはかと無く婉なる筆に記したるが中に云へることあり、『枕に通ふとも、咎無きものは、花の香、遠寺の鐘、霜夜の蟲の音は殊に哀れなり』と。又た曰く、『憎くとも宥るすべきは、花の風、月の雲、うちつけに爭ふ人はゆるすのみかは』と。
 かゝる婉雅の藻思を外に現はし、且つは之を培はんが爲、武士の間にも亦た詩歌を奬勵したるより、從つて、我國の詩歌には、悲壯、優雅兼ね至り、藹然として、楮墨に溢るゝを見る。實に猛き武夫の心をも和ぐるは歌なりけり。粗剛の一武夫の物語とて、世に傳へらるゝもの、狂言綺語の末ながら、尚ほ能く此間の消息を云ひ得て詳かなり。
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そも大星の君子の智、よく衆人を精育なし、其人々の氣風によりてこれを教ふる中にしも大鷲文吾と聞こえしは、忠直いはん方なけれど、生れつきての※[#「夕/鹿」、「第3水準1-94-76」の俗字]忽もの、心氣《こころ》せわしき生立なりしが、由良之助は文吾にすゝめて、心氣ををさむることをまなぶべしとありければ、文吾は天性魯に等しき人なりければ、これを聞き、いかなる業を學びなば、心氣をしづむることあらんとのたづねに應じて、俳諧を學ばれよとぞをしへける。されば文吾はその日より師をもとめて習はんとなしけれども、さすがに初心のはづかしく、他には問はで、おのが宅につく/゛\案じ居たりしが、折節庭に鶯の初音ゆかしくさえづりけるゆゑ、こゝぞ風流とやらんの發明なるべしと、首を傾け、やう/\その心をぞつらねける。
[#ここで字下げ終わり]
   鶯の初音をきく耳は別にしておく武士かな。
[#ここから2字下げ]
かくしたゝめ、ひそかに大星に見せければ、由良之助はこれを見て、大によろこび、文字の數さへ揃はねど、はじめて思ひ起せしものが、この風流を案じ得て、何ぞ雅言をなさゞらん。惜しいかな、手示葉《てには》のつゞきいたらぬのみ、今すこし心を用ひ候へとありしゆゑ、大鷲文吾はうれしげによろこび歸るを聞傳へて、あざけりそしらぬものなく、いとおろかなる人なりとて、笑ひのたねとなりけるが、また二十日程過ぎて後、
[#ここで字下げ終わり]
   初音きく耳は別なる武士かな。
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  また十四五日過ごして後、
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   武夫の鶯きいて立ちにけり。
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三度にいたりて、自然この秀逸を得たりしかば、大星は手を打ちてよろこび、嗚呼感ずべし、この名吟。實に文武の兩道を兼ねたるものとは、この人ならんと賞めたりけり。(いろは文庫)
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 彼の短命詩人ケルネルが戰塲に傷ついて、『絶命詩』を賦したるの壯烈事は、吾人の感嘆景慕する所なり。然るに、斯の如きは、我國古來の戰に於て决して稀なりとせず。特に和歌俳諧の簡潔にして遒勁なる、ものに觸れ、事に感じて咄嗟の間、其興趣を寓するに甚だ可なるものあり。されば苟も多少の文藻あるものゝ、詩歌を詠じ、俳諧を弄せざるは無かりき。戰塲に馳する武夫のしばし駒を止めて、矢立取り出し、歌を書きつらぬるもあれば、如意輪堂の扉に、梓弓引きて返へらじの誓を殘せし忠臣もあり。勅選に一首を留めて、西海に沒落したる勇士あれば、又た戰塲の露と消えにし益荒雄の、主無き兜、鎧の胸當に詠草を藏めたるあり。實に優にやさしさは我國武夫の習なりけり。
 武士をして暗たる兵革の世、慘たる修羅の巷にありて、尚ほ且つ慈悲と哀憐の情とを禁ずる能はざらしめたるもの、歐洲に在りては即ち基督教なり。而して日本に在りては、實に詩歌と音樂との嗜好に俟てり。凡そ優雅の情感を切にするには、他の痛苦を察するの念を養ふ所以にして、人の感情を想ふによりて生ずる辭讓慇懃の心は、即ち『禮儀』の本を成すものなり。
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    第六章  禮 儀


 外人の我邦に來り遊ぶもの、嫻雅禮節を以て日本人の特性なりと稱せざるは無し。禮若し俯仰折旋の儀容に過ぎずとせば、乃ち以て徳とするに足らず。禮は人の感情を察する同情の發現にして、又た尊きを尊び、秩序ある社會の許認する地位を敬ふの意を有す。而して其地位とは貧富の別に基くものゝ謂に非らず、人の誠に有する効績徳業の差等の謂なり。
 禮の極意は愛に庶幾し。されば予は爰に寅んで、彼の聖語の一字を更へて、『禮[#「禮」に丸傍点]は寛忍をなし、又た人の益を圖るなり。禮[#「禮」に丸傍点]は※[#「女+戸」、第3水準1-15-76] まず、誇らず、驕傲らず、非禮を行はず、己れの利を求めず、輕々しく怒らず、人の惡を念はず』と謂ふを得ん乎。デイーン教授が、人生の六義を論じて、禮を重しとし、之を以て社交の熟果なりとせしは、盖し又た異しむに足らず。
 予は禮を尊ぶ。されど必ずや、之を以て諸徳の上に置かんとするものに非らず。禮のものたる、之を解かば、其の更に尊貴なる他の道徳と干與するを認めん。盖し何の徳か、果して孤立して存するや。士林の輩、特に禮を重んずと雖、時に其規を、越ゆるものあるを以て、從つて虚僞に流るゝを致せり。孔子も既に玉帛の禮の要を成さゞるは、鐘鼓の樂に於けるが如きを説けるにあらず乎。
 禮容を尊んで、社交の儀文となすが故に、坐作進退の則より、會釋低頭の禮に至るまで、委曲細緻の作法を生じて、之を少者に教ふる嚴に、之を習ふ密に、社交の態度必ずや端正なるべきを以てしたるは、固より其理なり。且つ夫れ飮食の作法は學問となり、點茶、喫茶も亦た儀禮となり、故に文教あるもの必ずや之に通ぜざるべからずとせり。宜なり、衣食足而知禮節と謂ひ、又たヴエブレン氏が多趣味の著、『安逸階級論』に於て、禮は『安逸階級者の生活の産む所にして、又た之を表すものなり』と云ふこと。
 歐人往々我が禮儀の委曲繊巧に流るゝを嗤ひ、思慮を役する大にして、之を固守すること、其愚及ぶべからずと評す。予も亦た禮儀の繁縟なるよりして、徒に無用の細節に泥むことあるを知る。されど、秦西の絶えず移りゆく流行を追ふの愚に比するに、予は遽に其優劣を判ずるに苦しむものなり。然るに予は彼の流行すらも、猶ほ之を目して、虚榮の癖好なりとせざるのみならず、反つて之を認めて人心の斷えず美を慕ふ所以なりとす。されば何すれぞ繊巧なる儀禮を以て全く取るに足らずとせんや。盖し儀禮は一の結果を得んが爲、多年の實驗より生じたる最も適切なる方式なり。茲に一事あり、之を爲すに、必ずや、最良の方法なるものなくんばあらず、而して、其の最良の方法は、最も經濟に合して、又た最も優美なるものならざるべからず。スペンサー氏は優美の定義を下して、動作の最も經濟的なる方法と云ふ。茶道の法とは茶碗、茶匙、帛紗等を用ふるの定式なり。其法たる初心の輩には、或は倦厭を來すべしと雖、少しく斯道に入らば、直ちに此れぞ時間と勞力との最も節約を得たるものなることを知らん。換言せば、此定式は即ち力の利用の最も經濟的なるものにして、スペンサーの定理に從えば、最も優美なるものなり。
 社交的禮法の裏に含蓄せしめたる精神的旨義、即ち『衣服哲學』の用語を假りて云へば、禮儀作法を以て單に外部を被ふの衣服とせる精神修養の功徳は、其外見の示す所に勝りて※[#「しんにょう+向」、第3水準1-92-55]かに大なるものあり。余も亦た或はスペンサー氏の社會學論理法に倣ひて、我國の禮法の源頭に溯り、其由つて來れる進化の次第經路を繹ぬるを得ん。されど斯の如きは本書の任とする所にあらずして、予は唯だ爰に禮を嚴守することの含有せる徳育を主眼として、之を説かんとするものなり。
 既に云へるが如く、禮の道は精緻を極めて、委曲繊巧となりたるよりして、遂に作法を異にせる多※[#「止+支」、第3水準1-86-36]の流派を生ずるに至りたりと雖、此等は要するに其大旨に於て竟に歸を同じうせざるは無く、其極意は小笠原流禮法の宗家たる小笠原清務氏の語る所によりて明かなり。曰く、『禮道の要は、心を練るにあり、禮を以て端坐しれば、兇人劒を取りて向ふとも害を加ふること能はず』と。即ち換言せば、人は常に端正なる容儀を修むるが爲、身體の諸部に於ける各官能を圓滿に整へ、而して其身體自から善く外物と調和し、斯して靈の肉に勝つを表現するに至るとの意なり。此れによりて之を見れば、佛國語にて禮容を云ふ『ビインサンス』(Bien-seancece[#二番目のeにアクサン・テギュ]は語源上『端坐』の義)も亦た深長なる新意義を加へ來るにあらずや。
 優美は即ち力の經濟法なりとの前提を眞なりとせば、從つて論理上よりして、常に優美なる容儀を修むるは、此れと共に勢力の豫備蓄積を生ずとの説に歸着せざるべからず。故に典雅の姿勢は力の休止を表す。彼のゴールの蠻民が、羅馬を掠奪し、元老院に亂入して、尊貴なる元老の髯を引毟るの暴行を敢てしたるの責は寧ろ蠻民に在あらずして、却つて、尊嚴と態度との威力を缺きたる彼の元老に歸せざる能はず。然りと雖、人或は云はん、區々たる禮儀の、爭でか能く高遠なる精神的造詣の道たるを得べきやと。されど知らずや、西諺にも『路皆、羅馬に通ず』と云へるを。
 最も簡易の事物と雖、亦た之を以て技藝となし、且つ精神修養の道となすを得べし。即ち例せば、茶の湯の如き是なり。或は茶を啜るも亦た美術の一端なるかと嗤ふものあらん。されど兒童の砂上に畫き、蠻人の岩石に刻むは、即ちラハアエルを出し、マイケル、アンゼロを生むの約束なりき。然るを況んや印度の隱者が、脱世間の瞑想より生ぜる、喫茶の進みて、宗教及び道徳の侍女たる能はざるの理あらんや。心情の恬淡、擧止の平靜なるは、茶の湯の第一義にして、又た正念正覺の第一要件なり。飽くまで清らかなる小室は、浮世の擾がしきを許さず、既に思を塵外に誘ふに足るものあり。又た裸々たる室内は、西洋の客室の、無數の障`雜品を陳ねて、目を眩するに似ず。壁間の一軸は、著想の雅なるを賞して、色彩の艶なるを採らず、要は趣味の精に到るに在り。故に些の衒氣も、宗教的畏怖の念、以て之を排す。世は戰亂の雲に蔽はれ、矢叫の音絶ゆること無かりし日に當りて、隱逸の士の茶道を立てたる、既に戲弄にあらざりしを證すべし。茶室の靜寂境に入る者は、先づ劍を解き、戰場の慘、政治の煩を去り、此に油然として平和懽情を樂しむを得たり。
 茶の湯は啻に禮道に非らずして、又た美術なり、調節和諧せる擧止を以て韻律《リズム》となすの詩歌なり。而して其奥義の伏する所は靈性修練の方式たるに在り。然るに茶道を學ぶものゝ多くは、心を其末技に專らにすとも、此れを以て、其要旨は精神的にならずと反證すること能はず。
 禮、縱ひ容止をして文雅ならしむるに過ぎずとすとも、尚ほ大に益する所あり。然るに其用は獨り此れに止まらず。禮は慈悲辭讓の心より發し、人の感覺を察するの温情を以て動き、即ち不忍の心の優美なる表示なり。禮は悲む者と共に悲み、喜ぶ者と共に喜ぶを要す。而して此種の教訓的節文の日常鎖細の事故に應じて現るゝ時、行爲の些小なるが爲に、多くは看過して、之を認むることあらんには、二十餘年間我國に滯在せる一外國婦人宣教師の、曾て予に語りたるが如くに、『酷だ笑ふべき《オーフリー、フアンニー》』ものたり。人あり、炎炎たる日中、傘を携へずして戸外を歩み、偶ま面識あるものに逢ひ、會釋すとせよ。其人即ち帽を脱す、―好矣、これに大いに可し。されど酷だ笑ふ可き[#「酷だ笑ふ可き」に傍点]行爲と目するべきは、彼れの語る時、傘を傾けて、又た炎々たる日光の直射する所となるを見ん、何ぞ愚甚だしきやと。然り、彼の意にして、若し『君は日下に立つ、同情に堪へず。予の傘の大なるか、或は君と深交あるならんには、予の傘下に、君を入るゝを悦びとぜん。されど今君を蔽ふ能はざるが故に、予も亦た君と苦を分つ』と云ふに非ざれば、彼の爲す所は實に愚なり。此れと等しく、否、此れにも勝りて笑ふべき些細の行爲尠しとせず、而して此等は單に動止習俗たるには非らずして、却つて他人の快感を察する思慮ある感情の所謂『體』せられたるものなり。
 我國禮法の儀文の生じたる習慣中には、又た一事の酷だ笑ふべき[#「酷だ笑ふべき」に傍点]ものあり。然るに此一事は皮相の觀察よりして日本を評する外人の多くが以て、單に冠履轉倒せる我國風の然らしむる所なりとして不問に附するものなり。此慣習に接せる外人は皆、其際妥當の答をなすに窮することを自白せん。今夫れ人の他に物を贈るや、米國にては其物品を賞揚し、日本にては之を輕んじ賤しむ。米國人の意は即ち『贈る所の物品は貴し。若し貴からずは、爭でか君に贈らんや。貴からざるを取りて、君に贈るは、君を辱しむる所似なり』と云ふにあり。之に反し日本人の論法は、即ち『君は貴し、何等の物も君に於て貴きをなさず。君の唯だ予が一片の誠意を領するに非ずんば、爭でか予の足下に献ずる物を受領せんや。されば此物の價を受けずして、予の寸志を納れよ。最佳の贈品なりとも、之を以て君に贈るに佳しとするは、君を侮る所以なり』と云ふに在り。此の二思想を對照すれば、其歸着する所一にして、彼此共に酷だ笑べき[#「酷だ笑べき」に傍点]ものあるを見ず。唯だ米國人は贈遺する所の物品を重しとし、日本人は贈遺をなすの精神を重しとするの差あるのみ。
 日本人の有する禮の觀念の、凡て其擧止態度の末節に現はるゝが故に、其輕きを擧げて儀型とし、以て禮の本義を批判せんとするは曲論なり、妄斷なり。問者あり、禮と食と孰か重きやと。孟子答へて、『取食之重與禮之輕而此之、爰《なんぞ》翅《ただ》食重』と曰ひ、金の羽よりも重しとは、豈に一鉤金と一與羽との謂らんや。方寸の木を取つて岑樓の上に置く、誰か之を以て岑樓よりも高しと謂はんやと曰ふ。試みに日本人に向ひ、誠を語ると、禮を守ると孰か重きや問はゞ、彼れ必ずや全く米人に相反するの辭を以て答とせんと云ふものあり。其説の當否は姑らく之を置き、次章『至誠』を説くの項下に於て論及するものあらん。


    第七章 至 誠  信實


 禮若し誠を缺かば諧※[#「言+虚」、第4水準2-88-74]となり、狂言となる。伊達政宗曰はく、『禮に過ぐれば、※[#「言+滔のつくり」、第4水準2-88-72]となる』と。又た菅公が誡の歌に、
   心だに誠の道にかなひなば、
      祈らずとても神や守らん。
とあるは、ポロニヤスが、
   自から已に誠なるべし、
   さらば人に誠無き能はず。
との訓言に比するに義太だ深し。子思は『中庸』に於て誠を崇め、之れに超自然力を歸し、而も殆ど其力を神明と同視す。『誠者、物之終始、不誠無物。是故君子誠之爲貴』と曰ひ、且つ流麗快達の辯を以て、至誠息むこと無く、悠遠博厚、又た高明、動せずして變じ、無爲にして成すと説く。其旨の深玄にして神祕の妙域に騁するより、人の或は『誠』の一字を解けば、『言』と、完全の義ある『成』との二字より成れるを以て、之を新プラトー學説の『ロゴス』(道)に比儔せんとすることあり。
 虚言、遁辭は共に之を賤めて怯懦なりとせり。武士は社會に高位を占むるよりして、從つて誠實を標榜すること、商賣農民の輩に優りて高大なるを要すとしたり。武士の一言[#「武士の一言」に丸傍点]とは――獨逸語にてアイン、リツテルヴオルト(Ein Ritter-wort)と云ふと、其義を一にす――即ち其言語の信實を確證するものにして、武士は一諾を重んじて二言無く、武士の一言は千鈞よりも重し。されば、約するに必ずしも文書を要せず、又た敢て或は違ふことあらず。若し夫れ證文を以て約するが如きは頗る武士の威嚴を毀損するものとせり。世には武士たるものが、二言の罪を償ふに、死を以てしたる、多くの悲慘なる物語すら、之を傳ふるにあらずや。
 誠を標置すること斯の如く高く、而して基督教徒の概ね、『爾曹盟ふ勿れ』との教主の簡明なる戒を破り、毫も『スウエア』(誓言)するを憚らざるとは大に異り、眞個の武士は誓詞起證を以て名譽を毀損するものなりとして之を賤めたり。固より神明に誓ひ、刀に盟ふの事ありたりと雖、未だ彼の歐米に於けるが如く其起證の流れて妄語となり、又た神を侮るの放言となりたるの例を見ず。時としては又た實に血誓血判をなすことありしと雖、此行爲に關しては、讀者は予の説明を俟たずして、試みにゲーテの『フアウスト』に、血は異樣の液體なり[#「血は異樣の液體なり」に傍点]と云ひ、血を以て誓ふを讀まば、自から釋然として明かなるものあらん。
 近時米國一文士の説を爲すことあり。曰く普通の日本人に問ふに、虚言を吐くと、禮を失すると、孰か可なるやを以てせば彼は言下に答へて、『虚言を吐く』を可とすると云ふべしと。盖し此説の言責者たる、ビリー博士は是非相半ばせるものと云ふべし。啻に尋常一般の日本人のみならず、又た士人と雖、尚且つ此れと等しき答をなすなるべし。然りと雖、氏は虚言《うそ》なる語を譯するの重きに過ぎ、『フオールスフ−ド』なる英語を用ゐたるの點に於て大に誤謬あり。日本語にてウソ[#「ウソ」に丸傍点]とは、マコト[#「マコト」に丸傍点]ならず、ホンタウ[#「ホンタウ」に丸傍点]ならざるを指して云ふものにして、ローウエルは、ウオルヅウオルスを評して、彼は眞理と事實とを區別する能はずと云ひたるが、此點に於て、日本人は概するに詩仙ウオルヅウオルスに酷似するものなり。試みに多少の禮文ある日本人、又たは米國人に向ひ、汝は予を厭ふやと云ひ、又た汝は腹痛するかと問はゞ、彼は衷心快からざるも、直ちに『予、甚だ君を愛す』又たは『多謝す、予は快し』等の虚言をもって答とせん。然るに武士は禮の故に誠を犧牲とするを以て虚禮[#「虚禮」に丸傍点]となし、甘言人を欺く[#「甘言人を欺く」に丸傍点]ものなりとして大いに此を賤めたり。
 予は今爰に武士道の有せる誠の觀念を説明するより、延いて日本人の商業道徳に關し、多少の辯を費すも、亦た敢て失當の擧にあらざるべきを信ず。外人の著書報告中、日本人の商業道徳に關して不平を訴ふるもの尠からず。商業道徳に怠慢なることは、實に我國家の體面上最醜の汚辱なり。されど之を詬罵し、又た率爾として我が國民全般を非難するに先だち、試みに頭腦を冷靜にしてその然る所以を研究せんか、或は未來の好望を以て慰藉報酬せらるゝことなしとせず。
 人の職とする所のもの、其類一にして足らずと雖も、就中、武人と商賣との二者の如く、多大に隔絶せるは無かるべし。商賣は四民の最下級に位するものなりき。武士は土地より俸禄を收め、農耕の業は、或は自から以て娯樂とすることありたりと雖、牙籌數盤に至りては、之を厭棄して顧みることなかりき。然れども此の社會的配置は寧ろ智なりと稱すべきものあり。モンテスキユーは、徃時、貴族の商業に關與するを禁じたる其社會政策こそ、富の勢權に吸收せらるゝを防遏したる所以にして、頗る稱すべきものなれと論ぜしにあらずや。富と勢權との分離は、富の分配を略ぼ均等ならしむ。『西羅馬帝國衰亡時代の社會』の著者ヂル教授は、羅馬帝國衰亡の一原因の、明かに貴族の商業を營むを許し、從つて富と勢權とが、少數なる元老門閥の專有に歸したる事實にあるを辯ぜり。
 されば封建時代に於ける日本の商業は、社會状態の抑壓によりて、自由なる發展を遂ぐること能はず、而も商賣の業の侮蔑せられたるより、自から、世上の名聞に意無き輩を、其範圍に吸集したり。西諺にも、『人を盜と呼べ、彼れ即ち盜をなさん』と云へるが如く、假に其の職業を稱するに汚名を以てせんか、此れに居るもの亦た、其汚名に適したる態度に出づべきは自然の數にして、ヒユー、ブラツクも、『尋常なる良心は、之に對する要求に應じて、醒起し、而して容易に此れに期待する道徳標準の區域に墮落す』と曰へり。されど商業にもあれ、其他何の職業にもあれ、凡そ人の常に執る所の業を見るに、之を行ふに當り、各一種の道徳法を有せざる無きは、復た論を待たず。封建時代に於ける日本の商賣と雖、亦た其間に自から道徳の存するものありて、之れが爲に、組合、兩替取引、保險、手形、爲替等の商業の根本制度すら、其發達を成すを得たりしなり。然るに此道義は單に、同業者の間に止まり、職業を異にする物に對しては、自家の階級の受くる汚名に甘んずるの態度を有したり。
 斯のごとくなりしを以て、一朝我國の海外諸國と通商するに至りてや、冐險果敢の徒のみ、まづ開港塲に突進し、而して信用ある商家は、政府より、屡ば支店の設置を促されたるも、尚ほ姑く之を否みたり。是に於て乎、人或は問はん、武士道は、商業上に於ける不名譽の逆流を支ふるに足るの力無かりしもの乎と。乞う今少しく之を觀察せん。
 我國の歴史に通曉する者は記憶せん、開港後幾年ならずして、封建の廢滅するや、武士は家禄を失ひて、此れに代ふるに公債の下附を以てせられ、而して其公債を放資して商業を營むの自由を賦與せられたることを。或は問ふ、『然らば、武士は此際、何が故に其誇りとせる、誠實信義に依りて、此新事業に當り、以て商業の舊弊を一洗することを得ざりし乎』と。彼の志高く行潔き武士の輩が、其身を曾て經驗なき新職業に投じ、而して狡獪なる平民に抗して、錙銖の利を爭はんと欲す、爭でか其の成功を期するを得んや。されば之れが爲に多大の失敗を招くの止むを得ざるに至りしは、盖し悲慘の極と云ふべく、目ある者は之を見て哭し、心ある者は之を想ふて涙禁ずる能はざりしもの、盖し當時の状態にあらずや。然るに聞く、米國の如き實業國に於てすら、實業家中、十の八は破産せざるなしと。されば士族の能く成功したるもの百人にして一人を算ふるのも、亦た敢て驚くに足らず。要するに武士道の道義を商業に施さんと欲して、爲に蕩盡したる財産の數量は、殆ど計るべからざるものあらん。識見ある士人の、直ちに富の道は、名譽の道に非ざるを認めたるも、亦た宜なりと謂ふべし。この二者の道の由つて※[#「止+支」、第3水準1-86-36]るゝ處は果して何れにありや。レツキーが曾て誠實の誘因として擧げたる實業、政治、哲學の三者中、其一は武士道全く之を缺き、其ニは封建制度の政治社會に在りて、殆ど此れが發達を見ること能はざりき。而して誠實信義の徳の、士林の道徳範圍に於て其重きをなすに至りたる所以は、其哲學的誘因に由れるものにして、即ちレツキーの所謂、至高の形態に於て發達したるものなり。予はアングロ、サクソン人種の商業道徳に秀でたるを見て、衷心深く之を輕重せずんばあらず。されど予は其根柢を問ふとき、『正直は最良の政畧なり』、即ち正直なれば利すと云ふにありと聞いては、寧ろ呆然たらざるを得ず。果して然らば、徳とは、報其中に在りと云へる原則に由るにあらずして、他の報酬あるが爲に行ふべきものなる乎。正直なるは、虚僞よりも、多額の現金を獲る所以なりとせば、予は恐る、武士道は寧ろ虚僞に與みするものならんことを。
 武士道は與へて、報酬を取るの主義を排斥すと雖、巧利なる商賣は却て之を慶びとすべし。レツキーが、誠實は要するに商工業によりて發展するものなりとは、眞に然りと謂ふべく、又たニーチエは曰へらく、『正直は諸徳の中最も幼者なり』と。誠實は實業即ち近世經濟事情を母とせるの養兒なり。此母無くんば、誠實は貴族的の孤兒にして、唯だ教育高く、禮文秀でたる心念のみの、之を養ふて子とするを得べきものたり。斯る心念は武士の有したる所なりき。されど平民的實利的なる乳母び無かりしより、此の可憐の嬰兒は發育を遂ぐること能はざりき。商工業にして進歩せば、誠實は之を守るに容易に、而も亦た有利なる道徳たるべし。試みに思へ、ビスマークが、獨逸帝國の領事に訓示して、『就中、獨逸船積の物資が、其品質、數量兩がら、著しく信用を缺くは悲しむべし』と戒飭したるは、近く千八百八十年十一月にあらずや。然るに現時に至りては、商業上、獨逸人の不注意、不信用なる事實を耳にすること希少となれり。されば獨逸商人は、僅かに二十年の間に於て、早く既に正直は利潤の道なることを解したるものなり。而して予は我國商人も亦た此理を學びつゝあるものなりと言はんのみ。餘説は此れに關するナツプ及びランソム二氏の明快的確なる批評判斷に讓る。たゞ爰に特記すべきは、商人すら、債務を起すに當り、正直と名譽とを標して、證書に記入すべき最も確實なる保證なりとしたること是れなり。證文中に、『恩借の金子御返濟相怠り候節は、衆人稠坐の前にて御笑ひなされ候とも不苦候』とか、『御返濟相致さゞる節は、馬鹿と御嘲り被下度候』等の語を加ふるは、其常とする所なりしなり。
 予は屡ば武士道の誠は、之れが動機の存する所、勇よりも更に高尚なるものに在りしや否やを疑ふものなり。日本には僞の證を立つること勿れとの教戒無きを以て、虚言を罪《シン》として責むる事な無かりしと雖、單に之を薄志弱行に歸して擯斥し、從つて甚だ不名譽なりとしたり。夫れ正直《オネスチー》と名譽《オノア》との觀念は密切なる關係を有し、又た此の二字は啻に英語のみならず、拉甸語に於ても、獨逸語に於ても其語原を一にするものなるを以て、予は今や爰に筆を轉じて、武士道の懷抱したる『名譽』の思想を討究すべき時に至れり。
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    第八章  名 譽


 名譽の念には、人の威嚴價値に關する明白なる自覺の存するが故に、此念は彼の生れながらにして、己が門地に伴ふ義務と權限とを重んずることを知り、且又た此れが教養を受けたる武士の特質たらずんばあらず。『名譽』とは現時の通語にして、往時多くは同義を現すに、『名』、『面目』、『外聞』等の語を以てしたりき。此等の文字は各※[#二の字点、1-2-22]人をして、聖書の『ネーム』(名)、希臘語の假面[#「假面」に丸傍点]なる字より出でたる『ペルソナリチ−』(人格)、又たは『フエーム』(名聞)を想起せしむるものあり。令名は人の體面なり、我に備はれる不滅のものなり。此れ無くんば人は禽獸なり、此れを毀損するは耻辱なりとしたり。故に少年を教ふるに、先づ廉耻を養ふことを以てせり。少年の愆あるを正し、其非を悔いて、善に還らしめんとするには、『嗤はるべし』、『耻を負ふべきぞ』、『汝何んぞ之を愧ぢざる』など云ふは、其効最も著しき訓戒にして、名譽の念に訴ふるの、小兒の鋭敏なる感覺に觸るゝこと、恰も猶ほ母胎を出でざるの日よりして、業に已に此念を以て養はれたるものゝ如くなりき。洵に名譽とは人の未生以前より亨けたる感化にして、此に結ぶには、強力なる家系的自覺のあるありき。バルザツク曰はずや。『家族の團決を失ひてより、社會はモンテスキユーが所謂名譽てふ根本力を喪ひたり』と。實にや廉耻の心は、人類が徳義を覺るに至る唯一の端緒なり。想ふに始祖が彼の『禁樹の果實』を味ひたる爲に、人類に下りたる最始最醜の罸とは、子を産むの苦みにもあらず、刺にもあらず、荊にもあらずして、即ち羞惡の念の覺醒したることを云ふものなりと。史上哀事多し、されど未だ人類の母エバが、騷立つ胸、戰く指に、粗き針取りて、憂に沈める良人の摘み與ふる無花果の葉を綴るの光景の哀しきはあらず。神明に背く覿面の罪果は人間に固着して離るべからず。裁縫の技の何如に精妙を極むとも、未だ羞恥を包むに足るべき蔽膝を縫ふ能はず。新井白石の年少うして苦學するや、富人某といふものあり、其志の超凡なるを見、之に孫女を妻はし、且つ給するに勤學の資を以てせんと乞ひしに、白石之を辭し、昔、靈潭に小蛇棲めり、人あり小刀を拔き、其腮に微傷を負はしむつや、※[#「倏」の「犬」に代えて「火」、第4水準2-1-57]ち丈餘の大蛇と化して斃れ、頭上に尺餘の創痕を有したりと云ふ今富人の欲する所は、即ち小蛇を傷くることなり、されど後來、我れ家を興し、名を成さんには、其創殊に大なるものあらん。縱令微小なりとも、創を蒙らんことは我が願ふ所にあらずと。白石の既に少年の日に當り、苟も節を屈し、耻を負ふの事を甘んじ、以て畢生の大創を蒙り、敢て其天分を壞り、品性を害することを肯ぜざりしもの、實に士たるの本懷を吐露して違はざりしものと謂ふべし。
 孟子が『羞惡之心、義之端也』と教えてより後、二千年にして、カーライルは殆ど同義の辯をなして曰へり。『耻を知るは、諸徳の原、良容、善行の根なり』と。
 武士は耻を恐るゝこと甚だしきものありき。我國文學は、沙翁がノーフオルクの口に上ぼせたるが如き雄辯なる詩句を有せざれど、猶ほ耻を恐るゝの念は武士の頭上に懸れるダモクリーズの劍なりき。然り恥を恐るゝは大に可なり、されど其の過ぐるや、徃々病的なる性質を帶ぶることなきにあらず。名譽の名の下に、武士道の許さゞる非行を犯すことあり、躁急火性の慢心者が、微細の汚辱を受くるにより、或は耻ならざるを耻となすによりて、赫怒一番、即ち刀を按じ、無益の爭鬪を釀し、因つて無辜を殺すことも尠からざりき。俗語に傳ふ、善意の町人が、侍の背に蚤の飛べるを告げたれば、蚤は畜生に沸く蟲なり、尊貴の武士を畜生視するは無禮至極なりとの、簡單奇怪の理由を以て忽ち彼を一刀に切り捨て、復た顧みざりしといふは、作話にも程こそあれ、豈に笑ふべきの甚だしきにあらずや。但し此類の俗話の傳へらるゝ所以に、三つの原因あり。一は即ち此等が平民を畏怖せしめんが爲に作爲せられたるものなる事、二は即ち武士が名譽の分限を濫用したる事、三は即ち羞惡の念の侍の間に在りて、強大なる發育を成したる事是れなり。若し夫れ其弊習を見て、直ちに武士道を難ぜんとするあらば、此れ理を失するの甚しきものにして、恰も宗教狂、妄信即ち宗教裁判《インクイシジョン》、偽善の類を捉へて、基督の眞教を批判するが如し。されど宗教狂と雖、猶ほ之を醉漢の痴態に比すれば、其中自から高尚人を動かすべきもの在りて存するが如く、武士が名譽を感ずるの念の過敏なるに於て、亦た其根底に、醇乎たる徳性の伏在せるを認むべきに非らずや。
 名譽の規準の愼密なるに過ぎて、徃々不健全となるの傾なきにあらずと雖、亦た寛裕忍耐の教ありて、能く比弊を未然に拯ひしこと少からず。俚諺にも、『ならぬ堪忍するが堪忍」と云ひ、又た偉大なる徳川家康が遺訓にも、
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人の一生は重き荷を負ひて、遠き道を行くが如し、急ぐべからず……堪忍は無事長久の基……己をせめて、人を責むるな。
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と示し、而して家康は誠に能く、眷々此訓言を服膺せるの人なり。さる連歌師の作とて世に傳へたる、信長、秀吉、家康の三傑を評するの句あり。
  (信長)鳴かざれば殺してしまふ郭公。
  (秀吉)鳴かざれば鳴かせて見よう郭公。
  (家康)鳴かざれば鳴くまでまたう郭公。
 孟子は大いに人に勸むるに忍耐不屈を以てし、或は『雖袒裼裸※[#「ころもへん+呈」、第3水準1-91-75] 於我側、爾焉能※[#「さんずい+免」、102-4]我哉』といひ、或は又た小憤は君子の愧づる所にして、大憤即ち義憤なるを説きたり。
 武士道の奉ずる者の、其奧を極めて、遂に能く『爭而不校』と謂へる柔和の高致に達したるものあり。小河立所曰く、「人之誣ふるに逆はず、己が信ならざるを思へ』と。熊澤蕃山は曰へらく、『人の咎むとも咎めじ、人は怒るとも怒らじ、怒と慾とを棄てゝこそ、常に心は樂しめ』と。又た、其隆起せる額は、清廉高義を表して、所謂『耻も此に宿るを愧づる』なる、彼の老西郷の格言を擧げて之を示さん。
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道は天地自然の道にして、人は之を行ふものなり。故に天を愛するを以て目的となす。天は人も我も同一に愛す。故に我を愛する心を以て、人を愛すべし。人を相手にせず、天を相手にせよ。人を咎めず、我が誠の足らざるを尋ぬべし。
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此類の格言は、人をして基督教の訓戒を想起せしめ、實踐道徳に於けるや、自然教も亦た天啓教の壘を摩するものなることを明かにする無くんばあらず。而して此等の語は啻に巧言麗辭たるのみならず、又た能く人の躬行に體せられたるものなりき。
 武士にして能く寛裕、忍耐、仁恕の荘高なる徳に達したるもの、其人固より甚だ多き見ず。殊に武士を指教するに、照々として名譽の要質を概説したるもの無かりしは、頗る悲しむべしとなす。故に智徳高邁なる寡少の人心のみ、僅に『名譽は一定の境遇と状態とによりて生ずるにあらず』、たゞ其分を守りて忠信なるに存することを知るを得たるのみ。
 宜なるかな、青年武士の徒が、心靜かなるの時、孟子の書を繙いて、『欲貴者、人之同心心也、人人有己者、弗思耳。人之所貴者非良貴也、趙孟之所貴、趙孟能賤之』の語を學べども、其の一旦事に當りて、之に熱中するの際、忽焉として、此の明教を忘るゝの多かりしこと。
 武夫多くは屈辱に忍ぶ能はず、直ちに憤を發し、徃々死を以て之に報ずることあり。而して名譽――而も徃々虚名、世譽たるに過ぎざるものも、此輩尚ほ之を崇めて人生至大の賜なりとせり。盖し、少年の欲する所は專ら名聞に在りて、富にも非らず、智にもあらず。少壯多く志を立てゝ郷關を出づるや、名若し成らずんば、死すとも歸らじと誓ひ、大志の母多く、愛兒の、若し錦衣故郷に還るにあらずんば、再び相見ゆるを欲せず。されば耻を遠ざけ、名を獲んが爲に、士人の子弟は、心志を苦しめ、筋骨を勞して、艱難の慘烈なるをも辭せざりき。而して少年の名譽は、年と共に漸く長ずるものなるを知りたり。大阪冬の陣の時、紀伊頼宣、今年十三歳なりけるが、父家康に請ふて先鋒たらんとして許されず、竟に其殿軍に加はりたり。然るに落城の時に際し、敵と刄を交ふるの機無かりしを悔い、頻に落涙及びけるを、老臣あり、慰藉して、『今日御手に御あひなされず候とも、御急ぎなさるまじく候。御一代には、かやうの事幾度も御坐あるべく候』と諫めたれば、頼宣之を聞き、其老臣を一睨して、『我ら十三歳の時の、又た有るべき乎』と叱したりと傳ふ。
 武士は名を重んじて、命を輕んず。故に一旦大事あるに臨んでは、、從容として死に就く、歸するが如きものあり。而して武士の生命を見ること、鴻毛の如く、之を犧牲として、毫も辭せざりしは、殊に忠義の一途に於て之を見る。盖し、忠節の義務は、即ち封建道徳の柱梁なり、其の整然たる穹門《アーチ》を成すの要石《キーストン》なりき。
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    第九章  忠 節


 標して封建道徳と云ふとも、其徳とする所のもの、亦た多くは之を、他の倫理系統、又たは武士に非らざる階級人民と共にす。然れども斯徳、即ち君上に奉ずる服從忠厚の徳に至りては、特り封建道徳の異彩を成すものなり。固より凡百の人、徳に依るに、皆忠を重しとす。掏摸の群と雖、尚ほ且つ其フアギン(掏摸の頭領)に忠なることあり。されど忠節は、唯だ武士的名譽の律法に在りて、初めて其の最も重きをなせるものなり。
 ヘーゲルが評に封建臣下の忠義は、一個の人に對する責任にして、其の國家に對するものにあらざるが故に、全然不當の理義を基とせる覊絆なりと云へり。然れども彼と其國を同じうせる一俊傑は、一個の君主に對する忠節を以て獨逸國民の美徳なりと誇れるに非らずや。ビスマークが、トロイエ(忠厚)を誇る所以のもの眞に其理あり。乃ち斯徳が獨逸祖國は勿論、又た他の一國一民族の專有物なるが故に非らずして、シヴアリーの此美果は、封建制度の最も長く繼續したる國民の間に存留するが故なりとす。米國の如くに『各人平等』の主義を奉じ、而も一愛蘭人の之に附加して、『人皆各※[#二の字点、1-2-22]他に優る』とする國態より觀れば、日本人の君上に對する忠節の高念の如きも、所謂『或る範圍内にては佳成るものなり』と雖、其の吾人の間に奬勵せらるゝが如きに至りては不條理に失すとせん。徃年、モンテスキユーはビリニース山脈の一側に於て是なるものも、其他側に於ては非なりと歎ぜり。近時、ドレフユーの審判は、其言の眞なるを證し、亦た啻にビリニース山脈のみ、佛國正義の可否を分界するに非らざるを示せり。此れと等しく、日本人の懷抱する如き忠節は、國を異にして、之を頌するものゝ、幾ど稀なるを見ん。然れども此れ、吾人の概念の非なるが故に非ずして、又た日本人の忠節の念に深厚なるは他國の未だ容易に企及する能はざるものあるが爲なるなからん乎を。グリフイス氏が、支那に在りては、孔教は孝を以て百行の基と爲し、日本に在りては、忠を以て本と爲すと説けるは眞に然り。予は今爰に讀者の或は、吃驚酸鼻すべきを顧みず、沙翁の所謂『落魄の主君に仕へて艱苦を具にし』、以て、『稗史に名を得たる』忠臣の物語を叙せん。
  其物語は我國史を飾れる清廉高義の人格菅原道眞を寓せるものなり。道眞は嫉妬讒誣の餌となり、都を逐はれて流人の身となりけるが、情を知らぬ敵は、斯くても尚ほ※[#「厭/食」、第4水準2-92-73]かず、其一族をも擧げて亡はんと、一子菅秀才の幼かりけるを酷しく詮議して、道眞の舊臣武部源藏が芹生の里の寺子屋に匿ひ置くを探り出し、首打つて渡せとの嚴命に、源藏も今は是非に及ばず、承引なしたる心は、夥多ある寺子の中、孰れなりとも御身代りと思ふて歸る家の内、あれか、これかと見渡せど、玉簾の中の誕生と、薦垂の中に育つたとは、似ても似つかず。主運の末の悲しさを歎き悶ゆる折も折とて、器量賤しからぬ母親に連れられて、寺入頼む小兒あり。見るに※[#「藹」の「言」に代えて「月」」、第3水準1-91-26]たき幼兒の、養君の御年恰好なり。幼君と幼臣、其面差の紛ふばかりなるは、母固より之を知り、子も亦た知れり。我家の奧に、人は知らず、幼兒の生命と、母が眞心との二つは、既に祭壇に捧げられしなり。源藏は斯くとも思ひ寄らず、唯だ此子を以て其君を救わんとす。
 爰に犧牲《スケープ、ゴート》を獲たり。檢視の役人は來れり。贋首に欺かるべき乎。源藏は忍びの鍔元くつろげ、虚と云はゞ切付けんと堅唾を呑む。眼力光らす松王丸、淺ましの首引寄せ、ためつ、すがめつ、こりや是れ菅秀才の首に紛ひ無しといふ。―母や其子が最期の状を知れりや。道までは歸つて見たれど、子を殺さしにおこして置いて、などで我家の歸らるべき。舅は年久しくも丞相の高恩を蒙り、夫は餘義無くも恩主の敵に隨身す。主は殘忍なりとても、臣として背くべきにあらず。流人の家に好みあるを幸ひ、菅秀才の首實検せよとの今日の役目。今ぞ我子能く祖父の主君に仕へて其殊恩に報ずべしと、申合せての此の悲しさ。我子の死顏なりと、今一度見たさに又た歸り來る寺子屋。松王は今日の役目―膓を斷つべき一期の役目―仕遂せて又た立戻る源藏が門より、聲高く『女房よろこべ、忰は御役に立つたぞよ』。
 『嗚呼、何等の慘事ぞ、他の生命を救はんが爲に、親の自から其子を犧牲とする事や』と、人あり或は此言をなすものあらん。されど此小兒は自から甘んじて死に就くの犧牲なりき。此れ人に代つて死するの物語なり。アブラハムの其子イサクを祭壇に捧げたると何の異なる所かあらん、其義は相似たり、其美は相若く。共に義務の招く所に應じ、高きより來る聲の命ずるがまゝに行へるものなり。唯だ其聲の、此には目に見ゆる天使より下り、彼には心の目に見えざる天使より來り、此れは肉の耳に聞き、彼れは心の耳に徹したるの差あるのみ。――吁、然りと雖、予は説教者の口吻に倣ふことを止めん。
 西洋人の個人主義は、父子、夫婦の間にも、利害の分離を承認するものなるが故に、大に人の他に對する義務の良を輕※[#「減」の「さんずい」に代えて「にすい」、u51CF]す。然るに武士道は家門と族人との利害を以て、一にして分つべからざるものとなし、此利害は愛情と結びて、自然なり、本能性なり、又た避くべからざるものなりとす。されば人若し我が自然の愛(禽獸すら猶ほ是れあり)を以て愛するものゝ爲に死すとも、何かあらん。經に曰はずや、『爾曹己を愛する者を愛するは、何の報酬かあらん、税吏も然かせざらんや』と。
 平家物語の作者は小松内府の父清盛の暴虐を憂ふるの條に至り、惻然として、『悲しかな、君の御爲に、奉公の忠を致さんとすれば、迷盧八萬の巓よりも猶ほ高き、父の恩忽ちに忘れんとす。いたましきかな、不孝の罪を遁れんとすれば、君の御爲には既に不忠の逆臣ともなりぬべし、進退是谷れり』と歎ぜり。哀れむべし重盛、彼れ後、靈性の誠を披いて、死を天に祈り、純潔正義の宿するに難き此塵生を出離せんこと願ふを見るに非らずや。
 義理と人情との衝突によりて、心破れたるもの古來其人多し、豈に特り重盛のみならんや。沙翁も將た舊約全書も、孝を説いて未だ明かなるものあるを見ず。然るに一旦此の衝突の起るや、武士道は孝を捨てゝ寧ろ忠を取るに遲疑せず、加之ならず女子も亦た敢て其子を勵まして君主の爲に死せしむ、チヤールス一世の清教徒と戰ひて敗るゝや、名臣ウインダムに之に死し、其三子又た斃る。人あり其寡婦の爲に愀然之に哭せしに、容を正し答へて云ひけるは、吾が一門の王に奉ずるに於て、三兒豈に惜しむに足らむや、若し尚ほ他兒あらんには、之をも擧げて、我王に献ぜんものをと云ひしとぞ。而して我國武士の母たるもの、多くは寡婦ウインダムの概あり、忠節を盡さんが爲には、其愛兒を殺して、君主に奉ずるに、毫も躊躇すること無かりき。
 武士道はアリストートル若くは近世二三の社會論者と等しく、國家は人に先んじて存在し、人は國家の中に生れたるものなりとの概念を有するが故に、人は國家の爲、若くは其機能を正當に掌握代表する者の爲に生死せざるべからずとせり。『クリトー』の讀者は記せん、獄裡のソクラテスが其遁走の問題を捉へて、雅典《アゼンス》の律法と議論を上下するに擬したるの語あることを。ソクラテスは、律法(又は國家)をして語らしめて曰く、『汝は我が下に生れ、育はれ、教へられたるものなるに、汝焉ぞ、汝も亦た汝の祖先も、我が所生たり、我が臣僕たるに非らずと云ふを敢てせんや』と。吾人は此語を聞いて曾て異常の感を爲さず。盖し斯の如きは古へより武士道の唇頭に上りたるの語にして、唯だ彼に在りて律法と云ひ、國家と云へるもの、我に在りては、形を異にして人格を云ふの差ありしのみ。忠節とは、此政治理論の産みたる倫理なり。
 予も亦たスペンサー氏が政治上の服從即ち忠節は、過渡的作用を賦與せられたるものなりとの説を耳にせざるに非らず。夫れ或は然らむ。されど一日の徳は一日にて足れり。吾人は此語を反覆して、自から歡びとせん。況んや、其の一日[#「一日」に丸傍点]とは、我國歌の所謂『さゞれ石の巖となりて、苔のむすまで』の長き歳月を云ふものなるを信ずるをや。是に於て吾人は、彼の平民的なること英國人の如くにして、尚ほ且つ、近時ブトミー氏の云へるが如く、『祖先たる獨逸種族が、其酋長と其子孫とに對して盡せる忠厚の念は、多少の漸變を經て今日に至り、英國人の其君主の血統裔種に對し、深厚なる忠節となれることは、彼民の王室に表する多大の愛敬の能く之を證するものあり』と云へるを記憶せん。
 スペンサー氏は預言して、政治上の從屬は、變移して良心の教示に忠なるに至るべしと。此の推理の實現せらるゝことありとせん乎、然らば果して、忠節の念は之に伴ふ尊を尊ぶの本能と共に、永遠に消滅すべき乎。吾人は此主に對する忠義を、彼君に移して、雙者に對して不信なること無く、此世の權威を掌る治者の臣たると共に、又た我良心の至聖殿に在ます天帝の僕たるを得るなり。數年前なりき。スペンサーを誤解せる學徒の好趣なる反動を誘起して、我國思想界を惑亂したることあり。至尊は無二の忠誠を以て仕へらるべきものなることを唱導するに熱心なるの餘、此輩は基督教徒を責むるに、其神其主に奉信を盟ふが故に不忠不臣に偏傾すとしたり。彼等は詭辯學者《ソフイスツ》の巧智を缺ける辯論を衒ひ、煩瑣學徒《スクールメン》の精緻を失へる煩瑣の理法を弄して、而して、人は一理より推せば、『シイザルのものはシイザルに歸し、神のものは神に歸し』、而して、『此れを親み彼れを疎ずること無くして、二人の主に兼ね仕ふることを得る』ものなるを曉らず。ソクラテスは何如。其の誠心《デーモン》に奉ずる忠節の一片だに、之を捨つることを拒否して懼れざりしと共に、又た忠實冷靜にして、此世の主たる國家の威命に甘從テしたるに非ずや。ソクラテスや、生きては其良心に從ひ、死しては其國に仕へたり。吁嗟、國家の威權徒らに肆大にして、其民に強ふるに、各自らが良心の指命をも尚ほ擧げて之に捧ぐべしと命令せん其日こそ悲しけれ。
 武士道は、人の良心を以て君主の奴隸たらしむることを誨へず。トマス、モーブレーは、誠に能く吾人の衷情を語るものなり。
  畏しや我大君、
  君のみもとに此身を捧ぐ。
  臣が生命は仰せのまゝなり。
  唯だ我が廉耻は然らず。
  生命を奉ずるは臣の道なり。
  さあれ、香しき名は、
  死すとも我が墓に生くれば、
  君が暗く汚れし業の爲とて、
  などか御心に任すべき。
 我が良心をも犧牲として、尚ほ君主の恣意、妄心、邪僻を助くる者は、武士道の曾て齒せざる所にして、此輩を卑しめて、※[#「言+滔のつくり」、第4水準2-88-72] 諛の侫臣となし、又た賤劣なる面從を事として君寵を私するの嬖臣となす。この二種の臣は、正にイアゴーが云へる如くに、一は我が身を繋ぐ頸の綱を押し戴き、主が厩の驢馬同然、むざ/\一生を仇に過ごす、正直な、はひつくばひの愚者なり。他は又た、陽に忠義らしき、身振業體を作りたて、心の底では、我身の爲ばかりを圖る者なり。臣下忠節の道はリア王に仕へしケントの如く、能く君に献替して納れられずとも、百方諫諍し、抂を矯め非を正して、上の謬を救ふにありき。而して尚ほ用ひられざるに於ては君主をして唯だ其欲する所に任かすあらむのみ。されど武士たるもの其際、自から刄に伏し、血を濺いで、死諫の赤誠を表し、以て君主の良智良能に訴ふるは、盖し其常とする所なりき。
 生命は即ち以て君に盡すの器にして、人生の理想は名譽廉耻に在りき。故に武士の教育は乃ち之を以てその準據としたり。
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         第十章 武士の教育


 武士の教育に於て、最も重んずべきは、品性を確立するに在りて、細慮、知識、口辯の如き伎巧の才能は※[#「しんにょう+向」、第3水準1-92-55]に其後へに雁行せり。抑も美的藝能は、亦た武士教育上、樞要の地歩を占めて、文教ある士人に缺くべからざるものなりしと雖、詮ずるに、其教育の要素に非らず、寧ろ却つて之れが附屬物たるに過ぎざりき。學に秀づるは、固より其重んずる所なりしと雖、所謂『智』とは、特に『智慧』を謂ふものにして、知識は但に其副位を占むるものとするに過ぎず。智仁勇の三徳は武士道を支持する鼎足なり。武士は要するに活動の人なり。學問は其活動の範圍外に在りて、唯だ其の武職に干與するの際に於て、之を利用するのみ。宗教と神學とは之を僧侶に委し、武士は唯だ勇氣を養ふに補益する所あるに由つて、之れを採れり。英國詩人の云へるが如く、武士は『人を救ふは信條に非らずして、信條を全うするは、唯だ人に在り』と信ぜり。哲理と文學との二は、武士の智育の眼目を成せりと雖、此等を修むるに於ても、亦た武士の志す所は、客觀の眞理に非ず――文學は要するに消閑の娯樂として之を修め、哲理は軍旅若くは政治の問題を解明するが爲に之を講ずる乎、然らざれば品性を作るの實用に資するものなりき。
 斯るが故に、武士教育の課程は主として、撃劍、射術、柔術、騎術、槍術、兵法、書道、倫理、文學及び歴史の類なりしことは、又た異しむを須ひず。此中、柔術及び書道を必須とする要旨は、多少之れが説明を加へざれば、或は領し難きものあるべし。能書良筆を尊びたる所以のものは、盖し、漢字の形象に成れるが故に、障`の性質を帶びて、美術的價値を有すると、又た筆蹟は人の性格を表示するものなりと認むるに由る。柔術は即ちやはらかき[#「やはらかき」に傍点]術にして、之れが簡短なる定義を下さば、即ち攻守の業に、人體解剖の知識を適用したるものなりと云ふを得ん。角力とは自から其類を異にして筋力に頼るものに非らず。又た他の格鬪の法と異なりて、毫も武器を用ひず。其法とする所は、敵の身體の某所を掴み、或は之を打ちて、麻痺せしめ、再び抵抗する能はざらしむるに在り。其目的は、殺戮に非らず、唯だ一時、敵の力を奪つて、活動する能はざらしむるに在りとす。
 軍事の教育上、必ずや勿かるべからざるが如くにして、而も武士教育中著しく之れを缺きたるものは、即ち算數なり。盖し其然る所以は、封建時代の戰爭たる、學術的に綿密なるを以てせざりしが故なり。加之ならず、凡て武人の教育は、數の觀念を養ふに適せざりき。
 武士道は不經濟的なり、貧しきを以て其誇とし、ヴエンチヂアスと共に、『武士の徳たる大望は、利の爲に辱を蒙らんよりは、寧ろ損を擇ばんことを※[#「北/異」、126-10]ふもの也』と云へり。ドン、キホーテは、金銀封土を輕んじ、錆びたる槍、瘠せたる馬を誇りとしたり。而して日本武士は、この畸異なりラマンチヤの住人に滿腔の同感を表せん。武士は阿賭物を斥け、産を興し、富を貯ふるの業を賤みたり。金錢は武士より之を見る眞に糞土も啻ならず。世道人心の頽廢を歎ずるもの、動もすれば、輙ち今猶ほ陳腐の古語を假りて、文臣錢を愛し、武臣命を惜むと云ふ。生命財産に卑吝なるを侮蔑し、或は却つて寧ろ之を蕩盡するを頌揚するあり。古諺にも、『就中金銀の慾を思ふべからず。富めるは智に害あり』と云へり。かるが故に兒童は長じて、全く經濟の道を曉らず、又た之を士人の口に上ぼすを愧ぢ、貨幣の價を知らざるは、教養の特に宜しきを得たるものなるを證すとしたり。軍勢を集め、恩賞俸禄を分つには、必ずや數の知識の缺くべからざるに拘はらず、金錢の出納は、之を小身の輩に委ね、一藩の財政を擧げて下級武士、又たは御坊主の掌中に歸したりし事も亦た尠からざりき。深慮遠謀の士は、金錢の實に『戰の筋力《シニユーズ、オヴ、ウオーア》なるを熟知したりと雖、敢て金錢を重んずるの念を崇めて、一の道徳と成すに想ひ到らず。節險は武士の命ぜらるゝ所なりしと雖、これ又た經濟上の理由に基くものに非らずして、却つて嗜慾を克制せんが爲なりき。奢侈は人に於て最も懼るべき所、武士は極めて質素ならざるべからずとし、而して幕府以下諸藩に於て屡ば奢侈の禁令を勵行したることあり。
 羅馬の古史を讀むに當り、税吏其他の財政に干與する吏輩の漸次武士の階級に進みて、其國家は、此輩を職任を重視し、金錢を尊ぶに至りしを記すを見る。而して此事たる羅馬人の奢侈貪婪の嗜癖と關聯する如何に多大なりしかは之を推するに難からず。然るに武士道の教訓は之に反し、理財の道を以て紀律上卑錢なるもの、即ち、道徳上、知識上の任務に比するに頗る劣等なるものとせり。
 金錢を輕んじ、殖財の念を賤めたること、既に斯如くのなりしを以て、武士道は長く黄白より胚胎せる凡百の禍より免るゝことを得たり。これ實に我國の公吏の久しく腐敗の汚辱に遠かるを得たる所以なり。されど悲しいかな、世運の變轉と共に、今や金權の増大すること、彼れが如く一に何ぞ其速かなるの甚だしきや。
 今の時に於て、明確緻密なる智才の修練は、主として數學の研究に由りて補益を俟つと雖、徃時に在りては文學の釋註、經書の辯疏に由りて之を供給せられたり。抽象的問題の少年の心念を困惑するもの尠く、從つて其教育の最大目的は所謂、品性を確立するに在りき。されば唯だ博學なるの故を以て、必らずしも他の尊崇を受くること能はず。ベーコンは學問の三効を擧げて娯樂[#「娯樂」に傍点]、裝飾[#「裝飾」に傍点]、實力[#「實力」に傍点]なりと云へり。而して武士道は斷乎として其實力の効を採り、即ち『事務を判定處理』するの用に資したり。公務を處瓣すると克己心を鍛冶するとの如何を問はず、武士が以て教育の目的としたる所のものは乃ち實行なり。孔子曰く、『學而不思則罔、思而不學則殆』と。
 師の人を教ふるに當りてや、品性を發達せしむるを重しとして、知識を云はず、又た靈性を琢磨するを務として、其智性を擇ばず。故に師の任たるや實に神聖なりき。古語に曰へり、『我を生むは父母なり、我を教ふるものは師なり』と。此の思想を以てするが故に人の師に仕ふること甚だ篤く、而して弟子の尊敬と信頼とを受くるの師は、必ずや學識に兼ねるに、高尚なる人格の仰ぐべきものなかるべらからず。即ち師は父亡き者の父、愆ある人の忠言者なりき。實語教に曰へり、『父母如天地、師君如日月』と。
 今や何等の勤勞に酬うるにも、一に金錢を以てするが如き風は、武士道を遵奉する者の間に曾て行はれしこと無かりき。武士道は金を獲ず、又た價を受けずして、始めて他に盡すことを得るの務あるを信じたり。乃ち僧侶にもせよ、教師にもせよ、其精神上の勤勞は、價無きに非らず、却つて價の量るべからざるが故に、金錢を以て之に報ずるを得べきものに非らずとしたり。是に由りて之を見れば、算數的ならざる武士道の名譽の本能は、近世の經濟學に超越して、眞理の教訓を與へたるものなりと謂ひつべし。盖し賃錢俸給の如きは、勤勞任務の結果の、明かに見るを得べく、量るを得べきものにのみ對して、之を拂ふて大差なかるべしと雖、教育に奉ずる最美の勤勞、即ち人の靈性の啓發(牧師の勤勞も亦た然り)に裨補する任務の如きに至りては、其量の固より瞭かならざるを以て、特り之を認むる能はざるのみならず、又た之を數ふるを得ず。夫れ既に量るべからざるものあり。されば陽に價を計るの媒介たる貨幣の如きは、此れに酬うるも尚ほ以て償ふに足らずとせり。昔時は子弟たるもの、一年某々の季節を定めて、師に贈るに金品を以てするの習慣ありしが、斯は敢て報酬として贈るにあらず、されば多くは、性行嚴正にして、清貧の裡に高く標置し、其尊大なるは手に頼りて勞作するを肯ぜず、人に乞ふを潔しとせざる師も尚ほ懽びて之を受理したり。師は既に貧苦に屈せざる高邁なる精神の化身なり、學問の目的の儀表なり。故に師は又た凡そ武士道に缺くべからざる鍛錬の鍛錬たる克己心の活例なりき。
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    第十一章 克 己


 勇の鍛錬は、事に耐へて呟かざるの精神を與へ、禮の教訓は、我が悲哀苦痛を露はして、他人の快樂安靜を害ふこと勿からしむるにあり。この二は相合して、人の心に生ずるにストイツク流の克己性を以てして、遂には假現《アパレント》のストイツク主義を表せる一種の國民的性格を形成するに至りたり。予の之を假現のストイツク主義と謂ふものは、眞のストイツク主義の、决して一國民全般の特性を成し得べきものに非らざるを信ずるが故にして、又た我國民の態度習慣の、外人の目に映じて或は無情冷酷なるの觀を呈すべきが故なり。されど吾人とても亦た、實にこの蒼穹の下に住める、凡ての人類と共に、哀樂の優しき情緒に感ずるの民なり。
 一理より推すに、盖し我が日本人は、自然の發情を敢て制遏せんとして、却て苦痛を増加するものなるが故に、他國の人に倍※[#「くさかんむり/徙」、第4水準2-86-65]して纒綿多感ならずんばあらず。試みに思へ、小童少女が、流涕呻吟して以て、其感情を緩やかにすること勿からんやう養成せらるゝを。而して斯の如きは其神經を遲鈍ならしむべきか、將た更に之をして鋭敏ならしむべきか、此れ正に生理學上の一問題なり。
 苟も士たるものにして、情感の其面に動くは、丈夫の事に非らずとし、『喜怒色に現さず』とは、強固の性格を評するの語なりき。自然の愛情を抑制し、父たるもの、其子を抱くは、威嚴に害ありとし、夫たるもの其妻をキツスせず――縱令私室に在りては、爾かせんとも、他人の面前に於ては之をなさず。一青年が戲れに、『米國人は、他の面前にて妻をキツスし、私室に在りては、之を鞭つ。日本人は之に異り、他人の前に在りては、妻を打つとも、私室に在りては此れをキツスす』と云へる、亦た故無きに非らず。
 擧止沈着、精神重厚なるに於ては、容易に感情の爲に亂すところとならず。曾て記す、日清戰役の當時、其聯隊の兵士の一市を出發するに際し、多數の人民は隊長以下の軍隊に訣別せんが爲、停車塲に群集せり。市米國人あり、擧國奮起の此秋なるを以て、歡呼の聲必ずや天地を動かすものあらんことを豫想して、其所に到り見れば、群集中には、兵士の父あり、母あり、情人あり。然るに其米國人の、却つて奇異の感をなして一驚自から禁ずる能はざりしものは、汽笛一嘯と共に、列車の進行を始むるや、數千の人民は、帽を脱して、恭しく訣別の禮を告げ、而して手巾を振るものも無く、一語を叫ぶものも無く、唯だ耳を欹つれば、僅かに欷歔嗚咽の洩るゝを聞くのみなりしと云ふ。之を家庭に見るに、兒子の病に臥するや、親心の闇に迷ふを曉られじと、終夜病室の屏後に濳みて、病兒の呼吸を數へたるもあり。臨終の期にも愛子の勉學を妨げんことを憂へ、敢て之れが歸省を肯ぜざりし母もあり。我國の歴史と、人々日常の生涯とは、彼のブルターク英雄傳中の凛烈悲壯最も人を動かすべきページにも儔ふべき、英邁剛毅の母の實例に充てり。若し夫れイアン、マクラレンの筆を倩ひ來らん乎、我國農民の間に於けるも、亦た幾多の賢母マルゲツト、ホーの在るを覽るに難からざるべし。
 我國基督教會に於て、所謂信仰復興《リヴアイヴアル》なるものを見ること稀少なる所以は、一に此自制の修養あるを以てなり。男子にもあれ、女子にもあれ、其靈魂に感激する所あれば、其本能は先づ、之を抑へて、些かなりとも、外に現はさゞらんことを努む。心念の洵に至誠熱烈なる雄辯に溢るゝ時に於ても、能く之を内に制する能はずして、舌を弛め、唇を開いて、之を言語に洩すが如きは幾んど稀なり。漫に精神上の實驗を聲に發せんとことを歡むるは、即ちモーゼの第三戒(汝等神の名をみだりに唱ふべからず)を破ることを愆慂する所以なり。日本士人の耳は、烏合の聽衆に向つて、最も靈奧なる言語、最も秘密なる情念の實驗を吐露するを聞くことを厭ふ。『汝の靈魂の土壌よりして、温爽なる思想の微動するを感ぜんか、これ即ち種子の發芽する時なり。語りて之を妨ぐること勿れ、靜かに、秘かに之をして其成育を得しめよ』とは、實に一青年士人の其日記に記したる所なり。
 巧言麗辭を弄して、己が衷心に存するもの、殊に宗教的なる思想感情を縷叙すること、吾人は寧ろ之を認めて、其思想感情の幽深ならず、又た誠實ならざるを確證するものなりとす。『口開いて膓見ゆる柘榴かな』。此輩は正に呆然口を開いて心情の量を暴露する柘榴なり。
 吾人が感情の發動するに當り、却つて之を隱蔽せんが爲に敢て緘默せんと勉むるは、是れ决して東洋の人心の執拗冷淡なるが故のみに非らず。佛國タレランの云へるが如く、日本人に在りても亦た往々、談話は『思想を隱くすの技』たることあるを以てなり。
 外人試みに、日本の友人を訪ふて、其深甚なる悲嘆に沈めるを慰めんか、必ずや、其友の、赤き眼、濕へる頬にも、猶ほ莞爾として微笑を湛へ、以て彼れを迎ふるあらん。彼れは其友を以て一見或は狂ならざるやを疑ふべし。敢て友人が悲歎に沈むの理由を問はんか、友人は『人生悲哀多し』、『會者常離』、『死兒の齡を算するは癡なり、されど女は愚に流るゝものぞ』等、常套の數語を用ひて答ふるに過ぎざるべし。されば彼の高貴なるホーヘンツオーレルン陛下の未だ、『怨言せずして、寧ろ耐ふることを學べ』との尊貴なる綸言を垂れさせられざるに於て、日本人心は夙に此の諭誥を服膺したるものなり。
 然り、日本人は、其人性の弱點の、酷烈なる試練を蒙るに當りてや、必ず、其笑癖を現はし來る。吾人は彼の笑の哲人デモクリタスにも優りて、笑癖を有するの理由を持す。憂苦悲愁の爲に性情を惱亂せらるゝの時、往々にして笑ふことあるは、其性情を平靜に復せしめんと勉むるを隱くすものたり。笑は悲哀憤怒を抑へて、心の平衡を得しむるものなり。
 夫れ斯の如く、人の必ずや、その情感を抑制せんと勉むるが故に、又た其情感は簡潔なる詩句歌什の安全瓣を通じて漏るゝことあり。紀貫之の曰く、『かやうの事、歌このむとてあるにしもあらざるべし、唐土もこゝも、思ふことに堪へぬ時のわざとぞ』と。母あり、其子の亡きを悲しみ、常時の如く、蜻蛉釣りに出てたるものと想ひなぞらへ吾と我が遣る瀬なき懊惱悲苦を慰めんとして、吟ずらく、
   蜻蛉つり今日はどこまで行つたやら。  (千代)
 予は更に他の例を擧ぐるを止めん。血を吐く胸より滴々絞り出だされて、いとも貴き瓊※[#「王へん+居」、第3水準1-88-3]珠玉の絲に繋がれたる我が國の哀歌悲詞を移して、之を外つ國の語に飜し出さんとすれば、反つて是れ、我が邦文學の至寳を蔑辱輕侮するの過に陷るべきを以てなり。只だ予は些か爰に、吾人の或は無情冷酷と見え、※[#「口+喜」、第3水準1-15-18]笑と、憂鬱とのヒステリー性に交雜して、一見或は狂ならずやと怪しまるゝばかりなるに於て、吾人の心奧は眞に如何の状を成せるかを説明し得んことを期するのみ。
 人又た説をなして、日本人は神經遲鈍なるが故に、能く苦痛に耐へ、死を恐れざるものなりと云ふことあり。果して然りとすとも、猶ほ是れ大いに稱すべし。而して繼いで起るべき問題あり、即ち日本人の神經は何故に、其緊縮の度の他國人よりも更に緩舒なるかと。盖し我國の風土の米國に於けるが如くに人を興奮せしめ得ざるが故なる乎。或は、我國の君主政體は、共和政治の佛國人に於て見るが如くに、國人を激勵すること多からざるが故なる乎。將た又た吾人は、英國人の如くに、鋭意『サルトル、レザルタス』を讀むこと無き故なる乎。予は自から信ず、吾人は事に激すること速かに、感情鋭敏なるが故に、即ち絶えず之を自制するを必要として、之を勵行するに至りたるものなりと。されど此點に關し、何等の説明を試むるものあらんにも、若し日本民族の古來繼承せる克己自制の修練を考察するにあらずんば、其れ必ずや正鵠を失するものあらん。
 克己の修養は、動もすれば其弊に墜ち易くして、靈魂裡に於ける温然たる暗流を遮ぎることあり、柔順なる天性を撓めて、邪癖偏傾ならしむることあり。克己は執拗を生み、僞善を培ひ、愛情を鈍らすことあり。夫れ何等の高尚なる道徳なりとも、必ずや之に對して假僞の生ずることあり。されば吾人は何等の徳に於ても其の眞美を認め、これが眞の理想を追求せざるべからず。而して自制克己の理想とする所は、即ち所謂、心念の平衡を持するに在り。希臘語を借りて之を云へば、即ちデモクリタスが至善を稱したる『ユウシミア』の状態を得るに在り。
 克己の極致は切腹の之を明かにするあり。されば予は是より切腹と敵討との二制度に就いて觀察する所あらんとす。
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    第十二章  切腹及び敵討


 切腹及び敵討の二制度については、幾多海外文士の之を説いて、やゝ詳かなるものあり。
 切腹又た割腹即ち世俗にはらきり[#「はらきり」に丸傍点]と云ふは、其字の示すが如く、腹部を切りて自殺することなり。初めて此語を聞く者の或は叫びて云はん、『腹を切るは、何ぞ其の不合理なる』と。然り、外人の耳朶には、必ず先づ奇怪不合理の感を與ふべしと雖、凡そ沙翁を讀みたるものならんには、之に由りて甚だしく奇異の感を起さざるべし。彼はブルタスの口に上ぼせて、『汝シーザーの魂魄現はれ、我が劍を逆にして、正しく我腹を刺さしむ』と云へるに非らずや。又た近時び英國詩宗が、『亞細亞の光』に於て、劍を以て女皇の腹を貫くを詠ずるを讀め、而して人の彼れを罵つて猥褻なる英語を用ひるものとなし、又た禮を失するものとなすこと無し。更に他の一例を擧ぐれば、ゼノアのプラツゾ、ロツサの美術館に入つて、ゲルチノが筆に成れるカトー自殺の障`を見よ。又たアヂソンがカトーをして歌はしめたる、絶命の詩を讀みたるものゝ、劍は深く其腹を刺すの姿態を冷罵すること無けん。日本人の割腹を見ること、此れに伴ふに頗る高尚なる行爲と、凄愴なる悲哀の事例とを有するを以て、毫も嫌惡の感を生ずること無し、されば焉んぞ之に酬ゆるに嘲笑を以てすべけんや。夫れ徳性、偉大、優情の事物を變化する力は洵に驚くべきものあり、葢し此れに由れば、最醜の死状も極めて荘高となり、新生命の象徴となる。若し此力無かりせば、コンスタンチン大帝の目に映じたる十字架の徽號の、安んぞ得て世界を征服するあらんや。
 切腹は、之に伴ふ聯想のあるに由りてのみ、吾人の心に一點の不合理、醜陋の感を與へざるものに非らず。抑も殊に身體の此局部を選んで、之を切るは、即ち此れを以て靈魂及び愛情の宿る所となせる、古への解剖學的信仰に基くものなり。モーゼが『ヨセフの腹《パエルス》は、兄弟の爲にいたむ』と記し、ダビデが其腹(仁慈)を忘るゝ勿からんことをエホバに祈りたる、又たイザヤ・エレミヤ其他舊約時代の靈學者が、『腹の響(切なるいつくしみ)と云ひ、『我腹のなやみ』と云へるは、皆靈魂の腹に宿るとしたる日本人の信仰を是認するものなり。『腹』なる語は、希臘語の『フレン』(phren)若くは『ツーモス』(thumos)よりも意義更に深長にして、而して日本人も希臘人も共に、人の精神は、身體の此部分に存するものなりと思料したりしなり。此の概念を有せることは、啻に古人のみにあらず。佛國人は、自國の大哲學者デカルトが、靈魂は惱髓の松子腺に在りと唱へたるに拘らず、尚ほ依然として、解剖學上よりせば極めて漠然たれど、生理學上よりせば、意義判然たるヴアントレ(ventre)即ち腹部[#「腹部」に丸傍点]の文字を取りて、主として勇氣の義に於て使用す。又た此と等しく佛國語にては、アントライル(entrailles 腹部――愛情)を、愛情[#「愛情」に丸傍点]、憐愍[#「憐愍」に丸傍点]の義に用ふ。而して此の信仰は、單に迷信に基くものにあらず、却つて心臟を以て感情の中樞なりとする普通の思想に較ぶるに、更に學理に合するものあり。日本人はロメオの如くに、未だ僧侶に問ふことを須ひずして、『我が臭骸の何の穢《けが》しき處にか、我名は宿れる』を熟知せり。近世の神經學者は腹部惱膸等の説をなして、此等の局部に於ける、交感神經中枢は各種の心理作用によりて多大なる感動を受くと唱ふ。此の精神生理説を是認せば、即ち切腹の論理は容易に作成せらるべし。曰く『予は我靈魂の宮殿を開いて、其の果して何の状を呈するかを公示せん。汚涜なるか、皓潔なるか、汝親しく之を觀よ』と。
 請ふ、讀者の予を以て、宗教上若くは道徳上より、自殺を贊すとなす勿からんことを。されど名譽を重んずるの念の甚大なるは、多數の武士に假すに、自から其生命を絶つに、良好なる口實を以てしたるものなり。吁嗟、かの詩人ガースが、
  譽を喪はゞ、死こそ頼みなれ。
  死は耻を逃るべき
  唯だ一つの安らけき隱れ家。
と歌へる感想を賛和し、莞爾として。其靈魂を幽冥に葬れるもの、知らず果して幾許人なるやを。武士道は名譽を伴ふの死を以て、盤根錯節を斷つの利刄なりとせり。されば志望雄大なる武士は、天命を完うして死するを以て、無氣力平凡にして、士の※[#北/異、151-11]ふべき最期にあらずとしたり。惟ふに基督教徒と雖、若し明らさまに其心情を告白する者ならんには、彼のカトー・ブルタス・ペトロニアス其他古代の俊豪の、自から此世の生命を喪ひたる、其荘高沈重なる態度を見て、現はに、之を賞揚すること無しとすとも、尚ほ且つ此れが美觀に恍惚たるを云ふもの必ずや少からざるべし。哲學者の始祖の死も亦た半ば自殺なりと云はんとせば、此れ果して過言なるべき乎。其門弟子よりして、其師が逃走の機會を避け、自から道義上誤謬あるを認識せる國家の命令に服從して、己が手に毒杯を取り、而して先づ其毒液を注いで神明に捧げたるの状を審かにするの時、ソクラテスの所行態度は、凡て此れ自殺の行爲なるを認むべきに非らずや。尋常の處刑に於けるが如く、縱令肉體の窘迫なかりしにもせよ、法官の命令は正しく窘迫にして、『汝は死すべし――己手によりて死すべし』と云へるものなり。自殺とは、單に自己の手に依りて死するの謂なりとせば、ソクラテスは明かに自殺を行ひたるものに非らずや。されど世は彼を譴むるに自殺を以てするを欲せず。又た自殺を忌みたるプラトーは、其師を目するに自殺者を以てせざりき。
 讀者は既に切腹[#「切腹」に丸傍点]の單に自殺の行爲に非ざるを認めたるべし。切腹は律法並に禮法の制度なりき。切腹は中世紀に創まりて、武士が、罪を贖ひ、過を謝し、耻を免れ、友に償ひ、又た自家の誠實を表明するの作法なりき。此れを刑罰として人に加ふるには、必らず之に適する荘重なる儀式ありき。切腹は自殺の粹美《リフイメント》なり。感情冷靜、體度沈重なるに非らざるよりは、人能く之を行ふを得ず。かるが故に、切腹は特に武士に適したるものなりき。
 或は是れ好古癖に偏するの嫌ひなきにあらずと雖、予は猶ほ此の既に廢絶せる儀式を記述せんことを欲す。されど既に能文の士の巧みに之を描冩せるあり、其書今や廣く行はれざるを以て、予は此れよりして、聊か長文を引用せん。ミツトフオルド氏の名著『日本昔譚』は、日本の珍文書より得たる切腹説を譯載せる後、著者自から檢使の一人たりし左の切腹の實例を詳記す。
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 予等七人の公使館員は日本檢使の案内に連れて、儀式の執行せらるべき寺院の本堂に進み入りぬ。見るに其状甚だ森嚴なり。堂内は屋宇高うして、煤黒の柱梁之を支へ、天井よりは、寺院特有の佛燈、瓔珞、天蓋垂れ、高き佛壇の前には、床上三四寸の座席を設け、新疊を布き、紅毛氈を廣げたり。高き燭臺は程能き間に並びて、異樣の薄暗き光を放ち、先づは今日の仕置を見るに足れり。七人の日本檢使は高座の左方に在り、七人の外國人は其右に在り。他には又た一人をも見ず。
 やゝ暫く待つ程に、瀧善三郎は徐々と歩み出でたり。此人當年三十二歳、氣品高尚に、身には禮服たる麻※[#「ころもへん+上」、第4水準2-88-9]※[#「ころもへん+下」、第4水準2-88-10]を折目正しく着なせり[#1字不明。「。」?]後には一人の介錯と、金絲の刺繍ある陣羽織を着たる三人の役人隨ふ。介錯とは英語に之を譯すべき文字あらず、エキセキウシヨナーとは自から異なり、士人之に任じ、多くは咎人の親戚、又たは友人より簡拔す。而して兩者の關係は、咎人と※[#「會+りっとう」、155-12]手とに非らずして、寧ろ主副の如し、今日の介錯は瀧善三郎の門弟にして、劍道の達人たるが故、多數の友人中より特選せられたるものなり。
 瀧善三郎は左に介錯を從へ、徐に日本の檢使の方に進みて、兩人共に一揖し、更に外國役人に近いて、同じく拜禮す、其状更に丁重なるものゝ如し。當方よりも亦た一一恭しく答禮す。終りて善三郎は靜々と威儀あたりを拂ひつゝ、高座に上りて、佛前に平伏すること兩次、了つて佛壇を背後にし、毛氈に端座し、介錯は其左方に踞る。三人の附添役人の中、一人は軈て、九寸五分の短刀を白紙に包みて、其尖端をのみ露はしたるを三寶に載せて運び出で、一禮ありて善三郎に渡せば、恭しく之を受け、雙手にて押し戴きたる後、我が前に置く。
 再び愼重なる叩首の後、瀧善三郎、其音聲は、苦痛の自白をなす人に常なる無量の感情と踟※[#「足へん+厨」、第3水準1-92-39]との念を洩したれども、顏色態度は、毫も變ずること無くして語り出でうるやう。
[#ここで字下げ終わり]
[#ここから2字下げ]
拙者唯だ一人、無分別にも、過つて、神戸なる外國人に對して發砲の命令を下し、其の逃れんとするを見て、再び撃ちかけしめ候。拙者今其の大罪を負ひて切腹致す。各方には檢視の御役目御苦勞に存候。
[#ここで字下げ終わり]
[#ここから1字下げ]
 又たもや一禮終つて、善三郎は上衣を帶元まで脱ぎ下げ、腰の邊を露はせり。仰向に倒るゝこと無からんやう、形の如く兩袖を膝下に敷き入れたり。凡そ優尚なる日本の士人は俯伏し仆れて死すべきものなりとせり。善三郎ジト思入ありて、前なる短刀を確かと取り上げ、嬉しげに、さも愛着するばかりに打眺めて、暫くは最期の觀念を凝らすよと見えしが、やがて左の腹を深く刺して、徐かに右に引廻し、又た元に返して、少しく切り上げたるは凄ましとも、痛ましかりける次第なり。されど善三郎が顏は、絲一筋だも戰かず、かくて短刀を引拔きつ、頸を差し伸べたる時、苦痛の色の初めて其顏にほのめきたれど、少しも音聲に現はれず。此時まで側に踞りて、善三郎の一擧一動を目じろぎもせず打守りゐたる介錯は、やをら立ち上り、大刀を空に揮上げたり。秋水一閃、物凄き音、※[#「革+堂」、第3水準1-93-80]と仆るゝ響、一撃の下に首體忽ち其處を異にせり。
 場内※[#「門<貝」、第4水準2-91-57]として死せるが如く、唯だ僅かに前なる死首より迸り出づる血の凄しき音のみ聞ゆ。此首の主こそ、今の今まで勇邁剛毅の人なりけるを。噫、懼しかりける事どもなりき。
 介錯は跪拜し、兼ねて用意したる白紙を取りて刄を拭ひつ、高座を下りぬ。血染の短刀は今日の仕置の證據として、嚴かに持ち去られたり。
 かくて御門《みかど》の役人二人は其座を離れて、外國檢使の前に來り、瀧善三郎の處刑滯無く相濟みたり、實見せられよと云ふ。儀式はこれにて終はりぬ。我等は寺院を去れり。
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 我國の文學若くは實見者の物語よりして、切腹の状景を徴せんとせば、盖し枚擧に遑あらずと雖、予は唯だ爰に以下の一例を加ふるを以て足れリとせん。
 左近、内記の兄弟あり、兄は二十四歳、弟は十八歳なりけるが、乃父の仇を報ぜんと欲して、家康を附狙ひたるに、不運にも其陣屋に忍び入らんとする際、捕へられて、哀はれ身は囹圄の人となりたり。然るに老英雄は、己れを害せんとしたる兄弟の者の健氣なる志を愛でゝ、譽の最期を遂げ得させよと命じたり。かくて一族の男子は皆罪せらるべきに定まりて、兩人が季弟に八麿とて當年八歳なりけるも、亦た死を賜はりぬ。三人の者は刑塲たる一寺に引立てられたり。其塲に居合せたる醫師の日誌の、其状を記したるを見れば、三人の兄弟は最期の坐に押し据ゑられたるに、左近季弟に向ひて、『八麿より先づ腹切れよ、切損じ無きやう見届けくれんぞ』と云ふ。稚きは答へて、ついぞ切腹を見たることのあらねば、兄の爲さんやうを見て、己れも亦た之れに倣はんと云へば、二人の兄は、涙ながらに微笑を湛へ、『いみじくも申したり。健氣の稚兒や、父の子に耻ぢず』とて、二人が間に八麿を坐らせつ、左近は左の腹に刀を突き立てゝ、『弟、之を見よや、會得せしか、あまりに深く掻くな、仰向に倒れんぞ。俯伏して膝をくづすな』、内記も亦た腹掻切りながら、弟に、『目を刮と開けや、さらずば死顏の女にまがふべきぞ。切尖淀むとも、また力撓むとも、更に勇氣を鼓して引き廻せや』。八麿は兄の爲すやうを見、兩人の共に息絶ゆるや、徐かに肌を脱ぎて、左右より教へられたるが如く、物の見事に、腹切り了はんぬ。
 切腹を以て名譽の死となしたるは、自から多大なる誘惑の因素となりて、爰に無分別なる自殺者を生ずるに至りたり。毫も道義に合せず、又た死を値ひすること無き理由の故に、躁急なる若輩が、飛んで火に入る夏の蟲の如く、※[#「勹<夕」、第3水準1-14-76]忙として死に就き、是非の曖昧なる動機よりして、武士の自から其命を殞するもの、修道院の門に馳する尼衆よりも多かりき。生命は廉に、即ち、世の定むる名譽の標準より量るに、頗る廉なりき。されど甚だ悲しむべきは、其名譽てふものゝ、謂はゞ常に兩替歩合の定まりたるものに非らずして、必ずしも正金ならず、却つて劣等の金屬を混和するものなりしことなりき。地獄の圈界中、かのダンテが、自殺の犧牲を幽閉したる第七圈ばかり、日本人の多數の誇るものはあらざるべし。
 されど眞の武士は死を急ぎ、死に阿るを以て共に怯懦なりとしたり。武士の龜鑑として世に傳へらるゝ勇士は數度の戰塲に臨んで、曾て利あらず。山野に逐はれ、森林に遁れ、洞穴に潜み、果ては陰暗なる空木の窩に、一人餓に苦しみ、刀鈍り、弓折れ、矢盡きぬ――羅馬人の中にて最も高邁なる丈夫もかゝる時、フイリヒの野に、己が刄に伏したるに非らずや――されど此勇士は死を怯なりと賤め、基督教殉道者にも似たる大勇を奮ひて、口ずさむらく、
  憂き事のなほこの上に積れかし
    限りある身の力ためさん。
武士道の教ふる所は、實に是にあり。曰く堅忍正念能く百難千苦に抗すべしと。孟子 といて曰はずや、『天將大任於是人也、必先苦其心志、勞其筋骨、饑其體膚、空乏其身、行拂亂其所一レ爲、所以動心忍性曾其所一レ能』と。眞の名譽とは、天の命ずる所のものを成就するの謂ひなり。之れが爲に招くの死は必ずや耻辱に非らず。然るに、一死以て天の賦與する所を免れんとするが如きは、眞に怯懦なりと云ふべし。サア、トマス、ブラウンの奇書『醫道宗教《レリギオ、メデイシ》は、英語を以て我國武士道の常に教ふる所と其軌を一にせる訓戒を説破して曰く、『死を輕んずるは勇なり。されど生の死よりも恐るべきに臨んで、敢て生を求むるは、眞の大勇なり』と。古への名僧の諷言にも、『平生何程口巧者に云ふとも、死にたることの無き侍は、まさかの時に逃げ隱れするものなり』と云ひ、又た『一たび、心の中にて死したる者には、眞田の槍も、爲朝の矢も透らず』と。此等の語は、盖し吾人をして『我が爲に生命を喪ふ者は、之を得べし』と云へる大工匠の建てたる殿堂の門に近邇せしむるものに非らずや。世には基督教と異教徒との間に一大障壁を築くに鋭意するものありと雖、奈何せん此等の訓語は、宇内人類の凡て道徳的一致の點を有するものなることを例證すべき九牛の一毛に非らずや。
 吾人は既に切腹てふ武士道制度の、之を一見すれば、或は其妄なるに驚くことあるべしと雖、其實決して悖理蠻野の弊習に非らざるを知れり。吾人は今爰に切腹と姉妹の制度たる敵討、復讐も亦た之に美點あり、特長あるや否やを觀察せんとす。然るに此れと齋しき制度若くは習慣は、時代の異同こそあれ、凡ての民族間に行はれたるものにして、今日と雖、未だ全く廢弛せず。決鬪、私刑の形を以て歐米の國にすら、尚ほ存續するものなるを以て、此問題の如きは、予は僅かに數語を以て之を解明するを得べきものなるが如し。近く米國の一將校にして、ドレフユーの仇を報ぜんが爲、エスターへジーに決鬪を挑みたるものさへありしに非らずや。結婚の行はれざる蕃族の間に在りては、奸淫は罪を構成せず、唯だ情夫の嫉妬のみ、よく女子を保護して、危害を蒙ること無きを得しむるが如く、刑事法廷の設備無き時代に在りては、殺戮は罪を成さず、唯だ被害者の縁戚が、心以て讐を復することの、能く社會の秩序を保持したるなりき。神話のオシリスはホーラスに問ふに『此世の最も美しきは何ぞ』と。答へて曰く、『父の仇を報ずる是れなり』と。而して日本人は之に加ふるに必ずや、『君主の仇』の語を以てせんとするものなり。
 復讐は、之によりて、自己が正義の念を滿足せしむるものなり。復讐者の理由とする所は曰く、『我父は善人なり、非命に斃るべき者に非らず。然るに我仇は、我父を殺すの大虐を行へり。昊天は惡徳を憎む。惡人を亡ぼすは、我父の欲する所にして、又た天意なり。我仇は我手に死すべし。彼は我父の血を流したるが故に、父の血肉たる我は、亦た敵人の血を流さゞるべからず。彼は倶に天を戴かざるの仇なり』と。此推論は簡單幼稚なり、されど此れ又た精密なる衡平と、均等なる正義との根本觀念に基くものなることを示せり。ハムレットと雖、此れより更に深遠なる理由を有せざりしに非らずや。經に曰へり、『目を以て目に償ひ、齒を以て齒に償ふ』と。吾人が復讐の念は、數理の官能の如くに一毫をも疎にせず、方程式の兩項數の適合するに非らざるよりは、竟に能事未だ完からずとの念を排する能はざるものなり。
 嫉《ねたみ》の神を信じたる猶太教の如き、又た復讐の女神ネメシスを有したる希臘神話の如きは、或は復讐を以て人間以上の偉力に委ぬるを得べし。されど武士道は常識に基きて、敵討の制度を設け、普通法の審判するを得ざる事件を出訴すべき、一種の道義的衡平裁判所となしたり。四十七義士の主君の死罪に處せらるゝや、彼は之を訴ふべき高級の法廷を有せざりき。而して其家臣の義士は、即ち當時に存在せし唯一の高等法廷たる復讐に訴へて、主君の冤を雪ぎ、而して自から又た普通法によりて、罪を獲たり。されど其名は泉岳寺墓前の香華と共に、永へに薫じ、歳を經て緑の色更はること無し。
 老子は『報怨以徳』と説きたりと雖、孔子の聲は更に之よりも大なるものありて、『以直報怨』と教へたり。されど復讐は長者又た恩人の仇を報ずるに於てのみ正しとすべく、而して自から蒙りたる害惡の如き、又たは妻子の受けたる危害の如きは、須らく之を容忍すべきものなりき。故に我が武士は祖國の怨を報ぜんことを神明に誓ひたるハンニバルに寄するに滿腔の同情を以てすと雖、彼のジエームス、ハミルトンが、妻女の墓側より一杯の砂粒を取りて紳に佩び、日夜攝政ムレーに對し、我妻の怨を報ずるの念を刺衝したるに與せず。
 切腹及び敵討の二制度は刑法の發布と共に其|存在の理由《ライゾン、デトール》を喪失したり。されば今や既に美しの處女が、身を窶して父の敵を尋ぬる小説的冐險を耳にすること無く、又た家族の復仇の悲劇を見ること無きに至れり。宮本武藏のの武者修行は、今や唯だ一條の昔話と過ぎて、規律森嚴なる警吏は被害者の爲に犯罪者を追跡し、法律は義を行ひ、非を正し、全國、全社會は、以て災害の應報違ふこと無きを認む。夫れ正義の觀念にして充足せらるべくんば、何ぞ更に又た敵討を要とせんや。然るに新英州の一神學者の評するが如くに、敵討の若し果して、『犧牲の生血に渇し、之に飽かんことを欲するの希望を餌食とする餓虎の心念』を意味するものなりとせば、僅に數項の刑法明文の、直ちに之を根絶せしめたる事、焉んぞ能く今日の如くなるを得んや。
 切腹も亦た法度上、既に其存在を認めざるに至りたりと雖、吾人は猶ほ徃々敢て之を行ふものあるを聞く。而して過去の記憶の繼續せん限り、之を耳にすることあるべし。自殺宗信者の數は、世界中懼るべき速力を以て増加しつゝあるものなるを以て、無痛瞬時の新自殺法は多く行はるゝに至らん。されど自殺論の著者モルセリー教授は、必ずや切腹を以て、自殺の貴族的なるものとなすに同意せん。氏曰く、苦痛劇甚なる方法により、又た長時の苦悶を生ずる自殺は、百中九十九まで狂信、發狂若くは病的刺戟によりて精神錯亂せるものゝ行爲なりと認むるを得べしと。然るに尋常なる切腹は狂信、錯亂、又は發奮の片影をも存せず、却つて冷靜《サンフア》の極、始めて能く之を行ひ得て其美を稱せらる。ストラン博士は自殺を分つて合理又は假似なるものと、不合理又は眞正なるものとの二種となせるが、切腹は即ち前者の最好例なりと云ふべし。
 此等の慘憺たる法度より見るも、亦た武士道の常經より見るも、刀劍の具の武士社會の修練と生涯とに、必須の任務を有したることを推知するに難からず。格言にも是あり、曰く『刀は武士の魂』なりと。
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    第十三章 刀  武士の魂


 刀の武士道に於けるや、威力剛勇の儀象なり。モハメツト宣言すらく、『劍は天堂地獄の鍵なり』と。而して此語は正に日本人の感想を反響せるものなり。士分の男兒は幼にして既に劍を用ふることを學び、五歳に及べば、士服を着け、碁盤に乘り、其の弄びたる玩具の小刀を棄て、眞劍を佩びて、以て武士の分限を與へらるゝの大禮に會す。此の武門に入る《アダプチオ、パル、アルマ》の第一禮既に終はりたるの後は、小兒も、父の門を出づるに、縱令日常は銀塗の木刀を以て之に代ふと雖、なほ其身分に應じたる此の徽號を帶びざる無し。稍や長ずるや、鈍刀にもせよ、常に眞劍を佩き、擬刀を投じ、而して新たに得たる刄よりも更に鋭き喜悦の情を以て、踊躍奮然其先端を木石に試む。齡既に十五歳、成人の域に達するや、自由の行動を許さるゝを以て、今や腰間鐡斷つべきの秋水に誇ると共に、身に兇器を帶ぶるが故に、乃ち責任の觀念、自重の態度を生ず。彼は『漫に劍を携へず』。帶に挾めるは、心に佩びたる忠義、名譽の象徴なり。身邊嘗て大刀小刀、(刀、脇差)の二劍を放たず。室に在りては、書齋、床間を飾り、夜は主人の枕頭を護る。常住不斷の伴侶なるが故に、即ち之を愛翫し、呼ぶに寵稱を以てす。之を尊敬するよりして、殆ど之を崇拜す。史學の祖ヘロドタスはシシアン民族の鐵製偃月刀に犧牲を捧ぐるを一奇聞なりとして記述すと雖、日本にては神社又た家庭の、刀劍を崇めて禮拜すべき神體となせるもの少からず。凡作の短刀に亦た之を蔑にせず。刀を賤むるは即ち其主を侮蔑する所以にして、床上の刀を越ゆるの輕忽をなすものあらば、禍直ちに其身に及ぶ。
 刀は尊貴なるが故に、自から美術家の伎倆、主人の虚榮の之に伴ふあり。世泰平にして、佩刀の、僧正の錫杖、帝王の玉笏と擇ぶ所無きの日に在りては、殊に其の然るものありき。柄には鮫皮絹糸を卷き、鍔には金銀を鏤め、鞘には五彩を抹漆し、燦煥の美は反つて刀刄の威を奪ふものあるがごとし。されど其外飾は啻に翫具たるに過ぎざるのみ、刀身の眞價は曾て増減あること無し。
 刀匠は啻に工人たる者に非らずして、反て天意感通の美術家なり、其工塲は至聖處なりき。晨朝齎戒沐浴して其業に從ひ、心魂氣魄を打つて、錬鐡を鍛冶し、揮槌、入湯、砥礪の如き、皆嚴肅なる祭式なり。刀劍の靈徳奇氣を帶ぶるは、即ち良工の精魂之に寓し、祭神の威徳之に宿るが故に非らずや。日本刀の美術の完璧たるは、トレド又たダマスカスの名劍の企及するところに非らずして。而も亦た美術の賦與する能はざる精氣を存す。氷刄燦として玉匣を脱すれば、大氣忽ち凝つて雨露を滴らし、碧花を開き、晃々たる百錬の龍身は光芒を吐く。犀利の鋭鋒は歴史を懸け、未來を繋ぎ、彎曲せる刀背は、絶美を結ぶに絶大の力を以てす。一たび之を觀れば、威力、美趣、畏敬、恐懼の念の凛乎として交も人に迫るあり。刀劍若し啻に美觀悦樂の具たらんには、其用たるや、害無し。されど一旦之を手にすれば、誘惑忽ち生じて、之を濫用せんとすること尠からず。刀刄屡ば平和なる其鞘を頴脱するあり、或は新刀を獲て之を無辜の※[#「月+豆」、178-3]に試むるの兇暴を敢てするものありき。
 然るに爰に吾人の考ふべき一要件あり、曰く武士道は漫に刀刄を用ふるを可とするものなる乎と。答へて曰く、斷じて然らずと。劍は其良用を貴しとなす。故に之れが濫用を咎め、之を憎めり。其所を得ずして刄を揮ふものは、暴漢なり、兇人なり。重厚の士は、劍を用ふるの時を識る、而して其時の來る甚だ稀なり。故勝海舟伯は、幕末の亂世に出で、暗殺自刄公行し、空吹く風も腥かりし日に當り、英邁の才柳營の枢機に參して、屡ば兇刄の其背後を覗ふことありしと雖、自から曾て其刄に※[#「血+亦から点を除いた字」、「衂」の俗字?、179-1]ることをなさゞりき。伯晩年一友の爲、其特癖ある平民的口調を以て、徃時を談じて云へることあり。
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 私は人を殺すのが大嫌ひで、一人でも殺したものは無いよ、みんな逃して、殺すべきものでも、マア/\と言つて放つて置いた、ナニ、蚤や虱は殺すから、さう思へば善いのだが、殺人は極嫌ひだつた。それは河上玄哉が教へてくれた、『あなたは、さう人を殺しなさらぬが、それはいけません。南瓜でも茄子でも、あなたは取つてお上んなさるだろう。あいつ等は、そんなものです』と言つた。されはヒドイ奴だつたよ。然し河上は殺されたよ。私が殺されなかつたのは、無辜を殺さなかつた故かも知れんよ。刀でも、ひどく丈夫に結へて、決して抜けないやうにしてあつた。人に斬られても、こちらは斬らぬと云ふ覺悟だつた。ナニ蚤や虱だと思へばいゝのさ。肩につかまつて、チクリ/\と刺しても、たゞ痒いだけだ、生命に關りは無いよ。(海舟餘波)
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 武士道の教訓を服膺して、艱難疾苦の爐中に精錬を經たるものに非らざるよりは、安んぞ能く此言を成すを得んや。俚諺にも『負くるは勝』とて眞の勝利は暴人を校せざるに在るを云ひ、又た、『血を流さずして勝つを以て、最上の勝利とす』と誨ふるものは、即ち武士道極致の理想の、平和に存するを證せり。
 然るに此大理想を擧げて、僧侶及び道徳家の説法釋義に委ね、武士は唯だ武性を習練し、奨れ奬勵するを以て其旨とし、反つて止戈の義を閑却するの觀ありしは、寧ろ甚だ悲しむべしとす。而して此れに由つて又た、婦人の理想をも風化して、アマゾニアン的なる勇婦の性格を好尚するに至りたるの跡を考察せんが爲、予は、今是より少しく、婦人の教育及び其地位に就いて説く所あるべし。
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    第十四章  婦人の教育と地位


 人類の半數を成せる女性は、逆説《パラドツクス》の典型にして、其心理の直覺作用は、男性の所謂數的理解力を以て、曉解するに苦しむものなりと稱す。漢字にて不可思議[#「不可思議」に傍点]、不可解[#「不可解」に傍点]等を意義する『妙』[#「妙」に丸傍点]の一字の、『女』[#「女」に丸傍点]と『少』[#「少」に丸傍点]との二より成れるは、女子の嬌冶たる容姿と繊細なる思想との、男子の粗雜なる心量の能く解剖する所に非らざるを徴す。
 然るに武士道の理想とする女性は、毫も不可思議にも非らず、妙にも非らず、又た其逆説の觀は、單に皮相に止まるのみ。予は武士道の女性を稱してアマゾニアンなりと云ひたるも、是れ唯だ眞理の半片を捉へたるに過ぎず。漢字の『婦』[#「婦」に丸傍点]とは、解して持箒の女[#「持箒の女」に丸傍点]と云ふ。されど其箒を揮つて結婚同盟者に反抗し、攻守の態度を執るものにも非らず、又た之に駕翔して魔術を行ふのマザー、グースたるものにも非らず、ただ箒本來の使途に於て之を無害の用に充つるのみ。婦[#「婦」に丸傍点]の思想は、英語にてワイフ(妻―織女の義)及びドーター(娘―酪婦)の字義の有する所に等しく、共に家庭的なり。又た獨逸皇帝の如くに、單に婦人活動の範圍を以て、厨房(Ku[#「u」にウントラム]che)教會(Kirche)及び小兒(Kinder)の三K《ケー》に限るものに非らずと雖、武士道の理想的婦人は、要するに家庭的なるものなりき。其の家庭的なると、勇婦的なるとの武士道女性の二特色は、一見矛盾するの状ありて、而して武士道の教訓よりすれば、此の二者決して兩立せざるものに非らざりき。
 武士道は元、男子の爲に設けたる教訓なり。故に其の女子に要するの諸徳の、自から女徳に遠きものあり。ウインケルマンは、希臘藝術の極美は女性的なるよりも寧ろ男性的なりと云ひ、レツキーは之に和して、希臘人の道徳觀念に於て見るも、其美術に於けると等しきものありたりと云ふ。武士道も亦たレツキーの説くが如く、『女性の脆弱を脱離して、至勇至強の男子に適せる剛毅勇邁の性格を發揮したるもの』を賞揚したり。是を以て女子は年尚ほ少うして、感情を抑制し、神經を強固ならしむることを習ひ、又た不慮の事變に處して、其身を捍らんが爲に薙刀を用ふるの法を學びたり。然りと雖、女子の武藝に志す所以は、必ずや戦塲の勇婦たらんことを期するが爲に非らずして、其主旨たる、自己と家庭との二途に於て、之を用ひんが爲なりき。女子は仕ふべき君主を有せず、從つて又た自から己れを守衞するの要あり。女子の武器に頼りて、其貞潔を守るに切なるは、男子の其君主を護るに似たり。又た女子の武藝は、之を其家庭に用ひて、其子女を教育するの益をなしたるものなり。
 婦人は劍術等の武藝を實用すること稀なりしかど、猶ほ彼等をして端坐の習慣にのみ陷ること無からじめ、其健康に補ふ所ありたり。されど武藝の修練たる、單に衞生を旨とするものに非らず、事あるに臨んでは、此れが用を爲すことありき。女兒の長じて既に笄するに及びてや、父母之に授くるに懷劍を以てす。以て或は敵人の胸を刺すことあるべく、或は以て己れが胸を貫くことあるべし。女子の自から刄に伏したる頗る多し、されど吾人は彼等を俟つに酷評を以てせざらん。基督教徒の良心は、自殺を憎惡す、されど尚ほベラジア及びドミニアニ女子の自殺者を崇め、聖者となして其純潔貞操の徳を頌するを見れば、彼等の我が自刄の女子を目すること恐くは刻薄に失するものある勿らん乎。日本のヴァジニア【註】ならん乎、其貞徳の危殆に瀕する、必ずや嚴父の刄を待つこと無く、其劍は常に藏めて懷に在りたり。自害の作法を知らざるは女子の耻づる所なりき。解剖學にこそ暗けれ、女子は正に咽喉の何處を刺すべきものなるかを知らざるべからず。死の苦痛は劇甚なりとも、死屍の坐容を亂して、謹愼を破ること無からんが爲、先づ帶紐を以て其膝を縛することを忘るべからず。盖し其覺悟は基督教徒の殉教婦人パーぺチユア【註】の如く、又た羅馬ヴエスタ宮殿の童貞《ヴエスタル》コルネリア【註】にも比すべきに非らずや。予の率爾として此問を發する所以のものは、外人の徃々我國の入浴其他瑣瑣些たる慣習を見て、日本女子は貞潔を知らずと評するあるを以てなり。然るに之に反し、貞潔は士分の婦人の主徳にして、之を重んずること其生命にも勝れり。曾て妙齡の一女子あり、敵手に捕へられ、將にむくつけき荒男の手籠に會はんとするや、女云ひけるやう、此上は力無し、唯だ此度の負戰に離散したる母や姉のいかばかりか案じ煩ふべきに、唯だ一筆の便りするを許されんには、甘んじて其意に從ふべしと欺き、思ひのたけを書認めたる後、敵の虚隙を覗ひ、側なる井戸に投じて、其貞操を全うしたりと傳ふ。其文の端に一首の歌あり、
  世にへなばよしなき雲もおほひなん、
     いざ入りてまし山の端の月。
 されば日本武士道の女性に對する最高の理想は單に男性的なるものなりし乎。否、大いに然らず、藝能の類、優雅の素養の如きは、最も女子に要する所にして、又た音樂、舞踏、文學の如きも之を忽にせざりき。我國文學の人口に膾炙せる佳句名吟は※[#「りっしんべん+非」、第4水準2-12-50]惻纒綿たる女性の藻思を吐けるもの頗る多く、洵や女子は日本美文學史上に卓然たる地歩を占めたるものなりき。舞踏(藝者の踊を謂ふに非らずして、武士の女兒の踊)を教ふるは、擧止を優美嫻雅ならしむるを唯一の主旨とし、音樂は、父兄、良人の鬱屈を慰せんが爲のものなりしを以て、此の藝能も亦た專修の技たらず、要するに究極の目的は心念を清淨ならしむるにありたるを以て、心平ならずんば、五音自から諧はずと謂へり。乃ち青年を教育するに當り、藝の要は必ずや徳を補ふべきものなりとしたる思想の、又た爰に存するを見るべし。音樂舞踏は、人生に補ふに優美の情、快闊の性を以てするを得ば、其用既に足れりとし、此れを以て或は虚榮社奢侈を衒ふの具となすこと無し。彼斯王曾て倫敦に遊びて、舞踏會に列す。而して王の其戲樂を共にせんことを促さるゝや、自國此伎を業とするの舞女あるを云ひ、竟に頑として之に應ぜざりしとは、吾人も亦た王と同感の念無きに能はず。
 武門の女子の藝能に於ける、以て人に衒ひ、世に誇らんが爲にあらず、藝能は家内の娯樂を助くるに在りき。若し又た宴席集會の坐に、其長技を示すことありとも、これ唯だ主婦の務を助けんが爲にして、即ち家人接客の一法たるに過ぎざりき。齋家の道は婦人の教育を指導す。其の文武を問はず、舊日本婦人の藝能は、主として家庭の爲にし、女子は遠く彷徨ふとも、炉邊を忘れず、其の辛苦労役し、一生を奉ずる所以のものは、一家の名譽と體面とを保持せんが爲なりき。彼は勁健、柔和、剛壮、悲惻の声交も至り、切々として日夜其小巣の爲に歌へり。女となりては父の爲にし、妻となりては夫の爲にし、母となりては子の爲にして、自から犧牲たるに甘んじ、女子少小にして業に自己を棄つることを知る。其一生を擧げて自主の人たらず、却つて他に隸從奉仕せり。男子の配偶となり、其の在るによりて、夫を補佐するを得ば、側に侍し、其の事に妨ぐることあらば、屏後に退く。青春の男子の少艾を慕ふや、女も亦た報ずるに熱切の愛を以てすと雖、若し女子の故に男子の其義務を忽にするが如きことあらんか、女子の自から其美貌を損して、以て男子の愛を失はんことを欲したるの逸事尠からず。武士の女子が理想の妻たる吾妻《あづま》は、仇し男の慕ふ所となり、我愛を獲んが爲に、良人の命を殆くせられんとするや、自から亦た不義に與するに託し、闇夜竊に良人に代り、而して熱情ある刺客の刄は、其堅貞なる首に下りたり。
[#底本では字下げ無し]木村重成の妻は、自刄するに臨み、其夫に遺書して曰く、
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一樹の蔭、一河の流、是れ他生の縁と承り候にこそ。そもをとゝせの比よりして、偕老の枕をなして、只だ影の形にそふが如く思ひまゐらせ候。此頃承り候へば、此世限りの御催し、かげながら嬉しく存じまゐらせ候。唐土の項王とやらんは、世に猛き武士なれど、虞氏の爲に名殘を惜み、木曾義仲は松殿の局に別を惜みしとやら、されば世に望窮りたる妾が身にては、せめては御身御存在の中に最後を致し、死出の道とやらんにて待ち上奉り候。必ず秀頼公多年海山の鴻恩御忘却なきやうたのみまゐらせ候。
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婦女の、良人、家庭及び族人の爲に、其心身を奉ずるは、男子の己れを致して君國に忠なるが如く、共に自意の擇ぶ所にして、尊貴なり。自から空しうするの徳たる、盖し此得を缺かば、人生の謎語は打解すべからず、即ち女子に在つては奉家、男子に在りては忠義の主律《キーノート》なりき。婦女の良人に於けるは、良人の君主に於けると等しく、奴隷たる者に非らず、婦人の任務は内助の功を成すに在りき。妻は己を空しうして夫に事へ、夫は己れを空しうして君に仕へ、君は更に之を以て天に服し、奉仕各※[#二の字点、1-2-22]其序階あり。予は此教訓の欠陷を認め、而して基督教は特に此點に秀でゝ、人皆直ちに造物主に對して責任あるものなりとするを知る。然りと雖、己れを犧牲として優者長者に服從する奉仕の教たる、此の教は即ち基督の教戒の最も偉なるものにして、又た神聖なる基督の使命の本義なり。是れに由つて觀れば、武士道も亦た永遠不壊の眞理を基礎とすと謂ひつべし。
 讀者、謂ふ予を難ずるに、僻見以て、意志の屈從を是認するものなりとする勿らんことを。予も亦た大いに識見該博、思想深遠なるヘーゲルが、歴史とは自由の發展なり、實現なりと論斷せるに推服す。然るに予の爰に闡明せざるべからざるは、犧牲の精神の普く武士道の教訓に浸潤して、啻に女子のみならず、男子も亦た之を缺くべからざるものなりしこと是れなり。故に武士道の感化の全く其跡を絶つの日に至らずんば、我社會は、彼の米國女権の代表者の猛然として、『日本の女よ、起てよ、舊慣に反抗せよ』と叫破せるの言に雷同すること能はざるべし。其反抗は果して奏効すべき乎。婦人の地位は此れによつて進善すべき乎。この暴擧を以て獲たる權利は、以て女子の傳寶たる、温順の性格、優雅の態度の喪失を償ふに足れりや。羅馬人の母が、奉家の徳を失つてより、其國道徳の頽廢、言語に絶するに至りたるに非らずや。彼の米國改革家は、吾人に示すに、果して日本女子の反抗は、即ち其由るべき歴史的發達の正路なるを以てするを得べき乎。此等は看過すべからざる大問題なり。抑も變革は反抗を俟たずして來るべく、又た來らずんばあるべからず。而して武士道制度の下に於ける、婦人の地位の低卑なる、實に反抗を要するものなりし乎。吾人は今姑く爰に之を見るあらんとす。
 歐洲武士の『神と淑女』に奉ずるに、面從的尊敬を以てしたるを聞くや久し。されど此二語の氷炭相容れざるは、ギボンの赧顏する所にして、又たハラムは、ジウアリーの道徳は鄙陋なり、女子に對する慇懃《ガラントリー》は、不義の愛を含みたりと歎ぜり。歐洲武士道の女性に及ぼしたる効果は、幾多哲學者に研究の資料を供し、ギソーは、封建制度と武士道《シヴアリー》とは、健全なる感化を普及したりと論ずるに反し、スペンサーは、武力社會に於けるや(封建社會は即ち武力社會に非ずして何ぞ)、婦人の地位は、自から劣等にして、唯だ社會の實業的に進歩するに從つて、發達するものなりと論ず。是れを我國に於て觀るに、二説、其孰れをか是とすべきや。ギゾーなる乎、スペンサーなる乎。乃ち之に答ふるに於て予は斷じて曰ふ、二説共に正鵠を失せずと。我國の武人階級とは、殆ど二百萬の士族に限られたるものにして、其上には武家貴族の大名あり、宮廷貴族の公家あり。高貴安逸なる大名の輩は、唯だ僅に其名籍を武門に列するに過ぎず。さむらゐ[#「さむらゐ」に傍点]の下級には、大多數の平民あり、農、工、商に分れて、平和の業務に服從す。さればハーバード、スペンサーの所謂武力社會の特色とは、即ち士族の階級に於てのみ之を見るを得たりと云べく、又た其の實業的社會の特色と稱するものゝ、此れが上下の階級に適用するを得べきは。即ち婦人の地位の之を明かにするものあり。女子の自由の拘束せられたるは、士族の間に於て最も甚だしとす。然るに奇觀なるは、社會の階級を降るに從ひ、例えば卑賤なる職工の間の如きに至りては、夫婦の地位頗る均等に近きものありき。又た高貴なること貴族の社會に在りて、男女兩性の關係を見るに、其差等甚だ著しきを見ず。是れ乃ち男女性の異同の、著明なる實現を成すの機會に乏しく、飽食暖衣逸居して樂むの貴人却つて眞に女性化したるが故なり。即ち舊日本の社會は、スペンサーの説に例證を供するに餘ありて、而してギゾーの説たる、之を讀む者の、彼が封建社會と稱するは、特に高位の貴族を指すものなるを知らば、彼の概論は單に之を大名公家の流にのみ適用すべきなるを見ん。
 予の説く所に由りて、讀者或は若し、武士道の婦人の地位を蔑視することあらんには、予が歴史上の眞理を破棄するの罪必ずや輕しとせじ。予は敢て云はん、武士の夫人は男子と對等の待遇を受けざりしものなりと。されど、差異と不等との二語を辨別するに非らざるよりは、此問題は必ずや遂に誤解を免るゝこと能はず。
 法廷又は撰擧場裡は暫く措き、其他に在りて人各※[#二の字点、1-2-22]同等なること甚だ稀なるを以て見れば、男女同等の論議の如き、寧ろ徒事に屬す。米國獨立の宣言に、人は凡て同等に造られたりと云ふと雖、是れ、人の心力體力の天禀を指すものに非ずして、唯だ徃昔羅馬の法律家アルピアンが、法律の前には人皆同等なりと云へるの語を反誦したるに過ぎず。此點に於て、法律上の權利は、人の異同を量るの尺度なりき。若し法律のみ、女子の社會に於ける地位を量るの準繩なりとせば、其高下を知るの容易なるは、權衡を以て其體量を計るが如し。されど問はん、男女の相對的社會地位を比較するに當りて、此れが正確なる標準ありやと。金銀の價格を比較すると同じく、男女の地位を比較し、數字を以て其率を定むるを可なりとせん乎、又た之を以て足れりとせん乎。然るに此種の計算は、人に於て最も重んずべき價値たる眞價を打算すること無し。男女の兩性は各々此世に享けたる天職を完うせんが爲に要する資格の甚だ多きを以てみれば、彼等相互の地位を量るの標準は、必ずや複雜なる性質を帶びざるべからず。經濟學上の用語を假りて云はゞ、即ち複本位ならざるべからず。武士道は其本位を有す、而して兩本位なり。女子の價値を計るに、一は戰塲に於てし、一は櫨邊に於てす。而して彼に於ては殆ど無なるも、此れに於ては全し。女子を遇するの途は、此二種の權度に應ずるに在りて、即ち社會上政治上の單位としては、多くを稱するに足らずと雖も、妻とし、母としては至重の尊尚、至深の愛護を受けたり。試みに思へ、羅馬人の如き武斷なる國民の間に於けるも、其婦人は多大の尊敬を享けたることを。これ即ち彼等がマトロナたり、母たりしが故に非ずや。戰士たり、立法家たるが故に非ず、唯だ其母なるの故を以て羅馬人は其前に跪きたり。吾人も亦た然り。父夫の家門を去つて、戰塲に臨み列伍に在るや、齋家保育の務は擧げて母妻の掌中に歸し、幼者の教育は固より、彼等を衞護するの任も亦た全く婦人に存したり。彼の女子の武藝の如きも、要するに其兒子を教育して過無きを得んことを旨としたるものなり。
 一知半解の外人、徃々膚淺の觀察を下し、日本人の概ね其妻を稱するに『荊妻』、『愚妻』等の語を以てするは、即ち女子を輕侮し、毫も之を尊重すること無きを證するものなりと云ふあり。唯だ此輩に告げて曰へ、吾人は又た常に『愚父』、『豚兒』、『拙者』等の語を用ふと、他復た何ぞ辯を加ふることを須ひんや。
 予の觀る所を以てすれば、吾人の婚娶に對する觀念は、或は彼の所謂基督教徒的思想に優越せるのもあるに似たり。曰く『男女は合して一體となるべし』と。然るにアングロ、サクソン人種の個人主義は、夫婦を以て二人なりとするの思想を排除する能はず。彼等の一旦反目するや、個々の權利は直ちに承認せられ、其唱和するや、癡呆の寵稱、愚劣の諛辭を恣にするに、言語もこれ足らず。夫又たは妻に對して、其半身――優等半身《ベター、ハーフ》か、劣等半身《ウオルス、ハーフ》の孰れにもせよ、其半身を稱するに聰明なり、信實なり、彼なり、此なり等の言を用ふること、日本人は之れを聞きて悖理の酷だしきものなりとす。他に對して自から己れを稱するに、『聰明なる我』、『愛すべき我が性質』等の辭を以てすとせば、果して佳なりや。吾人思へらく、人の其夫若くは其妻を賛譽するは、即ち自我を自賛するものなりと。自譽自賛は、少くとも吾人の以て陋とする所なり、庶幾くは基督教徒も亦た然るものならんを。夫れ、人の禮義を守つて、其配偶を貶稱することは、武士の常習なりしを以て、予は爰に岐路を渉つて暫く辯を費したるなり。
 チユートン人種の種族的生活を始むるや、女性を畏敬するの迷信を有し――此念は實に今日の獨逸に於て消滅しつゝありとも――又た米國人の其社會的生活を始むるや、女子の寡數なるを憂へたるよりして、(當時英國より少女の輸入せらるゝや、數斤の煙草の類に代へて結婚するを許したることありたりと云ふ)――今や其數次第に増加して、或は恐る、米國女子は、其植民時代の母の享けたる持權を喪失しつゝあるものなるを――泰西文明國に於ては、男子の女子に加ふる敬意は、即ち主たる道徳標準を成すに至れり。然るに武士道の倫理に於ては、善惡の分水點を他に求め、之を義務の邊に置いて、人を自己の神聖なる靈魂に結び、且又予の先きに述べたる五倫の道に於て、彼を他人の靈魂に約するものなり。此の五倫の中、吾人は獨り臣下たる一人と、君主たる他人との間に存する倫道即ち忠義を擧げて之を説き、他は又た武士道の特質たるものに非らざりしを以て、予は唯だ機に觸れて、多少の言を加へたるのみ。彼等は自然の愛情に基くものなるが故に、凡百の人類皆之を有し、唯だ其教訓とする所のものゝ誘起したる境遇により、彼此の特點の或は著明なるを致すことあり。而して語爰に及んで、予は又た男子間の友誼の、互に刎剄を約し、斷金を契りて、堅實切偲なるものありしを想起せずんばあらず。青年の日に於ける男女の間の隔障は、爲に友人が莫逆の加ふるに、小説的愛慕の交情を以てすること尠からざりき。盖し青年男女間の此の隔障は、歐洲武士道又はアングロ、サクソンの國土に於けると異り、愛戀の念の自然の流に奔下するを抑止したりしなり。彼のダモンのピシアス【註】に於ける、又たアキリーズのバトロクロス【註】に於けるが如き交遊の美譚は、我國亦た其類を枚擧するに遑あらず、武士道はダビテのジヨナサン【註】に於るが如き友情の物語を傳ふ。
 されど、先には特り武士道の有したる教訓道徳の、遂に武人の階級にのみ止まらざるに至りたるは、敢て異むに足らず。予は此れより直ちに筆を轉じて、國民全般に及ぼしたる武士道の感化の跡を訪ねん。


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【註】(一)著明なる羅馬法典を制定したる十大憲《デセンヴイルス》中の壓制家アツビアス、クローヂアス、曾て公廳《フオーラム》に在りて美少女ヴアジニア(Virginia)の過ぐるにを見、之を捕へて其奴隷となし、枕邊に侍せしむ。少女の父ヴアジナス其暴虐を憤り、公廳衆人の前に、『我女よ、斯くして汝を救はん』と叫びて、其女を刺殺したる後、羅馬を去り、遂に兵を擧げ、都市を攻めて、十大憲政治を轉覆し、クローデアスを捕へて之を殺せり。(マコレー卿『羅馬古歌』を見よ)
【註】(二)パーぺチユア(Perpetua)は羅馬の基督教徒婦人なりき。迫害に逢ひ、教に殉して鬪技場裡、牡牛の爲に肢體を劈かるゝや、氣息將に絶せんとして、尚ほ幣衣を取りて其膚を被ひたりと傳ふ。
【註】(三)コルネリア(Vestal Cornelia)は羅馬ヴエスタの宮に奉仕する童貞《ヴエスタル》なりき。曾て大禁を犯して、生埋の刑に處せらる。其の穴を下るに當り、衣の一端地にシ觸れて、肌を露したり。守兵因つて之を蔽はんとしたれど、コルネリア辭するに、男子の爲に肌を蔽はるゝは、女子の耻づるところなりと云ひ、徐に其衣を正したる後、從容として死に就きたり。
【註】(四)ダモンとピシアス(Damon and Pythias)は、共にシラキユース市の青年にして、膠漆の交をなせり。ダモン曾て罪あり、暴君ダイオニシアス(紀元前四百三十一年―三百六十七年)の彼を死に處せんとするやダモン一度故郷に歸り、其父母に見えんことを欲し、ピシアス、即ち彼に代りて質となるによつて王の許可を得たり。然るにダモンの旅行妨ぐる處ありて、而して死刑の日既に來る。ピシアス乃ち刑に就かんとするの刹那、ダモン刑場に着し、自から死せんことを願ふ。流石のダイオニシアスも此の二青年の情誼の深厚なるに感激して、竟に彼等を赦免したり傳ふ。
【註】(五)ダビデとジヨナサンと(David and Jonathan)の友情は、舊約全書中の一美譚なり。牧羊童ダビデ既に巨人ゴライアスを斃して、サウル王の面前に來る。『ダビデ、サウルに語ることを終へし時、ジヨナサン(サウル王の子)の心、ダビデの心に結びつきて、ジヨナサン、己れの生命の如くダビデを愛せり』とあり。(撒母耳《サムエル》前書を見よ。)
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    第十五章  武士道の感化


 武士道の道徳は、我國民生涯の平地に崛起せる一帶の山陵にして、而して吾人は今爰に纔に、其の嶄然卓峙せる數峰の頂を觀望したるに過ぎず。日輪東天に朝するや、先づ高巒の巓頭を紅に染めてより、稍に其光輝を谿谷の間に投ずるが如く、其初、唯だ、武人の階級を輝かしたる倫理の系統は、時を經るに從ひて、庶民輿衆の間よりして、渇仰隨喜の徒を生ずるに至りたり。平民主義は天成の王者を興し、貴族主義は王者の精神を庶人に遍くす。善徳は惡習と共に傳染す。エマソン曰く、『一個の団體は、唯だ一人の賢者を要す、されば衆皆賢なり。傳染の力は爾く迅速なり』と。社會の序次階級は道義の感化の傳播を拒ぐこと能はず。
 吾人は嘖々としてアングロ、サクソン自由の勝利の進歩を稱すと雖、其進歩たる、輿衆人民の刺勵を受けたること極めて尠し。是れ盖し其の士族たり、ゼントルメンたるものの功に歸するに非らずや。宣なる哉、佛國テーヌ氏が、『海峽の彼岸に用ひらるゝが如き意義を含めるゼントルメンの三綴語は、即ち英國社會の歴史を概括するものなり』と謂へることや。然るに平民主義は昂然として此説を駁し、敢て反問して曰はん、「アダム耕し、イヴ紡ぐの日、何の處にかゼントルマン在りしや』と。吁嗟、エデンの樂園に紳士《ゼントルマン》の在らざりしこそ、いと哀しけれ。人類の始祖は、いたく紳士《ゼントルマン》の無きに苦しんで、此れが爲に高き價を拂ひたり。紳士若し在りたらん乎、樂園は更に多大の風趣を備へ、始祖は辛辣なる經驗を舐むること無くして、エホバに背くは、不忠破廉恥なり、反逆暴戻なることを學びたりけん。
 過去の日本は武士の賜なり。武士は國家の美花たりしのみならず、又た其根帶なりき。優渥なる天惠は武士を通じて汪溢したり。士は自から社會に標置すること高く、衆庶の上に嶄然たりしと雖、亦た此れに與ふるに道義の標準を以てし、又た模範を示して教導せり。素より武士道の教訓は顯密の二義を具し、顯義《エキゾテリツク》とは、即ち功徳を遍くして、社會の安寧幸福を企圖し、密義《エンテリツク》とは即ち純徳《アレダイツク》を全うして、自から徳業を成すに汲々たるものなりき。
 歐洲武士時代の盛世に於けるも、騎士《ナイト》は、其數、人民の小部分を成すに過ぎざりき。然れどもエマソンのへるが如く、『英國文學に於けるや、サア、フイリツプ、シドニー以降、サア、ウオルター、スコツトに至るまで、半數の戯曲と、凡百の小説とは、即ち此人格(紳士《ゼントルマン》)を描寫せり』。而して若しシドニー及びスコツトに代ふるに、近松、馬琴の名を以てせんか、日本文學史の特色は、乃ち一目瞭然たるものあらん。
 庶人に娯樂を供し、教訓を與ふべき諸多の方法――演劇、講釋、説教、淨瑠璃、小説等の如き――は、其主題を武士譚に採るものなりき。農夫は白屋の裡、爐火を圍んで、義經、辨慶の功勳、曾我兄弟の仇討を反覆して厭ふこと無し。黎面の頑童は茫然口を開き、耳を欹て※[#二の字点、1-2-22]、薪火既に盡くとも心頭此れが爲に尚ほ燃灼す。番頭小僧は一日の業務を終へ、店頭の扉を鎖せば、膝を交へて信長、秀吉の物語に時を移し、睡魔の倦眼を襲ひ來るや、彼等を誘ひ、日夕牙籌の辛勞を忘れて、夢に戰塲の功名に馳驅せしむ。細歩蹣跚たる孩兒も、唖々として桃太郎鬼ヶ島征伐の昔噺を誦することを學び、女兒亦た武邊の偉功美徳を慕ふを知り、かのデスデモナと共に、其耳はさむらひ[#「さむらひ」に傍点]の物語を貪食して更に※[#「厭+食」、第4水準2-92-73]くこと無かりき。
 武士は日本民族の理想《ボウ、イデアル》となりたり。俚謠に歌ふ、『花は櫻に、人は武士』と。武家の階級は賈販の業を禁遏せられたるよりして、商業の進歩に資する所無かりしと雖、凡そ人生活動の流域、思想の徑路は一として多少武士道の刺戟を蒙らざるは無く、知識上、道徳上の日本は、直接又た間接に武士の建設したるものなり。
 マロツクの指教富贍なる良書『貴族主義と進化』は、快達の筆を以て、『社會進化は、其の生物的なるに非らざる限り、是れ偉大なり人物の意志より生ぜる無意識の結果なりとの定義を下すを得べし』と曰ひ、更に歴史的發達は、『概するに社會の生存競爭に由つて生ずるものに非らずして、却つて大多數を最良の方針に指導し、教誨し、使役するに於て、小數者間の競爭より生ずるものなり』と説けり。氏の所論は、之に對し是非の批評を挿むの餘地無きにしもあらざるべし。されど其説く所は我帝國既往の社會進歩に於ける、武士の功績の大いに之を確證するものあり。
 武士道の精神の、凡百の社會階級に浸潤したることは、平民主義の天成の首領たる男達、侠客なる一種の人格の生じたるによりて亦た此れを知る。侠客は剛快豁達の漢子、其一寸一分も、凛たる豪壯男兒の活力に溢れて、平民權の保護者たり、又た主張者たりき。此輩に隨從する數千百の乾兒は皆、武士の大名に仕ふるが如く、『肢體、生命、財産及び地上の名譽』を擲つて、其頭目に服するを快とするものなりき。此等天成の親分《ボス》は多數の躁急過激なる職工遊人の徒を腹心となし、以て帶刀階級の横暴恣行を防遏するの鐡壁を形成したり。
 武士道は多※[#「止+支」、第3水準1-86-36]に分れて流下し、其發生したる社會階級より濾過して、大塊を脹大せしむる酵母《パンダ子》となり、凡ての人民に與ふるに道義の標準を以てせり。武士道の教訓は其初、國民の精華たる士人を飾るの光榮たりしものが、時を經るに從ひて、輿衆國民に於けるの熱望となり、靈感《インスピレーシヨン》となり、而して平民は高邁なる武士の有したるが如き精神の尊尚正大なる境域に到達すること能はざりしと雖、尚ほ遂に大和魂の語は、我島帝國の民族精神《フオルクス、ガイスト》を表稱するものとなれり。マシウ、アーノルドが定義の如くに、宗教とは『道徳の情緒に接觸したるもの』に過ぎざらん乎、されば凡百の倫理系統中、武士道の如くに、能く、宗教を以て稱すべき資格を具備したるものあるを見ず。本居宣長は、我國民が不言の言を歌ひて曰く、
  敷島の大和心を人問はゞ
     朝日ににほふ山櫻花。
 然り櫻は、古來我國民の愛翫せる花にして、又た我國民性格の儀型なり。而して思へ、歌人の特に『朝日に匂ふ山櫻花[#「朝日に匂ふ山櫻花」に傍点]』と曰へる所以のものを。
 大和魂は、馴雅婉※[#「變の心の代えて女」、第4水準2-5-86]たる花に非らずして、野性を帶び、自然なり。我國土の特産なり。其偶有性は、之を他郷土の花と齊しうするものありと雖も、其本質は依然として我風土に自發自生す。されど其國産たる故にのみ、吾人の之を愛好するに非らず。其高雅優麗にして日本國民の美感を動かすの大なるは、高く群芳に絶す。吾人は歐洲人と共に薔薇を翫賞する能はず、其花や、我國華の單純なるに似ず。而も亦た薔薇の窈窕として其陰に刺針を藏する、風前に脆く散じて、泥汗に委せんことを厭惡し、畏懼し、頑として寧ろ枝頭に腐死せんことを欲する、又た其色妖冶、其香※[#「酉+農」、218-1]厚なる、此等の特質は大いに之を我櫻花と其趣を異にす。櫻の佳美なるは、毒を蓄へず、刄を潜めず、且つ自然の招呼に應じ、欣然として飄落し、又た其姿色布太だ華麗ならず、其清香な淡として、※[#「しんにょう+向」、第3水準1-92-55]かに薔薇の人を※[#「厭/食」、第4水準2-92-73]かしむると同じからず。形容色彩の美は、花瓣の外觀を成すに止まりて、其存在に伴ふ常質なり。然るに其芬芳は生命の氣息の如くに輕浮す。故に凡百の宗教に於て、乳香、沒藥は、主なる儀式を成せり。馨香は清淨聖潔なるものを有す。旭日波を破り、絶東の島嶼初めて紅光を浴び、櫻花絢※[#「火+曼」、第4水準2-80-1]、曉風に開くの時、徐に此の美しき日の其氣息を吸盡せん乎、胸懷浩々、自から清澄爽快なるものあり、即ち何者の情感か、能く之に儔ひするを得べけんや。
 創物主すらもノアの捧ぐる馨しき香を聞きて、又た地を咀ふことをなさじとの、新たなる決心を起したりと記されたるを以て見れば(創世記八章二十一節)、櫻花陽春の天に薫ずるや、我が全土の民衆を招いて、茅屋の外に※[#「彳+尚」、第3水準1-84-33] ※[#「彳+羊」、第3水準1-84-32]せしむること、何ぞ異むに足らんや。此時四肢は勞役を忘れ、心は悲哀に遠かるとも、何ぞ咎めん。一瞬の快樂盡くるや、彼等は復た新力、新意を提げて、日常の業に還る。此れに由つて觀るも亦た櫻花は實に日本の花なり。
 しかるに妍葩麗蕋、飄々として春風に舞ひ、一道の清香吹いて未だ幾何ならず、忽爾として消散するの斯花や、――櫻花は果して日本精神の儀表なる乎、大和魂は、斯花と其開謝を同じくするものなる乎。
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    第十六章  武士道の命脈


 我國に於て駸々乎たる秦西文明の趨勢は、既に其の古來の教訓修練を一掃して、復た其の痕跡を留めざるに至りし乎。
 一國の精神にして若し斯の如くに薄命なるものならんには、甚だ悲むべしとす。脆弱なること、直ちに外來の感化に屈服するが如き精神は稱するに足らず。
 一國民の性格を形成する心理的要素の集成の固着性を帶ぶるは、即ち生物學者の所謂『鰭の魚類に於ける、嘴の鳥類に於ける、又た齒牙の肉食動物に於けるが如き、其種屬の特有する不變の要質』に等しきものあり。ルボン氏は其近著『民族心理學』に於て、皮相淺膚なる速斷と、灼然たる概括論とを以て、『知識上の發見は、人類共有の傳産なり。性格の特質缺點は、各人民特有の傳産にして、此等は堅嚴の如し、數千百年の間、日夜淙々たる水流の之を洗うて纔に其粗面圭角を砥礪するを得るものなり』と曰ふもの、其語勁拔殊に稱すべし。然るに若し果して各個國民性格の特質缺點にして、殊別の傳産と稱すべきものあらんには、此説大に傾聽するに足るものあるべし。只だ惜むらくは、此種の杓子定規論たる、ルボンの未だ其著に筆を下すに及ばすして、夙にテオドル、ヴアイツ及びヒユー、ムレー等人類學者の論破して、復た餘薀なきものなることを。武士道の浸潤したる多種の道徳を考究して、之れが比較説明を歐洲の典據に求むるに當り、武士道は毫も殊有の傳産たるべき特種の性格を有するもの非ざるを認めたり。固より諸徳性の集成は、全然特殊の形觀を呈す、而して此集成は即ちエマソンが名づけて、『凡百の大勢力の分子を成して集合する複雜なる結果なり』と云ふものなり。されどコンコルドの哲人は、ルボンに異なり、此れを以て一種族、一國民の特殊傳産となさず、却て之を稱して『是れぞ諸邦の最偉力ある人物と結合して、相互の知識感情を疎通せしむる要素なり。其明亮なることは、個々の間、暗號《メーソニツク、サイン》を有せずして、尚ほ能く直ちに感通するを得るに足るものあり』となす。
 武士道の我國民特に士林に印象したる性格は、之を以て種屬の具有する不變の要素を形成するものなりと稱するを得ずと雖、尚ほ之れが活力を保有せることは復た疑を容れず。武士道若し唯だ物理力に過ぎずとすとも、尚ほ既往七百年の間に蓄積したる動量《イネルシア》は、俄然停止するを得べきに非ず。武士道は唯だ遺傳によりてのみ繼承したりとすとも、其感化の範圍は、頗る廣大ならずんばあらず。試みに思へ、佛國經濟學者ケソン氏が、假に一世紀を人間三代と定めて打算せば、『吾人は各自其血管中に、紀元一千年に生存したる、少なくも二千萬人の血液を傳ふるものなり』と云へるを。『千歳の重荷に屈して』土壤を掘る一介の賤農も、其脈管に流るゝ百代の血液あり、彼は『牛と兄弟』なるが如くに、又た吾人の同胞なり。
 武士道は無意無敵の一大勢力として國家個人を推動したり。我が新日本建設の木鐸たる一俊傑吉田松陰が、刑に就くの前夜に當り、
  かくすればかくなるものと知りながら
     やむにやまれぬ大和魂。
と歌へるは、洵に我が民族に代りて率直なる告白をなしたるものなり。
 武士道は形式を具せず、而して我國家を振興するの精神たり、又た動力たりき。今に於けるも尚ほ且つ然りとす。
 ランソム氏曰く、『三箇殊別の日本は、鼎立して現存し、舊日本は未だ全く死せず、新日本は纔に其精神に於てのみ産れ、而して過渡日本は、今や瀕死の苦悶を訴へて將に逝かんとす』と。氏の説たる之を形而下の制度文物に於て云ふものなりとすれば、多く正鵠を逸せずと雖、若し之を根本的の倫理概念に適用せんとせば、多少の刪正を加へざるべからず。乃ち舊日本の創建者たり、又た其生産物たる武士道は、依然として過渡時代を指導するの主義にして、又た新時代を形成するの勢力たるべきなり。
 王政復古の狂瀾、維新回天の怒濤を冐して、我が國船を指揮したる大政治家の流は、皆其徳教の據るべきもの、唯だ武士道あるを知るの人なりき。近くは二三者あり、基督教宣教師の新日本建設に與りて、著大の貢獻を爲したることを徴證せんとす。予は榮ある所に榮を歸せんことを欲す。されど爰に云ふが如き名譽は、之を取りて我が賢明なる宣教師に賦與するに苦しむものなり。況んや彼等宣教師は、互に榮を他に歸すべしとの聖書の訓戒を固守して、何等の證左も無きに、自から己れに名譽を收めんとすること無からんは、更に其職に忠なるの所以なるをや。予は自から信ず、基督教宣教師は、日本に對し、殊に教育、就中、道徳教育の領域に於て大いに盡瘁する所ありと。されど唯だ、聖靈の活動は確乎たりと雖、尚ほ玄妙不可思議にして、神祕の裡に隱れて現はれざるなり。宣教師等の事業は、尚ほ悉く間接の効果を來すものに過ぎず、否、基督教傳道の事業は、新日本の特質を形成するに於て、其功の殆んど認むべきものなし。否、幸福にも患難にも吾人を刺勵したるものは、實に純粹簡易の武士道なりき。新日本建設者たる佐久間、西郷、大久保、木戸諸氏の傳記を繙いて之を見よ。又た伊藤、大隈、板垣等現存せる數氏の回顧録に聞け、而して彼等俊傑の士は武士道の下に其思想行爲を刺戟せられたるものなるを知らん。ヘンリー、ノルマン氏は絶東問題を研究觀察したる後、日本國の他の東洋專制國と異なれる唯一の特點を擧げて、『人智の案出したるものゝ中、至正、至高且つ至嚴なる廉耻の感念の、國民に及ぼせる統治的感化なり』と云へるは、即ち能く新日本の今日を興し、又た之をして將來の宿命に到達せしむべき原動力に觸着したる卓見なり。
 日本の改造刷新は全世界に顯揚せる事實なり。此の大事業を爲すに當りてや、自から諸多の動機の混入せるあり。然りと雖、若し其主力を擧げんには、何人も指を武士道に屈するに踟※[#「足へん+厨」、第3水準1-92-39] せざるべし。其の初、夢裏表桃源の國を開きて海外諸國と通商し、生活の各方面に最新の發明を輸入し、泰西の政治、科學の研究に着手したる時、主として吾人を指導したる動機は、物質的財源の發達にも非らず、富力の増大にも非らず、況んや泰西習俗の心醉踏襲にも非らざりしをや。東洋の制度民族を精察せるタウンゼント氏は曰く、『吾人は日常歐洲の日本を感化したることを聞きて、而して此島國の改新は、全く自生し、歐洲は日本を教へず、日本は任意歐洲に於ける文武制度の組織を學びて、多大の功を成したるものなるを忘る。日本は恰も先に土耳古が歐洲の砲術を輸入したる如くに、歐洲の機械、學術を輸入したり。されど英國の支那茶を購買するによりて、感化せらるゝことあるにあらざるよりは、又た彼を目して感化なりと稱するを得ず』と。氏は又た問うて曰く、『何の處にか、日本を改造したる歐洲の使徒あり、碩學あり、政治家あり、將た又た煽動者ありや』と。論者は能く日本の變造刷新を生ずるに至りたる所以の原動力の、全然日本人の中に存せるものなることを洞觀したり。唯だ氏にして若し更に一歩を進めて、日本民族の心理を探求したらんには、其の燃犀の觀察眼は直ちに彼の原動力の、即ち武士道に外ならざる所以を確知するを得たりしならん。要するに我邦の劣等國として、他の侮蔑を蒙るにし忍ぶ能はざる廉耻の觀燃は、これぞ即ち吾人の最強なる動機なりける。殖財又は興業を云々するが如きは、國家改新の道程に於て、漸く近時に至りて、纔に醒起したる問題に過ぎざるのみ。
 武士道の感化の尚ほ頗る炳然たるは、走りながらにも亦た之を讀むことを得べく、日本人の生活を一瞥せば、自から釋然たるべし。典雅流麗の文字、能く日本人の心機を解明したる小泉八雲を讀まんか、さらば直ちに其心機の作動は即ち武士道の作動の一例なるを見ん。我國上下を通じて、禮節を重んずることも、亦たこれ武士道の遺産にして、世界の熟知する所、更に絮説を要せず。所謂『矮小ジヤツプ』の不撓の體力を具し、又た堅忍勇敢なるは日清戰役の能く證明したる所なり。人多く問ふ、『斯民にも勝りて忠君愛國の念を有するの國家ありや』と。而して吾人は傲ぜんとして、『他又た是れ有ること無し』と答ふるを得るは、深く武士道の教訓に負ふものあるを感謝せずんばあらず。
 之に反し、日本人の性格に於ける彼の缺點短所は、其の責又た大いに武士道に存すとするは、頗る其當を得たり。吾人の形而上哲學思想に乏しきは――我國の青年の科學研究に於て、既に嘖々の名聲を宇内に馳せたるものありと雖、一人能く哲學の範圍に於て、何等の貢献をなせるもの無し――其原因を繹ぬるに、武士道の教育制度の下に、形而上學の訓練を閑却したるが故にあり。吾人が過大の感情、躁急なる性僻の責は、功名心に歸すべく、外人の往々非難するが如くに、吾人若し自負尊大の念に熾なりとせば、これ又た名譽心の病的結果たるに外ならず。
 外客、日本を遊歴するに當り、頭髪蓬々、弊衣破袴、巨杖を手にし、書册を挾みて、横行濶歩し、世事我に於て關する無きの状ある青年を見たることありや。是れぞ即ち『書生』なる。彼は九地を小とし、九天を低しとす。宇宙人生に關する自説を編み、空中樓閣に住して、玄々の妙諦を餌食とし、眼に野心の火あり、心は知識に渇す。貧窮は唯だ彼を驅迫するの一刺戟たるべく、其の富貴利達を見るや、以て品格の桎梏となす。彼は忠義の念、愛國の情の寶庫なり。彼は國家名譽の衞護たるを自任す。其徳質、其缺點を擧げて、彼は武士道の最後の零片なり。
 武士道の効驗は、其根帶※[#「しんにょう+向」、第3水準1-92-55]かに遠く、又た強大なりと雖、既に云へるが如く、其の感化は無意識にして、且つ冥々默々の間に存す。國民の心情は、一旦其遺傳せる感念に訴へらるゝことあらんか、自から其理を知ること無くして、直ちに之に應和す。故に同一の道徳思想と雖、之を表すに新譯語を以てすると、古來武士道の襲用せる言語を以てするとは、其効力に於て多大の徑庭あり、曾て一人の基督教徒あり、信仰の道より離れて、牧師の忠言も、竟に其墮落を拯ふ能はざりしに、人あり彼に説いて、一旦其救主に誠實を盟ひて、而して之に背くは忠義のみちに非ずと陳ぶるや、彼は飜然として忽ち其信仰に復歸したりと云ふ。忠義の一語は、凡て高尚なる感想の冷却するを再燃せしめたり。曾て其校に一團を成せる不覊粗暴の青年あり、教授某に對する不平の念より、數日の間同盟休校を敢てしたるに、其校長の彼等に向ひ、『某は缺點無き人物なる乎、然らば彼を尊重して、其留任を求むべきなり。教授は微弱なる乎、然らば將に仆れんとするものを排擠するは丈夫の爲に非らず』との簡單なる二問を發したるが爲めに、青年は直ちに同盟を解散し、彼等が紛擾の原因としたる教授其人の學力缺乏も、之を校長の諷示せる紛擾の道徳的結果に比すれば、微細にして顧慮に値ひせざるものと做すに了れり。斯くの如くに、武士道の育成したる感念を覺醒するに依りて、道徳の進善は多大の成功を期待するを得べし。
 我國に於て基督教傳導事業の不振なる一原因は、宣教師輩の甚だしく我國史に通ぜざるにあり。或は云ふ、『異教徒の記録は我に於て何かあらんや』と。而して之れがために、其宗教を以て、吾人と吾人の祖先とが數百年の間、傳習繼承したる思索の慣習と頗る背馳懸隔するものたらしむ。噫、一國民の歴史を嘲笑する乎。盖し何等の民人と雖――記録を有せざる最劣等の亞弗利加蕃族すらも――其經歴とする所は、即ち神の自から其手を以て記述せる、人類の歴史の一頁を成すものなるに、彼輩却つて之を否定せんとするに庶幾からずや。既に滅絶せる種族と雖、尚ほ具眼者の解讀するを得べき古文書なり。哲人、敬虔の徒より觀れば、地上の人種は、皆是れ、其皮膚の色の黒白を以て明記せられたる神の文字を象す。而して此比喩にして佳ならんには、即ち黄色人種は、黄金の象形文字を勒せる貴重なるページたる勿からん乎。彼の宣教師輩は、既に一國民の過去に於ける經歴を無視し、基督教を以て新宗教なりと揚言す。然るに予は惟へらく、斯教は即ち『昔昔の物語《ゼ、オールド、オールド、ストーリー》にして、之を傳ふるに當り、明晰なる言語、即ち古より一國民の道徳的發達に伴ひたる言語文字を以てせんには、人種國土の異同を破して、直ちに其心裡に徹するを得べしと。米國人若くは英國人の作爲せる形式を有せる――アングロ、サクソン的なる傾癖妄想の、教祖の優美清高なる精神を冐涜せる――基督教は、以て武士道の株幹に接ぐべき嫩枝と爲すに足らず。敢て問ふ、新宗教の宣傳者は、幹根枝葉を艾除し、而して荒蕪の土壤に播蒔するに、福音の種子を以てせんとするものなるかと。此の英斷快擧たる、夫れ或は之を施すに其地あらん。布哇を見よ、聞道く、基督教の彼國に於けるや、傳道軍は其國土の富源を齒獲し、土人を滅絶して、全捷を占むるを得たりと。然るに此擧の如きは、斷じて之を日本に行ふことを得ず。否、此擧は基督の王國を此世に建設せんとするに於て、必ずや取らざる所なり。吾人は爰に敬虔なる基督教徒にして、又た學殖深遠なる一賢哲の言を銘記するを可とす。ジヨエツト教授曰く、『人は此世界を異教徒と基督教徒とに二分し、而して一者に隱れたる善美と、他者に混ぜる醜惡との量を算へず。彼等は己れの有する最善なるものを擧げて、其隣人の有する最惡なるものに比し、基督教の理想を以て希臘若くは東洋の敗徳に較す。彼等は公平を欲せず、自家の賛譽を博すべきものと、他宗教の形式の誹毀すべきものとを打算計量するを以て。其喜びとす』と。
 されど個々人々の犯せる過誤の如何に關せず、彼等の信ずる基督教の眞髓は、吾人が武士道の將來を觀察するに當りて、必ずや考究せざるべからざる一大勢力あり。武士道の日は既に數へられたる。視よ、凶兆天に懸りて、其未來を指示す。啻に兆證あるのみならず、又た強大なる諸多の勢力の之れが威壓轉覆に黽むるあり。
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    第十七章 武士道の將來


 凡そ歴史上、歐洲|武士道《シヴアリー》と日本武士道との如くに、酷似せるものあるは甚だ稀なり。而して歴史は繰返すものなりとせば、彼の運命は又た必ずや、之を俟たずんばあらず。固よりサン、バレーの指摘せる如き、シヴアリー滅亡の特殊原因、邦土的原因は、之を以て日本の状態に適用する能はずと雖、中世紀以降、騎士とジヴアリーとを轉覆するに與りて力ありたる主因、概因は、又た正に武士道の衰亡を來しつゝあるものなり。
 歐洲と日本との經驗に於て、顯著なる差異は、即ち歐洲に在りては、シヴアリーの一旦封建制度の懷より離るゝや、基督教の鞠育する所となりて、新生命の權利《リース》を得たるに反し、日本に在りては、之を養ふに足るべき大宗教なきを以て、其生母たる封建制度の去りてより、武士道は怙恃を喪ひて孤兒となり、自立の止むを得ざるに至れり。現時の精巧なる軍隊組織は、或は之を取つて、庇護の下に置くを得べしと雖、奈何せん、近世の戰爭は、此れをして其發達を持續せしむべき餘地を有せず。其尚ほ幼なるの日、之を保育したる神道は既に自から老いたり。支那古代の老聖賢は斥けられて、代ふるにベンザム及びミル一派の新進學徒あり。現時の國粹保存的傾向に阿諛し、從つて、今日の需要に迎合せる、適好なる倫理説の工夫發明せられたるあり。されど吾人は猶ほ唯だ其の黄なる聲の、黄色新聞に反響するを聞くに過ぎず。
 國家の權能も、社會の勢力も、共に其威を張つて、武士の教訓に抗す。ヴエブレン氏の説けるが如く、既に『實業を重んずる社會に於て禮法の頽廢せる、換言せば、人生の鄙野に陷りたる事は、感覺鋭敏なる諸人の眼底に映ずる、澆季文明の一大罪過なり』。形體又た組織の奈何を問はず、トラストなるものゝ存立を許容せざる平民主義の勝ち誇りたる潮勢は、之を抵※[#「しんにょう+午」、第4水準2-89-82]すること能はず、而して彼の知識、教育と名くる固定資本を獨占し、道義の品質に等級價格を定むるものの組織したる一個のトラストたる武士道に抗して、其力獨り能く之れが殘骸を覆沒せしむるに足れリ。現時の社會統一的勢力は、區々たる階級精神の仇敵なり。而して史家フリーマンの酷評せるが如くに、シヴアリーは即ち階級精神なり。近世の社會にして、若し統一を標榜せんか、此の史家の曰へるが如く、『特殊なる一階級の利益を打算して作成せる純乎の個人的義務』は、其の存在を容すこと能はず。之れに加ふるに、普通教育、工藝、實業、習慣、富力及び都市生活等の發達せるあり。今や達人の利劍も、武士道が強弩の飛箭も、亦た施すに所無きは、炳として火を睹るよりも明かなり。名譽の磐石上に建設せられ、又た此れを以て金城鐡壁となせる國家は――之を稱して廉恥國《エーレンスタート》とせん乎。或は又たカーライルに倣ひて英雄國《ヒロアーキー》と謂はん乎――將に屁理窟《ロジツク、チヨツピング》の武器を提げたる曲言の法律家、迷語の政治家の掌中に陷らんとして、又た久しきを持すべからず。一大思索家がテレサ及びアンチゴネ【註】の二烈婦を月旦するに當りて用ひたる、『彼等が熱烈なる行爲を産みたる境遇は、今や永遠に去れり』との語は、之を移して、又た當に我武士を評すべし。
 悲しいかな、武士道の徳や。悲しいかな、武士の誇や。鉦鼓※[#「金+堂」、第4水準2-91-34]々の聲を以て、此世に迎へられたりし道徳は、今や詩人の『將軍も去り、王者も去りぬ』と歌へるが如く、衰亡回すべからざるの命數に在り。
 歴史若し吾人に垂教する所あるものならん乎、武徳を以て建てたる國家は、スパルタの如き都市にもあれ、羅馬の如き大帝國にもあれ、地上に『恒に保つべき城邑』を成す能はざるを知る。爭鬪の本能は自然にして、人皆之を有し、又た此れよりして高尚なる情操、丈夫の徳性を生ずるの功著大なる者ありと雖、獨り此れのみ完全なる人格を成す能はず。此の本能の陰には、更に神聖なる仁愛の本能の潜めるあり。既に觀る、佛教、神道、孔孟及び王陽明の明かに之を教へたるを。然るに武士道及び凡て他の武教倫理の、直下實務の必需問題に馳せて、往々此の事實に重きを置くを忘れたるは疑を容れず。今や人生は擴大せり。爰に武人の任よりも更に高尚、更に廣大なる職分は吾人を待てり。廣義なる人生觀、平民主義の進歩、及び他國民、他國家に對する知識の増進と共に、孔教の仁の思想は、膨張して――佛教の慈悲の思想も、亦た然りと云ふを得ざらん乎――基督教の愛の觀念に到達せん。人は發達し、今や單に他の臣隷たらずして、公民の地位を獲たり。否、啻に公民たるに止まらずして、又た人となりぬ。
 戰雲暗澹として我地平線上を蔽ふと雖、吾人は信ず、平和の天使の翼の能く之を排せんことを。世界の歴史は、『柔和なる者は、地を嗣ぐことを得べし』との預言を證す。噫、憫むべきかな、平和の長子權を※[#「弓+米+弓」/「隔」のつくり」、245-6]ぎ、又た實業主義の前陣を棄てゝ、侵畧主義の殿陣に下るの國家の、因つて招くべき損耗果して幾許ぞや。
 社會の状態の變化して、啻に武士道と背馳するのみならず、又た之を敵とするに至りたるに當り、今や即ち此れが名譽ある葬送の備をなすべきの時なり。武士道の死時を知るの難きは、其生時を明かにするの難きが如し。ミラー博士は、歐洲武士道の、一千五百五十五年、佛國ヘンリー二世が、演武塲に於て弑せられたる時を以て、公然破壞せられたるを云ふ。我國にては、明治三年廢藩置縣の公布せられたること、正に武士道の弔鐘を報ずるの信號なりき。後又た二年にして發布せられたる廢刀令は、ボルグの言を假りて云へば、『價無くして獲たる人生の恩徳、低廉なる國家の防衞と、丈夫の心懷、及び勇剛なる事業の保姆』の舊時代を鳴り送りて、『詭辯家、經濟家、勘定屋』の新時代を鳴り迎へたり。
 日本の支那に勝ちたるは、村田銃、クルツプ砲の力に頼ると云ひ、又た近世教育組織の功業なりと誇る。されど此の言たる、眞理の半相をも窺ひたるものにあらず。名工エルバア若しくはスタインウエーの精巧を極めたるピアノと雖、樂匠の指頭に觸るることなくして、自から、或はリツトの『ラプソテイー』を奏し、或はべトーフエンの『ソナタ』を彈ずるを得べき乎。銃砲若し能く戰に勝つとせば、何すれぞ、ルイ、ナポレオンは其ミトラーリイーズ式機關砲を以て、普魯西軍を撃破する能はざりしか。西班牙人は、其モーゼル銃を以て辛うじて舊式のレミントン銃を帶びたる比例賓土人を勦絶するを得ざりし乎。人を鼓舞するものは精神なり、氣魄なり。此れ微りせば、最鋭最強の武器も、何等利する所無しといへる陣套の言は、今又た之を復誦するを須ひず。最新式の銃砲も、自から發射せず、最近の教育組織も、懦夫を化して勇士たらしむる能はず。然り、鴨緑江、韓山、滿洲の戰勝は、吾人の手を導き、吾人の心に躍れる祖宗の威靈に頼れり。我が武勇なる祖先の英魂雄姿は永へに死せずして、目ありて見ゆる者に顯現す。思想の最も發達せる日本人を抓※[#「てへん+羅」、248-2]し視よ、彼は忽ち一介のさむらひ[#「さむらひ」に丸傍点]たるを露はさん。名譽、勇氣其他凡百の武人道徳の大遺産こそ、洵に彼のクラム教授の知言に曰へる、『唯だ吾人に委任せられたるに過ぎずして、死者と我が子孫とより奪ふべからざる俸禄』なれ。而して現在は命じて、此嗣業を護り、且つ古代精神の一點一畫を賊ふ勿れと云ひ、又た未來は命じて、此れが範圍を擴大して、人生凡百の状態境遇に施すべしと云はん。
 爰に豫言あり、過去半世紀間の事蹟の確證する豫言あり。曰く封建日本の道徳系統は、城郭、武器と共に破碎して塵土に委し、而して新道徳は、新日本の進路を照らさんが爲めに、靈鳥《フエニツクス》の如くに生れ出づべしと。此豫言は吾人の望む所にして又た其の全うせらるゝ日あらん。されど記すべし、靈鳥は唯だ自己の灰燼より生じて、候鳥にも非らず、又た他鳥の羽翼を借りて飛翔するものにも非ざることを。『神國は爾曹の中に在り』と。神國や、山高しと雖、轉落し來らず、海廣しと雖、帆走し來らず。哥蘭《コーラン》經に曰く、『神は輿國の民に與ふるに、各※[#二の字点、1-2-22]其國語を以て語るの豫言者を以てす』と。天國の種子の、其花を武士道に發きたるは、日本人の心念能く之を證し、又た能く之を知る。然るに悲しい哉、今や其果の未だ豐熟するに及ばずして、其日將に盡きんとす。而して吾人は左眄右顧、※[#「勹<夕」、第3水準1-14-76]忙として、更に又た佳美、光輝、勢力、慰安を與ふべき他の源泉に馳すとも、未だ武士道に代ふべきものあるを認めず。功利説、唯物説の損益哲學は、靈魂の半ば喪失せる理屈捏造屋《ロジツク、チヨツパー》の稱好するものなり。而して功利説、唯物説と角逐するに足るもの唯だ一基督教のあるあり。之に比すれば、武士道は、救世主の消すこと無く、煽りて焔となさんと宣言せる『煙れる葦』の如し。基督の先驅たる希伯來の豫言者、就中イザヤ・エレミヤ・アモス又たハバククと等しく、武士道は、特に治者、公人及び國民の道徳行爲を重視す。然るに基督の倫理は、殆んど全く個人と其信奉者とに係りて、個人主義が道義の因子たるの資格よりして、其勢力に發達すると共に、愈よ其實効に於て増益する所あらん。或は武士道に髣髴たるもの無きに非らざるニーチエの專權自彊なる主人道徳は、若し予にして大過なくんば、即ち彼が又た病的曲解を以て、ナザレ人耶蘇の謙遜克己の奴隷道徳と名くるものに抗する一時の反動なり。過渡の現象なり。
 基督教と唯物説(功利説をも含む)――將來或は更に簡約せられて、希伯來主義《ヘブライズム》と希臘主義《ヘレニズム》との舊態に復すること無き乎――は天下を二分せん。小系統の道徳は亦た彼に就き、此に合して、其命脈を保つべし。而して武士道は其の孰れかに與すべき。斯道たる、墨守すべき教理無く、形式無く、其實體は消失するに任せん。譬へば櫻花の如し、一陣の春風、萬朶の雪となりて翩飜たるを厭はず。されど、其命數は必ずや、滅絶すべきものにあらず。誰か云ふ、ストイツク哲學は滅びたりと。然り、系統として既に死せり、されど道徳として猶ほ存す。其精力活氣は、人生多種の流域を通じて、尚ほ之を感知すべく、西洋諸國の哲學に於て、文明世界の法律に於て共に之を認むることを得べし。加之ならず、凡そ人自から徳の高きに達せんとして、奮鬪する時、自力の業行を以て、靈の肉に勝つとき、乃ち哲人ゼノが不磨の教訓の爰に活躍するを見るなり。
 武士道は一箇特立せる道義律たるに於て滅ぶることあるべし、されど其力は地上に盡くること無けん。此れが武勇文功の諸道は或は毀たるべし、されど其光明、其天榮は久しきに亘りて存せん。其の表象たる櫻花の如く、四風に落英を飄すとも尚ほ餘香の馥郁として人類を幸ひし、人生を豐かにするものあらん。百世の後、武士道の舊慣既に葬られ、其名さへ亦た忘るらゝの日に到らんとも、其香ゆかしく、『眺むれば行手の彼方』、見ゆるとしも無き山路より、杳けき風に漂ひつゝ、これや正にクエカー詩仙の美しくも詠み出でたるに似たらん乎。
   來るはいづこぞ、  間近くの
   香に懐かしみ    旅人は、
   しばしやすらひ   ゆたかなる
   御空の祝祷《いのり》聞くぞうれしき。


[#地から5字上げ](武士道大尾)


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註(一) テレサ(Theresa)はポトリアの一伯爵の女(妻なりとも云ふ)なりしが、波瀾王カシミルの小姓マゼツバ(Mazeppa)と契れり。然るに伯爵はマゼツバが一介の小姓なるを賤みて其無禮を憤り、彼を狂馬に縛して追放したり。マゼツバ其後、コサツクの將軍となり、一國君となりて、露國とプルトワに戰ひて之に勝つ。(十七世紀)(バイロンの史誌『マゼツバ』を見よ。)
註(ニ) 希臘神話時代に於けるシーブス國王エヂバスの女にアンチゴネ(Antigone)あり。其父盲目の身となり、且つ其國を奪はるゝや、之に伴ひて漂泊し、父死してシーブスの歸りし時、其兄又た歿す。然るに簒奪王クレオン、其遺骸を葬ることを禁じたるに、アンチゴネは禁を犯して之を葬る。クレオン怒つて、アンチゴネを生埋の刑に處す。クレオンの子にして、アンチゴネの情人たるへマン亦た彼女の墓側に自殺す。其事蹟は希臘詩人ソホクリーズの一大悲劇を成すものなり。
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底本:『邦文武士道』丁未出版社
   1908年3月20日初版発行



《 新渡戸稲造 》(1862-1933)
   明治〜昭和時代前期の教育者。
   自らが「太平洋の橋」になることを願い、世界平和を唱えた。
    「信実と誠実なくしては、礼儀は茶番であり、芝居である」。


《 櫻井鴎村 》(1872-1929)
   明治〜昭和時代前期の翻訳家、児童文学者。津田梅子とともに
   女子英學塾(現・津田塾大)を設立。評論家としても活躍した。




【更新履歴】
2003年 9月20日公開
2003年 9月21日更新
2003年 9月25日、しみづさん、富田さんのご指摘により修正。
2003年 9月30日更新
2003年10月11日更新
2003年10月25日更新
2003年11月13日更新
2003年12月 9日更新
2004年 1月18日更新
2004年 3月20日更新
2004年 3月28日、しみづさんのご指摘により修正。
2004年 4月 1日、富田さんのご指摘により修正。
2007年 8月21日、しみづさんのご指摘により修正。


  入力:つくつくぼうし